無題

某日

 アイドルマスターのキャラソンCDの発売日。武田とUさんの手を借りて、関西でのオールセルフRECで納品。タイトなスケジュールへの対応と素敵な演奏に感謝。普段は絶対に作らないような、でも自分の趣味の真ん中にあるような曲ができたので満足。録音を伴う、過剰に編集的ではない音楽は今後も口実さえあれば時々作りたい。

 

某日

 作っているアルバムのテーマないしはモチーフを公園の池にしたこともあり、定期的に池の視察に行く。大阪のでかい公園をストリート性の有無、公共性の高さ、整備具合などの軸で考えていくとなかなかに面白い。アルバムのテーマの着想に至った大阪城公園は城ホールやよしもと漫才劇場なども含めると巨大商業施設であるといえるし、花の万博跡地である鶴見緑地金策以外の目的で景観が整備されている。スケボー少年が集うがいわゆるパークとは程遠い城北公園はもっと雑多である。市内の主要公園だけ見ても全くに性質が異なる。そしてその全てに池がある。

 今日も市外でのお気に入りの一つである山田池公園に赴きぼんやりカメラを回すわけであるが、あまりの長閑さに夢の中を見ているような気持ちになる瞬間が時折訪れるのである。

 

某日

 かずおと飯。頼んでいた自分のアーティストロゴのラフを見せてくれる。想定を超える打点にちょっと感動。洗濯ロゴとイニシャルモチーフ。

 名義の理由を聞かれたときには、At The Drive-Inみたいにしたかった、色を入れたかった、という二点をまず答えるようにしている。残りの理由をあまり話さないのは単純に恥ずかしいからである。当時、風になびくシャツを見て、意志を持って動いているように見える、みたいな感じで、日常着の大量生産品に情操を見出すみたいなことを常々考えたことを思い出す。洗濯タグなんていうのはバーコードみたいな類の、義務付けられた機能の要素でしかなく、そういうのが一回転して自分の看板になるのはおもしろいし、やりたかったことでもある。

 

某日

 草野球をし、晩飯にビールを飲む、最高!というのがだんだんビール主目的にシフトしていくみたいなことはままあるが、アホな効率厨の「じゃあビールだけ飲みに行けばいいじゃないですか」みたいな提言に耳を貸すのは無意味である。草野球の喜びを知らないやつと議論をしている暇なし。そしていまの自分にとっての草野球は音楽を作ることである。

 アルバムを夏に出します、とぼんやりツイートしたものの、出さなければいけない理由などなく、モチベーションの維持が難しい。さらに言うといつまでが夏なのかと言うのは自分の塩梅しかない。

 ひとまず有村のいう夏の定義は小学生の夏休み終わりの8/31までとしましょう。今できてるのは5曲?全然間に合ってなくてワロタ。

 自分の気質はよくわかっており、こういう時は金を払ってしまう(要するにライザップメソッドである)か、人を巻き込むに限る。

 町田さんにバイオリンを頼み、シングル含めたアートワークを友人知人に頼み、動画大喜利大会、と言うタイトルで企画書を作り(のちに ”Free Association” というイキったタイトルをつけるに至る)ほうぼうに投げてしまった。数ヶ月以内には頼んだ人全員から作品が届く、それを想像しただけで脳から幸福物質が出ている。

 草野球とは口実であるともいえる。なんの口実が欲しいかと言うとビールの口実である。おれにとってのビールは友達と遊ぶこと、何して遊ぶかと言うと作品を作ることになる。友達と作品を作るための口実として作品を作っているわけである。完全にフィードバックしてハウってるやん!自分のエロ絵でシコる神絵師!この話、このブログでn回目!!もはやハウリングしすぎておかしくなってる感すらある。

 

某日

 トーフビーツアルバム&書籍発売のプロモーションとしてFNMNLでのインタビューを担当。実際のところインタビューではなくただの放談であり、しかももう幾度となくした話を角度を変えて擦っているだけのようにも思える。

 自分達にとって聞き飽きたような話が、(かなり相手は選ぶが)面白がってもらえるという意味では、ミュージシャン-リスナー間のコミュニケーションというのは圧倒的に不足していて、その不足は悪い意味も含めて意図的にやっている部分と、単に努力不足の部分があると改めて感じてしまった。

 音楽を聴いて、気のせいなのか、本当にそうなのかはさておき、人生が変わってしまったと思えるくらいの感動を覚えることはある。それに対して、「僕の歌の力であなたを救ってあげます」などと振る舞うのも、「たかが音楽、さっぱり意味なんてないですよ」と言うのも、ある種サボっている部分があるといえる。

 適切な意思疎通を考えた時に、日記を書籍にして出すというのは、ベストエフォートの発現の一つなんだと、切れてしまったzoomの画面を見ながらぼんやり考えていたのである。

 

某日

 vavaくんのアルバムリリース。だいぶ昔に作ったトラックを元にフックがのせられ、町田さんの手を借りながら完成したGatsbyという曲を収録していただきました。

 vavaくんは"「あなたの曲に人生変えられました」に対してどう答えるか問題"についてとても誠実で、必要以上の卑下をせずに向き合うことをどこかで決心して活動をしているように感じ、特に大阪でのワンマンをみながら、それがお客さんにも伝わっているような感覚があり、素敵なことであるなとしみじみしてしまうなど。

 自分はいまだに「おれの曲なんてクソなんで聴かなくていいんですよ…」みたいなことを言ってしまう時があり、やめないといけないとは常々思っている。

 

某日

 園田さんのやってるyoksokにて徳利さんと松本ヒサタカ氏と共演。

 リハ後に徳利さんは「今からカラオケ行って調整してきます」みたいなことを言っていたが、自分はそういう徳利さんの冗談なのか本気なのかわからない(し実際どちらでもある)言動が好きである。

 自分は計100分程度DJ。小難しい感じも、過剰にチャラい感じもなく、みんな楽しそうにしていていいパーティだったなと思う。"みんなが普通に楽しそうにしている"みたいな状態自体が最近はあまりない。いい気分だったので、始発を待たず北へ向かって歩く。自宅までは辿り着けず、北浜あたりで疲れてタクシーに乗ってしまったあたりに若さの消失を感じる。

 

某日

 参院選投票。投票に行こうの呼びかけのみが加熱し、参院選/衆議院の構成や日本の国家運営ないしは選挙の(義務教育で習う程度の)本当に基本的なシステムすら理解している人が多くない割に、枝葉の議論だけが過激になっていくのは本当に居心地が悪く、選挙の少し前に「せめて憲法改正案の草稿くらいは読みましょうよ」みたいなツイートをしてしまったのちに、ビビって消してしまったりしたのである。

 自分は電機連合下の企業で働き、その労働組合の一員として仕事をしているわけであるが、擁立議員を参院選で勝たせます、という労組の活動が、(レベル感の差を理解した上で)種々の既得権益固守のための邪悪なムーブと地続きなものに見えてしまったりなどする。投票日前日に、会社で業界擁立の議員が最後の呼びかけをしているのを横目に複雑な気持ちになるのである。

 格差の是正を願っている風でありつつ、入社以来、給与の大半は米国株のインデックス購入に充てられており、ビックテックの躍進により自分は利益を得ている。これはもはやたぬき野郎の所業ということもできるのではないか?

 国の財産を一か所に集めて国民全員に均等に再分配するボタンが目の前に現れたら今なら自分はおそらく押してしまう可能性が高いが、それも結局楽になりたいだけのポジショントークでしかない。

 蓋を開けてみると電機連合擁立議員は落選し、一方でガーシーは議席を獲得している。大阪区4議席は自維維公。以後連日テレビでは統一教会関連のニュース。一瞬げんなりしただけ、生活はそのまま続く。

 

某日

 会社の飲み会に呼ばれてしまい、二つ返事で「はい、行きます」といった返答をした。蓋を開けてみると、意外と集まりが悪く、一瞬ミスったかなと思う。
 コロナウイルスの勃興と共に一度は消えかかった会社の飲み会という概念が、また不死鳥のように舞い戻ってきたわけであるが、思い返してみても、毛嫌いするに値するような嫌な思い出なんてものはほぼなく、今回もまたつつがなく終了するわけである。
おもんない人なんておらず、そこにあるのは相性のみであると考えると、ぬるぬるとスルーしてきた数多の飲み会の中に、人生を変える何かがあったかもしれないが、そんなことは知る由もない。
 永井荷風が「偏奇館漫録」というエッセイで、詩をやるやつは酒飲まんでもOK、でも飲むやつは詩をやらなダメやで、といった意の文を書いているのを思い出す。そのセンテンスは"経世の志士松本楼に酔えば帰りの電車でゲロを吐くのみ。"と締められる。最近はよくない自制が効いている気もする。最後に吐くまで飲んだのは、いったい何年前なのかも思い出せない。
(神戸のいい感じの店主がやってるいい感じの本屋、本の栞さんのインスタ連載企画”日記群/nikkigun”に提供した文章です

 

某日

 誕生日を迎え晴れて31歳に。夏にアルバムを出します・・・などといい続けていた時点でのアルバム発売目標日であったが、結局一ヶ月遅らせることにして告知。ティザー動画を突貫で作って告知するも、曲順やスペルなどミスりまくってて最悪。そのうち上げなおします。失礼いたしました。

 

某日

 seihoさんに関する件の告発。

 クラブ、ないしは音楽業界での、種々様々な終わってるハラスメントが横行しているのは事実である。おしまいエピソードには枚挙にいとまがなく、それは自分と関係がないところで起こっていたり、現場に居合わせているが止められなかったり、はたまた自分が加担していたり、当事者だったりするのである。

 お気持ち表明はネガティブなトラブルにはあまり役に立たず、基本的に問題を解決するにはシステムをどうにかするしかないというのが自分の考えであるので、業界全体でのシステムやガイドラインの構築を望みます。

 

某日

 アルバムのデータ入稿。細々した外注を除き、in the blue shirt活動のステークホルダーは自分のみであるので、終わらせるも終わらせないも全て自分の塩梅であるのだから恐ろしい。作品を出すことよりも作る作業それ自体が楽しく、工程が目的となってしまっているとも言える自分に、ちゃんとリリースを定期的にしようという意思が残っているのも不思議な話である。

 前作のEPも個人的に結構いいものが出来たと思っているが、出しっぱなしで何もしなかった反省があるので、今回は収録曲からビジュアルを自由に連想してもらう動画連載企画”Free Association”を立ち上げた訳である。年内くらいまではこれで遊ぼうと思っいて、それが今の自分の最大の楽しみとも言えます。

「音楽(ないしはその他創作物)の消費スピードが早すぎる」みたいな雰囲気もあるこの頃、周りに不満を述べても仕方がなく、自分の作品を自らが延々としゃぶり続けるウロボロスになるしかないというのが結論で、創作活動を楽しんでそうな友人知人の助けも借りながら、こんなんできた、たのし〜くらいの温度感をずっと続けられたらいいなと思います。8/26配信開始です。アルバムセルフレビューも別途!