無題

某日

 イサゲンと武田、授業終わりに喋っていたIRIGINOくんを連れてスタジオへ。トマソンスタジオで使っていたL12でバンド1発録りのテスト。ドラムはsE8をトップに2本。難なくテストは完了しあとは遊びの延長で演奏。se8はいいマイクだし、L12は本当によくできた機材だと感じる。学生時代のようにこのメンバーでまた雑に楽器を弾いて遊べるのはこれはこれで夢のようである。

 

6月某日

 イベント出演のため仙台へ。最後に仙台に行ったのは7年前の高分子討論会で、かなり思い出深い1週間であったわけであるがそんなことはすっかり忘れていて、仙台駅に降り立った瞬間に、それらの思い出がまざまざと蘇ってきたのである。

 仙台は信じられないくらい都会であり、事前に教えてもらった有名店は大体並んでいて入れず。適当に寿司を食ってから会場へ。外は6月にもかかわらず真夏のような様相である。

 会場に着く。窓辺リカさんやloganaくん、liry furyさんと雑談したのち、久しぶりに会ったソウジュと話し込む。ソウジュがかねてからやっていたことと最近のムードはかなりシンクロしているように思え、彼のやってきたことは身の回りの関西の同世代のローカルシーンで最も過小評価されているように思える。

 イベントの客層はおしゃれな人であったりオタクだったりするが総じてみな若い。地方でこれだけ若者が集まるのはなんて健康的なんだろうと思う。近況に住む古い友人たちも来てくれたり(オノマトペ大臣は予想外すぎて最初気が付きませんでした)。

 ライブは最近作った新しいeditなどかけたりしつつの1時間。理由はわからないが、仙台での自分は他の地方に比べても妙にプロップスがあるように感じた。

 エロいゾーンも含む繁華街、東北大学、駅、飲食街が徒歩圏内であるのに、治安の悪さがまるで感じられないところがかなり気に入って、住むのにいい街だな、と考えたが、学生時代の京都の幻想をまた重ねているだけなのかもしれないとも思ったり。中華を食ったり、教えてもらったクラブに遊びに行ったりとイベント後も満喫して就寝。

 

某日

 やついフェス出演のため、仙台からそのまま東京へ。asiaに行くと楽屋に浪漫革命のメンバーがいて嬉しい気持ちに。昔話などしていると、彼らも東京に拠点を移すことを知らされる。お前らもか!と思いつつ、どう考えてもそっちの方がいいと思うので素直に応援。おめでたズの面々とも初めて挨拶。

 完全入れ替えでの開始なので出番はやや緊張。散々出演したasiaのはずなのに、妙にピンスポを多用する照明演出により知らないクラブに出ているような気分であった。

 杉澤さんに「やついさんも精華大の先生やってるらしいですよ」と教えてもらう。大学で遭遇したら何か話ができると良いな〜とぼんやり思いつつ、すしざんまいで寿司食って帰宅。寿司ばっかの週末。

 

某日

 パソコン音楽クラブのリリースツアーのため広島へ。前ノリついでに島田(siroPd)を呼んでみたところ来てくれることに。

 東京からの時間距離が国内屈指である島根県の辺境にすむ島田の見ている景色は、いわゆる東京-地方論みたいな話よりも、もっとそもそもレベルで異なる。時間をかけていく松江市の人口ですら20万人、最寄りの100万都市である広島まで3時間。

 わざわざ来てくれたこと、久しぶりであること、これまでのin the blue shirtのPV作品に対する感謝とで妙なテンションのまま宮島観光。

 広電でのんびり市内に戻る。宮島口駅自体は普通の鉄道駅で、普通の電車である鉄道線から軌道線(ようするに路面電車です)にどうやって切り替わるのか楽しみであったのに、話したり、ぼーっとしているうちに電車は普通に道路を走っていた。

 適当に入った市内の喫茶店がいい感じで、目立つところに東郷清丸氏のサインが飾ってあるのがみえる。適当にコーヒーを吸っていると西山くんがやってきて、そのまま繁華街で飲酒。一旦ホテルに帰ってダラダラしていたら再び西山くんに呼び出されてえふとんくんの店でまた飲酒。朝方に入った宮崎辛麺の店がやたらとうまく感じ、満足して就寝。

 翌日目覚めると、恐ろしいことに全く声が出ない。そんなことあんのかよとい思うと同時に、一応こんなご時世であるから気を遣ってしまう。慎ましく過ごして終了。もっといろんな人と喋りたかったのに!(翌日以降病院行ったり検査したり。ノーコロナ。食物アレルギーかもしれんとのことであるが真偽不明。)

 

某日

 パソコン音楽クラブのツアー大阪編。打ち込みの音楽をやっていると、基本的にはマイノリティ然とした雰囲気があるため、どうしてもわかる人にわかればええねん的なスタンスになってしまい、必要以上に説明を放棄したり、排他的になったり、逆に過剰に商業的になったりしがちである。パソコン音楽クラブの2人の、自分たちの音楽を理解してもらうこと、最悪理解されなくてもなるべく楽しんでもらうことを本質的に諦めないスタンスを自分は本当にすごいと思っていて、そのことについてやや長めにMCで話したり。

 それだけが全てとは思わないが、クリーンでピースな雰囲気を伴うクラブミュージック、およびそのための場をを自分は求めている。楽しく音楽がしたいので、できれば周りにも楽しく見てほしい。その点この日はかなりいい雰囲気で、ただ楽しかっただけである。

 終演後に、「音楽再生してるだけで価値が理解し難い」といった旨で名指しでツイートされているのを見かけるが、まあやはり依然として説明不足であるというわけであるので、可能な限りよく咀嚼してもらった上で、好き嫌いを判断してもらいたいとは思う。

 

某日

 母方の祖母の家が取り壊しになったため、様子を見に松戸へ。当たり前であるが、呆気ないくらいにただの更地である。祖父母は亡くなり、母は一人っ子であるので、これにて松戸と自分の関わりがすっかりなくなってしまったわけである。長期休みに遊びに来ていただけでこの喪失感であから、生まれ育った母のそれはおそらく自分とは比べものにならないのであろう。

 謎の見学会はカジュアルに進行し、母と姉と何故か日比谷ミッドタウンで夕食。姉から「なんで同じ環境で育って弟だけこんな感じ(ミュージシャン、自営)になったのか不思議」といった旨のことを言われるが、確かに祖父母や身近な親戚も含めて自営業の人間は存在せず、大人になるまでサラリー以外で飯を食うことを、ほんのりでもイメージすることすら難しかったわけであるので、確かに不思議である。

 夜はこれまた何故か母と品川プリンスホテルに泊まる。真面目で穏やかに、ちゃんと生きるべき、みたいな規範意識は完全に母方チームから来ているなと思い返す。

 深夜にホテルを抜け出して渋谷に行き、WWWβに顔を出す。友人たちが想定よりも浮かれた状態で酒を飲んでいた。最終的に釣られて自分も浮かれてしまいふわふわした状態で帰路に。ホテルに戻り、寝ている母の顔をみながら、いまの自分の状態は確かに親の想定みたいなものを斜めに超えているなとは思ったり。

 

某日

 作詞作曲した早見沙織さんのplanがリリース。アイマスの時もそうであるが、作詞込みでしっかりやらせていただく機会は稀であるので、いろいろありながら食らいつくような気持ちでの制作であった。どうやっても良くなる早見さんの声、自分のようなアニソン実績の希薄な人間に頼むのは依頼側にとってはシンプルにリスクであるから、やはりリスクテイカーとしてみなさんには頭が上がらない。制作前に早見さんとお話しする機会も頂いたが、(オタクへのご褒美的な観点ではなく)制作する上でかなりプラスに作用したように思う。

 

某日

 渋谷のウルトラヴァイブにて中塚武さんの20周年記念で配信イベントに出演。1stの流通をやってもらったのがウルトラヴァイブで、アルバムに対して誰よりも早く熱いメッセージをくれたのが当時面識すらなかった中塚武さんであるから、なにかフラグを回収しに舞い戻った気持ちになるが、ほぼ浦島太郎で1Fがレコ屋兼イベントスペースになっていることすら知らず。

 アナウンサーの清野さん、サスケくん、FPM田中氏、中塚さんという人選が実に素晴らしく、自分の脳内で国内カットアップ史解釈を今一度おさらいしたりなどしてしまう。こういう面々に名指しで混ぜてもらえるのは本当に自信になる。若き自分に勇気をくれた中塚さん、自分も含めた現行の京都シーンも把握していてさすがだなと思う田中氏、才能豊かで、かつ自分比で想像できないほどしっかりしているサスケくん。みなとのおしゃべりは本当に興味深く、これは続きがしたいなと思わざるを得ず、20周年記念のライブも遊びに行かせていただこうと思ったり。お土産にみはしのあんみつをたくさんもらったが、肝心の蜜をもらい忘れてしまった。

 後日ポリスターの宇佐美さんから電話。短い時間の出来事をえらい褒めていただいて、みんな人をよく見ているなと思う。流れで言語化の上手い下手の話になる。自分は言語化どうこうより、その言語化対象になるような、体系化された知識や、もっと抽象的なおもしろ思想、思考さえ持てれば、もはや言葉にする能力はそこまで重要ではないと考えているが、うちに秘めたおもしろパトスは、確かにそれだけでは何の意味もないのも事実である。(でもやっぱり言語化能力って最近過大評価されすぎじゃないスか?)

 

某日

 ジブリの新作を視聴。自分は個人性の発露がすべてを差し置いた美徳であると考えるような極端な人間であるので、それはそれは上質な体験であった。webちくまに寄稿した書評(もといエッセイ)を書いた時にも考えたが、個人性を持って、抽象的なものを描こうとすると、理路整然とした美しい、スムースなプロットにはなりにくいんじゃないかと考える。言語化問題と通ずるが、そもそも論理的に筋道を通してテキスト化をできるようなものが対象なら(要求される知能レベルはさておき)そうすればいいだけの話である。みんな言葉にならない何かを、言葉や、言葉以外でどうにか伝えようとしているのが醍醐味である。そういう意味では、ファストに消化しようとしたとしても、そこはそもそも早さの概念自体も希薄であったりする。コンサルのパワポのように、金井美恵子の『岸辺のない海』のあらすじの要点をまとめた資料があったとて、それはほぼ意味のない情報である。

 

某日

 家があまりにも近いスタジオSIMPOにて武田のドラムのレコーディング。サラリーマン時代はとにかく人と日中に楽器を生録するのが困難であったので、溜飲を下げるが如く録りまくりである。コイズさんも武田も私の遊びに付き合っていただいて感謝。

 

某日

 IAMASオープンハウスへ。樽見鉄道のCLUB TRAIN以来の大垣。前は使えなかったような気がするタクシー配車アプリを乱用して朝日屋でほぼうどんの味がするラーメン(マジでお気に入りで何回でも食べたい)を食ったのちIAMASへ。

 イサゲンと二人で学生の展示を見て回る。これはもう何回も書いているが、自分は作品を作って、それについて話をするのが本当に好きであるので、修士課程の学生自らが作った展示作品について一生懸命説明してくれるのは本当に面白い。

 SANTAくんにVJしてもらっての演奏。白壁の部屋でかしこまってやるみたいな電子音楽ライブを自分は結構真面目にやりたかったのだがこれまでなかなか機会がなく、その欲がやや解消される。自分以外のアクトもアイディアや初期衝動に溢れていて面白い。

 出演者や、昔からのフォロワーであった竹澤くんとかと居酒屋で打ち上げ。めちゃくちゃ面白くて学生時代に戻ったような気持ちに。ハンドルキーパーSANTAくんにホテルまで送ってもらう至れり尽くせりぶり。

 着いた頃にはもう大浴場は閉まっていていかんせんすることがなく、イサゲンと近況を話しながら就寝。

 自分の働く精華大学もそうだが、やはり近年はどこの美大も就職率ないしは就職させるぞという姿勢みたいなものが強まっているように感じていて、カリキュラム的にもいそいそとした印象を持っている。一方でIAMASは逆に驚くほどに牧歌的で、(在学生にはそれぞれ将来への不安は大小あるのは分かった上で)やはり学びの場はこうでないとみたいなことを考える。その点で非常に稀有な組織であり、いたく魅力的に映ってしまった。油断すると食いっぱぐれる酷い世の中であるので、世間の総意は就職の面倒を手厚く見る寄りなのかもしれないが、化学を志して入った大学で意味のわからない電子音楽に人生を飲み込まれた自分のような例もあり、(成功者バイアスやろという指摘には目を瞑りつつ)若者は出口や成果を逆算して段取りを踏むような類の対極の時間を、人生のどこかで過ごしてほしいと願ったりもする。

 Bravenとつくったリミックス動画がきっかけの縁で今回IAMASに行ったわけであるが、我々の動画を見て、この手の表現に興味を持っているという学生が精華大学にもいるということを人づてに聞いたりなどして、やはり作品は作り得であり、再生数に現れないような起点を作ることが自分の使命であるように改めて感じている。

 

某日

 インターネットを賑わせるはSNS移住的な話題。Twitterの現状は資本主義の帰結なのか、SNSがスケールする上での規模のフェーズの問題なのかはいまいちよくわからない。どちらの理由であれ、SNSが非可逆的にこのような末路を迎えることが避けられず、さながら寿命のようなものがあるのであれば、さっさと(mixiからの世代交代のように)スクラップ&ビルドが繰り返されるだけの話であり、イーロンマスクが何をしたところで多少スクラップが早くなるだけで(どのみち結果は変わらないと言う意味で)大局に影響はないと考えている。

 一方で自分からすると、今やSNSに求めているのは自分語りの機能だけ(匿名掲示板が集合知を求め、自分語りマンをゴミカス扱いしていた頃に懐かしさすら感じる)である。そういう意味では、in the blue shirtドメインがあるので、そこでひたすらテキストを書いていけば良いだけであるが、それだと自分の一人語りを拡散する機能と、他人の自分語りを大量に捕捉する機能が満足されない。自分の一人語りの拡散はひとまず諦めるとして、人の自分語りはどうにかして捕捉したい。いまさら元祖返りして好きものだけが自主サーバのテキストサイトを運営したとしても、今の検索エンジンの状況だとそれらに辿り着けるか甚だ疑問である。

 とにかく、自分が求めるのは、テキストが書けることと、それが消えずに残ること、相互にスムーズに閲覧できることである。そういう意味では、そんなことはどのSNSでもできる。要するになんでもいいという結論でもある。要するに、良くも悪くもインターネットコミュニケーションの天井みたいなものを薄々感じ始めているわけである。一方で、コミュニケーションをする当の人間はいつだって青天井である。

 全ての上に人がいて、その下にテキストがある。人とテキストを持ってして、おもろさの根源になり、その下にソーシャルネットワークが構築される。長短含めてやはり自分はテキストが好きである。とりあえずすべきことは、このブログも含めて、ローカルにログを保存して、後から読めるようにすることくらいしかない。

 

某日

 32歳の誕生日。午前中は前職の課長と近況報告など。午後はスタジオMAGIで学生のレコーディングのディレクション。途中岡村詩野さんらが遊びにくる。ゼミで散々面倒を見ている学生の曲の最終形が急に見えてくる。自分のものであっても人のものであっても曲ができる瞬間というのはいつでも面白く、やはり人生をかける価値があると思う。作りかけの曲の話をしながら宝ヶ池の王将で飯を食っていると、また別の学生に遭遇して喋る。前期の最終授業が終わってしまったので、次に彼らに会うころにはもう少し涼しくなっているかもしれないと思い、少し寂しくなるなど。