某日
3rdアルバムリリース日。コロナの鬱屈と共に、意図的に1人で閉じて制作した前作のEPに対し、今回はかなり投げかけの意識で作った作品である。なにもわかっていなかった1st、今思うとほぼ心の機能が停止しかかっていた2ndときて、3枚目にしてようやく平常時の自分のフィールを作品にできたような気がしている。
自らの音楽活動において、唯一誇りみたいなものを持っているとするならば、まとまったEPやアルバムを出し続けているということになるであろう。リリースに付随してツアーなどがあるラッパーやバンドに対して、自分くらいの規模のエレクトロニックミュージシャンにとってはアルバムを出しても特段なにかが起こるわけでもなく、リリースに対するご褒美のニンジンはかなり手薄である。そして「〇〇(有名企業)のテレビCMの楽曲を担当しました」とかのほうが客観的な評価としては有効で、"個人が自主的に作った音楽"に興味を持ち、能動的に評価してくれる人は少ない。それでもどういった理由か、頼まれてもいないのに1人作品を作り続けている。正直なところ自分の才能みたいなものに対してはだいぶ天井が見えてしまっている感があり、この継続のみが唯一のアイデンティティである。
そしてやはり自分はアルバムというフォーマットが好きである。この作品をもし気に入ってくれた人がいるのならば、そいつは私と気のあう部分がきっとどこかにあるのでしょう。
某日
自分は先天性耳漏孔という生まれた時から耳の横に小さな穴が開いている病気?である。基本的には穴があったところでなにというわけではない(強いていうなら洗わないと臭う)のであるが、久しぶりにその穴が炎症などを起こしてしまったので、これを機に手術をして取ってしまおうという運びに。
無意味に生じた、なんの機能のない穴とそこにつながる謎の管を切除するという謎手術、局所麻酔のため聴覚がある状態で耳をチョキチョキ切られるのはかなり恐怖ASMR体験であった。「手術室ってマジで映画とかでみるやつと同じなんや」という感想の中、のべ4時間ほどで両耳の穴の切除が完了。聴こえ方に変化もなくひと安心。
某日
知らぬ間に都内のクラブは当たり前のように連日イベントが行われ賑わっており、一方で関西をはじめとする地方はこの「もうイベントとか普通に楽しんでいいっぽい雰囲気になってますよ」というこの共通認識のモードすらうまく捉えられていないといった感じである。
コロナ禍でも営業を続けた一部のベニューを除き、どこに行ってもなんというか、ログインしなさすぎてゲストアカウントに戻ってしまった的な感覚がある。久しぶりの友人に会うエモさよりも、正直いろいろとわからなくなってしまった部分のほうが多い。みなログイン履歴が消滅し、初期アバターで集合しているかの如し。しかし料理の匂いで実家を思い出すように、かかる音楽によって想起される記憶のみやたら鮮明である。
某日
Cast offのquoreeリミックスをリリース。quoree氏がアートワークを頼みたいと候補に挙げた油絵画家のMモト氏、元絵(風景画が主である)を描いたのちにその上から筆をふるい一旦元絵を破壊、その上に抽象モチーフを忍ばせる、というかなりアツい作風で、本来完成品である2mixを木こりのように切り刻み再構築している自分と通じるところを感じざるを得ず、珍しく面識もないのにアートワークを依頼したところ、完全アナログ制作で快くご対応いただきました。
quoree氏もquoree氏で、サウンドデザインの技術もさることながら、リミックスの意図を問うと「これは悪夢を想定していて…」と技術以前の狙ってる的の話をしてくれて、2人ともなんて面白い人間なんだと興奮しっぱなし。自分は依頼したのち見てただけ。こんな役得なポジションがあるのかと感動しきり。初速を与えたら行くところまで行くこの感じはかなり久しぶり。ライク・ア・ローリングストーン!最高!
某日
大阪新町のレコード屋Alffo RecordsでDJ。個人店なのに新譜をバンバン入れるタイプのレコ屋であり、店を見渡すと聴きそびれていた有名どころの新譜が目に入り、最近聴くのサボってんな〜という気持ちに。
京都時代に多大な影響を受けた先輩である田中亮太氏が来ており昔話や近況報告など。2人してUSBが店のCDJに認識されず、仲良く対応に追われながらのオープン。CDJ1000の液晶ってこんなんだったなーと思いながら楽しくDJ。
その後なぜかてるおさんの運転で京都へ。遊びに行ったウエストハーレムに大学の後輩の栁澤くんがポパイの記者として取材に来ていて驚き。「有村さんも出てた留年男子特集をダシにポパイ入れましたよ」みたいな話をしながらマガジンハウスの名刺をくれた。確かにそんなこともあった。あの頃はただやるべきこともやらずに狂ったように音楽を聴いていただけであったが、知らぬ間に自分も音楽を作るようになり、そしていい年こいていまだにほぼそのまま同じような暮らしを続けている。そんな暮らしの裏で、大学で出会った友人はめいめいの仕事で責任のあるポジションを担い始めており、それは素敵なことである。
某日
急遽InterFMに出演、古い知人であるホサカ氏がパーソナリティであり、これまたポジション担い案件である。ラジオに出るたびに思うが、自分の曲や喋りを自らの意思ではなく聞かされた人はどんな気持ちになっているのであろうか。
某日
初音ミクの楽曲「ケース・バイ・ケース」をニコ動で公開。ボーカルエディットで培った音韻ノウハウを作詞に落とすトレーニングがしたかったというのと、島田(siroPd)と遊びたかったというのが主な理由である。セルフ課題として、言葉の音韻を理解できていれば、ボカロに会話をさせることも造作ないはずであり、最低限のピッチ変化のみで喋ってるっぽく出来ることを確認したかったが、肝心のボカロエディタの操作を覚えるのが面倒で、適当に中途半端な初音ミクとの会話動画を量産するに至る。
某日
ノーベル賞の発表日。自然化学の分野において最も権威のある賞の一つであるが、これが明確な基準やルールもとに争うコンテストではなく、個人の金で作られた私的な団体によるブラックボックス審査で決定されるという部分に自分は美しさを感じている。
性善説への無防備な信頼というのは常にくだらないハックの対象になる。「審査が不透明である」というのをズルし放題としか見れないのは貧しさであるが、世の中というのはそんな奴ばかりである。私的な財団が、儲かるわけでもないのに自分の金で勝手にやっている、というのは、ガバガバとみせかけて、そいつらがまともである限りはまともであり続ける。好きにやってるんやから文句とかいうなよ、その代わり一生懸命やります。その一生懸命を出来るだけ美しく。
ついでにイグノーベル賞、日本人の受賞者が多く、相対的に本家比で米国の受賞者が少ないのである。日本の研究にまつわる環境や仕組みは終わってます、とはよく言われており、特に間違っていないとは思うが、その終わっている環境を踏まえてアカデミアに身を投じる奴の異常性は増すばかりであり、そんな奴の研究は利害を超越した異常なものになるわけである。研究者の身分や収入が保障されてこそ枝葉の研究が盛んになると見せかけて、「適切な対価が与えられない」というふるいで濾された異常者によって、辺境のイグノーベル賞的な研究の割合が増しているということになるんか?
ともあれ、前提として適切な対価は与えられるべきであるが、つまるところ、やるやつは環境に関わらずやる、ということに尽きる。そして、個々人の興味の対象とは他人にはコントロールのできないということでもある。
某日
名古屋でHIHATT周年イベント。新幹線に乗ること自体久しぶりでかなりテンション高め。みなかっちりハウスを掛けていたのに対する逆張り半分、最近京都の学生時代を思い出す事案が多数あったため、クラブミュージックへの理解が無だったあの頃を思い出し選曲。DJはマジでもうちょっと練習しないといけない。そしてみるたびに思うがトーフさんはマジでDJが上手い。
ホテルが同じだった小鉄さんとラーメンでも食いましょうと深夜の名古屋駅近辺に繰り出すも、検索して出てきた店はどこも空いておらず、チェーン店の居酒屋に吸い込まれる。
某日
早々と名古屋を後にし神戸へ。久しぶりのパーゴルとブッダハウス。貴重な兼業仲間であるネイティブラッパー氏とは毎度お馴染みのサラリーマントーク。新譜を交えたライブセットは徐々にコツを掴んできた感。
某日
ソーコアでDJ。ソーコアに行くたびにもはやあえてすき家でチー牛を食っている気がする。
ソロもバンドも曲を作りまくる年下制作ジャンキー筆頭の近藤くん、まさか関西のライブハウスで同じになるとは思わなかったLITEのジュンイザワ氏、どちらとも割としっかり話をしてなにかを得たような気分。ヤックルに近々飯行きましょうよ、と言われ、その場で同時にLINEにも飯行きましょうと送ってくる彼らしいムーブに興奮(返信してないことをいま思い出した!スマン!)。
ペーパーの弟のバンドは普通に演奏したのちにしばしアシッドのシーケンスが走るみたいなかなり興味深い形態。そしてペーパーは相変わらずDJが上手い。3日も連続でイベントに出ると疲労で脳がふわふわしてくる。コンビニで炭水化物を買い込みドカ食い気絶。
某日
かずおとケンジと公園でぼーっと座っていると、怪しげなおっさん2人組がチラシを手に「国葬は反対ですよね?!?」と接近してきたので「なんで国葬反対なんですか?」と聞いてみると「安倍晋三は悪い人なんです!」を繰り返すだけであった。こんな草の根で、面識のないやつに考えを説くのであれば、もう少し仕上げてこいよと思うわけであるが、説明してもどうせわからないアホと思われていただけの可能性もある。
近頃は文字通り賛否両論のニュースが多い。「いや〜賛否両論ですねえ〜」的な日和見態度はやめ、しっかりと自らの頭で考えスタンスをはっきりさせたいと思う気持ちと、スタンスとか以前にこんなことにおれの人生や脳のリソースを一ミリも割きたくないという気持ちが常に半々である。「政治に興味がない」というと「人々との暮らしと政治は不可分なんですよ」と返される。そんなことは百も承知で、ぶっちゃけなにも考えたくないというのはまあ本音である。
某日
アトロクに出演。宇多丸さんは毎度おれの曲をマジでちゃんと聴いてるんだろうなということがわかり、適当なそれっぽいだけの感想を言わないのでこちらとしてもふんどしを締めていかねばならず良い緊張感がある。対おれというか出演するゲストや紹介する作品全てにそういうスタンスなのだと思われる。自分は人に注意をしたり指導をしたりすることとは無縁であるが、他人に良い緊張感を強いることのできる人間は目指す価値がある。
某日
人生初のM3参加。これまで同人シーンは近くて遠い存在であったが、コロナで失われた成分を取り戻すには自らの手で自らの創作物を売るしかないのである。完全に1人だったためどこも見にいけず1人で売り続けるのみ。
自分のような音楽を作るにあたって、とにかく仲間が少ない、というのがずっとついてまわる悩みであり、解決すべきあると思っていたわけであるが、M3の規模はもはやマスといってよく、音楽活動をこちらでスタートしていたら全然違うマインドになっていたんだろうなとすら感じてしまった。
もっと挨拶回りとか行くべきであろうに、売り子も立てず1人で売り直帰するあたり自分の悪いところが出ているとしか言いようがない気もするが、それでもわざわざ何かを買ってくれたり、話しかけてくれたりする人がいるおかげで自分はなんとかなっているわけであるから、もらった恩はなるべく返していきたいものである。
某日
良質なファンコミュニティみたいなものを考える上でよく思い出すのがジョンメイヤーとポーターである。
ジョンメイヤーはその圧倒的なプレイに対してのプロップスがあり、新譜が出るたびに世界中のファンが彼のフレーズをコピーする。ピュアなプレイヤーズ・ファンダムである。一方でポーターロビンソンのファンの信頼は本人を超えて"ポーターの好きなもの"にまで及んでおり、それゆえに彼がキュレートするイベントや作品はスベらない。
自分は2人のような圧倒的な実力はないが、距離は足らずともベクトルの方向性は合わせたいと思っている。
クリエイティブの分野にいると、こいつは本当に音楽が好きなのか?みたいなジャッジの目線を人に向けてしまうときもあるし、また逆にされる立場になることもある。じゃあ本当に音楽が好きな状態ってなに?みたいな話になるわけである。とにかく判断基準をミスると悪いインディ野郎(排他、保守、客観性の欠如)になってしまう!
某日
名古屋でタッチ&ゴーなるイベントに出演。うまく説明はできないが、みんな音楽が好きなんだろうな〜と毎度思うんだから実際そうなんでしょう。久しぶりのナイトイベント出演、気持ちよくライブして酒飲んで気絶。
年末12/30(金)デイタイムに渋谷WWWでアルバムのリリースパーティをさせていただきます。おれの人生の憧れであるレジェンドの寺田さんと田中さん、共作した川辺くんとVaVaくん、関西のミュージシャンでおれの気持ちを托せそうなピアノ男もいう贅沢なメンバーにて。こんなアホみたいに長いブログを読んでくれるみなさんにこそ、文章では伝わらない成分を摂取しに是非来ていただきたく思います。文章よりは音楽の方が得意だし!チケットは今日の昼から(多分)買えます。何卒!!!