無題

某日

 パ音西山くんの家に収容され、だらだら喋っているうちに朝になってしまった。帰り道に自転車を漕いでいるとなか卯が開いており吸い込まれるように入店。朝帰りのなか卯が可能になった喜びと、不要不急の外食へのいたたまれなさの間で揺れる。コロナがなくなったら何がしたいかと問われた時に、オール後朝なか卯以外の答えを準備しておかないといけない。

 ありがたくも新譜See-VoiceのCDを貰ったので家で改めて聴く。友達の曲を曲を聴くよりおもろいことなんかない云々を抜きにして、この瘴気にまみれた自己観照アルバムを完成させた二人にビックリスペクト。

 

某日

 鈴木真海子氏のビルボード公演でドラムを叩きに大阪にきていた髙橋良が近所をウロウロしているようだったので自宅に収容。チェルミコのフィクサー視点によるだべり。

 翌日に皆の勇姿を見にビルボードへ、高価なお食事でもいただきながら見るかと空腹状態で突入するも、感染対策の関係か入場時点で既に食事の注文はやっておらず。飲み物をちびちび飲みながら貴族のボックス席で貴族鑑賞。飲み物がなくなったら即横からスタッフがやってきてお冷を注がれる徹底ぶりと皆の素晴らしい演奏に感動。ただでさえバンド演奏を生で見る機会は随分減ってしまったが、こうやって減量中の焼肉みたいな感じで摂取するのも悪くはない。

 

某日

 イベント出演で関西にきていたパーゴルが来訪。酒飲んで銭湯行って就寝。リビングで氏が寝ている横の部屋で在宅勤務。音楽関連の諸々とサラリーマン仕事という自分の中で相容れない2つの要素が謎に物理的接近をみせ謎の興奮。昼に食いに行ったスパイスきつめのカレー屋で自分以外全員体調不良に。腹を鍛えてください。

 

某日

 仕事で大阪にきていたセイメイを梅田で拾う。阪急百貨店に入ったはいいが閉店時間まで残り10分しかなく、急いで適当に買った材料が謎に立派なものばかりで、自宅にてご立派鍋とご立派果物を振る舞う結果に。話題は近況報告と昔話を半分半分。昔話おじさんにはなりたくないが、昔話をする面白さに抗えぬ部分もある。

 

11月某日

 いまだに軽装で外出しており、ふと「去年の今頃の気温はどんくらいだったっけ?」と考える。四季30周目の周回プレーヤーにしてそんなことも思い出せないので、やはり人間の記憶というのは信用ならない。できることは能動的に記録をすることと、定期的に振り返ることのみである。

 

某日

 クソ動画連作1.2.以来なかなか買ったカメラを持ち出す機会がなく、それといった用事もないので近所の公園に行って適当にカメラを回す。動画を撮ったりなどしていると、自分のアンチポートレート的な気質を自覚せざるを得ない。世の中は本当に人物にフォーカスしすぎている・・・と思ってしまうが狂っているのは世か己か。こうして自らの大まかな気質を理解したところでド素人が自己認知をはじめたにすぎず、嗜好に対して撮影技術が大幅にビハインドしている状態である。上達の近道はネットにうpですよ奥さん、といいながら投稿している公園クソ動画シリーズのおかげでだんだん次回作の的が定まっていくような気分に。

 

某日

 spotifyAPIから取得できる、BPMやキーなどの客観データ以外の楽曲定量化パラメータのチョイス(Danceability/Energyなど)が実に興味深く、自分が曲を聴く上でなにか指標にしているものがないかをしばらく考える。熟考の末ついに"打算度合い"という謎のパラメータが頭に浮かぶ。こういう要素を入れるとこういう層に訴求する、このアーティストの起用で再生数がこれくらい狙える、みたいマーケティング的なものから、海外市場を狙うためにドメスティックなアレンジは避けよう的なポジション取り的なものまでをなんとなく"打算"という括りで捉え、その程度を測っている節が自分にはある。そして基本的にアンチ打算である。次のアルバムは脱打算を目指そう、となんとなく確定。

  

某日

 チャオパニックコラボのPR動画を作らせていただいたTHE UNION牧田さんと杉生さんと飯。大手セレクトショップは当たり前であるが全国に店舗があり、各店舗のスタッフが一斉に販促するのでその規模感にくらってしまいましたよ、みたいな話をした記憶。大規模な広告案件ばかりを触っている代理店の人間が、上から全てをコントロールできているかのような身分不相応な全能感を振りかざすバッドイベントがごくたまに発生するが、そういう気持ちになってしまうことは全く理解できないものではなく、牧田さんや杉生さんなどプレイヤーファーストを維持できる人間の方が変わっているのかもしれない。

 「ここの店の天津飯はすごいから」と言われ出てきた天津飯が確かにすごく、こんな飯がそこらへんにあるのでやはり大阪は侮れない。

 

某日

 平日の定期DJイベントことALTN。わざわざきていただいているお客さんに不親切すぎる作りのイベントになってるんじゃないのかという気持ちと、1人で黙々と聞いてこそ見たいな気持ちが半分半分。クラブイベントにおいて提供されるべきサービスのレベルへの認識は人によりすぎるのである。自分の話だけでいうと月に一回買った音源を整理してDJするだけで頭は随分スッキリする。

 途中で「ポッキーの日ですからね」とヤックルがポッキーを渡してきたが、そのムーブはまさにそのまま自分に足りない部分である。

 

某日

 衆議院選挙の投票日。”無邪気な選挙に行こう呼びかけはソーシャルグッドなのか?”問題を考えていたら朝になってしまい、どのみち選挙には行くべきなのでそのまま寝ずに投票へ。会場が近所の小学校であったが、もはや懐かしいを通り越して意味不明の施設にすら感じられてしまった。

 自分の選挙区は(大阪は他もだいたいそうであろうが)与党候補と維新の候補の二強で、ほぼ他の候補者への投票がほぼ間違いなく死に票になるといった状況である。こういった場合に、もしその2トップ以外を支持するとすると選択肢は2つあり、そのまま真っ直ぐ意中の支持者ないしは政党に投票するか、死に票を回避し2トップの二択問題と捉えるかである。そして自分はいつまで経っても後者みたいな捉え方はなんとかくこざかしさがあるように感じてしまうのである。そしてそれは自分の厄介さ成分と繋がるような気がしてしまった。夜のニュースは維新の躍進を伝えていた。

 

某日

 ラグナセカ小田川氏がヤングジェネレーションを集めてくるという謎の会合。高校生DatHisくんの「M1 Mac買ってもらったんでマジで何でもできて最近ずっと楽しいです!!」みたいな夢が広がりんぐトークを聞きながら、前途ある人間には適切な道具が与えられて然るべきであると思うと同時に、やはりそういう面で世の中は良くなっていると感じてしまった。いい時代になったが、やるやつはどの時代に生まれようが勝手に作るので関係ないとも言えるが。

 後日、tofubeats氏とこちらも高校生Telematic Visions氏がtwitterスペースでサシで会話している珍奇な機会が発生。話の流れで使っていない大昔のThinkpadをTelematic Visions氏に送付。インターネットの怪しいおっさんからステッカーまみれのPCが突然送付され親御さんに不審に思われないだろうか・・・と心配するも、後日しっかり活用されていて一安心。

 

某日

 仕事で、ろくに使ったことない装置を使った実験をしなければならなくなり、同世代の同僚に使い方を教わる機会が。「この借りはなにかしらで返しますよ」みたいなことを言ったタイミングで謎にギブアンドテイク論みたいな話題になり、「ギブ/テイク収支はロングスパンで考えられる方が精神衛生上いいし、さらにいうと必ずしも同じ人に返す必要もない、それができるのは大企業の利点」みたいな部分に着地。どちらかというと個人主義的な志向を持ち、だいたいの組織にいまいち溶け込みきらない人生を送ってきた自分であるが、(なにに対してかは不明だが)妙な腹落ち感があったのである。

 クラシック終身雇用スタイルに対して、案件ごとに集まって事が済めば散開するような仕事でギブ/テイク収支をあわせようと考えると、その案件期間、関連人物内で済ませねばならないことになる。帳尻合わせを個人単位にまで小さくすると、ビジネス&ドライな付き合いに終始し、、貸しも借りも作らないのが最適戦略にすら思えてしまう。

 かたやネットや知人の無償の知識提供で音楽制作を習得した個人事業主としての自分は借りまくり(かつ幾分かは貸しまくり)で、漠然と音楽シーンみたいな総体でギブテイク帳尻を認識している節がある。

 先輩に奢られ続けた奴がいずれ後輩に奢るようになる、みたいな体育会奢りメソッドなどがまさにそうであるが、自分はこの手のロングスパン&貸借主の不一致の許容範囲をでかくしたいという考えであることに改めて気付かされてしまった。

 ここまで考えて、このギブアンドテイク帳尻の範囲を考えることは、社会福祉ないしは政治デザインを考えることとほぼ同義であることに気がつく。志向する帳尻範囲が小さすぎるとホームレスは生きてる価値なし的なイデオロギーに至る。進研ゼミさながら、「これは衆議院選挙の投票先を決めるときにやったやつだ!」。

 

某日

 ふと立ち寄った梅田3番街の文房具屋にデッサン人形(間接付きの木の人形)が売っていた。上手に人の絵を描こうと思ったら、関節の位置や動作の方向を正しく理解したほうがよく、神絵師は自分の100倍人体の構造を理解しているわけである。絵が上手くなりたいという一心で、期せずして人体構造への知見が深まる、というのはまさに自分の目指す教養獲得プロセスである。

 正確に効かせないといけないトレーニーもまた同様に人体構造に明るいよな〜と、筋肉系YouTuberの動画を見ていると、おしなべてみな自炊に炊けていることに気がつく。マッチョになりたい一心で、期せずして正しい栄養摂取への知識と実践的な料理のスキルを獲得するのである。美しい教養獲得、デッサン人形メソッド!

 

某日

 ご近所アーティストLil Soft Tennisと焼肉。ろくに喋ったこともないがっつり年下に飯に誘われるなんてことは記憶の限りほぼ思いたらず。やや恟々と赴くも、当の本人はのっけからやたら抽象的な話を連発、あまり味わったことのないコミュニケーションに面食らいつつも、徐々に要領を得、随分と長いこと話し込んでしまった。ちゃんとやってる/やってない論、カマすとはなんなのか、彼目線のシーンの感じの所感、自分の曲は聞き手に理解されているのか・・・など。膝を打つほどすごいよくわかる部分と、世代ギャップなど諸々の事情でよく理解できなかった部分とが混在しており、彼の音楽を聞いている時とほぼ同じ気持ちに。

 なにか悩みや問題があり、それを解決できそうな人間にお伺いを立てるという駆け込み寺スタイルではなく、話しながら漠然と脳内ブレイクスルーの糸口を掴みたいみたいなことは自分にもあるなと思いながら帰宅。

 

某日

 NC4Kから出たイサゲンとセキトバの曲のリリパ。友達だらけのリミキサー陣が大集合、それにかこつけてか懐かしい面々がたくさん来てくれたこともありどうしても昔のことを思い出してしまう。20代前半、"セミ無職"を自称するような人間の集まりであったはずなのに、気づけば皆仕事や家庭、制作などをめいめいのバランスで立派にこなしている。

 思えば遠くへ来たもんだ….と感情に浸りつつ久しぶりのライブセット。

 別に日常的に連絡を取り合うわけでもなければなんなら個人的にそんなに遊んだことない人も含めて、冗談抜きで全員心からの友人のように感じていて、そういう自分の人付き合いのスタンスも含めてつくづく京都で過ごした日々は不思議なものである。

 関西住みとしてのセキトバとの共演はおそらくこれでラスト。ますますのご活躍をお祈りするほかなし。やや寂しいですね。

 

某日

 無事有馬記念で撃沈。来年は諸々頑張ります。