ムダイ

 ふと二重振り子のことを思い出してしまった。振り子の節を一つ増やすだけで、その動きがクソ複雑になるというやつである。初歩的な物理シミュレーションの嗜みがあれば、実際に動きを計算してみることも出来るし、細かい理屈がわからなければ模型でも作成して観察すれば良い。

 間接が一つある棒ですらカオスに到達するわけであるが、我々は"未曾有のウイルスの拡散"という複雑な振る舞いを予想して対処しなければならない。なけなしの仮説で数理的なモデルを作る人がいれば、なけなしのデータを駆動させ予測を目指す人(例えばGoogleのやつは後者)もいる。どのみちわからないなりの善処である。

 一方で世は答えを求める。政府は適切な施策を打たねばならず、人々は安心したいからである。わからないなりの善処に対し世は辛辣である。結局やっていることは丁か半かの博打、外れたやつは退場・・・といったようなヤマ師のような生き方は、自分は好きになれない。

 

10月某日

 大阪のソーコアファクトリーで平日の定期イベントALTNが開始。悲しい現実として曲ばっか作っているやつは相対的にリスニングの時間が取れないという現実があるが、せめて買った曲くらいは定期的に整理して聞き直す方が良い。DJはそのきっかけに最適。そもそも楽しいし。

 内輪で雑にイベントをやると、やはり初見の人の居心地問題が難しい。黙々と音楽を聴き、誰とも喋らず帰るのも一興であるが、喋る人がいるけどそうしているのと、そもそもおしゃべりできる関係性のやつがそこに一人もいないのはまた心持ちが違う。私はなかなか知らない人にガンガンはなしかけるタイプではないですが、喋ること自体は好きなので気軽に話しかけてください。

 

11月某日

 Kafukaさんとタケダマサヒコさんの2人が突然近所にやって来たので最寄りのファミレスへ。あまりに久しぶりであったため近況や世間話など。本題は「クリスマスにイベントしようや」との誘い。そこだけ取り出すとえらくファンシーかつチャラい。

 自分は大阪の電子音楽家の先輩たちの背中をみて育ったが、確かに思い返せば直接的に一緒に何かをしたことはほとんどなかったような気がする。自分の音楽は軟派なもんだから・・・と別のものとして捉えていた昔に比べると、人の音楽と自分の作るものの何が同じで何が違うのかの理解の解像度はだいぶ上がった気がする。

 

11月某日

 恐ろしいことに、最近いろいろなことが思い出せなくなる、なんてことがしばしば起こる。物や人との名前、出来事の顛末、書きたかった文章や、のちに使おうと思っていたメロディ……忘れていることすら忘れている分にはなんの問題もないが、必要に駆られて取り出そうとしたものが出てこないのは困る。

 一方で、ふとした拍子に雪崩のようになにかを思い出すことも増えた気がしている。記憶自体は消えておらず、そこに至る導線がない、という状態と、その解消である。SNSジャンキーな自分は、毎度Twitterなどのアーカイブを補助線に真実に挑む。

 そんな話を人にしたところ、「うつの初期症状かもね」と言われてしまった。軽い冗談ではあったわけだが、そうであったら笑えない話でもある。最近は心身ともに割と健康である。

 

11月某日

 トマソンスタジオが荒らされたような形跡があり、一同に一抹の不安が走るが、犯人はネズミであった。百万遍のハンバーグ屋で働いていた時に、しばしば店の仕掛けに引っかかる馬鹿でかいネズミの様子を思い出したが、それはできればしまっておきたい記憶であった。奴らの厄介さはゴキブリの比ではない。

 

11月某日

 おれが今唯一都内で定期的に出ているイベントFFF。東京へ行くのはちょうど半年ぶりで、そこまで期間が開くことはここ5年はなかったので不思議な気持ち。ライブの頻度があまりに減ったが、おかげで新しいことは少しずつ試せるようになった気がする。

 しかしながら、「都内のクラブへいく」、という行動を悪魔の所業かのごとく捉える人もいる現在のこの状況、感染のリスクや、それによるシーンへの悪影響みたいなことを考えると、お世辞にも、諸手を挙げて楽しめるような気持ちになれるわけではない。

 行けなくなった結果、改めて自分が想像以上にクラブが好きで、居心地の良さを感じていたかを思い知る。今の逆境に対し我々はあまりに無力である。

 パーティが終わる前に一足先に抜け、近くの(おそらくインバウンド向けに作られたであろう)ホテルへ。英語での注意書きと、エセ和風の小道具。湯船に浸かりたかったがガラス張りのシャワールームしかない。外から道玄坂の喧騒が聞こえる。パーティはまだ続いているのだろうか。

 

11月某日

 トマソンスタジオでピアノ男の10周年記念イベント。継続は力なりとよく言ったもので、真のプロップスとは何かを改めて考えさせられる。自分の人生で10年も続いたことはある?その記録はちゃんと残ってる?その軌跡に興味を持つやつは?

 そもそもわざわざwebメディアなんてものを立ち上げなくても文章は書けるし、レーベルはなくとも音楽は作れる。中身があってのガワである。このさき自分の活動を振り返った時に、しっかりと中身が並べられるようにしなければならず、そのためにも中身のある人間にならないといけない。

 

11月某日

 ヤックル主催のヨーヨーの大会の配信オペ。事前に募った演技の動画を審査員がジャッジしていく、そしてその合間合間にエキシビション的な演技とDJ、ライブが挟まるという構成であった。オペレーションは何回やっても反省点はあるものの、まあ及第点と言った感じ。

 ヨーヨーの世界には明るくないが、チャットで様々な言語が飛び交う様子や、有名プレイヤーの出演時間や素晴らしいプレイが飛び出した時の盛り上がりなど、界隈が違えど見ていて気持ちいいものであった。善意駆動の打算のないやりとり。

 逆に、優勝すると人生が変わるような金や名誉が与えられるショーレース、あるいは成功の先にそう言ったものがついてくる分野で、そういった打算なきピュアさを維持するにはどうすれば良いのだろうか。程度の問題であろうが。

 

11月某日

 パソコン音楽クラブ自主企画「COM_PLEX」に出演。酒すら禁止で座席は指定、理屈上スタッフ含めた施設内にいる全員の連絡先が把握されているという、インディでは類を見ないほどの気合の入れよう。何事も一生懸命やるのは良いことである。

 

12月某日

 京都メトロ、ブレーンバスターのリアルイベントも開催できず配信のみ。開催条件が「人類がコロナに打ち勝った時」なのは正直うける。

 

12月某日

 二週連続のメトロ。Kafuka&タケダマサヒコさんらとやるはずだったクリスマスイベントもトーク配信に。今年を象徴するような年の瀬。

 京都から大阪にメトメさんが車で送ってくれる。車内、抽象度の高さと大衆性の相関の話。「お笑いだけは”おもろさ”という抽象概念取り扱ってんのにめちゃ大衆的なの不思議じゃないですか、音楽の方がおもろさより抽象度低いでしょう」みたいな話をする。のちに西山くんにこの話をしたところ「結果(ウケる/ウケない)がシンプルだからでしょ」とのこと。 

 自分が音楽を好きな理由をつまらなく整理すると、抽象概念を取り扱う、白黒つけようがない、時間芸術である、比較的短い、となるのかもしれない。野暮なまとめである。

 

1月某日

 なんとなく昨年の振り返りをする。2020後半は拾える金は払っとけの精神でかなり制作仕事をしていて、我ながらよくこんなに働いたなとすら思ってしまった。仕事を辞めるにせよ辞めないにせよ、自由になるには貯金しかない。メイク・マネー・フォー・フリーダム…

 そこで突如沸き立つ疑問。「金銭では獲得できない豊かさを獲得するために音楽をしていたはずでは?」。今の生活、ともすれば、手にしたのはハードワークと金の2つのみ、という見方もできる。

 そんなことを考えながら軽いバッドに入っていたところ、半年越しで自分の作ったレコードが届いた。

 片面3曲ずつ、針を落とし昨年の自分の成果を拝聴。すっかり気分が良くなってしまい、「なかなかなお手前ですねえ、でももうちょいいい曲作れるじゃないですか?」とおれの中のリトル有村が問うてきた気持ちになる。自身の産んだ作品によって自身を駆動する、よくいうと永久機関に近い。悪く例えると、自分のうんこを食って暮らしてるとも取れる。そんなことを考えていると、300枚プレスしたはずが100枚しかないことに気づく。手間は増えるばかりである。

 これまで、音楽を作ることが嫌になったり辛くなったりしたことは冗談抜きで一度もない。音楽を作るのは楽しい。そんな理由で、2021年もうんこ食いは続きそうである。

 

 

 

年明けてしまいましたね。改めてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

2020やったことまとめ

サウンド&レコーディングマガジン連載”DAW AVENUE” 執筆など

サンレコDAWごとの連載。2019年から年またぎでワンクールやらせていただきました。DAWはあくまで道具で、いかに使うかという話。第三回で書いたような、めいめいの工夫は共有しまくりたい所存。第三回(in the blue shirtが使う Studio One 第3回 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア)で書いた内容みたいな工夫はいっぱいあるので正直またやりたい・・・サンレコには他にも3,4,6,12月号でなんかしら書かせていただきました。サンレコは神雑誌なのでこれからも協力できることは全部したいすワ

▲キック(C1)と同様に、スネア(D1)やハイハット(F#1)も差し替えられるようにしたところ。各Input Filter(赤枠)でSampleOne XTに送出するMIDIノートを1つに絞っており、それぞれのSampleOne XTのトランスポーズを上下させると音色が置き換わる。各SampleOne XTでサンプル・セットを保存しておいたり、このMulti Instrumentの設定をプリセットにしておいても便利だ

 

tricot『真っ黒リリースツアー「真っ白」』SE作成

リリース前におれが遊びで作ったやつを中島イッキュウ氏に送ったらご好意でツアーのライブSEに使っていただきました・・・と言いたいところでしたがコロナが爆散してライブが中止になりまくりおそらく1公演のみで使われたのみになりました。

BBCで曲かけてもらったり(https://www.bbc.co.uk/programmes/b0924sws)と昔から気にかけていただいてありがたいっす

 

トム・ミッシュ『Beat Tape 1』の発売記念 キャンペーン冊子コラム寄稿

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<トム・ミッシュの過去作品『Beat Tape 1』がまさかの国内フィジカル発売ということで、">全国のタワーレコードで配布されます店頭キャンペーン冊子のコラムに寄稿させていただきました。こちらも配布が緊急事態宣言と被って店頭で冊子を受け取れた人はかなり少なかったような気がします。”唯一無二の優れたプレーヤーであることと、演奏して録音したものを、あくまで一素材として、編集的な視座を持って接することができるってとんでもないことですよね”という内容でした。

 

CM|イオンのランドセル2021 楽曲制作 

 

イオンのランドセル2021、プロモーションムービーの楽曲&サウンドロゴを担当。サウンドロゴは作るの好きなのでもっといっぱいやりたい!

 

Minchanbaby × in the blue shirt – イチゴの歌

ミンちゃん氏の意向で過去作の配信開始。また作りたいなーと思って忘れた頃にミンちゃんにはデモを送ってます。何かしらの周期がシンクロしたら次作が実現する気がします。

 

トマソンスタジオの諸々

配信スタジオを作っていろいろやった。がずおが作ったモーションロゴに音つけたり動画編集したり、MU2020のライブの演出だったり・・・友達の秀でた部分を拝借していろいろやれてよかった2020年を象徴するような取り組みだったと思います。自分はやはり目的に応じて傭兵を招集していくギルド的なやり方よりも、部室的な溜まり場要素が好きなんだなと再確認しつつ、それは必ずしも効率的ではないというのもしみじみ感じました。なんだかんだみんな忙しいので稼働率が下がってしまうのでそこの改善が2021の目標。とはいってもバツくんもらしおも東京に拠点を移すこともあり、ずっとは続けられない予感はしていますが。

 

 

 EP「in my own way e.p.」

 

ちゃんとコロナのタイミングで新譜作れてよかった。”気負わず何も考えず作る”という趣旨で、いい意味でも悪い意味でもシリアスさがないです。時間さえ許せばこの手の作品集はポンポンだしたいですが、2021はいけるんかね・・・アルバムは無理そうなので3曲入りのEPとかは出したい・・・

 

“in the blue shirt & 川辺 素 – Swim”

これもできてよかったシリーズ。「歌ものの制作は意図的に拒否してるんですか?」的なことをたまに言われますが、単純に機会がないのが理由の大半で、歌詞に関しての好みのレンジが異様に狭いのが残りの理由です。そういう意味でもそのレンジ内で燦然と輝く川辺氏のリリックには感謝しかないです。ボーカルエディットをやり続けた結果、メロディラインの音韻に関する謎の蓄積があるので、ちゃんと歌ものという形で消化していかないといけないな〜とは思い始めてます。

 

配信企画"Brainbuster"

 トラックメイカーのライブを見ながらクダを巻いている様子を配信するという謎企画。なんと10回も実施したようですが、どれも楽しかったです。ウィズコロナ、これからは配信の時代ですよ」と散々言われている中、じゃあなにかおもしろい配信企画が印象に残っているかというと、特にあるわけではないのは今年のもやもやポイントではありました。各所クラブのイベントの様子が配信されるようになったのは私のような非東京在住の人間にはありがたいですが、それだけではない、”配信特有のおもろさ”みたいなのはもうひと頑張りする余地がある気はしています。

THREE THE HARDWARE シーズン4撮影協力&出演

 

トーフビーツ氏の名物企画の撮影。自身でシーンを切り開きつつ、稼いだ金をオタクに渡して機材を買わせる氏のスタンスというのはやはり狂気の域に達していると思います。”稼いだ金をいかに使うか”ということは最近よく考えていて、自分の欲しい機材を買う、みたいな物欲の解消だけではない、もう一歩有意義な金の使い方を自分もしなければいけないなとは思い始めています。

 

”時を楽しむ時津町長崎県西彼杵郡時津町 PR動画 楽曲制作

 

二年連続で担当。制作仕事の良し悪しのバロメータとして”同じ人から再び仕事を頼まれる”に勝る評価なし。

 

「VIRTUAFREAK」プロデュース「REWIRE」楽曲提供

こちらも歌もののトラック制作。変な曲送ったろ、と思って作りました。BPM早めの謎ブレイクビーツ。作詞はKMNZのリタ氏が担当。「歌詞の内容には文句言わんけど、音韻の構成は気に入らんかったら直してもらおう」と思ってましたが、いいのが来たので結局ほぼ何も言いませんでした。女性が日本語でラップをする、となった時に、人口の少なさが故にフロウの参照点がどうしても近くなる問題はありますが、それを解消するには人口を増やすしかないので、vtuberサイドでのKMNZの活躍に期待しています。

 

 

無題

8月某日

 同い年の友人から「ワーホリに通った」との連絡が。このご時世にワーホリとはガッツがありますねえ・・・くらいの温度感で聞いていたが、「イギリスは倍率が高く、今年で年齢的に最後のチャンスだった」という話になったあたりでなんとも言えぬダメージを受けてしまった。ワーホリの年齢制限は30歳らしい。

 成人などがまさにそうであるが、基本的に、歳を取るとできることが増えていくのが当然のことだと捉えていた節があった。来年で20代が終わる。年齢を理由に何かができなくなるようなフェーズにきたのはある意味では事実である。自立し、収入が増え・・・と選択肢が増えていく一方であるように思えた人生、ついに無限に展開していたなにかがシュリンクしはじめるような感覚を覚えてしまった。拾いそびれたチャンスのことを積極的に考える必要もないが。

 

8月某日

 大阪府知事イソジン云々のニュース。ちょうど研究室に入ったタイミングとSTAP細胞での不正が重なったこともあり、”研究をするうえでの正しい手続き”みたいなものをやたら厳しく指導されたことを思い出す。

 世の中をよくするために、知恵を積んでいくというのは容易ではなく、その困難を成し遂げるために、自然科学の分野で練られた仕組みというのは、打算なき誠実さみたいなものをベースにした、地道かつ厳密なものでである。

 府のトップが「うそみたいなほんとの話をするが・・・」と語り始める姿を見てあっけにとられてしまうが、正直そんな人だらけである。あるはずのないショートカットをちらつかせるやりかた、そしてそのカウンターとしての、誠実でのろまなやり方。誠実なのろまが後ろ足で泥をかけられる様子はもう見飽きている。

 

8月某日

 コロナを踏まえてのイベント開催や出演への空気感があやふやで、いろいろと面倒になってしまって、9月末までは一切イベントに出ない旨を公言してしまった。新譜を出したのに、特に付随する稼働がない。制作のモチベーションも低い。

 おなじみのなにかはしなければいけないという謎の強迫観念に駆られ、謎のキャンプシリーズを開始することに決める。キャンプ道具を買い揃え、大阪近郊のキャンプ場を巡る。

 行き先を決め、そのイメージで曲を作る。曲ができたら出発。作った曲をSP404に突っ込み、カブを走らせる。テント諸々を設営し演奏動画を録画。余った時間はレベル1の料理を楽しみつつ、本を読んだりNetflixで動画見たり。帰宅したら動画を編集してその日のうちにYoutubeにアップ。

 最近流行りらしいキャンプ、脱SNS、デジタルデトックス、時間を忘れてスローライフ・・・みたいな目的を推す風潮もあるが、自分が始めたのはそれとは対極の、デジタルにまみれた孤独なRTAのようなものである。

 そもそも自分は、SNSにもデジタル機器にも、それ自身にネガティブな感覚をもったことはない。クソみたいなことをいうやつと距離をおきたいだけである。

 一方で、カブで山道を走る、夜に星空を見上げる、などのアウトドア行為のさなか「そう、これが人生なのだよ・・・」みたいな謎のスイッチがしばしば入ってしまうことも多く、そういったプリミティブな喜びを取りこぼしていたことにも気づいてしまった。

 

8月某日

 オカダダ氏seiho氏と久しぶりに遭遇。岡田さんには「真面目に考えすぎてるんじゃない」みたいなことを言われた。主にコロナウイルスに対して、言われずともこのころから真面目さの緩和が発生しはじめていたような気もする。一方でseihoさんには軽いノリで「今年はドキサマ(京都の山中でのキャンプ企画)やるしかないんじゃないですか」と言ってみたところ、後日本当に企画が走り始めていた。(無事台風で中止になりました)

 

8月某日

 中村佳穂氏がトマソンスタジオに来訪。氏の作品の馬力に当てられたトマソンメンバー、普段は腰が重いやつらもやってきていつもより賑やか。最近作っているデモなどを持ってきてくれたので、みんなで無責任に感想を言い合う。

 腰を据え、人を巻き込んで良いものを作ってやろうという佳穂さんのスタンスは、よくも悪くも器用になってしまい、時間的カロリーの低い手法(キャンプ動画や撮って出しのトマソンスタジオシリーズ、インスタの演奏動画など)ばかりを取ってしまっている自分への戒めにもなった。作業量や工数が見積もれるようなものは、厳密にいうと創作ではないと言い切ってしまってもまあ嘘ではない。コツでは人の心は動せないことを忘れてはいけない。

 

9月某日

 トマソンスタジオで申請していた文化庁「文化芸術活動の継続支援事業」のA-2の採用通知が届く。やってる内容的にいける確信を持って出したとはいえ、なんとなくちゃんとお墨付きをもらったような気分になり安心。

 

10月某日

 謎に制作仕事が集中し、ヒイコラ言っているうちにTTHWの収録。「俺は天才しか呼ばないから・・・」と豪語するtofubeats、だんだん人類みな天才なのでは?みたいな気持ちにすらなってきた一方で、身近な人間の中でも、セキトバは輪にかけて世の中の評価が全然追いついていないタイプの天才であると思っている。みんな彼のDJを一度見てみてください。そんな天才を苦しめて遊んでいる様子はぜひYoutubeでどうぞ。

 撮影を終え、みなの帰宅を確認し、録画データを整理し終わったタイミングで「もう今日はええやろ」と謎の諦念とともに寝落ち。目がさめると外は明るい。カブを走らせ、淀川を横目に「これが人生なんですよ・・・」と思いながらそのまま朝マック

 

10月某日

 ミツメの川辺くんと作った楽曲、"Swim"が配信開始。音楽を作り始めたときから知ってくれている人のうちの1人である彼に誘ってもらって、曲が作れたのはとてもうれしい。特に大げさではなく、一番好きな歌詞を書く人間のうちの一人です。言葉では説明できない、抽象的なもやを描き出すために言葉に向き合い続ける男。

 仕事として頼まれてやるのではなく、純粋に夏休みの自由工作的なスタンスで人と何か作るのは非常にレア。こんな風にできたのも、自分はなかなかめんどくさい人間なので、言わずもがなでわかってもらえる川辺氏の人徳のなせる技。もやを立ち上がらせるための音楽、作りたいですね。

 先日でていたインタビュー記事の"純増"のくだりはまさにといった内容で、口にするだけなら易しこの"純増"の精神こそが、自分の目指すべき姿勢である。純増とは言い換えると続けることといってしまってもよい。音楽を続けると裏音楽にいける。安直なコツやTipsを頼りに裏へいけることはない。

 

10月某日

 東梅田の喫茶店で友人と駄弁ったのちに帰路、日興ビルの前のバス停が目に入る。普通のバス停みたいな佇まいであるが、近鉄系列の長距離バスのためのものであり、南は熊本から北は山形までいけてしまう。

 このままどこかへ・・・などとありがちなことを考えつつ、別に実行することなく帰宅。自分は、真の意味で突拍子もない行動をした経験がおそらくない。どうせ行かないにしても、普段財布に入っているような金額で、本州上から下までいけてしまうということは時々思い出さないといけない。

 

10月某日

 東京に出て行く友達は増える一方である。トマソンスタジオをはじめとする自分のコミュニティを、いわゆる井の中の蛙ではなく、井戸のまま水位を大海と合わせたいとよく考える。地方での創作活動が、中央に対しての下部リーグとしてではなく、対等に意義のあるものになってほしいと願ってやまない。我々のような人種が、東京以外に暮らす意義を見いだせるようになると良い。とはいってもその意義を見いだすことに囚われ過ぎて、能力を持て余すのもよくないので、やはりすいすいと行き来できる世の中に戻っでほしいものである。

 そんなことを考えながらバツくんの送別会をするためにオオノ屋に集まるも、てるおさんと自分のふざけたオカルトトークに、シンメイが月刊ムーを定期購読しているという事実の判明というドラが乗り、わけのわからない陰謀論トークを本人不在の2階でしているうちに終わってしまった。

 後日、仕切りなおすために再度別の送別会が催されたが、そこでなぜか送り出されるはずのバツくんが参加費3000円を取られていて笑ってしまった。人間に貴賎なし。

 

10月某日

 漠然と引越しをしようと思っていたが、漠然としたまま更新時期を通過してしまった。溜まっている古いレトルト食品を全部食べたり、いらない服を捨てたり、少しずつ家のものをダンボールに詰めたりしているが、更新料を払った悔しさもあり、いまのところ具体的な引越し予定はない。

in my own way e.p. セルフ全曲解説

 自分の作品説明すんのってやっぱダサいよな〜的なことは毎回悩みむが、それでも、自分が参照したのはなにで、どこまでが先人の功績なのかは、自分が把握している範囲で書いておきたいと思ってしまうワケ

【背景】

 前作「Recollect The Feeling」で大真面目にアルバムを作ったので、一貫した雰囲気などは考えず、気晴らしに作った曲の佳作集としてEPにすることを目指す。作成開始当初の目標は5曲。オーバーランして結局6曲入りに。

 

【テーマ】

・やりたいことがわかってきたのでがんばるぞ

・おれはおれのやり方でがんばるぞ

 ”やりたいこと”とか” おれのやり方”ってなんやねんっていう話になってくる、口で説明できたら苦労しないが「なんとなく掴めてきたで感」の表明を目指す。言葉でうまく言えない感じを表現するのが音楽ということで・・・。とにかく活動スタンスと曲で察してくれ的な。

 

【リリース形態】

 配信+レコードにするつもりが、意外とCDヘの需要の声があったのでCDも。

 トマソンスタジオで”いったん一通り自分でやってみる重要さ”を改めて実感したので、「マジで全部一人でやる」という方針に決定しアートワークもミックス/マスタリングも外注なし。自分の実力がむき出しのまま発射されるのはやはり気持ちがいい。

 迷ったがCDの全国流通はせず。全国流通しないと、世間のシステムに作品のナンバリングが(物理的な商品として)登録されないわけである。商圏に登場していない、ということは基本的には商売上の相手にされない(タワレコに売っていない物がタワレコのメディアで紹介されることはない的な話)のであるが、その感じはin my own way感に通ずるという結論での選択。

 私を取り上げているメディアなどは利害関係抜きの取り扱いになるので、頭が上がりませんね。

 

<金の話>

 自分の規模を数字で説明すると”1000枚プレスのアーティスト”であるわけである。リリースによって200万円弱のパイが発生し、それをディストリビュータ、小売、レーベルなど関わった人で分配していくことになる。(ちなみにいうと、国内市場で考えた時に、外的な駆動力でこれ以上の規模に引き上げることは自分の曲では無理だと思っている)

 今やってることを簡単に言うと「ステークホルダーをほぼ自分一人にする」と言った感じ。流通パワーの下駄を取っ払うと、CD売上的な意味でのパイはさらに縮小し、世間から見た規模感はますます小さくなる。泡沫ミュージシャン感は増す一方であるが、道楽ミュージシャンが世間の目を気にしている場合ではない。

 一方で、サブスクは自分にとってほぼ天国のような仕組みで、泡沫ミュージシャンなのにSpotifyだけで年間100万再生は回る。自分の楽曲は増えることはあっても減ることはなく、流行り物でもないので曲を出した分だけベーシックインカム的に収益は増える。

 ということで、私の基本方針はCD(+レコード)は思い出づくり、金はサブスク頼み。やるべきことは、たくさん聴いてもらえるような強度のある曲を作れるようにがんばるのみ。大衆音楽でもない自分の音楽で、そんなやり方が通用するようになったのはテクノロジーの恩恵そのもので あり、技術による民主化に他ならない。

  

<制作期間>

2019年の11月頃〜。大体半年くらい。

 入れようと皮算用していた時津町の曲が入らず、急に思い出してAfternoon reverieを代打でねじ込んだのでその曲だけ古い。

 今回謎に制作の様子をYoutube liveで配信していたおかげで、”マジで曲が発生する瞬間”が記録に残っているのがかなり興味深い。自分で見返しても笑える。

 

1.Back Then

 Piano in blueというピアノ音源の音を痛く気に入っており、ポロンポロン弾いていたらYouth lagoonのことを思い出しできた曲。

正月休み最終日、仕事行きたくなさすぎて深夜まで制作する様子が見れてワロてまう

youtu.be

 

 トラック自体は思いついたピアノのコードリフ1発勝負の内容。山下達郎-高気圧ガールの「nnnなめらかな〜」とかフジファブリック-若者の全ての「ssssss最後の〜」とかの頭の子音を勝手に"溜めの子音"と呼んでいて、ボーカルエディットでこの"溜めの子音"をできるようになりたいなという技術テーマもあり。

 

 話は変わって、Youth lagoonのThe Year of Hibernationというアルバムは自分のマスターピースのうちの一つ。情景描写+鬼内省の権化のような作品である。歌詞の書き方も好きで、情景描写+比喩で気持ちを描くみたいなスタイルの曲が多い。

 

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 作中の"17"という曲の中に、

When I was seventeen
My mother said to me
"Don't stop imagining. The day that you do is the day that you die."

なる恐ろしいラインがあって、このオカンがリアルオカンなのかメタファーなのかは置いておき、Trevor Powersの作品にはそう言った強迫観念めいた感覚みたいな物が実に濃く出ているように感じており、そこが魅力であると同時に、自分はそう言ったシビアさとは無縁であると常々感じます。

 そういった意味で、自分の目指す的を”Youth lagoonからヒリついた成分を抜いて、もうちょい軽薄かつ無意味にしたもの”と表現するのは、割といい線いっている気がしている。

 

2.Breakthrough (for me)

 おれがStar slingerから学んだサンプリングの方法論に、もうちょっとベースミュージックの手法を入れられないかなと思って作った曲。

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 S-Type - Billboard (Lido Remix)の1:00〜のブレイクから二拍目裏でサブベースが入ってくる展開をそのままパクってます。(1:03らへん)

 マルチネがリキッドルームでやった”東京”なるイベントでオカダダ氏がこの曲かけた時のことは昨日のように思い出します(ここからジャングルに繋いでいって強い感銘を受けた)。

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 多分EPの曲の中で一番ライブセットでかけていて、年明けくらいから現場でこねくり回して3月くらいに今の構成に落ち着いた記憶。クラブでなる808ベースは替えが効かんすね〜

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ありがたいことにTracklibのオウンドメディアでも取り上げていただきましたが、Flashlightの“Every Little Beat of my Heart” が元ネタです。

youtu.be

 サンプルのライセンス仲介サイトtracklibに関して、我々個人のサンプリングを愛するミュージシャンからすると神のような仕組みに思えますが、実情は思った以上に厄介です。

 著作の収益分配をする上で、結局アメリカの法の元契約を交わすことになり、W-8BEN(米国源泉徴収における受益者の海外在住証明)出してPRO (Performance Rights Organisation)に作家登録までしなければならず、正直自分が全ての手続きを完璧にできているのか怪しいところがあり、なかなか人に勧められません。興味がある方がもしいたら、自己責任であれば相談乗りますが、相当めんどくさいことは覚悟しておいてください。


3.in my own way

 最初の展開はマジで一瞬で出来たのに風呂敷がたためず苦戦した曲。後半以降の展開はリリース直前で無理やりひねり出したので、今作りかけのデータを渡されたら違う内容になると思います。

youtu.be

 前半をBPM135の4/4グリッドベースで打ち込んでしまったため、1:02からの6/8の最後の1-2拍が消えたり現れたり(と自分は解釈している)する展開を思いついてプロジェクト上で整合が取れなくなったりなど、テクニカル面では苦戦。最後大団円っぽい感じにしてしまうのは私のクセなので仕方がありません。

 

4.Afternoon Reverie

Image with no description

 2017年に"45秒ずつトラックを掛け合いバトルする"珍奇なトーナメントに出場したことがあり、そのとき用の弾として作った曲。

 のちにボーカルエディット講座の実演セクションのオケに使ったりなど、謎に稼働させられるなどするも3年放置されていたかわいそうな曲。

youtu.be

 高校生の時の自分にとって洗礼と言えるほどの作品であった蓮沼執太さん"POP OOGA"らへんの作品のオーディオ編集の方法論的な上物+自分の手癖的な内容。蓮沼さんのどこまでいってもキャッチーな感じには多大な影響を受けていますが、"POP OOGA"、”OK Bamboo”の二枚は自分の中では殿堂入りの2枚です。

  オーディオをカットアップした際の切れ端のプチプチノイズをどれくらい入れるか、というのは割とずっと試行錯誤していて、プロジェクトファイル中のオーディオの切れ端を丸めたり丸めなかったりというのは、かなり重要なように思います。一括処理で適当にやると急にグルーヴがなくなったりするのが不思議。やはり神は細部に・・・

 

5.Footloose

 安室奈美恵のサブスクが解禁し、海外出張帰りの飛行機で聴いていたところ、大名曲Baby Don't Cryに数年越しに心を打たれてしまったわけである。この曲の根幹をなすリズムパターンで曲を作ろうというアイディアが浮かぶもしばらく放置。

youtu.be

 ある日突然Batsuくんが平日の夜に家にやってきた時、「なんか曲作ろや」と言われたのでメインのボーカルパターンとコード進行作ったまま再び放置、EP制作に当たりリードトラックにする気満々で続きを作りました。

 びっくりするほど歪ませてヨレさせているボーカルと、散々使ってるMassiveサイン波そのままのコードをパチパチクリップさせてるところが音作りのキモでしたが、パソコン音楽クラブ西山くん曰く「書き出しミスってデジタルクリップしてんのかと思った」との。

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 PVはうにゃだゆういちさんに踊ってもらうことは自分の中でだいぶ前から決まっていていたのだが、いざ頼もうと思ったら緊急事態宣言が出てしまったりなど。なんだかんだ今木くんの協力のもと無事撮れてよかったです。

 
 
 
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絵みたいな空⛅ この空のしたで踊れることに幸せを感じる。 #UNYADA

うにゃだゆういち UNYADA(@unyadance_typhoon)がシェアした投稿 -

  うにゃだゆういちさんはインスタにあげてるように、仕事終わりなどにときおり淀川で踊っているそうで、おれはそういう感じの”仕事終わりに淀川で踊る”的な自分のための創作活動がとても大切なものだと思っています。自分ににとっての音楽とかもそう、別に手段問わずこの感じ・・・。そういう気持ちを共有したいな〜みたいなことを考えていたので、それが無事できてよかったなあと勝手に思っています。

 大衆を揺り動かすようなものでなくても、個人のための表現活動があるんや、だからおれらはやらざるを得ないんや、みたいな気持ちは、本作品で言いたいin my own way感のだいぶ急所でもあります。

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6.Longing

 一作品に一曲はインディーロック的な曲を入れたいよねという曲。見事に曲発生の瞬間が3時間にわたり記録されており貴重。

youtu.be

 バンアパの2017年作"Memories to Go"を聴きながらなんとなく思春期を思いつつThe Embassyの"Tacking"に見られるようなリズムマシンインディー歌謡を作りたかったのです。

youtu.be

youtu.be

 過剰にギターをぺらぺらにしたくなってしまうのは一般的な嗜好との解離を感じてしまいますが、歌メロは本作で一番お気に入りです。ギターの弾く楽しさと完全に独立して、やっぱりギターの音色は好きだなと改めて思います。

 

次は適当に細々したリリースでお茶を濁しつつ、明るく楽しい3rdアルバムを作っていこうと思います。

 

なんとなくSpotifyで本作を作る上で影響を受けたっぽい曲たちのプレイリストも作ってます。何卒。

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無題

 ようやく新譜が完成しました。「リリースしたけどウケなかったらどうしよう」みたいなことを心配する気持ちは年々なくなっていて、(あまり良い比喩ではないが)トイレで用を足した後のような気持ちのよう。周りの評価が気にならなくなってきたのは、自信から来るものではなく、自炊の飯の味を人と比べてもしゃーないやろ、みたいな感じで、それはそれで不健康な気もしています。とはいえ、人の感想を聞くのが創作の醍醐味。去年の年末から半年かけて作った曲たち、どれも気に入っているので興味があれば是非聴いてみてください。

 今年はもともと"前半はリリース、後半は海外旅行"という皮算用をしていたが、謎のウイルスが蔓延し、気づけば県外に出るのも憚られるような状況である。とは言っても、アンコントローラブルな外因で、脳内計画みたいなものがひっくり返る、みたいなことには、離婚以降すっかり慣れてしまっているところもあり、極端なところ、”「明日隕石が降ってきて死ぬかもしれん」性”みたいなスタンス(実際はもっとマイルドなわけであるが)が、コロナも相まって妙に強くなってしまった状態で暮らしているのが、ここ最近の感じである。

 

6月某日

 トマソンスタジオで友達のライブの撮影など。トマソンスタジオをはじめてから、身の回りには才能のある人がたくさんいて、ひとえにそれを発揮するタイミングがないだけだな、と思うことが増えた。ふと、トーフさんがTTHWの撮影の際に「おれは天才しか企画には呼びませんからね」みたいなことを言っていたことを思い出す。そのときは軽く"若手への発破"くらいにしか思っていなかったが、最近は「自分の周りは天才まみれやな…」みたいなことばかり考えている。周りに天才がたくさんいるので、連れてきて、何かをしてもらう。本当にそうなのかもしれないし、自分がただ身内に甘いだけな気もする。

 めいめいの才能を使おうが使わなかろうが、それは個々人の自由であるが、楽しく発揮できる場はあるにこしたことはない。

 

6月某日

 久しぶりの出社。どうしても、場違いなところに紛れ込んでいるような気持ちが以前より強くなっているような気がしてしまう。

 サラリーマン家庭に育ち、高等教育を受けてデカい会社で働いている、という属性自体がもはや体制側である、みたいな考え方すらある今日、一方で左側への重力すらあるように思える音楽業界にも身を置く自分から、居心地の悪さみたいなものが消えることはなさそうである。

 まだサラリーマンで消耗してんの的な煽り、はたまたフリーランスがコロナで野垂れ死ぬのも自己責任…といった類の、極端な分断を白目で眺めつつ、一方で、双方に片足突っ込んで、どちらもそれなりの実感を伴って見ている自分が、聡明な判断を下せるかというとそういう訳でもなく、ただやるせなさの二重取りをしているだけなようにも思えてくる。

 油断すると、どちらにもなるべく迷惑をかけないように…みたいな消極的な気持ちになってしまうが、正直それが本心でもある。

 

6月某日

 深夜に寝れずにぐだぐだしていると、誰かがdiscordの音声チャットをしており、そこに紛れ込んで適当に喋っては気が済んだら寝る、みたいなことが増えてきた。

 皆ある種の居心地の悪さを感じているのか、TwitterなどのオープンSNSよりも、discordなどの閉じたSNSにいがちで、さながらサークルの部室のようであり、それは自分の健康の維持に非常に役立っている。

 一方で、自分がインターネット好きである理由の一つとして、"森ではなく木を見にいける"というのがある。なんとなく属性やレッテルの括りでしか認識していなかった人を、個人レベルで見れる上、自身も木として機能する、というのが自分にとっては魅力に感じる。そういう理由でオープンSNSは本質的には好きである。

 その機能が失われてしまったわけではないので、自分はまだオープンSNS自体を嫌いになることはない。しかしながら、抽象化し、俯瞰することがスマートであるという考えがあるのか、ネトウヨかパヨクか、フェミ、はたまた"チー牛"のように、なんとなくの森レイヤーの属性への侮蔑がどうしても勢いを持ってしまうのである。

 「みんな持ってるから買って!」とねだる子供へ親の言うところの「みんなって誰よ!」の精神で、よくわからない総体みたいなものを相手にしてもろくなことはなく、会ったことあろうがなかろうが、自分が興味を持つのは個人である。

 対個人、という意識で健康的にインターネットをする上で、過度に憧れたり、過度に憧れさせる仕組みを持たないように気をつけるようになった。インフルエンサーを自称しセルフ粉飾決算に勤しむ人間がトンチンカンなことを言う姿は、もうこれ以上みたくはない。一方で、偉大なことを成し遂げた人に対しては憧憬の念を持たずにはいられず、時には神々しいなにかを感じてしまう時もあるが、勝手に偶像化して見上げるのは、双方にとってヘルシーではない。

 閉じたコミュニティの面白い考えは、外に出て行って広く共有されたほうがいいと願って止まないが、開いたときのストレスフルさはもはや想像を絶するものになりつつある。そういう意味で、自分は性善説、ないしはそういった理想論みたいなものにこだわりすぎているのかもしれない。

 

7月某日

 配信用の音声データの入稿、追ってCD用のDDPとデザインデータの最終入稿。(意図的にではあるのだが)自分以外の人間はリリースに関わっていないので、確認するのも、ジャッジをするのも自分1人である。

 ものは試しに、客観的な良し悪しの判断や、いわゆるマーケティング的な視点を完全に無くしてしまったわけであるが、それは換言すると、おれのリリースは誰にとっても他人事ということである。突然「や〜めた」と言ってリリースを放棄したとしても、迷惑がかかる人はゼロであるため、定期的にそうしたい衝動に駆られたりもする。

 リリース日を誕生日にしたのも、あらゆるイベントが消滅したいま、もはやそれくらいしかタイミングを図る目盛りが存在しないということが理由の大半で、もう半分は自分で自分の誕生日を祝うくらいがちょうどいいと思い始めたからである。

 ローエンドセオリー主宰の方のインタビューで、しきりに"タイミング"についての言及があったことを思い出す。非常にリスペクトする一方で、自分にとってはかるべき"タイミング"なんてものがそもそも存在するのかは正直甚だ疑問である。

 一生懸命作品を作る。出来たら出す、それを続ける。それ以外は正直よくわからない。

 届いたCDには案の定誤植があり、もうそれはそれは悲しい気持ちに。申し訳ないですがご容赦ください。

 

7月某日

 こんなご時世になにか楽しくできることはないか……と考えた結果、なぜかソロキャンプという結論に到達し、スーパーカブとキャンプ道具を一式購入してしまった。

 家にはバイクを停めるスペースがなく、駅前の駐輪場をあてにするも、「予約がいっぱいで、新規の月極契約は半年後までできない」と言われて途方に暮れてしまった。

 なんとなく近所のクラシック不動産屋に入店し、ことの顛末を話すと、店主のおっさんが「お前みたいな儲けにもならん奴の相手をしてもいいことなんて1つもねーわ」みたいなことを言いながら、知人の不動産屋に順番に電話をし、あてのありそうな人を紹介してくれたのである。いいですね、こういうおっさん…とこうべを垂れながら紹介された不動産屋へ、

 紹介された次のクラシック不動産屋では自分が来るのを待ち構えていたおばあさんが。笑顔で「こんな小額の契約よこしてあいつはどうするつもりなのよ」みたいなことを言っており、ああ、こういう感じね、と変にわかったような気分に。「あんたいつからこの街に住んでんのん?」「2年くらいすね」「じゃあまだまだやね」といったやりとり。なにがまだまだなのかは不明であるが、そりゃ至らないところばかりですよ、と妙に納得させられてしまった。それと同時に、なんとなく持っていた「もうそろそろ引っ越しがしたいな」という願望は少し薄れ、もうすこしこの街に住んでみよう、などといった気持ちにさせられていたなど。

 一瞬なにをしにここへきたか忘れそうになる。手書きの契約書に記入をしながら、このローテクな環境の老人達は、Googleでは辿り着けない情報をたくさん持っているのだな、と単純に尊敬の念が湧いてきたのである。一方で自分はGoogleマップがないとこの店にたどり着くことすらできない。笑止。

 

7月某日

 CDやTシャツの発送に明け暮れる。bandcampでNYPで出しても金を出してくれるし、サブスクで聴けるのにCDを買ってくれる、自分をサポートしてくれる人はそんな人ばかりで頭が上がらない。

 高値を出して入場した海外のライブがクソだったり、中古で100円のCDに人生を変えられたりするわけであるから、音楽なんていうのは言い値で適当に売り買いされるくらいがちょうどいいと思ってしまうが、「お前みたいなやつが市場価格を下げるから周りのミュージシャンが苦労する」的なツッコミに対してのまともな返しを自分は持ち合わせていない。

 自分1人でやってるんやから勘弁してくれ、という気持ちで今回はやったが、やはり1人は寂しいので、次はアートワークでもマスタリングでも他人の手を借りようと思った次第です。なんとなく次の作品は、明るく楽しいアルバムにしたいな、と思っています。

無題

 かつて、音楽を作りはじめたときに自分が思い描いていたアーティスト像というのは、いうなれば求道者的なものであった。ひたすら創作に向き合い、純度を高め、突き詰めた先に素晴らしいものを作り出す、と言ったような孤高のイメージであった。

 一方で、最近の自分のやっていることというと、人を集めて作った曲を聴きあったり、他人のライブセットにガヤを乗せたり、あげくの果てに群れるためにスタジオを作ったりなど、かつて思い描いていた"孤高の求道者"からするとほど遠い、当初の想定からすると不純に当たることばかりしている。

 こんなにも考えがかわるやつもいるのか、と少し笑ってしまうが、音楽を作り始めて10年、この変化は自分の中で大きなものである。かつての、他を突き放すような孤高への憧れは、そうはなれないとどこかで自覚していた、自分への卑屈さに繋がっていたようにも思える。自分が音楽でやりたかったのは感情のシェアみたいなもので、コミュニケーション的な成分を志向することは、決してワックなものではないと思い至るまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 大人になった、としてしまうのはいささか安直であるが、「コミュニケーションは好きだが人付き合いは苦手」と言う自分の気質にあったやり方がわかってきたと言う意味で、これを大きな成長と捉えたいと思う。

 そんなことを考えながら、作っている新しいEPに「in my own way」と言うタイトルをつけた。よくできた量産品より唯一無二のクソ、自分らしさをもとめ今日もDAWを開くのである…

 

4月某日

 イオンのランドセルのCM曲を制作。オンエアを見てみたい気持ちでしばらくの間なんとなくテレビを付けて生活してみたが、一向にエンカウントできず。後ほど友人から「テレビでやってたよ」と連絡が来たので、なんとなく安心してしまって、ひとときのテレビ生活は終わりを告げたのであった。

 

5月某日

 8月あたりまでバッチリ埋まっていたイベント出演予定はきれいさっぱり白紙になり、ミッツィー氏が新譜のリリパのために、頼んでもいないのに都内のハコをおさえてくれていたのだが、それも結局告知すらせぬままバラシになってしまった。

 せめて制作に専念しようと思っていたはずのゴールデンウィークであったが、相変わらずさっぱりやる気が出ず、外に出るわけにもいかないので、気の済むまで寝て、気が向いたら本を読むだけの日々。

 やたらめったら買う割に、自分はあまり本を読まない。エサ箱から適当に買ったレコードをがろくに聴かれることなく部屋に転がっているのと同じで、ベッドの周りに放置された本の殆どが未読である。

 何もせずに連休を終えるわけにはいかないが、一向に音楽を作る気になれないので、構想のみが1年放置されていたPV制作に取り掛かる。パンダがのそのそ動いている映像と、二足歩行のパンダとクマがダンスをしている謎素材を2万かけて購入。手を動かすには金を使うことである。

 相変わらずAEの全機能のうちの2割も把握していない自分の知識の範囲で、ギリギリ実現できる範囲での作業。アイディアを人に伝えて、ちゃんとした人に作って貰えばいいだけの話であるが、「自分でやることに意味があるのだよ…」と自らに言い聞かせながら2日間での突貫工事。

 所詮素人の遊びではあるが、習作として次作への肥やしにはなるとよい。

 

5月某日

 バツくんより配信スタジオを作ろうや、と連絡がくる。すぐに内見に行った物件に即決し、金を集め契約してしまうまで一週間ほど。よく言えばまさにトントン拍子、しかしながらコロナ禍でのフラストレーションでやけくそになり、判断が雑になっていただけの可能性は否めず。

 よく考える前に金を払って物件を手に入れてしまったわけであるが、細かい不安よりも久しぶりにした能動的アクションからの射幸心がはるかに上回っており、ほかにすることもないのでしばらくはスタジオ作りに打ち込む日々が続くわけである。

 しばらく名無しの状態が続いた弊スタジオ、赤瀬川原平らの超芸術トマソンから概念を拝借し、トマソンスタジオと名付けた。なんとなく気が抜けているが、クリエイティブへの姿勢みたいなものはしっかりと感じられるので、なかなかに気に入っている。

 

5月某日

 MU2020の出演オファー。進行形のスタジオ作りで得たポジティブな感じと、こういう時ってより音楽が胸に響くよね的なフィールをなんとなく配信に乗せれたらな、と考えながらセットを組む。らしおくんやsiroPdに映像面をサポートしてもらいつつ、チームでライブ作品を作り上げるみたいな感覚は、基本1人で活動していた自分にとっては新鮮な感覚であった。

 過去に自分が作った曲、自分が作った(作ってもらった)映像作品、音楽を通じてできた友達、活動を通して得た経験、自分の曲をよいと思って聴いてくれていた人など、これまで積んできたものがよい形で出たように思う。音楽は楽しいし、自分が音楽から得たものは大きい。こんな時であるから、自分のいまの前向きな気持ちが、少しでも人に伝わっていたらと願ってやまない。

 

5月某日

 ラウンジネオ閉店に際しての配信最終日。まさかラストイベントを、自室からの配信で支えることになるなど予想できるはずもなく、世の中はほんとわからんなという気持ち。

 MU2020がチーム戦であったのとは対照的に、こちらは個人で感謝の気持ちを伝えようみたいなセット。

 2014年、特に実績のない自分(前日の京都で出演したイベントには客が片手で数えられるくらいしかいなかった)をバイブス登用していただいた初回以来、欠かすことなく出演させていただいていたラウンジネオの周年イベント、それ以外にもたくさんの思い出があり感傷的にもなってしまう。

 オーセンティックなクラブ像とは少し違う、ライブ然としてアクトごとにガッツリ盛り上がるような"ネオっぽさ"を懐かしみたいところであったが、もはやずいぶん長いことクラブそのものにすら行っていない。

 画面の向こうでセイメイとタイメイがメガミックスめいたプレイをしている。振り返れるのは、積まれた思い出の分だけである。しかしながらデジャヴめいた光景…もはや走馬灯のように思えてくる。6年分を思い返すには、一晩は短い。まして現場にいるわけではなく自室に自分1人である。寂しくなってしまったうえ、少し酔っていたので、とっとと寝てしまった。

 

6月某日

 Potluck Labのテレワーク回をトマソンスタジオより配信。イベントをはじめて一年たったらしく、こちらもまた感慨深いものである。一緒にやってる太郎と、参加者の皆様には改めて感謝。

 イベントを通じて100人弱の人と知り合い、ほぼ毎回参加者人数分の曲を聴いてきたわけであるが、当然のようにみんなてんでバラバラな内容である。バラバラなことを前提に理解しようと努めんとする姿勢は、より大きな問題を考える基礎みたいなものになってほしいものである。

 嗜好をして人となりを語らしむ、ましてや創作物をや…毎回参加してくれる人たちのことがまた少しわかった気になってしまうが、一方でその大半は本名も年齢も知らない(能動的に知らないようにしているわけではない)。それが楽しくてやっている。これもまた自分の嗜好である。

 

 

 

 

 もともとは消極的な理由で始めたPotluck Labの配信により抵抗なく配信中心の活動にシフトできたし、もともとは現場での活動の記録をするために身につけた動画編集がコロナ禍での近況報告に生きている。自分の過去の行いに救われるような経験が増えてきたように思える。自分がしたいのは燃え尽きるようなものではなく、末長く続けられるような音楽活動であるし、千里の道も一歩から的な精神で、少しでも未来の自分の役に立つことをしたいもんですね、知らんけど。

 

 リアル会場でのリリースイベントが消滅した上、スタジオ作りにうつつを抜かしていると一生新譜が出ない気がしてきたので、自分の誕生日である7/26にリリースすることにします。6曲入りです。

 とりあえずデジタルリリース(+物好き用に非流通のCD)、プレスの関係で遅れますがアナログレコード版も追って300枚限定で発売します。がんばります、何卒!

 

 

無題

 自粛生活はぬるっとはじまった。えもいえぬ手持ち無沙汰感から、デジマートやメルカリ、ヤフオクを巡回しては不要不急の安価なエフェクトペダルを買い漁る。在宅勤務の合間になる配達のチャイム、宅配の人の顔を見るや己の愚かさに気づくのであった。こんなことは極力やめないといけない。一瞬そう思ったが、この行為は果たして単純に社会悪と言い切れるのだろうか?

 かつて週末が来るたびにウーバーイーツで飯を頼んでいた引きこもり志向の強い自分、ふとTwitterで「ウーバーイーツを使うやつは搾取の精神性がある」的なツイート(細かい文言は記憶なし)をみかけた記憶が蘇る。

 「いやそんなことはないやろ…笑」とその時は思っていたが、コロナ禍中でしょうもない通販をする行為と、日常的にウーバーイーツを利用する感覚というのは悪い意味で地続きであるように感じてしまった。そこにはある種の浅ましさがあるように思える。

 だからといって、"社会への迷惑具合"なんてものが自明なものとして測れるとも思わない。週末に江ノ島に遊びにいくやつと、スーパーへ行くのも横着しAmazonで水をケース買いして宅配に運ばせるやつがいたとして、どっちがどのくらい迷惑だみたいな話なんていうのはしようがないのである。そしてその行為によって利益を得る人だっている。自分の行動がマクロに及ぼす影響の良し悪しなんてわかるわけもなく、結局は自己満足、もんやりとしたアティチュードの話にたどり着く。

 我々は役割分担をして社会を運営しているような形になっているわけであるが、この未知の事態、自分が役割を全うできているかを考えてしまう。考えれば考えるほど最近の暮らしは「穀潰し」でしかないような気がしてしまう。穀、というか毎日カレーである。そろそろ違う料理を作らないといけない。

 

3月某日

 セキトバに呼び出され近所の公園へ。ソーシャルディスタンスを保ったお悩み相談。天気が非常によく、外がえらく春めいていて、そんなことにも気がつかないような暮らしをしていたことを少し反省してしまった。

 先日のマゴチとの旅行もそうであるが、「困った時にどうやってヘルプを出すか?」みたいなのとはずっと考えていたことであった。究極、「適切にヘルプさえ出せれば友人たちが最終なんとかしてくれるわ」くらいに思えるようになりたいし、自分の友人にもそう思って欲しいものである。

 

3月某日

 ゆっくり音楽を聴く時間が増えたので、普段聴かないようなところにまで手が伸びる。なんとなくドリルミュージックを時間をかけて聴いていた。

 そもそも自分は、作品から作者の人となりに触れられると信じていて、さらにいうとその人となりに触れられるようになるためにリテラシーを獲得したいと願っているような人間である。「創作物」と「作者の人格」は切り離されるべきか?みたいなよくある問いに関してはもっぱら食傷気味で、切れるわけないやろ、としか思えないが、一方でハスリン具合を積極的に歌っていく類の音楽との向き合い方はいまだにはっきりしない。

 極端な環境に育った人間は自ずと自己を鑑みる機会が増えるわけで、おのずと創作物に強度がでる傾向はあると思うが、ぬるっとサラリーマン家庭で育った自分がいかにそういった強度を獲得できるか?というのは自分のテーマでもある。

 

3月某日

 ビンゴさんから京都メトロでの配信ライブ出演依頼。とはいえ世は週末の自粛要請が前日金曜の20時にでるような狂った状態でもあり、自宅のある大阪から京都までの電車移動も憚られるので、「行政側からの自粛要請が出ておらず、かつギリギリ(前日〜3日前)まで告知をしない方針であれば行けると思います」といった旨の返事をする。

 返事をしておきながら、これからクラブからの配信が乱立するであろう時に、リアルイベントの代替、下位互換としてただやることに関していまいち煮えきらない感じを覚えていた。

 秋葉原MOGRA先導で行われていたMU2020にえらく感動してしまったという事実も頭の片隅にあった。配信の乱立、と言う誰もが思いつく課題には”クラブ間でユニオンして一つのイベントにする”と言うアプローチ、ドネーションの方法や利益分配など、やはり感動の裏にはよく気の行き届いた仕組みがある。

 暇さも相まってオンラインで雑談を重ねる果てに、「ライブはワンオペ別録」、「メインは副音声のガヤ」、「”みんなで一緒に見ている感”のあるフォーマット(イロモネアや相席食堂のイメージ)」という骨子が決まった。前身イベントの名前が「スクリューパイルドライバー」であったため、適当に「ブレーンバスター」と名付けた。Googleにそう打ち込むと、サジェストに”死亡”と出てきて笑えた。

 何もしていないのに「これは面白くなるぞ」といったような根拠なき共通認識を得て就寝。久しぶりにポジティブなトーンで話している自分に驚いてしまった。キツいニュースばかりであり、調子は少しずつ悪くなる。少しずつであるため自分の調子の悪さにも気が付きづらい。こんなことになる前の自分の”普段の感じ”なんてものはもうすっかり忘れてしまった。

 

3月某日

 京都メトロでライブ収録。ほぼ誰もいない神宮丸太町の駅、ほぼ誰もいないメトロ、無人空間にむけて放たれる音楽・・・。ゾンビ映画の導入のような気分になり、「この動画を皆さんが見ていると言うことは・・・」といったメタ的な動画をふざけて撮影しておいた。ゾンビ映画ではないので自分は死んではいない。ライブ収録後に打ち上げの類や食事にいく訳でもなく、淡白な進行であったが、不思議と元気になったような気がしていた。

 

4月某日

 7都道府県に緊急事態宣言が出た。先日撮影した「この動画を皆さんが見ていると言うことは・・・」から始まるふざけた告知動画を公開したが、結果として想定よりも世の中はバッドな状態になっていた訳である。

 音楽関係のベニューのクラウドファンディングが次々と立ち上がる様子を見ながら、全員は助からないだろうな、といった暗雲たる気持ちになる。この状態を"来るべき淘汰"であると捉え、勝ち上がるチャンスだ、とする考えもあるようであるが、自分は到底そんな好戦的な気持ちにはなれそうにない。

 

 4月某日

 ブレーンバスター当日、 比較的好意的に受け入れられたのと、目標である収益20万を達成できたので安堵。初回ボーナス感はあり、この調子でずっと続けられるものだとは思っていない。コロナ禍がこの先もずるずる続いたとして、ピンチはチャンス、と言い切れるほど自分はポジティブではないが、怪我の功名みたいなものは確実にある。

 あとピアノ男はいつだっておれたちに勇気をくれるのであった。

 

 

 

 

 家から出ず、生活リズムもグズグズ、思い出されるは音楽制作と言う趣味を獲得する前の大学生活であった。最近もしばらくは音楽を作る気力もいまいちわかず、いたずらに時間を浪費していたが、環境に慣れたのか、徐々に活力を取り戻しつつある。

 コロナが無かった頃の感じがもはやあまり思い出せないのと同様に、この今の感じもまた思い出せなくなるのであろう。

 そんなこともあって、せっかくだしなんか書いておくか、と普段よりこまめにこれを書いているが、改めて自分が日記というフォーマットが好きであることに気づいた。結論を出す必要もなく、意見を提示する必要もない。起こったことと、それに対して感じたことのペアがただ並んでいるだけである。そのペアを並べていくのは、自分が好きなものを並べて眺めている時の気持ちと少し似ているように思う。あとで自分が読む用に書いているが、人が読んでも良いことにしている、そのくらいの感じである。

 新譜の制作もようやく再開した。この際なので、何も考えずに、できたらそのまま無邪気に出すつもりことに決めた。今のこの感じは、意識せずとも勝手に反映されるであろう。