無題

1月某日

 チーム91年生まれのかずお、ヒデキックと上野へ。以前ヒデキック経由で「数奇フェス」のトレーラームービーの音楽を作らせていただいた縁もあり、今回もまた上野に関する動画を作ることになったからである。

 Twitterなどで、その町にいそうな人間をカテゴライズするようなイラスト(渋谷男子、中目黒男子…みたいなやつ)をたまに見かけるが、確かに上野という町は分かりやすく記号化し、レッテルを貼るのは難しい。確かに、大学、文化施設、動物園などの施設に加え、アメ横的なカルチャーまで、全て徒歩圏内にある上野という土地はなるほどなかなか稀有なようである。言われるまではそんな風に考えることはなかなかない。例えば、自分はパンダがマジで好きだが、人は往々にしてそういったわかりやすいモチーフにかまけて考えが雑になってしまいがちである。意識しないと人はすぐ楽な道へ行ってしまう。

 Skypeをすると往々にして6時間くらい話し続けてしまう我々であるが、オンラインだろうがオフラインだろうがやはりよく喋る。よく喋るが、シンプルに明るい人間であるかと聞かれると、3人揃ってそうではない。

 天気がとても良かったため、謎に3人でスワンボートに乗る。おれとかずおが漕ぎ、ヒデキックがハンドルを握る。これはメタファーか?と心の中で笑う。メタファーそのまま今年も3人で何か作りたい気持ち。

 最終的に駅前の王将に吸い込まれ3人で飯を食う。「かずおは普段酒飲むの?」と聞いたら「僕は特別なときにしか飲みませんよ」みたいなことを言っていていた。たかが王将で…と笑いそうになったが、よくよく考えてみると、もう何年も連絡を取り合っているのに、3人だけで会うのはこれが初めてであった。毎日がスペシャル。知らんけど。

 

1月某日

 ミツメの川辺くんの紹介の元、今回のアルバムの流通をしてもらうbridgeの事務所へ。

 流通に関しての相談は身近な人数名にしていたが、そのうちの一人が川辺くんだったのも、ミツメのバンドのあり方が、自分の目指すような音楽との付き合い方に近いと感じるからである。昔から自分を知ってくれている人間が、なんだかんだ面倒を見ていただけるのはありがたい。

 bridgeのみなさんも親身に話を聞いてくれて、なんとなく5月くらいでいいや…と思っていたリリース日も、当初の予定であった"平成中"に上方修正されてしまった。

 ダラダラとやっていたアルバム制作に締め切りが設定されたので、もうやるしかないという状態に。まさに(アートワーク担当の猛が言っているだけの)クリエイティブ3カ条のうちの1つ、「終わりを決めるのは時間だけ」である。

  川辺くんにプレス用のコメントをくださいよ、と頼んだところ、「おれをメインに据えるのはやめてくれ、四人目ならいいよ」とのことだったので、第四のコメンターとして活躍していただくことにします。

 

1月某日

 翌日、表参道などというハイソな空間で姉の結婚式があるので、川辺くんと別れたのちに渋谷へ。夜イイモリマサヨシのリリパがやっていたのでふらっとvisionに顔を出す。いつものように見知った面子が遊んでいて、なんとなく世間話などをする。人を誘うのが得意ではない自分にとっては、場が先にあって、そこにいくとどうにかなるのはよい。一方で、場に頼らずに、「おれはお前と話がしたい」と臆せずに人を誘っていきたいという気持ちもあるが。

 そこそこにクラブを抜け出し、適度に酔った状態で渋谷から表参道まで歩く。クラブを歌った名曲は、往々にしてその夜自体ではなく明けた朝を描写しがちであるが、途中離脱の夜だってそれもまた乙である。今日も歩いて帰れるだけの酒を飲み…

 

1月某日

 姉の結婚式に出席する。新郎が選曲したであろうウルフルズモンゴル800などの名曲の合間に、姉が選曲したであろう自分の曲が流れ続ける異常な空間に頭がクラクラしてしまう。

 こんなヘリウムガス吸ったみたいな声の曲が延々流れている式場は地獄だな・・・などと考えている自分とは裏腹に、「こういうのを作られているんですね」と興味を持って話しかけてくれる人もいたりする。その度に、もう何度したかわからないような反省を繰り返す。

 どうせ話してもわかってもらえないだろうし、という気持ちが先行し、日常で音楽の話を人にすることはほぼない。自分から言わないのはいいとして、人から聞かれたときにすら、適当にごまかしてしまう癖はなかなか抜けない。

「どうせわかってもらえない」という決めつけは、割と最悪な考え方である気もする。聞かれたらちゃんと説明する。興味を持ってもらえたら嬉しいし、興味を持たれなかったとしてなにかこちらが損することは全くない。人の性質を決めつけるようなことは驕りである。

 

2月某日

 トーフビーツに呼び出され西宮へ。ふと「彼と会うときはだいたい西宮北口な気がするな…」と思ったが、それはイメージだけでそういった事実はない。

 権利問題がついて回るハードオフビーツに代わる新企画TTHW、ほんわかとしたノリとは裏腹に彼のやることはだいたいシビアに実力が問われるものばかりである。とはいえ、実力なんていうのは、すっかりそのまま白昼のもとに晒されてしまうくらいがちょうどいい。

 インターネットには"なんかすごそう"な人たちがたくさんいる。その人たちが本当にすごいかどうかは往々にしてわからない。わからないこと自体は問題ではなく、わからないことをいいことに、すごいフリをしてしまうことがよくない。虚栄心みたいなのは程度問題で、誰しもにある。それに溺れないためのの手っ取り早い方法の一つは、ちゃんと土俵に上がり、評価に晒されることであろう。音楽作品を発表すると、それ以上でも以下でもなく、まるだしの実力が明るみに出るから良い。

  とは言っても、人前で失敗したくない気持ちももちろんあり、まもなくやってくる自分の番のTTHWの収録では、サイコロで6が出て、機材がたくさん買えて、まぐれで神曲ができて欲しいと願う。人は愚かである…

 

2月某日

 アルバム中に一曲だけ存在するバンド編成生録曲のアレンジを詰めるため、イサゲン、武田とigrek-u邸へ。行きのタクシーの車内での話題は主にナンバーガールの再結成についてであった。

  怠惰の心を胸に抱いた我々は楽曲のアレンジ作業を早々に切り上げ、ハンモックで寝たり、セッションをしたり、思い出を振り返っている内に夜になってしまう。「有村くんが思いのほか適当だった」とはu氏の談であるが、自分的にはこれでもう大丈夫、という謎の自信があったのだから不思議である。

  

 最終的に居酒屋でu氏とイサゲンの馴れ初めの話になる。「会ったことない中学生に宅録のやり方教えるなんてヌクモリティですね」みたいなことを言った記憶があるが、ヌクモリティという言葉はもはや死語の向こう側…

 碌に学校に行かず、自室でアニメと音楽に耽っていた中2のイサゲンにインターネット越しに「楽器の録音」という音楽との付き合い方を与えたのはu氏周辺の面々である。そして高校に進学し、出会った武田くんと彼らの音楽をきっかけに意気投合。大学進学で京都に来てみたらu氏の曲のコピーを自宅で延々としていた自分と邂逅したわけである。そんな三人は今も音楽に携わっていて、巡り巡ってu邸で曲を作っているのであるから人生はわからない。

 

 「何処の馬の骨かもわからぬ中学生に宅録を教える」ことを起点に、連鎖して湧いてくるナイス出来事、ヌクモリティに損得感情を持ち込むのは野暮だが、基本的に善意はお得である(と信じたい)。やはりパイの大きさそのままに取り合いをしても意味はなく、パイをデカくしないといけない。目先の損得を一旦棚に上げ、種を蒔き、畑を耕す。人生をよくするにはこれである。畑なくして収穫なし。

 エモい話をし続け、最終的に「イサゲンは出会いに恵まれたんやね」みたいなことをu氏が言ったくらいのタイミングで、感極まったイサゲンは泣き出してしまった。その後も出てくるいい話は山の如し、その度にイサゲンは泣いていた。横の武田に言わせてみれば「エモい話をするのはまだ早い、10年先…」とのことであるが…。

 

 u氏が「自分で聴きたい音楽を自分で作る」という気持ちでmp3とtab譜を自前のサーバーにアップロードしはじめたのはもう10年前のことであるが、それは自分たちの人生を大きくドライヴさせてしまった。一丁前な顔をしてみな音楽をしているが、そんな人生はきっかけ一つでさっぱりなかったかもしれない。そんなきっかけを人に与えられるような音楽を自分は作れるのだろうか。

 基本方針は「自分のために音楽を作る」ことである。そして、あわよくばの副産物として、知らない間に、だれかの人生に影響を与える可能性もあるかもしれない。夢が広がりング性、忘れたくないですねえ…

 

 酒により気が大きくなり、帰りの電車で「この気持ちだけでずっとやっていけるかもしれないな」などと考えてしまったが、別に気持ちで曲ができるわけではなく、家に着くなり、またパソコンを開くのがおたくの性分である。

 デモのドラムを打ち込み直しながら、「アルバムのこの曲を聴くたびに今日のことを思い出すんやろあなあ…」と感傷的になり、眠れなくなってしまった。

 

2月某日

 気持ちだけではなし得ないことはたくさんあり、前日のエモとは裏腹に、何一つ本チャンの録音をしたわけではないという現実。翌日には録音作業。武田くんのコネクションにより、谷川 充博氏などというビッグネームのスタジオでのドラム録りを実施することに。

 いっちょ勉強させてもらいますわ…という社会科見学的なテンション、何処の馬の骨かもわからぬ自分の曲の録りに従事して頂く畏れ多さ、そしておれは録れた素材をちゃんと捌くことができるのかという不安が入り混じりふわふわした気持ちで現場へ。

 

  武田くんと谷川さんのナイスな関係性のおかげで作業自体は円滑にすすみ、2時間程度で一通り録り終わってしまった。谷川さんは人当たりが実によく、そして話が面白い。録音はレコーディングエンジニアと奏者の共同作業であるから、エンジニアの人柄は多分に作品に影響するよな・・・。作業もそこそこに延々と話し込み、気づけば外はすっかり夜であった。

 

 「マイクを立てて録音をする」という作業は、いまの自分の制作スタイルだと完全にする用事がないため、一ミリもノウハウが積まれぬまま抜け落ちてしまっている。一方で、当然ながら、そこには深遠なるクリエイティビティの世界が広がっているわけである。

 一生かかっても理解しきれないような興味深い領域が、自分の興味対象のすぐ側に、手つかずのまま転がっている。「人生暇なし、退屈とは無縁やね…」と思う一方で、暇ができるたびに、スマホでくだらない情報にアクセスし続けている自分もいる。強い心で己に克つ日が来ることはあるのだろうか。

 

2月某日

 メトロでのイサゲンの企画Large size。たまたま続いただけであるが、「今月はイサゲンの月やね…」という気分に。意外にも京都メトロが初のトレッキートラックスと、関西の見知った面子。また同じメンバーでやってもこうはならないだろうなというようなナイスパーティ。

 柄にもなく酒を飲み過ぎてしまって、最後のメトメさんがエレピを弾き始めた頃に夢の中へ。目がさめるとパーティの終わりであった。

 

 深夜、太郎とマゴチがやっているNC4Kというハウスコレクティブのイベントがやっていたのでシエスタに顔を出す。ゲストとして香川から呼ばれていた小鉄くんとも久々に喋る。ぶらぶら街を歩きながら香川での近況などを聞いたりする。色々な生活があり、めいめいの制作への向き合い方がある。自分のペースで、良いものを作っている身の回りの人をみていると、自ずとやる気が出る。

  "畑を耕す"ような行為がなかなかできていないことに割と負い目を感じ続けてきたが、一方で、身の回りの状況は良くなっていってる気もする。もっと良くなるように、自分にできることはなんなのであろうか。