in the blue shirt 2ndアルバム"Recollect the Feeling"全曲解説

 作る行為そのものが娯楽なので、終わらせてしまうのが嫌になって完成を拒んでしまうようなきらいもありましたが、2ndアルバムがようやく完成いたしました。完成というか、まあセルフ強制終了みたいなもんですが。とはいえ、それ以上よくする実力もないくせに、「いや、これはまだ"Work In Progress"なので…」みたいな態度はよくない。

 いつリリースされるのか、それはさておき、作り手としては完成した時点の鮮度十分な状態で、忘備録として制作メモを書きました。発売日はいつなんだ…教えてくれdjnewtown…

 

【背景】

 前作はどうしても「自分がいままで作ってきた曲の中から佳作を抜粋してきました」みたいな感じの作り方だったので、次はちゃんと"アルバムのために曲を作る"前提で制作しようと決意。

 アイディアスケッチを10ネタ準備し、全体の雰囲気を勘案しアルバムタイトルを「Recollect the Feeling(仮)」に設定。テーマを決め、それに従ってそれぞれのネタを膨らませてアルバムの完成を目指した。ボツ曲は一曲のみのお釣りなしファイヤーフォーメーション。

 

【全体テーマ】

 いままでの人生で、音楽を聴いた時(別に小説や漫画、映画などでも構わない)に受けた強い感動、深い感銘をぼんやりと思い出す。具体的な思い出ではない、センスオブワンダー的な感情に向き合ううちに、漠然としているはずの「自分の好きな感じ」がなんとなく見えてくるような気がする。

 

1.Lost in thought

真っ向から初期bibioへの敬意表明。

 「"8mmカメラで撮った映像"は調子いいが"8mmカメラ風加工"はどうしてもダサい」的な問題は、この手のローファイトラックを作る際にどうしても立ちはだかってくる。ヤフオクでカセットMTRを落札してみたり本気でSP1200の購入を検討したりもしたが、ローファイな機材が好きなわけではなく、そのサウンドが好きなだけなので、なんで"そういった機材を使った音が好きなのか"を本気で考えるためにも、あえてアナログ機器に頼らず完全にプラグインオンリーでのサウンドメイクに挑戦。「その手の機材を利用した」という手続きや過程を重視するのではなく、自分の一番好きな機材(パソコン)で好きな音を目指す。"8mmカメラ風加工"的なテクスチャになっていないことを願う。

 何かに耽けるような心情を一曲目で出したかったので、平坦な進行ののちに、内向き、内省の心情が出るようにボーカルをカット。質感も含め自分のバイブスを込めれていると信じたい。

 

2.Gray herons

 元を正すとかなり古い曲。原型となる曲は4年前くらいにサンクラにあげた記憶が。事情があって去年リメイクしたが、結局世にでることはなかった。質感が本アルバムのコンセプトにあっているような気がして繋ぎの二番打者として採用。

 ギターのチューニングはDBDGBD(オープンG)で弾いていますが、これもBibioの曲をコピーしていたのがきっかけ。

 タイトルはアオサギのことである。なんてことはなく青いからアオサギなのだが、日本以外の国では青には見えないようで、他の言語ではだいたい灰色のサギという扱いをされているよう。ソシュール言語学的なトピックスではあるが、他国での灰色がこちらでは青と解釈される、みたいな現象は、欧州の音楽を参照点にしながら日本で制作をする自分に意義を与えてくれるような話であるように感じてしまう。

 音楽でも歌詞でも、はたまた他の創作物でも良いが、自分は風景描写と叙情が重なるようなものが好きである。bibioの執拗なまでの自然、風景やそれにまつわるモチーフへの愛慕は、身を置いている環境からインスパイヤードされたものであろうが、そういうものにろくに触れずに育った人間でもいい曲がつくれる可能性があると信じたいものである。

 

3.Between us

 自分的には本アルバムでもっとも技術オナニー性の高いトラック。自分のボーカルエディットのスキルをひけらかしたいという浅ましい感情で作り始めた曲であるが、結果として結構おもしろくなったと思っています。「奇妙なノリの2人の掛け合い」がテーマ。奇妙なまま終わる予定のはずが、個人的な願望が反映されてしまったのか、にこやかな感じに着地する展開に。お互いの親睦のために、ちょっと今夜はいろいろ話そうや、的な。まあ結局人の気持ちは分からんけど。

 ちょうどノリでIK MultimediaのシンセSyntronikを購入したタイミングだったのでフル活用。音色読み込みは結構遅いがお気に入り。やっぱ自分はサンプリング音源の方が相性がいいような気がするが、そもそも普通のシンセでのシンセサイズが下手なだけなのかもしれない。

 

4.Casual remark

 元ネタはThe Fabulous Waller Family - How Long Will I Be A Fool。いい曲。

こんな曲のクリアランスがそこそこの値段で取れてしまうなんていい時代・・・

 基本サンプル、ドラム、ベースの3トラックのみで組む行為を個人的に三点セットシリーズと呼んでいる。(前作だとWay ahead、send aroundなど。)PCに優しい省エネトラックメイクであるが、使う脳みそは何十トラックも使う多楽器アレンジとそんなに変わらない気も。2017年以降結構クライアントワークをやったが、そちらではこのスタイルはなかなか取れる機会はないので自分の作品でしっかりやっていきたい。

 cluster AのPV周りのトラブル?でサンプリング哲学にしっかり向き合わざるを得なくなったわけであるが(未だにYouTubeのコメント欄で非難され続けているので興味ある人は見てみてください)、このアルバムがそういったものへのはっきりとした態度表明になるとよいと思う。拝借するのはフレーズなのかテクスチャなのか、はたまたその向こうのバイブスなのか。おれたちが参照しているものはなにで、どこからが自分のクリエイティブなのか。

  後半の展開かなり悩んだが、なんだかんだ(当社比で)パンチのある曲に。

 

 

5.Good feeling

 原型ができたのは2012年、DAWを購入しin the blue shirt名義をはじめて三曲目に作った曲。しばらくサンクラに別のタイトルでアップしていたはず。当時はボーカルチョップのボの字もなかったのでだいぶ雰囲気が変わってしまったが。

 7年も経つとDTMの技術は上達しているが、ソングライティングというか、根本的なバイブスは何も変わってないんだなという気づきは、"Recollect the Feeling"というアルバムタイトルをつけようと思ったきっかけでもある。「根本のバイブスってなに?」という問いに対峙するには、自分がマジで感動した創作物から得た感情に向き合うとよさそうだと思いませんか?知らんけど。

 左右で鳴っているピコピコリードは当時のデータそのまま。昔の自分に感謝。ボーカルのラインも結構お気に入り。ありがとう今の俺。

 もともとギターのみで作った曲であったが、それをリハモして鍵盤中心のアレンジにしたのが果たして正解だったのかは不明。

 

6.Bamboo leaf

 かつて上野公園のイベント告知動画用に制作したトラックが原型。ほぼそのままボーカル足しただけ。アルバムの前半と後半の間の箸休め。

 上野といえばパンダ、パンダといえば笹。そういえばおれは未だにシャンシャンを見に行けていない。

 

7.Fork in the road

 「アルバムを作る上で自分のためのご褒美要素が欲しいな…」ということでバンドでの生録前提で作曲。ギターは心の師匠igrek-u氏、ドラムスは現バレーボウイズの武田くんに頼むつもりであったので、自ずとベースはイサゲンに決まる。

 自分の身の回りの人間の中でも武田くんは抜群に優れたドラマーだと思っていて、前々から彼に6/8の曲を叩かせたいと思っていたのと、(個人的な好みなだけかもしれないが)igrek-u氏のギターが映えそうなアレンジしたいということ、そして中高時代に聴いていたような邦楽のギターロックへのリスペクトを込めようという3点を元にデモを作成。基本そのまま弾いてもらいつつ、各パート自由にしてもらって良いですという方式で制作。

 u氏には曲中に2回あるギターソロを丸投げ。前半ソロのフレージングは見事の一言。エンディングも、アンプマイク録りの際にエアー直録のマイクを立てて頂き、ハウりっぱなしのチャンネルを作成していただいたお陰で前のめりのバイブスが醸されています。改めて感謝。

武田くんはドラムセットの世話をライフワークとしているからなのか、生ドラムセットのサウンドメイク能力が謎に高く、その面でもだいぶ助けてもらいました。フレーズを丸投げしただけでなく音色の選択もほぼお任せ。

 録音時のスネア選びも60sのGretschの4157が良いのでは、と提案してくれたのも彼。のちにデモに近い音色の70sのludwigの402を試すも結局前者に決定。

 チューニングやミュートでの調整や録りのプリアンプ替えて音がどう変わるのかなど、自分が全くわからない部分をプレイヤー武田くんとエンジニアの谷川氏には多分に面倒を見ていただきました。最終的に選ぶのは自分、非常に恐縮ですが、ノリとフィーリングでいかせていただいた次第。

 

8.Cast off

 個人的に絶望真っ只中でガンスピりしている最中に作った曲。怨念満載、この曲聴きかえす度にそのときの気持ちを思い出せるように・・・

 人生第二部、やっていこうという願いを込めてのタイトル。この曲なくしてこのアルバム成立せず。

 最近はボーカルエディットの作業がろ過のように思えてきて、意味のある言語で歌われた歌唱をふるいにかけて、意味のみを取り除き、バイブスとフロウ、メロディだけを濾し取っているようなイメージを持ち始めています。

 たまにろ過をしきらずあらごしにする事で、意図的に意味を残すのもまた乙で、この曲ではろ過しそびれた「follow me」「only you」というフレーズが執拗に繰り返されるわけです。我ながらキモい行為だと思うがやめられず。

 

9.On a Saturday

 これも古く、元を正すと18の時の宅録ファイルが元ネタ。前作Mellow outと同様、おれの奥底に眠るインディ、ギターポップマナーに乗っ取って作曲。

 とは言ってもアレンジ詰める過程でロック臭がぼちぼち脱臭された気がするが、それは最近の自分のモードなのかもしれない。

 

10.Rivebed

 テーマは淀川。デモ作って一年ほど放置しているうちに、tofubeats氏がRiverという大名曲を生み出してしまいお蔵にしようか悩んだが結局採用。

インスタグラムでフォローしているダンサーの方が、河川敷などで何気なく踊っている動画を見るのがすごい好きで、それに強いインスピレーションを受けています。

 なぜか昨年トレンドかのような扱いを受けたローファイヒップホップのシーンにおける作法を、自分は基本的に"拝借"であると解釈していて、それはそれで好きだが、一方で今回したかったのはあくまで"再構築"である。

 ローファイヒップホップシーンでは、アングラで居続けるのか、売れたが為にグレーな領域から足を洗うのかみたいな選択をめいめいがしはじめるような時期になっているような印象がある。これは常々言っている"サンプリングで徳を積む"フェーズを経たもの特有のライフステージである。"拝借"で作られたサンプリングトラックに手弾きでの接近を試みるみたいな循環もおもしろいが、今回の自分のアルバムも、"サンプリングで徳を積む"行為の経ての作品であると考えていて、彼らはみな同士のような気分。

 エモい気分はあくまで一時的なもので、センチメンタルもそこそこにシラフに戻ってこその日常やね、みたいな感じでアルバムが締められればと思って作りました。

 

そして2dnアルバムの完成、それはすなわち3rdアルバムの制作開始を意味するのである・・・

無題

1月某日

 チーム91年生まれのかずお、ヒデキックと上野へ。以前ヒデキック経由で「数奇フェス」のトレーラームービーの音楽を作らせていただいた縁もあり、今回もまた上野に関する動画を作ることになったからである。

 Twitterなどで、その町にいそうな人間をカテゴライズするようなイラスト(渋谷男子、中目黒男子…みたいなやつ)をたまに見かけるが、確かに上野という町は分かりやすく記号化し、レッテルを貼るのは難しい。確かに、大学、文化施設、動物園などの施設に加え、アメ横的なカルチャーまで、全て徒歩圏内にある上野という土地はなるほどなかなか稀有なようである。言われるまではそんな風に考えることはなかなかない。例えば、自分はパンダがマジで好きだが、人は往々にしてそういったわかりやすいモチーフにかまけて考えが雑になってしまいがちである。意識しないと人はすぐ楽な道へ行ってしまう。

 Skypeをすると往々にして6時間くらい話し続けてしまう我々であるが、オンラインだろうがオフラインだろうがやはりよく喋る。よく喋るが、シンプルに明るい人間であるかと聞かれると、3人揃ってそうではない。

 天気がとても良かったため、謎に3人でスワンボートに乗る。おれとかずおが漕ぎ、ヒデキックがハンドルを握る。これはメタファーか?と心の中で笑う。メタファーそのまま今年も3人で何か作りたい気持ち。

 最終的に駅前の王将に吸い込まれ3人で飯を食う。「かずおは普段酒飲むの?」と聞いたら「僕は特別なときにしか飲みませんよ」みたいなことを言っていていた。たかが王将で…と笑いそうになったが、よくよく考えてみると、もう何年も連絡を取り合っているのに、3人だけで会うのはこれが初めてであった。毎日がスペシャル。知らんけど。

 

1月某日

 ミツメの川辺くんの紹介の元、今回のアルバムの流通をしてもらうbridgeの事務所へ。

 流通に関しての相談は身近な人数名にしていたが、そのうちの一人が川辺くんだったのも、ミツメのバンドのあり方が、自分の目指すような音楽との付き合い方に近いと感じるからである。昔から自分を知ってくれている人間が、なんだかんだ面倒を見ていただけるのはありがたい。

 bridgeのみなさんも親身に話を聞いてくれて、なんとなく5月くらいでいいや…と思っていたリリース日も、当初の予定であった"平成中"に上方修正されてしまった。

 ダラダラとやっていたアルバム制作に締め切りが設定されたので、もうやるしかないという状態に。まさに(アートワーク担当の猛が言っているだけの)クリエイティブ3カ条のうちの1つ、「終わりを決めるのは時間だけ」である。

  川辺くんにプレス用のコメントをくださいよ、と頼んだところ、「おれをメインに据えるのはやめてくれ、四人目ならいいよ」とのことだったので、第四のコメンターとして活躍していただくことにします。

 

1月某日

 翌日、表参道などというハイソな空間で姉の結婚式があるので、川辺くんと別れたのちに渋谷へ。夜イイモリマサヨシのリリパがやっていたのでふらっとvisionに顔を出す。いつものように見知った面子が遊んでいて、なんとなく世間話などをする。人を誘うのが得意ではない自分にとっては、場が先にあって、そこにいくとどうにかなるのはよい。一方で、場に頼らずに、「おれはお前と話がしたい」と臆せずに人を誘っていきたいという気持ちもあるが。

 そこそこにクラブを抜け出し、適度に酔った状態で渋谷から表参道まで歩く。クラブを歌った名曲は、往々にしてその夜自体ではなく明けた朝を描写しがちであるが、途中離脱の夜だってそれもまた乙である。今日も歩いて帰れるだけの酒を飲み…

 

1月某日

 姉の結婚式に出席する。新郎が選曲したであろうウルフルズモンゴル800などの名曲の合間に、姉が選曲したであろう自分の曲が流れ続ける異常な空間に頭がクラクラしてしまう。

 こんなヘリウムガス吸ったみたいな声の曲が延々流れている式場は地獄だな・・・などと考えている自分とは裏腹に、「こういうのを作られているんですね」と興味を持って話しかけてくれる人もいたりする。その度に、もう何度したかわからないような反省を繰り返す。

 どうせ話してもわかってもらえないだろうし、という気持ちが先行し、日常で音楽の話を人にすることはほぼない。自分から言わないのはいいとして、人から聞かれたときにすら、適当にごまかしてしまう癖はなかなか抜けない。

「どうせわかってもらえない」という決めつけは、割と最悪な考え方である気もする。聞かれたらちゃんと説明する。興味を持ってもらえたら嬉しいし、興味を持たれなかったとしてなにかこちらが損することは全くない。人の性質を決めつけるようなことは驕りである。

 

2月某日

 トーフビーツに呼び出され西宮へ。ふと「彼と会うときはだいたい西宮北口な気がするな…」と思ったが、それはイメージだけでそういった事実はない。

 権利問題がついて回るハードオフビーツに代わる新企画TTHW、ほんわかとしたノリとは裏腹に彼のやることはだいたいシビアに実力が問われるものばかりである。とはいえ、実力なんていうのは、すっかりそのまま白昼のもとに晒されてしまうくらいがちょうどいい。

 インターネットには"なんかすごそう"な人たちがたくさんいる。その人たちが本当にすごいかどうかは往々にしてわからない。わからないこと自体は問題ではなく、わからないことをいいことに、すごいフリをしてしまうことがよくない。虚栄心みたいなのは程度問題で、誰しもにある。それに溺れないためのの手っ取り早い方法の一つは、ちゃんと土俵に上がり、評価に晒されることであろう。音楽作品を発表すると、それ以上でも以下でもなく、まるだしの実力が明るみに出るから良い。

  とは言っても、人前で失敗したくない気持ちももちろんあり、まもなくやってくる自分の番のTTHWの収録では、サイコロで6が出て、機材がたくさん買えて、まぐれで神曲ができて欲しいと願う。人は愚かである…

 

2月某日

 アルバム中に一曲だけ存在するバンド編成生録曲のアレンジを詰めるため、イサゲン、武田とigrek-u邸へ。行きのタクシーの車内での話題は主にナンバーガールの再結成についてであった。

  怠惰の心を胸に抱いた我々は楽曲のアレンジ作業を早々に切り上げ、ハンモックで寝たり、セッションをしたり、思い出を振り返っている内に夜になってしまう。「有村くんが思いのほか適当だった」とはu氏の談であるが、自分的にはこれでもう大丈夫、という謎の自信があったのだから不思議である。

  

 最終的に居酒屋でu氏とイサゲンの馴れ初めの話になる。「会ったことない中学生に宅録のやり方教えるなんてヌクモリティですね」みたいなことを言った記憶があるが、ヌクモリティという言葉はもはや死語の向こう側…

 碌に学校に行かず、自室でアニメと音楽に耽っていた中2のイサゲンにインターネット越しに「楽器の録音」という音楽との付き合い方を与えたのはu氏周辺の面々である。そして高校に進学し、出会った武田くんと彼らの音楽をきっかけに意気投合。大学進学で京都に来てみたらu氏の曲のコピーを自宅で延々としていた自分と邂逅したわけである。そんな三人は今も音楽に携わっていて、巡り巡ってu邸で曲を作っているのであるから人生はわからない。

 

 「何処の馬の骨かもわからぬ中学生に宅録を教える」ことを起点に、連鎖して湧いてくるナイス出来事、ヌクモリティに損得感情を持ち込むのは野暮だが、基本的に善意はお得である(と信じたい)。やはりパイの大きさそのままに取り合いをしても意味はなく、パイをデカくしないといけない。目先の損得を一旦棚に上げ、種を蒔き、畑を耕す。人生をよくするにはこれである。畑なくして収穫なし。

 エモい話をし続け、最終的に「イサゲンは出会いに恵まれたんやね」みたいなことをu氏が言ったくらいのタイミングで、感極まったイサゲンは泣き出してしまった。その後も出てくるいい話は山の如し、その度にイサゲンは泣いていた。横の武田に言わせてみれば「エモい話をするのはまだ早い、10年先…」とのことであるが…。

 

 u氏が「自分で聴きたい音楽を自分で作る」という気持ちでmp3とtab譜を自前のサーバーにアップロードしはじめたのはもう10年前のことであるが、それは自分たちの人生を大きくドライヴさせてしまった。一丁前な顔をしてみな音楽をしているが、そんな人生はきっかけ一つでさっぱりなかったかもしれない。そんなきっかけを人に与えられるような音楽を自分は作れるのだろうか。

 基本方針は「自分のために音楽を作る」ことである。そして、あわよくばの副産物として、知らない間に、だれかの人生に影響を与える可能性もあるかもしれない。夢が広がりング性、忘れたくないですねえ…

 

 酒により気が大きくなり、帰りの電車で「この気持ちだけでずっとやっていけるかもしれないな」などと考えてしまったが、別に気持ちで曲ができるわけではなく、家に着くなり、またパソコンを開くのがおたくの性分である。

 デモのドラムを打ち込み直しながら、「アルバムのこの曲を聴くたびに今日のことを思い出すんやろあなあ…」と感傷的になり、眠れなくなってしまった。

 

2月某日

 気持ちだけではなし得ないことはたくさんあり、前日のエモとは裏腹に、何一つ本チャンの録音をしたわけではないという現実。翌日には録音作業。武田くんのコネクションにより、谷川 充博氏などというビッグネームのスタジオでのドラム録りを実施することに。

 いっちょ勉強させてもらいますわ…という社会科見学的なテンション、何処の馬の骨かもわからぬ自分の曲の録りに従事して頂く畏れ多さ、そしておれは録れた素材をちゃんと捌くことができるのかという不安が入り混じりふわふわした気持ちで現場へ。

 

  武田くんと谷川さんのナイスな関係性のおかげで作業自体は円滑にすすみ、2時間程度で一通り録り終わってしまった。谷川さんは人当たりが実によく、そして話が面白い。録音はレコーディングエンジニアと奏者の共同作業であるから、エンジニアの人柄は多分に作品に影響するよな・・・。作業もそこそこに延々と話し込み、気づけば外はすっかり夜であった。

 

 「マイクを立てて録音をする」という作業は、いまの自分の制作スタイルだと完全にする用事がないため、一ミリもノウハウが積まれぬまま抜け落ちてしまっている。一方で、当然ながら、そこには深遠なるクリエイティビティの世界が広がっているわけである。

 一生かかっても理解しきれないような興味深い領域が、自分の興味対象のすぐ側に、手つかずのまま転がっている。「人生暇なし、退屈とは無縁やね…」と思う一方で、暇ができるたびに、スマホでくだらない情報にアクセスし続けている自分もいる。強い心で己に克つ日が来ることはあるのだろうか。

 

2月某日

 メトロでのイサゲンの企画Large size。たまたま続いただけであるが、「今月はイサゲンの月やね…」という気分に。意外にも京都メトロが初のトレッキートラックスと、関西の見知った面子。また同じメンバーでやってもこうはならないだろうなというようなナイスパーティ。

 柄にもなく酒を飲み過ぎてしまって、最後のメトメさんがエレピを弾き始めた頃に夢の中へ。目がさめるとパーティの終わりであった。

 

 深夜、太郎とマゴチがやっているNC4Kというハウスコレクティブのイベントがやっていたのでシエスタに顔を出す。ゲストとして香川から呼ばれていた小鉄くんとも久々に喋る。ぶらぶら街を歩きながら香川での近況などを聞いたりする。色々な生活があり、めいめいの制作への向き合い方がある。自分のペースで、良いものを作っている身の回りの人をみていると、自ずとやる気が出る。

  "畑を耕す"ような行為がなかなかできていないことに割と負い目を感じ続けてきたが、一方で、身の回りの状況は良くなっていってる気もする。もっと良くなるように、自分にできることはなんなのであろうか。

 

 

無題

 ブログの記事数が100を超えていて驚く。いまの形式で書くのはだいぶしっくりきているが、逆にいうと100記事も書いて、ようやくしっくりくるスタイルにたどり着くのであるから、何事も継続である。とはいってもこれも音楽同様、誰に頼まれたわけでもなし、続ける道理はなく、飽きたらやめたらいい類のものである。

 

 方向性が定まらず、しっくり来ていない段階での所業を残すべきか否か?みたいなことは最近よく考えてしまう。過去の習作や若気の至り的なアウトプットを、残すか、はたまた消してしまうか。大学デビューに成功したやつは、中高時代の陰鬱なSNSなんて消し去ったほうが調子が良さそうだが、過去に読んできたくだらない本を全て捨ててしまって、シュッとした本ばかりが並べられてる"見せ本棚"に対しては、どうしても顔をしかめてしまう。結局のところ、にわか、ハリボテはバレるというだけの話なのかもしれない。消すかどうかはさておき、古参者が過去の新参ムーブを恥じる必要はない。微分積分を学ぶ者の部屋に、掛け算九九のポスターが貼ったままになっているのは自然なことである。

 

 さらに、続ける道理のある、しなければならないことってなんなんだろうとも考える。仕事を辞めたところで、もはやたいした話にすらならないし、気合を入れて交わした約束(契約?)も、なんの意味もわからないまま反古にされてしまったいまとなっては、してはいけないことはあっても、マストな行為なんてないように思える。

 

 1年くらいはのんびり暮らせるだけの金はあるし、一旦仕事辞めてフラフラするか…とも思ったが、「冷静でないときに大きな決断はしないほうがいい」という有難いお言葉を頂き、結局サラリーマンのまま2018年を終える。元気になってきたようで実際はさっぱりダメであるが、それでもなんとかやっていかないといけない。そのためにも、なんの道理もないのに、飽きずに続けられることを、増やしていったほうがよさそうではある。

 

某日

 仕事終わりにトーフビーツ氏を呼び出し人生相談。段取りの悪い自分のせいで路上でスタバのコーヒーを啜ることになる幸先の良い滑り出し。

 瘴気にまみれたエピソードトークをひとしきり済ませた後は、漠然と音楽シーンというか、インターネットというかの話になる。

 後半、彼はしきりに「夢が広がりんぐ」という言葉を連呼していた。我々がかつてのインターネットに見た"夢が広がりんぐ性"はたしかに見えづらくなってきたが、負の側面が飛び出してき過ぎて相対的に引っ込んでみえるだけで、それ自体がなくなってしまったわけではない(と自分は考えてしまう)。そして、世間は意外とそこまで楽観的ではない。

 

某日

 仕事の合間に、カーシェアで借りたインプレッサで旧居と新居の間をひたすら往復する日々。文字通りほぼ抜け殻状態であった3DKの部屋であるが、引っ越し先の1Kに荷物を収めるのはなかなかに難儀であった。

 移動中、車内ではFMラジオから、当たり前のように友達の作った曲が流れる。ふと、自分が完全に外野になってしまったような気持ちに襲われる。

 自分はずっと音楽をしているつもりだが、可処分時間の分母そのものが減っているため、相対的にはめちゃくちゃスローペースな活動になっていることに気づく。1stアルバムを出したのは最近のような気持ちでいたが、もう2年も前の話である。

制作用のスペースとベッド以外は蛇足、みたいな部屋での生活をまたすることになるとは思わなかったが、他に特にしたいことがあるわけでもない。

 

某日

 新居の家具の配置を考える。長方形のスペースにたかだか2,3個しかない大型家具を置く組み合わせなんて対してあるはずもないのに、それがなかなかに決められない。なんとか最善と思われる配置を決定するも、仮にこの決定を人に委ねたら全くの違う配置になるのであろう。そしてその配置1つで景色は大きく変わる。

ちょうどネットでサンプル丸使い云々の話が盛り上がっていたが、16ステップのシーケ ンスに決められた音色のキックとスネアを置くだけでもそれはクリエイティブな行為である。

 

 退去時に「まだ若いんやから、負けずに頑張りや…」と意味不明な励ましを受け、比較的エモ目な別れを為した旧居の大家であるが、後日送付された現状回復の請求用紙には、重箱の隅をつつくような項目の数々とともに、予想をはるかに超える額が記載されていた。金銭の前に人情などまやかしである。食い下がるエネルギーもなく先方の言い値を支払う。スマホ1つで銀行振込ができる良い時代である。

 

 

某日

 youtuberの東海オンエアの動画でメンバーが、めいめいアプリなどで曲を作ってみる回をみる。

 曲を作った経験がない方がほとんどの中、アプリなどを使ってだれでも作曲という行為ができるということ、なんとか各自がこしらえた曲に対し、バカにしたりするようなことは一切なく、素直に感想を言い合っていることなど、いい動画だなあと思いながら眺める。自分はただこれをずっと続けているだけだなという気持ちに。なによりみな楽しそうにしているのがよい。

 一方で考えさせられたのが一点。MPC的なソフトで作曲したメンバーの作品が、制作過程を説明したところ、「要するに盗作?」と言った旨の指摘を受け、彼の作品のみミュートされてしまうのである。

 非親告罪の対象となる要件は満たしてはいないが、著作権侵害であることに変わりはなく、その指摘は間違っているとは言えない。さらに有名youtuberを狙う揚げ足取りの過激さも考慮すると、彼らが著作権面でグレーな領域に踏み込むメリットはない。

 違法/合法、ダサい/カッコいい、みんなやってる/やってない…いろんなレイヤーの議論はあるが、うやむやにしないことこそが自分へのけじめではあるとずっと考えていて、またそれに向き合ういいきっかけになったわけである。

 

某日

 楽曲を制作した、エルメスのwebプロモーションサイトがローンチされる。公開の連絡をもらったときにちょうどバーミヤンでチャーハンを食っていたため、レンゲを片手に内容を確認することに。

 大元のクライアントはフランスの人々であるらしいが、海の向こうの彼らは、このチャーハンを食ったら美味いと思うのだろうか。499円の晩飯と、それにゼロを3つ付けたくらいの価格の嗜好品のプロモーション。幅は広ければ広いほうがいい。

 

某日

 年内のイベントは全部断るつもりでいたが、お世話になった人の誘いは何個か受けて、そのうちの1つがラウンジネオのスーさんからのものである。

 

 人生で出たイベントの中で印象深いものを上げろと言われたら、真っ先にあげるのは、5年も続いたネオの周年イベントの第一回、2014年の"家-yeah-"である。

 まともなリリースもしておらず、自分の曲を知る客もろくにいない中、gladメインのタイムテーブルにぶち込まれ、なぜかウケて盛り上がってしまった光景はなかなかに忘れられるものではない。大げさではなく、自分の音楽が多数の人間に影響を与えうるという実感を初めて持ったのはこの日であろう。

 ブッキングしたトレッキーフタツキくんにしろ、スーさんにしろ、東京でのイベント出演のたいした実績はおろか、ハコとの縁すらない自分にぶち込んだのは、リスクテイクそのものである(その前日に京都でもライブをしたが、客は片手で数えられるほどであった)。

  音楽好きのような顔をして、規模感や付いてる客の数のみで判断をしてくるような人は多い。リスクを取り、アクトそのものを見てくれる人には頭が上がらない。

 最後のセイメイタイメイのメガミックスでハチャメチャになっているネオのフロアを眺めながら、いたく感動してしまった次第。ネオの店長お疲れ様でした。これからもよろしくお願いします。

 

 

某日

 届いたレトリカを読みながら、プラットフォーム以外何も残らない状態について考える。

 ある日youtubespotifyappleの類、配信プラットフォーム企業が一夜にして全て爆散するようなことがあったときに、そこにしかなかった録音物たちは、その時点でこの世では聴けない状態になるわけである。

 マスターデータさえあればいくらでも再アップロード可能なわけであるし、それは大した問題ではない、と考えることもできるし、一方で、だからこそレコードやCDみたいな、フィジカルな形で作品を残すべき、という話をする人もいるであろう。

 "音楽を聴くこともできる物体"としての録音メディアまでを作品とするのか、どんな形であれ誰かに聴かれた時点で、もうすでに作品として成立しているとするのか、自分はどっちなんだろう、としばらく考えたが、未だにはっきりと答えが出せないでいる。

 ライブでの体験共有もいいが、本質的には一人ミックスダウンされた音源を聴く行為が好きである。それなのに、その行為を自分はどのような形でするのが一番しっくりくるのか、はたまた、自分の作品がどのような形で聴かれるのが一番健康的なのかは、未だによくわからない。しばらくは考え続けないといけない。

 

12月某日

 トーフビーツリリパで年内イベント納め。

 先輩のトーフビーツと後輩のパソコン音楽クラブ、多大な影響を現在進行形で受けている二組と、こういった形で年末を迎えられるのは幸せである。やっていく上で直面する世知辛さみたいなものばかり目立ってくるが、やはり夢は広がりんぐしていると思わずにはいられない。音楽的にも、人間的にも、自分にはまだ改善の余地というか、伸びしろみたいなものがあるから頑張らないといけない。そういう気持ちが出てきただけでも、2018年は御の字ということにしたい。

 

 体重が10kg近く落ち、目に見えてやつれた夏から考えると、引っ越しも落ち着き、健やかに暮らしている風ではある。とはいえ、調子の悪さは否めない。そして、調子の悪さを盾にサボったり、大事なことをなあなあにしてしまっている自覚もあり、それが悩みの種でもある。

 「結局なんとかすんのは自分なんだよな、誰も助けてくんねえし…」などと考える日々であるが、いざ自分の人生を振り返ってみると、なるほど本当に困っている人を救った記憶などさっぱりないのである。情けなさすぎて笑えてくる。"情けは人の為ならず"、深い!

 

(年内に書くつもりが年を越してしまいました。2019年もよろしくお願いいたします。)

無題

 最近、音楽がらみの人の集まりに顔を出すたびに、「アルバムを作ってるんですよ」とか「アルバム出しますよ…平成のうちに…」などという話ばかりしている。 

 なんだかんだでだいたい毎日楽器を弾いたり曲を作ったりしているが、クライアントワークだったり、適当な暇つぶしだったりするので、ちゃんと気合を入れないとアルバム作業は一向に進まない。 

  そもそも、自分のような立場の人間は、まとまった音楽作品をリリースしなければならない道理などハナからないのである。そういう意味では、"平成のうちに"というのは口実として実にちょうどいい。アルバムは歩いてこない、だから歩いていくんだね……一日一歩、三日で三歩……。

 だいぶ内省って感じなので、周りは気にせず、のんびり春くらいに出せればと思います。

 

 

8月某日

 パソコン音楽クラブのアルバムのリリパ。行きの新幹線で、「音楽に対するハードルを下げたいというか、程度が低いものにしたい」と言う話を聞きながら東京へ。言いたいことは本当によくわかる。 

  「私は"わかってる"側の人間です」というスタンスを取り、ハリボテ、虚像の城を築いて人を集めることが最近のインターネットビジネスのトレンドっぽい感じもするが、にわか行為は見る人が見れば一瞬でバレてしまう。とはいえ、硬派にゴーイングマイ・ウェイするのみでも人が付いてこれないわけで、筋を通し、誠実さを保ちつつ、かつハードルを下げるというのは実に難しい。けったいなことを目指してるんやな…かわいそうに… 

  ついでに、「〇〇枚売れたらいいなと思う」という具体的な数字を聞く。その枚数が想像より多かったので、「おれらもついにそこまで来たか…」としみじみ。一方で、そもそも我々はクルーを組んでるわけでも、同じ事務所に属しているでもなく、"おれら"というのは変ではある。それでも"おれら"であるという感覚はどうしてもある。最近は、そのおれらのパイのデカさそのものが、少しずつ大きくなっている、そんな気がする。それはひとえにみんなの努力と実力である。パイの大きさそのまま、取り分をこねくり回しても仕方がないのである。パイはでかいほうがいいよな!知らんけど! 

  知らぬ間にブロガー、youtuberなどもある意味最適化が進んで、「作り込みより毎日更新」的な方向性がもはや常識になっている。とはいえ、まるで一つの正解があるような言い方をするようなやつは基本的にペテンである。最適化に乗り遅れた卑屈なおれたちは、めいめいのペースで作品を作っている。正解はいろいろあるはずだし、それでもやれることは周りの人達が身をもって証明してくれている。 

  オカダダさん、imaiさんというありそうでない組み合わせの2人にベラベラと言いたい話をしまくっている裏で、ステージには西山くんと柴田くんが上がっている。抑えきれない隠キャ成分とは裏腹に、やっている音楽への自信、矜恃はしっかりと感じられる。それを見るお客さん達は、心なしかいい顔をしているように見えた。 

  素晴らしい雰囲気のリリースパーティは柴田くんの間抜けな一本締めで幕を閉じる。ファミレスで雑に打ち上げをし、ラフに解散。改めてリリースおめでとうございます。

 

8月某日

 自分はメンタルが強い方だと思っていたが、完全に調子を崩してしまう。きっかけ一つ、人類総メンヘラ予備軍。明日は我が身。首の皮一枚、なんとかお盆休みまで漕ぎ着ける。

 長い盆をほとんど外に出ず、ひたすら曲を作って過ごす。休みさえあれば人間なんとかなるもので、だいぶ状況はマシに。困った時に本当に役に立つのは金と休日。悲しきかな、音楽は燃焼における酸素のようなもので、それ自体が燃料になることはない。 

  海へ行くなどというベタなこともした。意味がわからないくらい荒れていて笑ってしまったが、いい思い出である。

 

8月某日

 ナノボロフェスタに出演のため京都へ。興味あるバンドをバンドを何組か見ようと早めに会場へ。一発目にみたベランダのライブが想像より体温高めでテンションが上がってしまう。 

  京都にはいつだってホーム感を感じていたいが、なんせこの街は若者の入れ替わりが激しい。見渡す限り知らない人ばかりだし、もはや自分より10歳くらい下の人も多々いるわけである。はたから見た自分は「パソコンで音楽作ってるよくわからない人」だし気楽に行くか…と考えながら御池通を歩く。向こうから背の高い人が歩いてくるな、と思ったらチームDTMの先輩ことimaiさんであった。 

  楽屋でぼーっとしていると、自分の前の出番だった浪漫革命のメンバーに、「昔有村さんのバンドセットみましたよ」と言われる。「おお…あの志半ばの…お恥ずかしい限り…」と言う心持ち。折角なのでいいところを見せてやろうと意気込むも、悲しきかなおれがすることは、再生ボタンを押し、適当につまみをひねるだけである。にもかかわらず、不思議なことに、そんな行為にもその日の良し悪しというものが存在する。この日はおそらく良い方であった。 

  音楽をしていると、平均よりは不特定多数の人と喋る機会が多くなる。自分はだいぶ人当たりが良くなったな…としみじみ考えながら京都を後にする。 

 一方で、主催のモグラさんをはじめとする付き合いの長い人は、卑屈な若者でしかなかったかつての自分を知っているわけである。今も昔も変わらず良くしていただけるのはありがたい。

 

9月某日

 馴染みの服屋ことストラクト主催のイベントに出演。

 店長の原田さんとの出会いは数年前。年末のイベント出演を終え、心斎橋のコンビニの前でうんこ座りをして一人ポカリを飲んでいるときに急に話しかけられたのである。「なんかオシャレなアパレルの人が来たな…」と卑屈全開でいたく身構えてしまった記憶があり申し訳ない。今となってはストラクトで服を買い、ストラクトの靴を履き、定期的に一緒にサウナに行く。

  そんな彼主催のイベントは、周りの人たちの人柄そのままに実によい雰囲気であった。クラブ以外でやる音楽イベントも、クラブでやる音楽イベントもどちらも比べられない良さがあるので、是非みなさんお好きな方へ遊びに来てください。来年もまたやりましょう。

 

9月某日

 久しぶりの札幌。移動の時間潰しに小説でも買うかと思うも、空港の保安検査を経た後の空間にはベストセラーの類の本しか存在せず、なかなか読みたいものが見つからない。なんとか未読の名作を選び空へ。離陸するや否や眠ってしまい、目が覚めるとそこは新千歳であった。 

  割と震災の直後であったため、浮かれていてもいいのかという気持ちも片隅にありながら、ここのところの鬱々とした日々の反動で、新千歳から札幌へ向かう車内のなかの自分は、結果として完全に浮かれポンチであった。ここで、伊丹で購入した小説を読むことなく機内に置き去りにしてしまったことに気づく。南無三。 

  いったんすすきのに到着し、お茶でも買うかとコンビニに入る。見渡す限りまるで商品がない。そりゃそうだよな…

 地震から10日しか経っていないのに、コンビニの看板を見ると、当たり前に商品が並んでいるような気がしてしまう。自分の想像力とはその程度である。インターネットでなんでも俯瞰できているような気にさせられることが増えたが、現実の自分はこんなことですらも思いが至らない。

  思いが至らない人間の飯屋選びとは破滅そのもの、「サイゼか、マクドナルドか、ミスドか…」「ミスドで…」、気づけばもう札幌に住んでいないパーゴルと、札幌とは思えない三択からミスタードーナツを選択。募る話を消化。くだらない話をしていたようで、割と真面目な話でもあった気も。 

  札幌には年に一回くらいのペースで来ているため、moleの中川さんや、地元のDJのみなさん、そこに遊びにくるお客さんなど、もう顔なじみといった感じ。

 中川さんにいつか言われた「こういうのは久しぶりだから楽しいんですよ…」という言葉は何度でも思い出す。それは前向きな意味でもあり、同時にネガティブな意味もなきにしもあらずである。まあ結局、友達に会うのはいいよねという話でもある。働き出した今となっては、年に一回定期的に会う人なんていうのは、もはやよく会う側の人間であり、久しぶりなのかも怪しい。

 

9月某日

 残業を終え、会社から自転車で帰宅。7kmほどある道中で、突然大雨に降られてしまう。ボケがよと思いながらコンビニでもないかと周りを見渡すと、ちょうどイオンモールがあったので逃げ込むように中へ。 

  家にまっすぐ帰りたくない気持ちも相まって、雨宿りがてら映画を一本見る。郊外のレイトショーは本当に人が少ない。マーベル作品であるにもかかわらず、客はおれの他におっさん1人とカップル1組のみであった。 

  映画が終わり、外に出るも、当たり前のように雨が降りつづいている。イオンモールは映画館以外の施設は全て閉まっていて、傘を買うこともできない。まさに"なにかあるようでなにもない"やな…などと思いつつ、結局雨に打たれビショビショの帰路。 

 ふと「これは自分の人生みたいだな……」と考える。イオンモールに逃げ込んだところで、雨はやまない。問題を先送りにし、少し状況が悪くなる。そして、まあ映画面白かったしいいか、などと特に問題にもしていない。 

  よくわからないが、少し泣いてしまった。帰宅した家には誰もいない。

 

無題

 未だに"就職"したことについて聞かれることは多い。「現役大学生トラックメイカー」みたいな枕はいとも簡単にぶら下げられる。自分もそんな感じの扱いを受けた時期もあったが、そんなことより、興味があるのはその後の暮らしである。

 

 音楽としてる人としていない人、才能がある人ない人、アーティストと一般人、演者と客…….憧れの人は見上げてしまいがちで、あちら側、こちら側みたいな区分、越えられない段差があるようにも感じてしまいがちである。でも実際は、その間はなだらかな坂、グラデーションであるように感じる。そして、インターネットはその間のグラデーションに光をあてる。"一億総クリエイター時代"とも言われるが、インターネットはこちら側の人間を、あちら側へ連れていってくれる魔法ではない。ただ、インターネットやDTM(テクノロジーによる創作の民主化諸々)の力によって、グラデーションの途中にいることがわかっただけでも、自分はどうしても自由になったように感じる。そこにいてもいいし、少しずつ上に登ることを目指してもいい。

 

 そういう考えになったので、音楽辞める/辞めない、就職する/しない、散々聞かれたが、そもそもそういう質問は、しっくりこないのである。それぞれの事情を汲んだ上で、"こんな感じでやっていけばいいのでは"みたいな具体的な話をしてくれる人はそうそういない。人が教えてくれないことは、結局自分で考えるしかない。とにかく、健やかに生きるためには、自分の選択を肯定できるようにするしかない。

 

 予想外だったのは、自分が意外と仕事が好きなことである。勤務時間、いわゆる9時-17時を苦痛な時間として耐え忍び、それ以降のアフター5に人生をかけるんやと思っていた頃には思いもしなかった悩みが立ち上がる。「どちらにどれくらい時間と気力を割くか、能動的に選ばなければならない」のである。

  「会社で武功を挙げるために気力を振り絞り、家に帰って倒れるように寝る生活」と「窓際よろしく必要最低限の仕事のみをし、余力を残して趣味に没頭する生活」、両極端な設定の間の、ちょうどいいところにつまみを合わせる作業を、自分でしなければいけないのである。これは本当に難しい。自分はまだ正直うまくやれないので、うやむや、だましだましである。

 

6月某日

岡山、江ノ島というイレギュラーな土地でのダブルヘッダー。パソコン音楽クラブ西山と早めに岡山に到着するも、あてもないため適当に岡山城へ向かう。「おれたちの創作のトリガーは、知らない街をただ歩く、その時の感覚なんや」という話をしばしばしてくるパソコン音楽クラブのことを考えながら、岡山の街をちんたら歩く。「岡山、いい感じやな」「岡山、いい感じや」具体性ゼロ。

 道中、tofubeats氏の車にピックされ、ハードオフミスド、スタバというコースを辿ることに。見知らぬ街の、よく知るチェーン店で募る話を消化し、気づけばイベントのリハーサル時間を迎えていた。

 単独行動の柴田くんは一人で定食屋に行っていたよう。岡山くんだり、1人で飯食っただけで満足そうな柴田くんを眺めながら「そういえば、岡山城も後楽園も行ってないな…」などと考えていた自分がいたく小物に思えてしまった。

  岡山の人で出会った人たちはみな抜群におもしろく、そしてなんとなく自分の知らないバイブスを持っていて、ますます自分が小物に思えてくる。が、細かいことを考えている暇などなく、イベントが終わるや否や、江ノ島に移動である。

 

 目がさめるとそこは新横浜、この上ないスムーズさで導線上のスパへ行き束の間の回復。江ノ島に着いてからは浮かれすぎてあっという間。出演者それぞれ抜群によいアクト。立ち上がりの悪かった自分の小物さ加減に消沈。

  終演後にimaiさんらと中華を食う。ソロ活動に至るまでの話など聞きながら、おれもがんばろう…と決意を新たにするも、2日間横にならずに動いていた体はもうがんばれないようで、文字通り死体のように就寝。

  岡山、江ノ島とどちらも非常に良くしてもらってありがたい限り。怒涛のダブルヘッダー、死ぬほど楽しかったと同時に、色々自分に足りないものが浮き彫りになったようなきがして、考え込みながら帰路に着く。

 観光地であるため、平日朝の江ノ島はさっぱり人がおらず、「この感じは有給をとった今日しか味わえんやつやな……」と調子に乗ってしまう。しかし、江ノ電に乗り込むと、視界に入るは制服の高校生、勤め先へ向かうのであろう人々、談笑する老人たち。そちらは一転して、その土地の人の、日常の暮らしが広がっていた。おれはいわばノイズみたいなもんだな、と考えているうちに、藤沢駅に着いていた。腹が減っていたのか、外で売られていた鳩サブレが妙にうまそうに見えたので、我慢できずに買ってしまった。

 

6月某日

 そもそも立て込んでいた所にいろいろなことが重なり、月曜にしてクタクタな状態で会社へ。ちょうど会社に着いたところで、漫画の擬音みたいな音と共に、ものすごい揺れに襲われる。その瞬間に、なんというかいろんな集中の糸がすっかり切れてしまって、衝撃冷めやらぬまま、「ああ、おれはしばらくはがんばれないな」と感じてしまった。半日会社の復旧作業をしたのちに、おめおめ自宅へ。外で自転車を漕いでる分には驚くほど日常であるが、ひとたびスーパーなどに入るとその雰囲気は異様、非日常そのものであった。

 震源北摂、と聞いてなんとなく人ごとっぽい気分もあったが、帰ってテレビをつけると、次々と流れていくは自宅の周辺であった。テレビ越しに、ぐちゃぐちゃになった近所のツタヤの様子を眺める。

 夜、家にいてもなんとなく落ち着かないので、そのツタヤに併設されたスタバにでも行くか、とぶらっと外に出るが、当たり前のように閉店していて、情けない気持ちになる。さっきテレビでみたじゃないか、みんな大変なんやぞ……大たわけである自分は、音楽機材だけを床に下ろし、他はろくに片付けもせずにさっさと寝てしまった。

 

7月某日

 仕事で四国へ。帰ろうとしたところ、大雨で土讃線が運休になり、よくわからないまま振替輸送のバスやタクシーに揺られる。徳島は阿波池田、香川は坂出とたらい回しにされたが、結局その日のうちに土讃線は復旧せず、岡山に着くのが早くても23時であることを告げられる。

 どうせ帰れないなら、なかなか会えない人にでも会っておくかと小鉄くんを呼びつける。もやもやとした話をもやもやしたまま話せる友人は少ないので助かる。やるせない気持ちと、カプセルホテルの相性はよく、サウナに入ったり、コンビニにいったりしているうちに、結局眠れぬまま朝になってしまった。

 

7月某日

 友人の結婚式に出席。大学時代毎日のように一緒にいたが、今となっては会う機会も少ない。久しぶりに友人が集合する理由が、良い理由なのは気分がいい。友達にいいことがあると、やはりうれしい。

 

 新幹線の終電で京都駅に着き、近鉄電車に乗ろうとすると、「郡山での人身事故により遅延」といった掲示が目に入り、気が滅入ってしまう。クソがよ、もう帰れないのはこりごりや、と思いながら電車に乗り込みなんとか自宅へ。

  翌日、インターネットで"女子高生が自殺配信"みたいな文字列が。そのニュース記事、「近鉄線の郡山で…」といった文章が目に入った瞬間、えもいわれぬ衝撃に襲われる。あの人身事故はこれだったのか…、インターネットの話題、人身事故での遅延、2つのふわふわした情報が、急に現実とリンクして、めちゃくちゃに食らってしまった。人が死んでいるのに、こちらは電車が遅れた程度でクソがよと思ってしまっている。日々、現実感が薄まった状態で情報を摂取しすぎていることに急に自覚して、なんともビビってしまった。どう折り合いをつけていけばいいのか、いまだによくわからない。

 程度に差はあれ、誰にでも希死念慮みたいなものを感じることなんていくらでもある。自分も含め、周りの誰かが、悪い意味で、一歩踏み出してしまわないために、なにができるのか。油断していると、明日は我が身である。

 

----------------------------------------------------------------------

 仕事をしていると、音楽を聴く時間が圧倒的に減る。仕事中はもちろん、通勤は自転車であるし、なんといっても、自分で音楽を作っている間は、人の曲を聴くことができない。

  そんな状態で、ますますありがたみが増してくるのはサブスクリプションサービスで、iPhoneを開けば数秒で聴いたことない曲にアクセスできるわけで、それのおかげで、かろうじて、自分は新しい/知らない音楽を聴いている。

 

 せっかくなので、spotify上で、月ごとに、聴いている曲をプレイリストに突っ込んでいき、ある程度溜まったらその中から10曲選んで公開する、ということをはじめてみた。これが本当に楽しい。幸いにもspotifyはおれをアーティストとして認めてくれており、公式プレイリストとして、アーティストページから聴けるのもよい。リスナー然としながら、のんびりとアルバムを作っているが、リファレンスというか、自分の好きな空気感みたいなものを、人の力も借りながら、セルフセラピー的に理解していけたらよい。

無題

四月某日

 出張時、適当に入った定食屋に幽遊白書が置いてあり、暇つぶしにこれまた適当に数巻取って読む。幽遊白書を初めて読んだのは小学生のときで、それから大人になってからも何度か読み直しているが、いつ読んでも面白い。手に取ったのは終盤の、魔界統一トーナメントの話のところであった。

  「雷禅の死をきっかけに、穏やかに暮らしていた旧友たちが集まってきて、みんなめちゃくちゃ強い」という設定が自分はとても好きである。魔界統一を企てるヤバそうなやつらと同じくらい強いが、黙ってぼやぼやそこらへんで隠居してる、というやつらには妙に憧れてしまう。そいつらが出てきた理由が、「なんとなく幽助に共感したから」程度のものなのもよい。

 毎月のように東京に行き、音楽イベントに出まくっていた頃から比べると、今の自分の生活は相対的に隠居然としている。ひっそりと腕を磨き、友達に呼ばれてはひょっこり登場する。気質とは根深いもので、気づけばかつて憧れた設定を目指しているように思う。

 

4月某日

 漫画村のアクセス遮断云々のニュース。この手の話題に対してはセンシティブというか、うやむやにしたり、棚に上げたりしてはいけないなという気持ちがあるので、自分なりに都度かなりじっくりと考えるようにしている。

  オーバーラップするは去年アメリカに行ったときの記憶、"free the science"というスローガンの名の下に、論文のオープンアクセス化を目指す運動に結構食らってしまったことを思い出す。購読型の学術出版への問題提起というか、既得権益を全力で叩きに行く際のアメリカ感というか…ほぼエルゼビアへの悪口で笑ってしまった部分もあるが、論文投稿へかかるコストを下げ、それを誰でも読める環境で公開することと、厳正な査読により論文の質を担保することを両立する仕組みを作ることは難しいのである。頭脳で飯を食っている学者達でもゴールすら定まっておらず、ちゃんと声を上げ、気合いを入れて、まだ見ぬサスティナブルなシステムを試行錯誤しながら探して行くのである。いわんや音楽や漫画をや…

 エルゼビアが既得権益にしがみついて自然科学の発展の妨げになっているのはそうかもしれないが、一方でsci-hubは科学の発展に貢献しているからセーフになるとは言えない。ちょうどいい落とし所を探す道は険しい。

 Fleet Foxesのメンバーが「違法ダウンロードがおれを育てた」みたいなことを言っていた記憶もあるし、金がない野良の人間が割った論文で得た知識で、自然科学が前進する可能性だってある。そういうものへの接し方は? 自分はインターネットへ接し始めたタイミングでp2pの洗礼を受けた世代でもある。

 とにかく開き直ったり、うやむやにしたりするのが一番良くない。自分の棚上げ具合は日々反省していて、荒れに荒れたcluster Aのコメント欄を自戒も込めて何回も読み直しながら、次のアルバムではちゃんと自分の態度を示そうと、気合いを入れ直す日々である。

 

4月某日

 吉田凜音ちゃんのアルバム「SEVENTEEN」がリリースされる。凜音ちゃんは音楽的基礎体力が高いのか、ラップをやらせても、歌を歌わせても、高い打点でこなしてしまう。そんな方に曲が提供できる機会をいただいた。こちとら器用とは対極である。

  ラストを4小節と同メロだが半音衝突しまくる不吉なイントロ、ライブで歌が丸出しになったほうがおもろいやろとフィルターを思いっきりしめるセクション、ラップをするならブレイクスやろ!と唐突に大ネタをねじ込むなど、謎の意思を持った曲を投げてみる。するとmix担当だったのはillicit tsuboi氏、それを整えるどころか、オーバーラン気味にオタクの瘴気を増幅するような味付けを施して返してくれたのである。

 この体験、湧いて来るのは心からのリスペクト。プロの技術と精神性。中央に寄せるも、意思を持って外すのも技術があってこそ、ああ、こんな人がこの世界にはいるのかと自分の小ささみたいなものを感じてしまった。

 

4月某日

 神戸のエスニックなカレー屋に入店。店中に中村玉緒の写真が飾ってあり、そのうち一枚、中央のそれはまあまあなサイズであったため、ただならぬ雰囲気を感じてしまう。

  一般のメニューとは別に、目玉商品や限定メニューがわけられて準備されていることはよくあるが、その店は一般メニューとは別に、神戸ウォーカーかなにかの雑誌で特集された記事を、見開きそっくりそのままコピー、ラミネートしてメニューに使っていたのである。

  こんな横着あるのかと笑ってしまったが、冷静に考えると、プロがブツ撮りした立派な写真、美味しさを伝える魅力な文章、料理の名前、料金はちゃんと記されており、なにも問題はないどころか、むしろ最適なようにも思えてくる。

まんまとその商品を注文し、その雑誌の写真そっくりのプレートを食う。マレーシア現地感のある独特な味やな…と顔をあげると、うまそうに食っているは嫁の姿。気に入ったようである。

 横を見ると、羽生結弦選手が金メダルを取ったときの記事がでかでか貼ってある。当のオリンピックでの彼の演技をテレビで見た際、スケートの採点の仕組みなどさっぱり知らないが、結果を見るまでもなく、「彼はとんでもなく素晴らしい演技をしたのだな」ということを感じたことを思い出してしまった。この店の店主も、同じような気持ちになったのだろうか、それとも元々熱心なファンだったのだろうか。

 あとで調べると、神戸でペナン・マレーシアスナックをやっていたママが震災で店を失ってしまい、こちらに移転したとのこと。

 そのバイタリティと、圧倒的な演技をしてみなに感動を与えた羽生選手の記事を店に張り出す精神性が、妙にリンクしたような気持ちになってしまった。

 

5月某日

 大阪で結婚式。日頃の行いの良さが効いたのか、快晴でなにより。

  嫁が着たドレスは、嫁の母が結婚式できたウエディングドレスをリメイクしたもの。神戸、北野のアパートの一室で営まれているドレスの仕立て屋さんでお直しをしていただいたのである。

 数十年の休眠期間を経て日の目を見たドレス、自分が見ても「きれいに保存されている、素敵なドレスだな」くらいの解像度でしか接することができないが、リメイクした店主にはどうやら非常に興味深いものだったようで、生地がどうだ、仕立てが、縫い目がどうだ…と言った話を楽しそうにしていたのが印象的であった。あらゆるドレスに針を通し続けた人間の解像度を通じて、そんなテンションになるのならさぞ良いものなのだろう、とこちらもいい気持ちに。ウエディングドレスといういわばニッチなものを、一人ハンドメイドで作り続けているその人間が、オタク性というか、強いこだわりを持って好きなものに向き合い続けている側の人間であることが、服飾のことなどさっぱりわからない自分にも伝わってくる。自分も好きなものにはそうありたいと改めて強く思う。

  式が終わり帰宅した後に、そのドレスを持ってクリーニング屋へ。パーカーにジーパンの若者がいきなりウエディングドレスを持ってきたことに少々面食らった様子を見せながらも、一目見るやそれがリメイクものであることを察し、一目見るや、「また珍しいものを持ってきましたねえ」とでもいいそうなリアクション。こちらが事情を説明すると、保存状態がどうや、素材がどうやと言った話を嬉々としてしはじめた。服一つ、見る人が見るとその足取りが暴かれてしまう。こいつも"わかる側"の人間なのか…。

  とはいえ、特殊な洗濯物を急に持ち込んだこともあり、「後付けしたパーツ細かい素材の素性がわからないのでどうしたもんか」といった雰囲気に。やはりこの手の洗濯は一筋縄ではいかないのか、と思っていると、我々はドレスにお上品な洗濯タグが付いていることを発見したのである。

  それを着けたのはもちろん北野のドレス屋、リメイク時に追加したレースなどの素材の情報はご丁寧に全てそこに書いてあったのである。それを見たクリーニング屋、あとは任せてくださいといいそうな顔。「これなら大丈夫です、1ヶ月くらいかかりますけど」というので、この店なら大丈夫そうだと安心してクリーニングをお願いして帰路へ。

  ドレス屋が洗濯表記を追加しただけの話であるが、そこには「自分が手を加えた服を末永くきて欲しい」というはっきりとした意思がある。意思のある行為はわかる人には伝わるもので、それを手にしたクリーニング屋も、また「自分が手を加えた服を末永くきて欲しい」という気持ちのもと自分の仕事をするわけである。そんな意思の連鎖に強く感動してしまった。そこにあるのは好きなものへの愛と、技術である。愛と技術で社会貢献、なんて素晴らしい。自分も、愛と技術でなんらかの社会貢献ができればと思う。

  というか、自分は好きなものに対して饒舌になるやつには、勝手に親近感を持ってしまうだけなのかもしれないが。

無題

 ふと急に"電車男"のことを思い出した。めちゃくちゃ雑に言うと、あれは"どこの誰かも知らないやつを打算なくサポートし、喜び/悲しみを分かち合う"話と言える。あの話がフィクションかどうかはさておき、今日、「童貞のオタクが、酔っ払いに絡まれている伊東美咲似の美女を助けたことをキッカケに恋に落ち結ばれた」話をTwitterに書いたところで、嘘松呼ばわりされて即終了であろう。

  自分は音楽の作り方をGoogleに教えてもらったと言っても過言ではない。検索で得られた数多の知見の大半は、まさに"どこの誰かも知らないやつの打算なきサポート"である。その恩恵を授かった身として、そういったものを肯定していけたらなと思う。

  いいね、PV数やフォロワー数、はたまたVALUか、タイムバンクか、とにかく評価の尺度を定量化せんとする流れの一方で、"打算なきサポート"の価値は可視化されず、それをしたとしても結果のフィードバックも曖昧である。再生数数百回、大声でシンセサイザーの説明をする外国人は、極東の島国で音楽を作る日本人の役に立とうだなんて思ってもいないはずである。それでも、見返りを求めない人々のコンテンツを駆動力に、ゆるゆるした相互作用による、クラスタはぼんやりと立ち上がってくる。まさにソーシャル・ネットワーク、自分がSNSを好きなのもそういうところにあるのかもしれない。

 そんなことばかり考えてしまうのは、周りに対してのギブアンドテイクの偏り、受けた恩恵に対しての還元の小ささに決まりの悪さを感じていて、それから逃れたいが故のエゴなのかもしれない。綺麗事を言い、自分がいいねの魔力にほだされた承認欲求の豚であることを忘れてはいけない。

  とにかく、自分の音楽活動が、焼畑農業ではなく、土壌を耕すようなものになったらよい。

 

9月某日

 楽器演奏は生涯の楽しみ、管楽器の習得は定年後の楽しみとして、あえて挑戦せず残しておくつもりだったが、ヤマハからVENOVAなる謎の笛が発売されてしまい、早速手に入れてしまう。

 ソプラノサックスのリードが装着されたそれは、安価ながらも仕組みはリード楽器そのもの、本格派である。頑張って吹いてみるも、はじめは音が鳴らず、試行錯誤するうちに間抜けなブオオ…という音。逆上がりができた小学生くらいのテンション、いたく嬉しくなってしまうなど。

 ショートケーキのイチゴはいつ食うか問題、結局いつ食ったってうまい。

 

10月某日

 突然仕事で単身アメリカに一週間行くことになる。なにせ突然だったので、町内会のくじ引きで特賞を引き当てたような、慰安旅行然とした心持ち。

 目的は学会聴講であるが。就職してからというもの、大学院も含め7年、おれはなにをしていたんだ、もっと勉強しておけばよかったと後悔し続ける日々である。こうやって人は口うるさく「勉強はしておいたほうがいい」というおっさんになっていくのであろう。

 語学力不足からくる疎外感なのか、メリーランド州の郊外で、ふと「この街でおれを知ってるやつマジのガチで0人や…」と謎の虚無に襲われた以外は楽しかったです。

 

10月某日

 imaiさん主催のplaysetに出演。大学入学したての、前のめりで音楽を聴いていた頃にgroup_inouの『 _ 』が発売されたことはことはよく覚えていて、そのアルバムを作った人間のイベントに自分は呼ばれたりなどしているのは、やはり不思議な気持ちになる。ちなみに『 _ 』のライナーノーツに寄稿したのはアジカンゴッチ氏、DEDEさん、星野源。今振り返るとすごいメンツ。

 imaiさん自身は、ただシンプルに音楽が気に入ったからイベントに呼んだ、という特に打算などない感じを醸しており、それに対して音楽で応戦できるのは、非常にありがたいことである。会場がメトロだったこともあり、京都を離れたとは言えども片思い的なホーム感により割と生き生きとした1日で、久しぶりにあう友人もちらほら。

 会場に遊びに来てくれたかずおが、「有村くん、これ、結婚祝いなんで」と言いながら渡して来た500円玉はそのままバーカンでビールに替わってしまった。

 

12月某日

 minchanbaby氏と作った"イチゴの歌"が公開された。日本語ラップ界黎明期からの重要人物であるその男、自分とは年齢も雰囲気もかけ離れているのに、突然「曲を作りましょう」と連絡が来たときは流石に驚いてしまった。トラックを送って返ってきたそのライミングに再び驚かされることになる。

 別に酒を飲み交わしたわけでも、熱く語り合ったわけでもなく、簡単なやりとりのみで作った曲を聴きながら、音楽で共通のなにかが共有された感覚を覚え、「この人は信用できる、気があう人だな」と一方的に決めつけてしまった。

 メールボックスを開くとminchanbaby 氏より「またやりましょう」というメッセージが。2人で休日どこかに遊びに行くとか、そういったことは今後も起こりそうもない。起こらないけど気があうとは思っている。そういう関係性は乙である。しらんけど。

 

12月某日

 嫁と二人で神戸のカフェにいたところ、のし付きの結婚祝いをもって小走りで突撃してきた男ことtofubeats監修のもと、関西のものどもで電影少女の劇伴製作。突撃時に「お祝いの行為が本当に好きなんですよ」みたいなことを言っていた。もうすぐドラマも最終回、みんなでお祝いがてら打ち上げにでも行きましょう。

 お茶の間の代名詞ことテレビの影響力はやはり大きく、いろんな人から「見たよ!」と連絡が。ありがたい。

 ドラマを見ながら母が「あんたの作った曲がどれかは聴いたらわかるよ、親だからね」みたいなことを言っていた。それらの楽曲は全て実家のリビング脇の和室で作ったもの、あなたはずっと制作過程から聴き続けてるんだからそりゃわかるでしょうよという気持ち。とは言っても、もしかすると、本当にわかるのかもしれない。何事も人を見くびるのは本当に良くない。

  学生の頃、基本的に友達と音楽の話などする機会はあまりなく、だからといって音楽を作っていることを隠しているわけでもないので、「音楽作ってるの?聴かせてよ」とか「どんなのが好きなん?」とたまに聞かれるわけである。そういった時、適当にお茶を濁して済ませることが多かったが、それは心のどこかに「どうせ話たってあんたには分からんよ」みたいな気持ちがあったのだと思う。それはひどく傲慢というか、不誠実だったなといまになって思う。なにせ好きなものについての話、ちゃんと話せば、なんとなく伝わるのものはあるはず。あくまでこちらの姿勢の話、もしさっぱり届かなかったとしても、それは大して問題ではない。

 

12月某日

 Half Mile Beach Clubの山崎さんから連絡。EPを出す、"blue moon"という曲があるからリミックスしてくれ、とのこと。「おっ、青つながりですか、乙ですねえ…」と思いながら、彼らの作品のインディ・マナーに敬意を払いつつ制作開始。しばらくすると今度はEMCの江本さんから連絡。7インチ出す、"ライトブルー"という曲のリミックスをしてくれ、とのこと。「おっ、またまた青つながり、乙の連鎖ですねえ…」と思いながら制作。両人とも、イベントで一度共演したっきり会っていないが、またなにかしたいと思っていただけるのは嬉しいことで、それには精一杯答えようという気持ち。どちらも春に出ますのでよければきいてみてください。

 

1月某日

 ホテルシーという弁天町のホテルでマルチネのイベント。トマドくんと会うのも久しぶりだしな、と楽しみにな気持ちで会場へ。蓋を開けてみると、近ごろ考えていた嫌なことが一気に畳み掛けて来る、実に気分の悪い1日であった。

  床に広がるガラスの破片、血をボタボタ流しながら運び出される人、"旅の恥はかき捨て"なのだろうか?ミラーボールの代わりに回るは救急車のサイレン、事情聴取にきた警察官…不穏な空気で終わったイベント、締めのタイミングに運営側の人間から説明などは一切ないまま帰路に。

  次の日にツイッターを開くと、ホテル側の人間は、まるでイベントが大成功に終わったかのように、インターネットに楽しげな情報ばかり共有している。あくまで箱貸し、関係ありませんというスタンスでも、責任持ってプロデュースしますと言い切る訳でもない姿勢に悲しい気持ちに。まさにオルタナティブファクト、ポスト・トゥルースの時代…

 ブランディングもあるのだろう、トラブルを切り捨てて進むのはいいが、そのネガティヴキャンペーンを抱えてやっていかなければならないのは、出演した関西の演者らである。特になんのアナウンスも出す必要がないと思われる程度には、関西のトラックメイカーは取るに足らないものなのだろうか?

  関西でマルチネ関連のイベントなど行われる機会は非常に少ない。知り合いもいないその会場に、勇気を出して遊びに来た人がいたかもしれない。そんな人は次の機会があったら来てくれるのか?そしてその"次の機会"は誰が提供してくれるのか?

  先人が切り拓いた土壌、十二分なフックアップを受けながらも、自分の世代は関西に人が集まるシーンを作れていない。原因は、自分にかなりあるはずである。その結果がこの現状なのだとしたら…

  そんなことまで面倒みる道理はないと開き直るのは簡単であるが、その態度は最終的に自分に返ってくる。というか、こういう形でもう返ってきはじめているのかもしれない。悩みは晴れぬままである。

 

2月某日

 maxoとfoxkyが来日。maxoからサンクラにメッセージをもらったのは四年前、ずいぶんかかってしまったが、いわばpenpalみたいな関係性だった人間と会うのはいつだって嬉しい。フタツキくんに「アリムラはmaxoと友達になりたいんでしょ」と言われたときに、maxoは「We are already friends!」と言っていた。オタクの感覚は国境を越えるのか。ステッカーあげれなくてごめんね、またそのうち会うでしょう!

 

3月某日

 楽曲もアティテュードも大好きな、スロバキアのZ tapesというカセットレーベルのオーナーからDMが届く。少々のやり取りの後、過去のレーベルリリースを全部全部送りつけてきた。この男、こいつも打算なき側の人間・・・カセットでのリリースを、一過性のファッションではなく、インディペンデントにずっと続けているという事実から、そんなことはわかりきっているが。

 せっかくなので一番思い出深いコンピを探して再生。5年前の作品なことに驚愕。マスタリングの概念なき、音量もバイブスのとっちらかったこの作品を聴きながら、今年はこんなアルバムを作れたらいいなという気持ちに。

 作った音楽はどこかの誰かが聴く。スピードはゆっくりであるが、忘れた頃に何かがめぐりめぐって帰ってくる。それは幸せなことである。