無題

8月某日

 同い年の友人から「ワーホリに通った」との連絡が。このご時世にワーホリとはガッツがありますねえ・・・くらいの温度感で聞いていたが、「イギリスは倍率が高く、今年で年齢的に最後のチャンスだった」という話になったあたりでなんとも言えぬダメージを受けてしまった。ワーホリの年齢制限は30歳らしい。

 成人などがまさにそうであるが、基本的に、歳を取るとできることが増えていくのが当然のことだと捉えていた節があった。来年で20代が終わる。年齢を理由に何かができなくなるようなフェーズにきたのはある意味では事実である。自立し、収入が増え・・・と選択肢が増えていく一方であるように思えた人生、ついに無限に展開していたなにかがシュリンクしはじめるような感覚を覚えてしまった。拾いそびれたチャンスのことを積極的に考える必要もないが。

 

8月某日

 大阪府知事イソジン云々のニュース。ちょうど研究室に入ったタイミングとSTAP細胞での不正が重なったこともあり、”研究をするうえでの正しい手続き”みたいなものをやたら厳しく指導されたことを思い出す。

 世の中をよくするために、知恵を積んでいくというのは容易ではなく、その困難を成し遂げるために、自然科学の分野で練られた仕組みというのは、打算なき誠実さみたいなものをベースにした、地道かつ厳密なものでである。

 府のトップが「うそみたいなほんとの話をするが・・・」と語り始める姿を見てあっけにとられてしまうが、正直そんな人だらけである。あるはずのないショートカットをちらつかせるやりかた、そしてそのカウンターとしての、誠実でのろまなやり方。誠実なのろまが後ろ足で泥をかけられる様子はもう見飽きている。

 

8月某日

 コロナを踏まえてのイベント開催や出演への空気感があやふやで、いろいろと面倒になってしまって、9月末までは一切イベントに出ない旨を公言してしまった。新譜を出したのに、特に付随する稼働がない。制作のモチベーションも低い。

 おなじみのなにかはしなければいけないという謎の強迫観念に駆られ、謎のキャンプシリーズを開始することに決める。キャンプ道具を買い揃え、大阪近郊のキャンプ場を巡る。

 行き先を決め、そのイメージで曲を作る。曲ができたら出発。作った曲をSP404に突っ込み、カブを走らせる。テント諸々を設営し演奏動画を録画。余った時間はレベル1の料理を楽しみつつ、本を読んだりNetflixで動画見たり。帰宅したら動画を編集してその日のうちにYoutubeにアップ。

 最近流行りらしいキャンプ、脱SNS、デジタルデトックス、時間を忘れてスローライフ・・・みたいな目的を推す風潮もあるが、自分が始めたのはそれとは対極の、デジタルにまみれた孤独なRTAのようなものである。

 そもそも自分は、SNSにもデジタル機器にも、それ自身にネガティブな感覚をもったことはない。クソみたいなことをいうやつと距離をおきたいだけである。

 一方で、カブで山道を走る、夜に星空を見上げる、などのアウトドア行為のさなか「そう、これが人生なのだよ・・・」みたいな謎のスイッチがしばしば入ってしまうことも多く、そういったプリミティブな喜びを取りこぼしていたことにも気づいてしまった。

 

8月某日

 オカダダ氏seiho氏と久しぶりに遭遇。岡田さんには「真面目に考えすぎてるんじゃない」みたいなことを言われた。主にコロナウイルスに対して、言われずともこのころから真面目さの緩和が発生しはじめていたような気もする。一方でseihoさんには軽いノリで「今年はドキサマ(京都の山中でのキャンプ企画)やるしかないんじゃないですか」と言ってみたところ、後日本当に企画が走り始めていた。(無事台風で中止になりました)

 

8月某日

 中村佳穂氏がトマソンスタジオに来訪。氏の作品の馬力に当てられたトマソンメンバー、普段は腰が重いやつらもやってきていつもより賑やか。最近作っているデモなどを持ってきてくれたので、みんなで無責任に感想を言い合う。

 腰を据え、人を巻き込んで良いものを作ってやろうという佳穂さんのスタンスは、よくも悪くも器用になってしまい、時間的カロリーの低い手法(キャンプ動画や撮って出しのトマソンスタジオシリーズ、インスタの演奏動画など)ばかりを取ってしまっている自分への戒めにもなった。作業量や工数が見積もれるようなものは、厳密にいうと創作ではないと言い切ってしまってもまあ嘘ではない。コツでは人の心は動せないことを忘れてはいけない。

 

9月某日

 トマソンスタジオで申請していた文化庁「文化芸術活動の継続支援事業」のA-2の採用通知が届く。やってる内容的にいける確信を持って出したとはいえ、なんとなくちゃんとお墨付きをもらったような気分になり安心。

 

10月某日

 謎に制作仕事が集中し、ヒイコラ言っているうちにTTHWの収録。「俺は天才しか呼ばないから・・・」と豪語するtofubeats、だんだん人類みな天才なのでは?みたいな気持ちにすらなってきた一方で、身近な人間の中でも、セキトバは輪にかけて世の中の評価が全然追いついていないタイプの天才であると思っている。みんな彼のDJを一度見てみてください。そんな天才を苦しめて遊んでいる様子はぜひYoutubeでどうぞ。

 撮影を終え、みなの帰宅を確認し、録画データを整理し終わったタイミングで「もう今日はええやろ」と謎の諦念とともに寝落ち。目がさめると外は明るい。カブを走らせ、淀川を横目に「これが人生なんですよ・・・」と思いながらそのまま朝マック

 

10月某日

 ミツメの川辺くんと作った楽曲、"Swim"が配信開始。音楽を作り始めたときから知ってくれている人のうちの1人である彼に誘ってもらって、曲が作れたのはとてもうれしい。特に大げさではなく、一番好きな歌詞を書く人間のうちの一人です。言葉では説明できない、抽象的なもやを描き出すために言葉に向き合い続ける男。

 仕事として頼まれてやるのではなく、純粋に夏休みの自由工作的なスタンスで人と何か作るのは非常にレア。こんな風にできたのも、自分はなかなかめんどくさい人間なので、言わずもがなでわかってもらえる川辺氏の人徳のなせる技。もやを立ち上がらせるための音楽、作りたいですね。

 先日でていたインタビュー記事の"純増"のくだりはまさにといった内容で、口にするだけなら易しこの"純増"の精神こそが、自分の目指すべき姿勢である。純増とは言い換えると続けることといってしまってもよい。音楽を続けると裏音楽にいける。安直なコツやTipsを頼りに裏へいけることはない。

 

10月某日

 東梅田の喫茶店で友人と駄弁ったのちに帰路、日興ビルの前のバス停が目に入る。普通のバス停みたいな佇まいであるが、近鉄系列の長距離バスのためのものであり、南は熊本から北は山形までいけてしまう。

 このままどこかへ・・・などとありがちなことを考えつつ、別に実行することなく帰宅。自分は、真の意味で突拍子もない行動をした経験がおそらくない。どうせ行かないにしても、普段財布に入っているような金額で、本州上から下までいけてしまうということは時々思い出さないといけない。

 

10月某日

 東京に出て行く友達は増える一方である。トマソンスタジオをはじめとする自分のコミュニティを、いわゆる井の中の蛙ではなく、井戸のまま水位を大海と合わせたいとよく考える。地方での創作活動が、中央に対しての下部リーグとしてではなく、対等に意義のあるものになってほしいと願ってやまない。我々のような人種が、東京以外に暮らす意義を見いだせるようになると良い。とはいってもその意義を見いだすことに囚われ過ぎて、能力を持て余すのもよくないので、やはりすいすいと行き来できる世の中に戻っでほしいものである。

 そんなことを考えながらバツくんの送別会をするためにオオノ屋に集まるも、てるおさんと自分のふざけたオカルトトークに、シンメイが月刊ムーを定期購読しているという事実の判明というドラが乗り、わけのわからない陰謀論トークを本人不在の2階でしているうちに終わってしまった。

 後日、仕切りなおすために再度別の送別会が催されたが、そこでなぜか送り出されるはずのバツくんが参加費3000円を取られていて笑ってしまった。人間に貴賎なし。

 

10月某日

 漠然と引越しをしようと思っていたが、漠然としたまま更新時期を通過してしまった。溜まっている古いレトルト食品を全部食べたり、いらない服を捨てたり、少しずつ家のものをダンボールに詰めたりしているが、更新料を払った悔しさもあり、いまのところ具体的な引越し予定はない。