無題

 かつて、音楽を作りはじめたときに自分が思い描いていたアーティスト像というのは、いうなれば求道者的なものであった。ひたすら創作に向き合い、純度を高め、突き詰めた先に素晴らしいものを作り出す、と言ったような孤高のイメージであった。

 一方で、最近の自分のやっていることというと、人を集めて作った曲を聴きあったり、他人のライブセットにガヤを乗せたり、あげくの果てに群れるためにスタジオを作ったりなど、かつて思い描いていた"孤高の求道者"からするとほど遠い、当初の想定からすると不純に当たることばかりしている。

 こんなにも考えがかわるやつもいるのか、と少し笑ってしまうが、音楽を作り始めて10年、この変化は自分の中で大きなものである。かつての、他を突き放すような孤高への憧れは、そうはなれないとどこかで自覚していた、自分への卑屈さに繋がっていたようにも思える。自分が音楽でやりたかったのは感情のシェアみたいなもので、コミュニケーション的な成分を志向することは、決してワックなものではないと思い至るまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 大人になった、としてしまうのはいささか安直であるが、「コミュニケーションは好きだが人付き合いは苦手」と言う自分の気質にあったやり方がわかってきたと言う意味で、これを大きな成長と捉えたいと思う。

 そんなことを考えながら、作っている新しいEPに「in my own way」と言うタイトルをつけた。よくできた量産品より唯一無二のクソ、自分らしさをもとめ今日もDAWを開くのである…

 

4月某日

 イオンのランドセルのCM曲を制作。オンエアを見てみたい気持ちでしばらくの間なんとなくテレビを付けて生活してみたが、一向にエンカウントできず。後ほど友人から「テレビでやってたよ」と連絡が来たので、なんとなく安心してしまって、ひとときのテレビ生活は終わりを告げたのであった。

 

5月某日

 8月あたりまでバッチリ埋まっていたイベント出演予定はきれいさっぱり白紙になり、ミッツィー氏が新譜のリリパのために、頼んでもいないのに都内のハコをおさえてくれていたのだが、それも結局告知すらせぬままバラシになってしまった。

 せめて制作に専念しようと思っていたはずのゴールデンウィークであったが、相変わらずさっぱりやる気が出ず、外に出るわけにもいかないので、気の済むまで寝て、気が向いたら本を読むだけの日々。

 やたらめったら買う割に、自分はあまり本を読まない。エサ箱から適当に買ったレコードをがろくに聴かれることなく部屋に転がっているのと同じで、ベッドの周りに放置された本の殆どが未読である。

 何もせずに連休を終えるわけにはいかないが、一向に音楽を作る気になれないので、構想のみが1年放置されていたPV制作に取り掛かる。パンダがのそのそ動いている映像と、二足歩行のパンダとクマがダンスをしている謎素材を2万かけて購入。手を動かすには金を使うことである。

 相変わらずAEの全機能のうちの2割も把握していない自分の知識の範囲で、ギリギリ実現できる範囲での作業。アイディアを人に伝えて、ちゃんとした人に作って貰えばいいだけの話であるが、「自分でやることに意味があるのだよ…」と自らに言い聞かせながら2日間での突貫工事。

 所詮素人の遊びではあるが、習作として次作への肥やしにはなるとよい。

 

5月某日

 バツくんより配信スタジオを作ろうや、と連絡がくる。すぐに内見に行った物件に即決し、金を集め契約してしまうまで一週間ほど。よく言えばまさにトントン拍子、しかしながらコロナ禍でのフラストレーションでやけくそになり、判断が雑になっていただけの可能性は否めず。

 よく考える前に金を払って物件を手に入れてしまったわけであるが、細かい不安よりも久しぶりにした能動的アクションからの射幸心がはるかに上回っており、ほかにすることもないのでしばらくはスタジオ作りに打ち込む日々が続くわけである。

 しばらく名無しの状態が続いた弊スタジオ、赤瀬川原平らの超芸術トマソンから概念を拝借し、トマソンスタジオと名付けた。なんとなく気が抜けているが、クリエイティブへの姿勢みたいなものはしっかりと感じられるので、なかなかに気に入っている。

 

5月某日

 MU2020の出演オファー。進行形のスタジオ作りで得たポジティブな感じと、こういう時ってより音楽が胸に響くよね的なフィールをなんとなく配信に乗せれたらな、と考えながらセットを組む。らしおくんやsiroPdに映像面をサポートしてもらいつつ、チームでライブ作品を作り上げるみたいな感覚は、基本1人で活動していた自分にとっては新鮮な感覚であった。

 過去に自分が作った曲、自分が作った(作ってもらった)映像作品、音楽を通じてできた友達、活動を通して得た経験、自分の曲をよいと思って聴いてくれていた人など、これまで積んできたものがよい形で出たように思う。音楽は楽しいし、自分が音楽から得たものは大きい。こんな時であるから、自分のいまの前向きな気持ちが、少しでも人に伝わっていたらと願ってやまない。

 

5月某日

 ラウンジネオ閉店に際しての配信最終日。まさかラストイベントを、自室からの配信で支えることになるなど予想できるはずもなく、世の中はほんとわからんなという気持ち。

 MU2020がチーム戦であったのとは対照的に、こちらは個人で感謝の気持ちを伝えようみたいなセット。

 2014年、特に実績のない自分(前日の京都で出演したイベントには客が片手で数えられるくらいしかいなかった)をバイブス登用していただいた初回以来、欠かすことなく出演させていただいていたラウンジネオの周年イベント、それ以外にもたくさんの思い出があり感傷的にもなってしまう。

 オーセンティックなクラブ像とは少し違う、ライブ然としてアクトごとにガッツリ盛り上がるような"ネオっぽさ"を懐かしみたいところであったが、もはやずいぶん長いことクラブそのものにすら行っていない。

 画面の向こうでセイメイとタイメイがメガミックスめいたプレイをしている。振り返れるのは、積まれた思い出の分だけである。しかしながらデジャヴめいた光景…もはや走馬灯のように思えてくる。6年分を思い返すには、一晩は短い。まして現場にいるわけではなく自室に自分1人である。寂しくなってしまったうえ、少し酔っていたので、とっとと寝てしまった。

 

6月某日

 Potluck Labのテレワーク回をトマソンスタジオより配信。イベントをはじめて一年たったらしく、こちらもまた感慨深いものである。一緒にやってる太郎と、参加者の皆様には改めて感謝。

 イベントを通じて100人弱の人と知り合い、ほぼ毎回参加者人数分の曲を聴いてきたわけであるが、当然のようにみんなてんでバラバラな内容である。バラバラなことを前提に理解しようと努めんとする姿勢は、より大きな問題を考える基礎みたいなものになってほしいものである。

 嗜好をして人となりを語らしむ、ましてや創作物をや…毎回参加してくれる人たちのことがまた少しわかった気になってしまうが、一方でその大半は本名も年齢も知らない(能動的に知らないようにしているわけではない)。それが楽しくてやっている。これもまた自分の嗜好である。

 

 

 

 

 もともとは消極的な理由で始めたPotluck Labの配信により抵抗なく配信中心の活動にシフトできたし、もともとは現場での活動の記録をするために身につけた動画編集がコロナ禍での近況報告に生きている。自分の過去の行いに救われるような経験が増えてきたように思える。自分がしたいのは燃え尽きるようなものではなく、末長く続けられるような音楽活動であるし、千里の道も一歩から的な精神で、少しでも未来の自分の役に立つことをしたいもんですね、知らんけど。

 

 リアル会場でのリリースイベントが消滅した上、スタジオ作りにうつつを抜かしていると一生新譜が出ない気がしてきたので、自分の誕生日である7/26にリリースすることにします。6曲入りです。

 とりあえずデジタルリリース(+物好き用に非流通のCD)、プレスの関係で遅れますがアナログレコード版も追って300枚限定で発売します。がんばります、何卒!