無題

 ふと急に"電車男"のことを思い出した。めちゃくちゃ雑に言うと、あれは"どこの誰かも知らないやつを打算なくサポートし、喜び/悲しみを分かち合う"話と言える。あの話がフィクションかどうかはさておき、今日、「童貞のオタクが、酔っ払いに絡まれている伊東美咲似の美女を助けたことをキッカケに恋に落ち結ばれた」話をTwitterに書いたところで、嘘松呼ばわりされて即終了であろう。

  自分は音楽の作り方をGoogleに教えてもらったと言っても過言ではない。検索で得られた数多の知見の大半は、まさに"どこの誰かも知らないやつの打算なきサポート"である。その恩恵を授かった身として、そういったものを肯定していけたらなと思う。

  いいね、PV数やフォロワー数、はたまたVALUか、タイムバンクか、とにかく評価の尺度を定量化せんとする流れの一方で、"打算なきサポート"の価値は可視化されず、それをしたとしても結果のフィードバックも曖昧である。再生数数百回、大声でシンセサイザーの説明をする外国人は、極東の島国で音楽を作る日本人の役に立とうだなんて思ってもいないはずである。それでも、見返りを求めない人々のコンテンツを駆動力に、ゆるゆるした相互作用による、クラスタはぼんやりと立ち上がってくる。まさにソーシャル・ネットワーク、自分がSNSを好きなのもそういうところにあるのかもしれない。

 そんなことばかり考えてしまうのは、周りに対してのギブアンドテイクの偏り、受けた恩恵に対しての還元の小ささに決まりの悪さを感じていて、それから逃れたいが故のエゴなのかもしれない。綺麗事を言い、自分がいいねの魔力にほだされた承認欲求の豚であることを忘れてはいけない。

  とにかく、自分の音楽活動が、焼畑農業ではなく、土壌を耕すようなものになったらよい。

 

9月某日

 楽器演奏は生涯の楽しみ、管楽器の習得は定年後の楽しみとして、あえて挑戦せず残しておくつもりだったが、ヤマハからVENOVAなる謎の笛が発売されてしまい、早速手に入れてしまう。

 ソプラノサックスのリードが装着されたそれは、安価ながらも仕組みはリード楽器そのもの、本格派である。頑張って吹いてみるも、はじめは音が鳴らず、試行錯誤するうちに間抜けなブオオ…という音。逆上がりができた小学生くらいのテンション、いたく嬉しくなってしまうなど。

 ショートケーキのイチゴはいつ食うか問題、結局いつ食ったってうまい。

 

10月某日

 突然仕事で単身アメリカに一週間行くことになる。なにせ突然だったので、町内会のくじ引きで特賞を引き当てたような、慰安旅行然とした心持ち。

 目的は学会聴講であるが。就職してからというもの、大学院も含め7年、おれはなにをしていたんだ、もっと勉強しておけばよかったと後悔し続ける日々である。こうやって人は口うるさく「勉強はしておいたほうがいい」というおっさんになっていくのであろう。

 語学力不足からくる疎外感なのか、メリーランド州の郊外で、ふと「この街でおれを知ってるやつマジのガチで0人や…」と謎の虚無に襲われた以外は楽しかったです。

 

10月某日

 imaiさん主催のplaysetに出演。大学入学したての、前のめりで音楽を聴いていた頃にgroup_inouの『 _ 』が発売されたことはことはよく覚えていて、そのアルバムを作った人間のイベントに自分は呼ばれたりなどしているのは、やはり不思議な気持ちになる。ちなみに『 _ 』のライナーノーツに寄稿したのはアジカンゴッチ氏、DEDEさん、星野源。今振り返るとすごいメンツ。

 imaiさん自身は、ただシンプルに音楽が気に入ったからイベントに呼んだ、という特に打算などない感じを醸しており、それに対して音楽で応戦できるのは、非常にありがたいことである。会場がメトロだったこともあり、京都を離れたとは言えども片思い的なホーム感により割と生き生きとした1日で、久しぶりにあう友人もちらほら。

 会場に遊びに来てくれたかずおが、「有村くん、これ、結婚祝いなんで」と言いながら渡して来た500円玉はそのままバーカンでビールに替わってしまった。

 

12月某日

 minchanbaby氏と作った"イチゴの歌"が公開された。日本語ラップ界黎明期からの重要人物であるその男、自分とは年齢も雰囲気もかけ離れているのに、突然「曲を作りましょう」と連絡が来たときは流石に驚いてしまった。トラックを送って返ってきたそのライミングに再び驚かされることになる。

 別に酒を飲み交わしたわけでも、熱く語り合ったわけでもなく、簡単なやりとりのみで作った曲を聴きながら、音楽で共通のなにかが共有された感覚を覚え、「この人は信用できる、気があう人だな」と一方的に決めつけてしまった。

 メールボックスを開くとminchanbaby 氏より「またやりましょう」というメッセージが。2人で休日どこかに遊びに行くとか、そういったことは今後も起こりそうもない。起こらないけど気があうとは思っている。そういう関係性は乙である。しらんけど。

 

12月某日

 嫁と二人で神戸のカフェにいたところ、のし付きの結婚祝いをもって小走りで突撃してきた男ことtofubeats監修のもと、関西のものどもで電影少女の劇伴製作。突撃時に「お祝いの行為が本当に好きなんですよ」みたいなことを言っていた。もうすぐドラマも最終回、みんなでお祝いがてら打ち上げにでも行きましょう。

 お茶の間の代名詞ことテレビの影響力はやはり大きく、いろんな人から「見たよ!」と連絡が。ありがたい。

 ドラマを見ながら母が「あんたの作った曲がどれかは聴いたらわかるよ、親だからね」みたいなことを言っていた。それらの楽曲は全て実家のリビング脇の和室で作ったもの、あなたはずっと制作過程から聴き続けてるんだからそりゃわかるでしょうよという気持ち。とは言っても、もしかすると、本当にわかるのかもしれない。何事も人を見くびるのは本当に良くない。

  学生の頃、基本的に友達と音楽の話などする機会はあまりなく、だからといって音楽を作っていることを隠しているわけでもないので、「音楽作ってるの?聴かせてよ」とか「どんなのが好きなん?」とたまに聞かれるわけである。そういった時、適当にお茶を濁して済ませることが多かったが、それは心のどこかに「どうせ話たってあんたには分からんよ」みたいな気持ちがあったのだと思う。それはひどく傲慢というか、不誠実だったなといまになって思う。なにせ好きなものについての話、ちゃんと話せば、なんとなく伝わるのものはあるはず。あくまでこちらの姿勢の話、もしさっぱり届かなかったとしても、それは大して問題ではない。

 

12月某日

 Half Mile Beach Clubの山崎さんから連絡。EPを出す、"blue moon"という曲があるからリミックスしてくれ、とのこと。「おっ、青つながりですか、乙ですねえ…」と思いながら、彼らの作品のインディ・マナーに敬意を払いつつ制作開始。しばらくすると今度はEMCの江本さんから連絡。7インチ出す、"ライトブルー"という曲のリミックスをしてくれ、とのこと。「おっ、またまた青つながり、乙の連鎖ですねえ…」と思いながら制作。両人とも、イベントで一度共演したっきり会っていないが、またなにかしたいと思っていただけるのは嬉しいことで、それには精一杯答えようという気持ち。どちらも春に出ますのでよければきいてみてください。

 

1月某日

 ホテルシーという弁天町のホテルでマルチネのイベント。トマドくんと会うのも久しぶりだしな、と楽しみにな気持ちで会場へ。蓋を開けてみると、近ごろ考えていた嫌なことが一気に畳み掛けて来る、実に気分の悪い1日であった。

  床に広がるガラスの破片、血をボタボタ流しながら運び出される人、"旅の恥はかき捨て"なのだろうか?ミラーボールの代わりに回るは救急車のサイレン、事情聴取にきた警察官…不穏な空気で終わったイベント、締めのタイミングに運営側の人間から説明などは一切ないまま帰路に。

  次の日にツイッターを開くと、ホテル側の人間は、まるでイベントが大成功に終わったかのように、インターネットに楽しげな情報ばかり共有している。あくまで箱貸し、関係ありませんというスタンスでも、責任持ってプロデュースしますと言い切る訳でもない姿勢に悲しい気持ちに。まさにオルタナティブファクト、ポスト・トゥルースの時代…

 ブランディングもあるのだろう、トラブルを切り捨てて進むのはいいが、そのネガティヴキャンペーンを抱えてやっていかなければならないのは、出演した関西の演者らである。特になんのアナウンスも出す必要がないと思われる程度には、関西のトラックメイカーは取るに足らないものなのだろうか?

  関西でマルチネ関連のイベントなど行われる機会は非常に少ない。知り合いもいないその会場に、勇気を出して遊びに来た人がいたかもしれない。そんな人は次の機会があったら来てくれるのか?そしてその"次の機会"は誰が提供してくれるのか?

  先人が切り拓いた土壌、十二分なフックアップを受けながらも、自分の世代は関西に人が集まるシーンを作れていない。原因は、自分にかなりあるはずである。その結果がこの現状なのだとしたら…

  そんなことまで面倒みる道理はないと開き直るのは簡単であるが、その態度は最終的に自分に返ってくる。というか、こういう形でもう返ってきはじめているのかもしれない。悩みは晴れぬままである。

 

2月某日

 maxoとfoxkyが来日。maxoからサンクラにメッセージをもらったのは四年前、ずいぶんかかってしまったが、いわばpenpalみたいな関係性だった人間と会うのはいつだって嬉しい。フタツキくんに「アリムラはmaxoと友達になりたいんでしょ」と言われたときに、maxoは「We are already friends!」と言っていた。オタクの感覚は国境を越えるのか。ステッカーあげれなくてごめんね、またそのうち会うでしょう!

 

3月某日

 楽曲もアティテュードも大好きな、スロバキアのZ tapesというカセットレーベルのオーナーからDMが届く。少々のやり取りの後、過去のレーベルリリースを全部全部送りつけてきた。この男、こいつも打算なき側の人間・・・カセットでのリリースを、一過性のファッションではなく、インディペンデントにずっと続けているという事実から、そんなことはわかりきっているが。

 せっかくなので一番思い出深いコンピを探して再生。5年前の作品なことに驚愕。マスタリングの概念なき、音量もバイブスのとっちらかったこの作品を聴きながら、今年はこんなアルバムを作れたらいいなという気持ちに。

 作った音楽はどこかの誰かが聴く。スピードはゆっくりであるが、忘れた頃に何かがめぐりめぐって帰ってくる。それは幸せなことである。