日記5

7/4

 朝イチで西京都病院へ。痛みが治まらない旨を告げCTスキャンによる検査。横になるやいなや装置から「ラクニシテクダサイ」などという声。テレビで見るようないかにもな装置が行ったり来たりしているのを眺めながら、コックピットに乗り込むよりも鉄人28号方式の外部操縦のほうがアガるんだよな・・・などと考えているうちに撮影は終わっていた。

 胸膜の痛みのある部位にぽっこりとなにかできもののようなものが写っている。医者曰く「こんなとこにできるのはあまり見たことがありませんね・・・」。症状の軽い重いに関わらず、わかりやすい、説明の容易な病気であって欲しいという希望はここで打ち砕かれた。

 紹介状が書かれそのまま桂病院へ。デカい病院特有のあほみたいな待ち時間によりすべてが終わる頃には夕方に。あまり見たことがないケース。そこまで悪いものではないと思われる、一ヶ月様子を見て改善が見られなければ外科的な処置、とのこと。

 

 そのまま研究室に行くと、なぜか先輩に居酒屋チェーンに連れて行かれる流れに。健康のため一滴も酒を飲むことなく解散し、そのまま阪急電車に乗り込み実家へ。

 

7/4

 免許の更新に行くつもりであったが、土曜日は休みなことを知りすることがなくなる。親に病気の一連の顛末を説明し、なんとなく外へ。西宮は好きな街だが、6年住んだとはいえそこまでの地元意識もない。このあたりは高級住宅街が近いということもあり、「金はあるがセンスはない」を地で行く人間が多いように感じる。思考停止してベンツを転がしているような金持ちを小馬鹿にする庶民。本当の幸せとは。

 父が安くて美味い焼肉屋がある、というのでわざわざ40分ほど歩きその店へ。確かに安くてうまかった。

 去年、ずっと働いていた会社を定年間近でやめた時はむしろすがすがしい表情をしていた父も、新しい仕事をすぐやめてしまったことに関してはどうもきまりが悪そうであり、そのことについて触れるとなにげなく話を逸らされてしまった。

 帰路、西宮神社を通る。初詣や十日戎のイメージが強かったので、人がまるでいないのは新鮮で、ずいぶんと広く感じた。閑散とした雰囲気。いい場所である。

 

7/5

 今日こそと伊丹の免許更新センターへ。社会的地位や年齢にあまりフィルターのかかっていない市民集団が見られる貴重な機会であった。

 京都へ向かう電車の中でいろいろなことを考える。えらく老けたように感じる両親のこと、もうあまり日が残されていない院試のこと、健康のこと。いかんせんセンチメンタルな気分になるには胸が痛すぎる。京都へ着いたころ、ちょうど雨が降り出した。家に着いて、気がついたら寝てしまった。

 

 ここ数日、目をさますたびに、寝る前より痛くなっていたらどうしようという不安を感じる。症状が悪化していくことは手術へ向かっていることを意味している。健康とは安心なのか・・・

 くだらないトラックを作りアップしようとsoundcloudを開くと、ありがたいメッセージが届いていた。私生活を大事にしよう。いい生活抜きにして、いい音楽は無理だよね・・・病気云々のこととは関係ない話だったのに、胸に刺さる内容だった。文章には人柄がにじみ出る。やさしいやつになりたい、やさしいやつは最高。