無題

 

 最近会う人会う人にプライスレスを連呼するプライスレスおじさんと化しているので、なぜそうなったのかの記録として、公開する気のなかった日記を、普段に増して輪にかけて都合よくエディットして公開します。私が日記を書くのが好きな理由もプライスレス理論(資本で代替不可能なものを愛していきましょうというだけの話)で簡単に説明できます。私の生活でおこったことや、それについて考えたことは資本で代替不可能なのでプライスレス、よって自分の日記もまたプライスレスであるからです。一般化されたライフハック記事よりも友人の代わり映えのしない近況報告の方が聞きたいのも、後者がプライスレスだからです。

 

某日

 電工二種の実技試験。コンビニで鉛筆やらを買い、自転車で会場に向かう。日常のあまりの低刺激さに、もはや人がたくさんいる様子を見るだけでテンションが上がってしまった。

 大教室の長机の指定された位置に着席。リフレインするは学生時代。支給された材料の箱を開けるとアウトレットボックスとPF管が入っており、お、珍しいものが来ましたね、みたいな気持ちになるが、別に問題で難易度に差があるわけでもなく、Youtubeで学んだ通りに施工して無事終了。独学天国である今の環境に感謝。

 試験を終え自転車を取りに行くと、高校生が父親らしき人に「時間が足りなかった、あと5分あればいけた」とがっくりとした顔で報告していた。昨今は"エンジニア"というと説明なしではフロントエンド?バックエンド?と聞き返されてしまうくらいIT(ないしはweb)寄りの世の中ですが、いつだってものづくりを志向する若者の未来を応援したい気持ちであるし、自分自身もまだものづくりを志向する若者である。

 

某日

 放置していたラズパイでLED時計を作成。温度センサDHT22の精度に感動。電工2種の試験の練習で余りまくったリングスリーブで電源を結線したせいで配線の取り回しが悪い。木枠をつけてテレビの上に設置。自分の作った時計が元気に動いているのを見るのは気分が良い。"自分の描いた絵を自宅に飾る"的行為より大事なことなんて世の中にはほとんどない。

 人生での”換金され得ないもの”を考えると、プライスレス領域のベースは自分、次に家族、続いて友人恋人もろもろの人間関係である。といっても自身以外は基本的に他者で制御不能である。それでは市井の人が換金されない領域を能動的に手にするためにできることは?と考えたときに、大げさではなく創作以外のことがあまり思いつかない。

 創作というと大層であるが、大した話ではない。大量生産された工業製品であるフェンダーのギターは換金可能であるが、買うまでが資本の役目であり、それを自らの手で弾いた時点でプライスレスである。コンビニは消費の爆心地であるが、これとこれを一緒に食ったらうめえだろうなと考えた時点でそれはプライスレスである。

 

某日

 30歳の誕生日。子曰わく、三十にして立つ。おれは立っているのか?

 

某日

 オリンピックが開催される。会社のパソコンにあえて貼ったままにしていたTOKYO2020のステッカーも、どこかきまりが悪くなりはがしてしまった。

 

某日

 テレビをつけるとスケボーの中継。意図せずに目に飛び込んできた楽しそうな選手たちの様子に感動を覚えてしまう。ストリートカルチャーに端を欲したスケートボードは当然のように定量化できない価値に重きを置く。スポーツの価値は競技的な順位が全てではない、そんなことは言うまでもないが、そもそも採点不能なものを、相互にリスペクトできるのは積み上げてきたカルチャーの賜物である。

 いい機会なので、値段が高いと言う理由だけで長らく読まずにいた”スケートボーディング、空間、都市―身体と建築”を買って読む。典型的な、書いてありそうなことが全部書いてある(いい意味で、途中で読むのをやめても問題がないとすら思えた)本であった。人を住まわせて金を稼ぐための市営住宅プロジェクトが生んだ退屈な建築物は、スケボーを持ってすればクリエイティブの対象である。要するに”おもんないアニメなんてない、おもんないのはおまえだけ”(言い出したのが誰かは知らん)、”目に映る全てのものがメッセージ”の精神である。

 スケートボーディングは犯罪か否かを論じることは、音楽のサンプリングと非常によく似ている。リスニングの対象であり、完成物であるはずの音源は、サンプラーを持ってすれば、新しい音楽を生み出すための文字通りの素材である。これは都市とスケーターの関係のミラーである。そしてスケボーは公共物に傷をつけ、サンプリングは著作権を侵す。音楽制作者としての自分は、要するにストリートで学んだが、いまはパークでしか滑らないスケーターである。

 

某日

 RTA JAPANの配信を視聴。RTAを好きな理由は、言うまでもなくそれがスケートボーディングであるからである。ロール・プレイング・ゲームいうところのロールなんてものは無視し、バグとともに裸でラストダンジョンに到達するリンク(BoWのリンクは奇遇にも文字通りのスケボー行為もする)の動きは、そのゲームを深く知り尽くしたもののみが獲得できる。一方でその遊び方は本来意図されていない。時短のために女の子のフラグを折り続け、近所の公園にしかデートに行かないときめきメモリアルにはときめきもメモリーもないが、ようするにゴン攻めで、リスペクトの対象である。

 結局自分は単純な消費でなく創作的行為を伴うものが好きなのである。なぜ創作行為を重視するかと言うと、それが資本で代替不可能だからである。

 RTA的なものに対して、野暮な人が抱く疑問はほぼ決まっていて「何の意味があるんですか?」と言った類のものである。そういったときに往々として話が噛み合わない大体の理由は、そういった質問での”意味”の指すところが資本価値だからであり、その観点からはRTA側の追い求めるおもろさを捉えることはできない。

 資本主義とは乱暴に言うと定量化であり、定量化の目的は比較のためである。お前の年収は?フォロワー数は?再生数は?RTAというのは時間を競っているわけであるが、”競技化”もあくまでハックの一環であり、定量化の皮を被ったプライスレスである。ときめきメモリアルをゴン攻めできるできるということはひたすらに文化的な行為である。価値を転覆させ、自分基準の価値を創出する。資本の方向に実数軸が伸びているなら複素数空間に行け!虚数は存在しないというやつに中指を立てろ!おもんないゲームなんてない、おもんないのはおまえだけ!

 

某日

 takawo氏の "generativemasks"というNFTアートのプロジェクトが旋風を巻き起こす様子を目の当たりにする。takawa氏の志向を雑にまとめると、日々の創作の意義と楽しさの周知、そしてコミュニティの発展である。口で言うのは簡単で、ありきたりであるようにも思えるが、この一朝一夕では成し得ない目標に対して、果てしなく長いスパンで一歩ずつ実践している人というのは希少である。「単価うん十万円の案件を獲得するためにプログラミングを学びましょう!」と「日々を美しくするためにコードを書きましょう!」は並走するが、代替不可能なのは後者。

 プライスレス志向の人間のプライスレス行為がプライスビックバンを起こし、またプライスレスに収斂していく(無理矢理させる?)様は大変だろうが爽快でもある。自分が太郎とやっているDTMワークショップpotluck labにも毎回参加していただいているが、それは単純に音楽制作への興味は前提として、自分らの活動や考え方への賛同の姿勢であると受け取っており、プライスレス軍団の一員としてまた我々もプライスレス還元をしなければならない。

 takawo氏の件に限らず、NFTアートというのはここ最近では珍しいインターネットでの夢が広がりんぐ案件であるとみることもできるが、一方で投機的な資本主義ネクストミュータントとしての側面もあり、そもそもアーティストサイドのメリットがあまりにないようにも思えてしまう。ブロックチェーンがチェーンであり、インターネットがネットでありウェブである、すなわち繋がり伝搬する美味しい部分が、資本を持ってのみオーバーヒートする投機成分の邪悪パワーに負けないことを願う。

 

某日

 ニンジャドリンクスワインの訃報。FOGPAK初期、INNITなど自分がクラブに出はじめたころにできた友人知人に対しては独特の感情がありかなりのキツさ。”自分経由の感染で人が死ぬかもしれない”の「かもしれない」に対しての無自覚さを思い知らされる。なにをどう天秤にかけても自分がいまクラブに出演する理由が見当たらない。

 当時の周辺人物で「音楽で食う」と明言していた中の一人が彼である。思い返すと、あの頃から音楽で食うと言っていた人はなるほど確かにほぼ全員音楽で食っている。昔の自分がいかに何も考えていなかったかがわかる。

 

某日

 フジロックが開催されるにあたって、各ミュージシャンが参加に際して立て続けに声明を出していたが、のるにもそるにもその大半の真意をあまりよく理解ができず。そんな自分は会社に出社しろと命じられた日はのこのこと出社をするわけである。

 音楽を作る、演奏をすると言う行為は、そもそも資本に代替不可なオンリーワンな価値を生み出す営みであるから、本質的にはプライスレスである。と同時に、感情に作用するという根本の性質と、(録音物であれば)複製が容易である、大人数での同時視聴が可能であるなどのおまけによって換金にも向く。

 ミュージシャンは左寄りだから・・・みたいなものも、ただ音楽の本質的なプライスレス性が資本や権力の右向きの重力の外側にあるというだけで、音楽で暮らす専業ミュージシャンは資本の重力場の上に立っている。ミュージシャンのできることは、プライスレス性と換金作業の境界を意図的にうやむやにするタイプのズルをしないことである。アーティストサイドの第一歩は、「ミュージシャンはパンピーとは違う高尚さがある」という幻想や、その幻想の悪用を止めることである。

 そういう意味で、換金作業と創作活動がそもそも別の箱に入っている我々のようなサンデーミュージシャンというのは、外乱に立ち向かうための冗長システムであるとも言える。賃金労働者が可処分時間で創作をするということは、その業界のロバストネスを高めるのである。

 そしてそもそも、音楽家、ないしはイベント運営がコロナで大爆死する様を自己責任だと笑うような人間はクソであり、そういうやつの言うところの先見の明なんてものはハナから存在していない。

 

某日

 電工二種の合格通知が到着。最寄りのセンターに合格通知とともに切った写真を郵送すると、それが手作業でラミネートされて免状として送り返されてくる仕組みで、そのあまりのローテクさに驚いてしまった。必要もない資格を遊びで取ってしまい、お手数をおかけしました。先の見えぬ世の中、デジタルでの公務の効率化はリアルな伸び代である。頼むぞ、デジタル省・・・日本を変えてくれクレメンス・・・

 

某日

 突然父が家にやってきて、まあろくな話じゃないだろうなと身構えるが、案の定まあまあな額の金を貸してくれと言ってくる。理由を言わないため、応じる道理もないが、大学院まで行ったエクストラコストを返却すると考えると合点のいく額だったので振り込み。

 父の人生の目標は西宮某所にマンションを買うことであった。持たざる者の挑戦の人生とも言える。大学に行き、大企業に就職した。単身赴任で釧路に飛ばされ、それでもめげずに金を貯めた。目標額に到達し、関西に帰ってくると子供はもう大人になっていた。父は自分の思春期を見ていない。マンションを購入した父は力尽きて仕事をやめた。自分の知る限り退職後の父は生き甲斐らしいものを見つけられているようには見えず、そして詳しい理由はわからないが、父の手元には今金がないのである。

 音楽を続けることばかりを考えている自分の志向は、父が抱いてきた信念と相反する。「そういう舐めたやつは社会では通用しない」と散々言われたが、会社に身を捧げ昇進を目指すモチベーションが湧かないのも、金を稼ぐ以外の行為のプライオリティが高いのも、全て父の反面教師である。一方で、父が自分の曲を聴いたり、youtubeチャンネルを見ていることも知っている。小さい頃から、自らの意思でしようとしたことを止められたことはない。そもそも自分の教養や、モラトリアムでの音楽という手段の獲得も、全て父の資本が土台にあるのである。

 トラブルとは無縁のサラリーマン家庭であると思っていたが、今思い返すと事の根源は家族のコミュニケーション不足であるように思え、過去に戻って火種を回収するにも必要な巻き戻し期間は一桁では足りなそうである。省みると反省することばかりである。

 なにするかは知らんけど、なんとかしないといけない。きっかけはロクでもないが、最近は家族とよく連絡を取っている。おれの運転で父とキャンプに行くとか?

 

無題

某日

 自転車のホイールのスポークが折れたので交換。なんとなく1パーツ交換すると他も触りたくなり、気分転換にハンドルやらペダル、ブレーキやらもネットで買って付け替え。

 工具箱からペダルレンチやワイヤーカッターやらを引っ張り出している際、なんでこんな使用頻度の低いものを自分で所有しているんだという気分になる。汎用性の高い一般的なレンチの類ならともかく、それにしか使えないような工具達。

 自転車屋に頼めば10分で終わるようなことをわざわざ専用工具を買ってまで自分でやるのは性格上の問題である。自身のこの気質を最近はあまりよく思っていない。

 パソコンをBTOで買う行為に対して、生粋の自作ユーザのモチベーションはなんなのか?IKEAで机を買えばいいようなところをわざわざホームセンターで板買ってくるのはなぜ?

 もはや値段的なメリットはあまりなく、この手の質問に対する回答はは、だいたい「思い通りのサイズやスペックにできるから…」というカスタマイズ性の観点か、「作ることそれ自身が楽しくてやってるんですよ」みたいな趣味性みたいな方向に持っていかれがちである。しかし自分はいまいちそのどちらにもハマらない気がする。

 しばらくいろいろ考えて、一番しっくりきたのは、「己への戒め」であったが、なかなかに大袈裟で笑える。

 

某日

 Swimの7"が発売。曲を作ったのは2019年、しかしながら音楽というのは寝かせたところで鮮度が落ちるような類のものではない(周りの状況はどんどんかわってしまうが)。

 イラストをお願いした坂内拓氏、結局ご好意によりジャケットや盤面のデザインもご担当いただき頭が上がらず。自分が依頼していなかったら発生していない作品がこうやって手元にあるというありがたさ。

 坂内氏、過去のドローイングなどをみても広角、引きの構図がとにかく多く、人はいてもポートレート的なフォーカスがなされているわけではない、客観的に思索に耽るような視座が私は何より好きである。

 子供の頃、ぼーっとしていることを指摘されることが多かったが、だいぶ改善された今でもその気はまだ残っているように思える。視界はぼんやり、思案ははっきり。フォーカスしないこともまた別の何かへのフォーカス。

 

某日

 公式に窓口を開いているわけでもないが、海外の方からレコードやCDなどが欲しいとわざわざメールをもらうことは割とあり、その都度発送をしている。

 最近はコロナの影響でEMSなどが使えない地域が増え、郵便局の窓口レベルの人が海外への物流の最新状況を常に把握しきれているわけでもないので、正解がよくわからないまま毎度追跡できない国際小包などで送るわけであり、だいたい忘れた頃に到着し、受け取ってもらえた際は律儀に到着した旨と感想などを送ってくれたりする。

 応援のメッセージであったり、到着したレコードの写真であったりが届くたびに、外国の見知らぬ人間に物を頼むような人間、流石だな……と思うと同時に、このコロナ禍シチュエーションは全世界共通のものであるわけで、みなあんじょうやって欲しいな〜としみじみ。友達は皆元気であってほしい。音楽聞いてもらって、レコードまで送ったんだからそいつはもう友達認定してしまっていいでしょう。会社には友達がいない、かたやこのガバガバ判定…

 

某日

 近頃、広告関連で作ったものの世に出なかった制作が多い。それはコロナ禍特有の無慈悲な案件バラしであったり、自分の力不足であったりするわけである。

 そんななか世に出た仕事の一つ、先方が追加した掛け声の主があきおくん(おでん屋そのとおり)であることを電話口で伝えられ謎にほっこり。

 

某日

 ゴールデンウイークだというのに、全てのことに対してやる気がでず。今日に始まったことではなくここのところずっとである。仕事はなんとかやりつつ、特に向上心を持って制作をすることも、あとは脳死でゲームをしたりするだけである。

 げんなりするようなニュースばかりであるが、信用されるには信用からはじめるしかなく、ギリギリまでは世の善意を信じたい性分で、世の中も国も政府もクソ、自己責任でやっていくわ、とはなかなかなれず。脳内に流れ続けるのはおれの人生のテーマソング(1)であるSummer, Highland Falls、いつだって"they’re the only times I’ve ever known"の精神。

 

某日

 無気力のよき相棒といえばNetflixであるが、最近の話題作のクリフハンガーっぷりには目を見張るものがある。いい歳こいてマクドナルドばかり食っていることからもわかるように、自分は自制の効かない人間であるから、強い引きの展開の前に停止ボタンを押すにはエネルギーがいる。

 究極パチンコ的な脳ハックも好きではあるが、過激資本社会において、熟練のハウスDJのようにじっくり上げるテレビシリーズを作りたかったらどうすればいいのかみたいなことはいつも考えてしまう。離脱率的なKPIで評価し、コントロールされるものを質の向上と捉えるのであれば、それは人間の脳みそを馬鹿にしすぎている。

 

某日

 大阪のコロナでの1日の死者数が大体学校1クラス分とのニュース。ここのところ救急車の音がやたらと気になるようになった。一日中救急車が走り回っているような感覚。しかしながら普段からそうだったのか、コロナの影響で増えたのかはわからない。

 さまざまな物事におけるビフォー・アフターというのは、よほど意識して記録でもしておかないと、雰囲気や思い込みのウエイトが大きくなってしまう。

 せっかくなので自分の曲を1stから順に聴き直す。珍しいことではなくしょっちゅうしていることである。当時のことをなんとなく思い出すことはできても、そのときどの程度の解像度で音楽を作っていたかなどは、やはりさっぱり見当もつかない。

 

某日

 もはや申し込んでいたことすら忘れていた電工2種、音楽制作に対してすらやる気が出ないのに学科試験の対策などできるわけがなく、試しに前日に過去問を解いたところ完全に雲行きが怪しく、結局深夜から朝まで勉強。

 昼まで寝たのちに電車に乗り試験会場の阪大豊中キャンパスへ。平時だったら面倒にしか思えない駅から大学への坂道、明確な用事での外出があまりにも久しぶりであったのと、天候の良さなどで何故か感動的なものに感じられてしまった。

 工業高校の生徒の集団から自分の親くらいの世代まで受験者は様々である。それぞれにそれぞれの人生があるのだな、などと考えているうちに試験。

 試験時間は2時間。1時間ほどで解きおわり、さっさと退出してもよかったところ、妙に頭がスッキリしていたのでそのまま物思いに耽りもう1時間。

 木々や、そして青空よ…と思いながらまた坂を下り、石橋駅ナカのカフェで自己採点。問題なさそうだったので、amazonで実技練習用の資材を購入、youtubeの検索欄に「電工2種 実技」と入力。

 

某日

 急にやる気が出たのでデモを並べてサンクラにまとめて非公開アップロード。それを聴きながら仕事をし、仕事を終えたら煮たり焼いたりしてまたアップロードする日々を開始。そういえば確かに毎回こんなことをしていたな、とまるでひと事のよう。

 

某日

 長谷川白紙がスカパラのライブにゲストで出るという告知を見かけてインターネットで検索したところ、来週大阪のフェスティバルホールでやるというのでその場でチケットを購入。

 なんとなく次週に出かける用事があるだけで心身の調子が良い。「ライブ行くのが生き甲斐!ライブを楽しみに日々生活しています!」みたいな人に対して、そんなことあるか?みたいなことを思ってしまったりもするが、実際そんなことはあるのである。

 スカパラの盤石の演奏と、長谷川白紙のまだまだ才能の末脚を残している感じのコントラスト。長谷川くんをこの規模の会場で見るのも初めてである。というかコロナ関係なくホール規模の音楽イベントに行く機会はあまり多くはない。

 久しぶりの音楽イベントになんとなく気分は晴れ、帰り道「ああ確かにこんな感じだったな…」みたいなことを考える。ああこんな感じだったな案件は積もり積もっているはずであるが、世が平和になり、それが再び湧いて出てくるまでは思い出すこともできないのである。

 

無題

某日

 レコードが半分しか来なかったり、輸入税を二重に取られたりと散々であったが、そんなことは買ってくれる人には関係のない話である。

 もはや継続して個人でレコードをプレスし続けているやつなんて全人口の1%もいない気もするし、そんなわけで、苦労の共有などをする相手もだいぶ限られてしまうが、得られる喜びに比べたら多少の苦労の増減なんて誤差である。

 

某日

 なんとなく飯でも食いに行こう、と外に出ると、信号機の取り替え工事をする途中なのか、新品の、薄型のLEDの信号機が徐に道端に放置してあった。特に工事の人がいるわけではなく、そこにあるのは取り付け前の信号機だけである。最近の信号機は大きめのPCモニタ程度の大きさしかなく、あまりの無防備さに、「物好きがいたら盗まれるんじゃないか」といういらん心配をしてしまう。

 そんなこともすっかり忘れていたある日、ふと信号待ちをしていると、信号機が新しくなっていることに気がつく。例のやつが設置されたわけである。

 地べたに放置された信号機の絵面が印象的であったから気づけたものの、そうでなければ、自分は自宅の最寄りの信号機が変わった程度の変化にも気が付かないほど、周りの変化に無頓着なのである。自分の頓着の対象は狭い。

 そういえば、最近は近所で道路工事がやたら多い。年度末だからであろうか。

 

某日

 川辺くんと作った"Swim"の7'リリースに際して、B面曲の制作。デモはなんだかんだ数曲あったので、どれかを完成まで持っていくもんだと思っていたら、「新しいのを作らせてください」との連絡。ラフだろうがなんだろうが人の新曲というのはなんぼあってもよい。

 お題が欲しい、というのでなんか質感のある物体がいいなと「プレハブ小屋」(もう一個なんかを出した記憶もあるけど忘れた)という単語を投げてみる。

返ってきた曲はそこにはいない人を歌ったものであり、「我々は、1人思いを馳せるような構図でばかり物事をみすぎていませんかね」みたいなことが頭に浮かんだのである。

 共作とはいえ、歌詞のニュアンスや意図を根掘り葉掘り聞くのは野暮な気がして特に触れず。抽象には抽象でのレスが乙である。大喜利的に大改造することはせず、シンプルなアレンジで返す。

 パーティの曲に対して、帰り道にパーティを思う曲があるように、そしてどうしても後者を好きになりがちであるわけだが、帰り道の思慕自体を目的にしてはいけないような気はしている。

 とはいっても、割合で考えると、パーティの時間よりも思い返している時間の方が長いし、好きですと直接意思表示をする時間よりも、もやもやと頭に思い浮かべている時間の方が長いわけであるから、これは自然なことであるはず…最早自分の感覚の普遍性への自信なし。

 兎に角4/28にリリースです。何卒よろしくお願いします。"prefab"というタイトルはどうしてもプリファブスプラウトを想起させますが、全く関係はありません。

 

某日

 髪を切りに近所の1000円カットへ。アホみたいに並んでおり、整理券を取り1時間程度時間を潰す。戻ってきてもなおも自分の番はこず、さらに待つ。タイムイズマネー、安価の代償は時間である。「5cm切ってください」と伝え、きっかり5cm切られる。

 

2月某日

 bibioの2ndのデラックスエディションのリリースに際しての寄稿の依頼。あまりに聴きすぎたその作品、逆に何を書いたもんかと悩ましいが、いろいろ経た2021年特有の視座を…と考えた結果"ローファイ"を切り口に1500文字。頭の中に浮かぶ書きたいニュアンスに文章力が付いていかない感じは逆に清々しくもある。

 

2月某日

 会社の昇格試験のフィードバックに「自信が感じられ、元気があり…」みたいなことが書いてあり、思わず笑ってしまった。そもそも技術の詳細もわからない第三者と人事にプレゼンをするというフォーマット自体が無意味であるようにしか思えない。こんなことで給料が上がることも、逆にいうとこんなものを理由に給料が上がらない人がいるのも悲しい話である。

 

2月某日

 全てがわからなくなり勢いで引越し先を決める。最悪歩ける程度の距離の移動であることもあり、引越し作業の勢いはなくダラダラと進行。

 去りゆくはこの今後用事のなさそうな街である。大した移動ではないが、用事がないのだから、この辺で飯を食うこともめっきり減るだろう。

 そんなことを考えながら近所のカレー屋で飯。すると、会計の際に「いつもありがとうございます」などと言われてしまった。おれはもうこないかもしれないのに!そう思った数秒後、そんなことはないと思い直す。自転車ですぐであるし、ここのあんこナンはうまい。

 

3月某日

 てるおさんの運転でファミレスに行き、ハードオフを巡礼する謎の会がたびたび催されるようになった。ディティールに差はあれど、自分の娯楽はこの先もずっとこんな感じであろう。

 帰り道、堺筋本町にリニューアルオープンするオオノ屋改め新生フェーダーを覗きにいく。新しいことが始まるポジティブな感じは久しぶりであり、春というのはいつでもこういう感じであってほしいと思う。

 

3月某日

 延期し続けたソーコアでのDJ。マゴチ藤原西山有村。30歳を目前にしてやっとダンスミュージックの本当の楽しみの入口が見えてきた感。音楽を山に例えるとすると、大きすぎて未だに一合目すら見えずである。孔子曰く"三十にして立つ"。不惑目指して精進。謎のグルーヴあったのでまたやりたいスネ

 

某日

 悩めるピアノ男の話を聞く。「辞めたりバックれたりした経験がなさすぎるから、辞めたりバックれたりするのを難しく考えすぎてるんじゃないですか」みたいな話をするも、それはそのままそっくり自分にも当てはまっていたのである。

 今の自分のスタイルを二足の草鞋、などといいように取る人もいるが、ただ草鞋の脱ぎ方を知らないのではきっぱなしなだけである。

 高校も大学も辞めていない。バイトは大体長続きするし、人間関係をリセットしたり、突然SNSを全て消してしまったりもしない。長所のようであるが、そうとも言い切れない。持っているのに使っていないカードは、知らないうちに切れなくなっていくのである。それがババかも知れないのに!

 全てからバックれ、破天荒に生きる根性はないが、漠然とどこにもフィットしていない感覚を待ち続けている、そんな人は少なくないと信じているが…

 

3月某日

 天満で酒を飲む。酒を飲むくらいしかすることがないこの街、コロナでの人々の動向のバロメータとしては最適で、実に閑散としていたここしばらくに対して、緊急事態宣言の解除の影響か、随分と賑わっている。

 久しぶりにあったバツくんは、駆けつけ一杯別の用事のため颯爽とミナミヘ、入れ替わりで西山くんがくるが、時短要請の影響で空いている店がないため自分の家に。

 一旦解散するも、なんとなくまた深夜のミナミヘ。vavaくんのライブの前ノリで来ていたSumittの面々や杉生さんらと駄弁っていたら4時。西山くん曰く「オタクに優しい人たち」。人を判断するときの尺度をみてくれに置かないというのはなかなかできることではない。サーカスから出てくるのはオシャレな人ばかりである。逆にそういう人たちへの自分の一歩引いた卑屈な感じは未だに抜けていない。反省。

 

3月某日

 バツくんが京都に来てくれという、なぜ京都なのか…と思いつつ、折角なのでvavaくんのライブも見にいくついでに向かう。何をするのかと思えば一乗寺でラーメンを食っているとのこと、北へ向かう気力はなく1人河原町エリアを徘徊する。

 とは言っても特にすることはなく、京都は愛せど何もない…と丸善へ。久しぶりのでかい本屋、ふと思い出したように石原吉郎の詩集を探すも見つからず、検索機に頼る。検索機から吐き出された紙切れをもとに目当てのブツにたどり着くが、カバンも持たず手ぶらで来てしまったが故にハードカバーは怠く感じられ、買うのをあきらめてしまった。とは言っても暇は潰さねばならない。困った時は岩波の赤帯

 買ったフィリップの「若き日の手紙」を読みながら自分の境遇を重ねているうちに夕方、知り合いの店に顔を出したりしていると呼びつけたピアノ男が到着。

 みんなでvavaくんのライブを見て、高瀬川を眺めながら駄弁って解散。早く曲を作りたくなり、帰りの電車で新しい音楽アプリをiPhoneにインストールするもやる気はそこまで、起動することなく帰宅。

ムダイ

 ふと二重振り子のことを思い出してしまった。振り子の節を一つ増やすだけで、その動きがクソ複雑になるというやつである。初歩的な物理シミュレーションの嗜みがあれば、実際に動きを計算してみることも出来るし、細かい理屈がわからなければ模型でも作成して観察すれば良い。

 間接が一つある棒ですらカオスに到達するわけであるが、我々は"未曾有のウイルスの拡散"という複雑な振る舞いを予想して対処しなければならない。なけなしの仮説で数理的なモデルを作る人がいれば、なけなしのデータを駆動させ予測を目指す人(例えばGoogleのやつは後者)もいる。どのみちわからないなりの善処である。

 一方で世は答えを求める。政府は適切な施策を打たねばならず、人々は安心したいからである。わからないなりの善処に対し世は辛辣である。結局やっていることは丁か半かの博打、外れたやつは退場・・・といったようなヤマ師のような生き方は、自分は好きになれない。

 

10月某日

 大阪のソーコアファクトリーで平日の定期イベントALTNが開始。悲しい現実として曲ばっか作っているやつは相対的にリスニングの時間が取れないという現実があるが、せめて買った曲くらいは定期的に整理して聞き直す方が良い。DJはそのきっかけに最適。そもそも楽しいし。

 内輪で雑にイベントをやると、やはり初見の人の居心地問題が難しい。黙々と音楽を聴き、誰とも喋らず帰るのも一興であるが、喋る人がいるけどそうしているのと、そもそもおしゃべりできる関係性のやつがそこに一人もいないのはまた心持ちが違う。私はなかなか知らない人にガンガンはなしかけるタイプではないですが、喋ること自体は好きなので気軽に話しかけてください。

 

11月某日

 Kafukaさんとタケダマサヒコさんの2人が突然近所にやって来たので最寄りのファミレスへ。あまりに久しぶりであったため近況や世間話など。本題は「クリスマスにイベントしようや」との誘い。そこだけ取り出すとえらくファンシーかつチャラい。

 自分は大阪の電子音楽家の先輩たちの背中をみて育ったが、確かに思い返せば直接的に一緒に何かをしたことはほとんどなかったような気がする。自分の音楽は軟派なもんだから・・・と別のものとして捉えていた昔に比べると、人の音楽と自分の作るものの何が同じで何が違うのかの理解の解像度はだいぶ上がった気がする。

 

11月某日

 恐ろしいことに、最近いろいろなことが思い出せなくなる、なんてことがしばしば起こる。物や人との名前、出来事の顛末、書きたかった文章や、のちに使おうと思っていたメロディ……忘れていることすら忘れている分にはなんの問題もないが、必要に駆られて取り出そうとしたものが出てこないのは困る。

 一方で、ふとした拍子に雪崩のようになにかを思い出すことも増えた気がしている。記憶自体は消えておらず、そこに至る導線がない、という状態と、その解消である。SNSジャンキーな自分は、毎度Twitterなどのアーカイブを補助線に真実に挑む。

 そんな話を人にしたところ、「うつの初期症状かもね」と言われてしまった。軽い冗談ではあったわけだが、そうであったら笑えない話でもある。最近は心身ともに割と健康である。

 

11月某日

 トマソンスタジオが荒らされたような形跡があり、一同に一抹の不安が走るが、犯人はネズミであった。百万遍のハンバーグ屋で働いていた時に、しばしば店の仕掛けに引っかかる馬鹿でかいネズミの様子を思い出したが、それはできればしまっておきたい記憶であった。奴らの厄介さはゴキブリの比ではない。

 

11月某日

 おれが今唯一都内で定期的に出ているイベントFFF。東京へ行くのはちょうど半年ぶりで、そこまで期間が開くことはここ5年はなかったので不思議な気持ち。ライブの頻度があまりに減ったが、おかげで新しいことは少しずつ試せるようになった気がする。

 しかしながら、「都内のクラブへいく」、という行動を悪魔の所業かのごとく捉える人もいる現在のこの状況、感染のリスクや、それによるシーンへの悪影響みたいなことを考えると、お世辞にも、諸手を挙げて楽しめるような気持ちになれるわけではない。

 行けなくなった結果、改めて自分が想像以上にクラブが好きで、居心地の良さを感じていたかを思い知る。今の逆境に対し我々はあまりに無力である。

 パーティが終わる前に一足先に抜け、近くの(おそらくインバウンド向けに作られたであろう)ホテルへ。英語での注意書きと、エセ和風の小道具。湯船に浸かりたかったがガラス張りのシャワールームしかない。外から道玄坂の喧騒が聞こえる。パーティはまだ続いているのだろうか。

 

11月某日

 トマソンスタジオでピアノ男の10周年記念イベント。継続は力なりとよく言ったもので、真のプロップスとは何かを改めて考えさせられる。自分の人生で10年も続いたことはある?その記録はちゃんと残ってる?その軌跡に興味を持つやつは?

 そもそもわざわざwebメディアなんてものを立ち上げなくても文章は書けるし、レーベルはなくとも音楽は作れる。中身があってのガワである。このさき自分の活動を振り返った時に、しっかりと中身が並べられるようにしなければならず、そのためにも中身のある人間にならないといけない。

 

11月某日

 ヤックル主催のヨーヨーの大会の配信オペ。事前に募った演技の動画を審査員がジャッジしていく、そしてその合間合間にエキシビション的な演技とDJ、ライブが挟まるという構成であった。オペレーションは何回やっても反省点はあるものの、まあ及第点と言った感じ。

 ヨーヨーの世界には明るくないが、チャットで様々な言語が飛び交う様子や、有名プレイヤーの出演時間や素晴らしいプレイが飛び出した時の盛り上がりなど、界隈が違えど見ていて気持ちいいものであった。善意駆動の打算のないやりとり。

 逆に、優勝すると人生が変わるような金や名誉が与えられるショーレース、あるいは成功の先にそう言ったものがついてくる分野で、そういった打算なきピュアさを維持するにはどうすれば良いのだろうか。程度の問題であろうが。

 

11月某日

 パソコン音楽クラブ自主企画「COM_PLEX」に出演。酒すら禁止で座席は指定、理屈上スタッフ含めた施設内にいる全員の連絡先が把握されているという、インディでは類を見ないほどの気合の入れよう。何事も一生懸命やるのは良いことである。

 

12月某日

 京都メトロ、ブレーンバスターのリアルイベントも開催できず配信のみ。開催条件が「人類がコロナに打ち勝った時」なのは正直うける。

 

12月某日

 二週連続のメトロ。Kafuka&タケダマサヒコさんらとやるはずだったクリスマスイベントもトーク配信に。今年を象徴するような年の瀬。

 京都から大阪にメトメさんが車で送ってくれる。車内、抽象度の高さと大衆性の相関の話。「お笑いだけは”おもろさ”という抽象概念取り扱ってんのにめちゃ大衆的なの不思議じゃないですか、音楽の方がおもろさより抽象度低いでしょう」みたいな話をする。のちに西山くんにこの話をしたところ「結果(ウケる/ウケない)がシンプルだからでしょ」とのこと。 

 自分が音楽を好きな理由をつまらなく整理すると、抽象概念を取り扱う、白黒つけようがない、時間芸術である、比較的短い、となるのかもしれない。野暮なまとめである。

 

1月某日

 なんとなく昨年の振り返りをする。2020後半は拾える金は払っとけの精神でかなり制作仕事をしていて、我ながらよくこんなに働いたなとすら思ってしまった。仕事を辞めるにせよ辞めないにせよ、自由になるには貯金しかない。メイク・マネー・フォー・フリーダム…

 そこで突如沸き立つ疑問。「金銭では獲得できない豊かさを獲得するために音楽をしていたはずでは?」。今の生活、ともすれば、手にしたのはハードワークと金の2つのみ、という見方もできる。

 そんなことを考えながら軽いバッドに入っていたところ、半年越しで自分の作ったレコードが届いた。

 片面3曲ずつ、針を落とし昨年の自分の成果を拝聴。すっかり気分が良くなってしまい、「なかなかなお手前ですねえ、でももうちょいいい曲作れるじゃないですか?」とおれの中のリトル有村が問うてきた気持ちになる。自身の産んだ作品によって自身を駆動する、よくいうと永久機関に近い。悪く例えると、自分のうんこを食って暮らしてるとも取れる。そんなことを考えていると、300枚プレスしたはずが100枚しかないことに気づく。手間は増えるばかりである。

 これまで、音楽を作ることが嫌になったり辛くなったりしたことは冗談抜きで一度もない。音楽を作るのは楽しい。そんな理由で、2021年もうんこ食いは続きそうである。

 

 

 

年明けてしまいましたね。改めてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

2020やったことまとめ

サウンド&レコーディングマガジン連載”DAW AVENUE” 執筆など

サンレコDAWごとの連載。2019年から年またぎでワンクールやらせていただきました。DAWはあくまで道具で、いかに使うかという話。第三回で書いたような、めいめいの工夫は共有しまくりたい所存。第三回(in the blue shirtが使う Studio One 第3回 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア)で書いた内容みたいな工夫はいっぱいあるので正直またやりたい・・・サンレコには他にも3,4,6,12月号でなんかしら書かせていただきました。サンレコは神雑誌なのでこれからも協力できることは全部したいすワ

▲キック(C1)と同様に、スネア(D1)やハイハット(F#1)も差し替えられるようにしたところ。各Input Filter(赤枠)でSampleOne XTに送出するMIDIノートを1つに絞っており、それぞれのSampleOne XTのトランスポーズを上下させると音色が置き換わる。各SampleOne XTでサンプル・セットを保存しておいたり、このMulti Instrumentの設定をプリセットにしておいても便利だ

 

tricot『真っ黒リリースツアー「真っ白」』SE作成

リリース前におれが遊びで作ったやつを中島イッキュウ氏に送ったらご好意でツアーのライブSEに使っていただきました・・・と言いたいところでしたがコロナが爆散してライブが中止になりまくりおそらく1公演のみで使われたのみになりました。

BBCで曲かけてもらったり(https://www.bbc.co.uk/programmes/b0924sws)と昔から気にかけていただいてありがたいっす

 

トム・ミッシュ『Beat Tape 1』の発売記念 キャンペーン冊子コラム寄稿

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<トム・ミッシュの過去作品『Beat Tape 1』がまさかの国内フィジカル発売ということで、">全国のタワーレコードで配布されます店頭キャンペーン冊子のコラムに寄稿させていただきました。こちらも配布が緊急事態宣言と被って店頭で冊子を受け取れた人はかなり少なかったような気がします。”唯一無二の優れたプレーヤーであることと、演奏して録音したものを、あくまで一素材として、編集的な視座を持って接することができるってとんでもないことですよね”という内容でした。

 

CM|イオンのランドセル2021 楽曲制作 

 

イオンのランドセル2021、プロモーションムービーの楽曲&サウンドロゴを担当。サウンドロゴは作るの好きなのでもっといっぱいやりたい!

 

Minchanbaby × in the blue shirt – イチゴの歌

ミンちゃん氏の意向で過去作の配信開始。また作りたいなーと思って忘れた頃にミンちゃんにはデモを送ってます。何かしらの周期がシンクロしたら次作が実現する気がします。

 

トマソンスタジオの諸々

配信スタジオを作っていろいろやった。がずおが作ったモーションロゴに音つけたり動画編集したり、MU2020のライブの演出だったり・・・友達の秀でた部分を拝借していろいろやれてよかった2020年を象徴するような取り組みだったと思います。自分はやはり目的に応じて傭兵を招集していくギルド的なやり方よりも、部室的な溜まり場要素が好きなんだなと再確認しつつ、それは必ずしも効率的ではないというのもしみじみ感じました。なんだかんだみんな忙しいので稼働率が下がってしまうのでそこの改善が2021の目標。とはいってもバツくんもらしおも東京に拠点を移すこともあり、ずっとは続けられない予感はしていますが。

 

 

 EP「in my own way e.p.」

 

ちゃんとコロナのタイミングで新譜作れてよかった。”気負わず何も考えず作る”という趣旨で、いい意味でも悪い意味でもシリアスさがないです。時間さえ許せばこの手の作品集はポンポンだしたいですが、2021はいけるんかね・・・アルバムは無理そうなので3曲入りのEPとかは出したい・・・

 

“in the blue shirt & 川辺 素 – Swim”

これもできてよかったシリーズ。「歌ものの制作は意図的に拒否してるんですか?」的なことをたまに言われますが、単純に機会がないのが理由の大半で、歌詞に関しての好みのレンジが異様に狭いのが残りの理由です。そういう意味でもそのレンジ内で燦然と輝く川辺氏のリリックには感謝しかないです。ボーカルエディットをやり続けた結果、メロディラインの音韻に関する謎の蓄積があるので、ちゃんと歌ものという形で消化していかないといけないな〜とは思い始めてます。

 

配信企画"Brainbuster"

 トラックメイカーのライブを見ながらクダを巻いている様子を配信するという謎企画。なんと10回も実施したようですが、どれも楽しかったです。ウィズコロナ、これからは配信の時代ですよ」と散々言われている中、じゃあなにかおもしろい配信企画が印象に残っているかというと、特にあるわけではないのは今年のもやもやポイントではありました。各所クラブのイベントの様子が配信されるようになったのは私のような非東京在住の人間にはありがたいですが、それだけではない、”配信特有のおもろさ”みたいなのはもうひと頑張りする余地がある気はしています。

THREE THE HARDWARE シーズン4撮影協力&出演

 

トーフビーツ氏の名物企画の撮影。自身でシーンを切り開きつつ、稼いだ金をオタクに渡して機材を買わせる氏のスタンスというのはやはり狂気の域に達していると思います。”稼いだ金をいかに使うか”ということは最近よく考えていて、自分の欲しい機材を買う、みたいな物欲の解消だけではない、もう一歩有意義な金の使い方を自分もしなければいけないなとは思い始めています。

 

”時を楽しむ時津町長崎県西彼杵郡時津町 PR動画 楽曲制作

 

二年連続で担当。制作仕事の良し悪しのバロメータとして”同じ人から再び仕事を頼まれる”に勝る評価なし。

 

「VIRTUAFREAK」プロデュース「REWIRE」楽曲提供

こちらも歌もののトラック制作。変な曲送ったろ、と思って作りました。BPM早めの謎ブレイクビーツ。作詞はKMNZのリタ氏が担当。「歌詞の内容には文句言わんけど、音韻の構成は気に入らんかったら直してもらおう」と思ってましたが、いいのが来たので結局ほぼ何も言いませんでした。女性が日本語でラップをする、となった時に、人口の少なさが故にフロウの参照点がどうしても近くなる問題はありますが、それを解消するには人口を増やすしかないので、vtuberサイドでのKMNZの活躍に期待しています。

 

 

無題

8月某日

 同い年の友人から「ワーホリに通った」との連絡が。このご時世にワーホリとはガッツがありますねえ・・・くらいの温度感で聞いていたが、「イギリスは倍率が高く、今年で年齢的に最後のチャンスだった」という話になったあたりでなんとも言えぬダメージを受けてしまった。ワーホリの年齢制限は30歳らしい。

 成人などがまさにそうであるが、基本的に、歳を取るとできることが増えていくのが当然のことだと捉えていた節があった。来年で20代が終わる。年齢を理由に何かができなくなるようなフェーズにきたのはある意味では事実である。自立し、収入が増え・・・と選択肢が増えていく一方であるように思えた人生、ついに無限に展開していたなにかがシュリンクしはじめるような感覚を覚えてしまった。拾いそびれたチャンスのことを積極的に考える必要もないが。

 

8月某日

 大阪府知事イソジン云々のニュース。ちょうど研究室に入ったタイミングとSTAP細胞での不正が重なったこともあり、”研究をするうえでの正しい手続き”みたいなものをやたら厳しく指導されたことを思い出す。

 世の中をよくするために、知恵を積んでいくというのは容易ではなく、その困難を成し遂げるために、自然科学の分野で練られた仕組みというのは、打算なき誠実さみたいなものをベースにした、地道かつ厳密なものでである。

 府のトップが「うそみたいなほんとの話をするが・・・」と語り始める姿を見てあっけにとられてしまうが、正直そんな人だらけである。あるはずのないショートカットをちらつかせるやりかた、そしてそのカウンターとしての、誠実でのろまなやり方。誠実なのろまが後ろ足で泥をかけられる様子はもう見飽きている。

 

8月某日

 コロナを踏まえてのイベント開催や出演への空気感があやふやで、いろいろと面倒になってしまって、9月末までは一切イベントに出ない旨を公言してしまった。新譜を出したのに、特に付随する稼働がない。制作のモチベーションも低い。

 おなじみのなにかはしなければいけないという謎の強迫観念に駆られ、謎のキャンプシリーズを開始することに決める。キャンプ道具を買い揃え、大阪近郊のキャンプ場を巡る。

 行き先を決め、そのイメージで曲を作る。曲ができたら出発。作った曲をSP404に突っ込み、カブを走らせる。テント諸々を設営し演奏動画を録画。余った時間はレベル1の料理を楽しみつつ、本を読んだりNetflixで動画見たり。帰宅したら動画を編集してその日のうちにYoutubeにアップ。

 最近流行りらしいキャンプ、脱SNS、デジタルデトックス、時間を忘れてスローライフ・・・みたいな目的を推す風潮もあるが、自分が始めたのはそれとは対極の、デジタルにまみれた孤独なRTAのようなものである。

 そもそも自分は、SNSにもデジタル機器にも、それ自身にネガティブな感覚をもったことはない。クソみたいなことをいうやつと距離をおきたいだけである。

 一方で、カブで山道を走る、夜に星空を見上げる、などのアウトドア行為のさなか「そう、これが人生なのだよ・・・」みたいな謎のスイッチがしばしば入ってしまうことも多く、そういったプリミティブな喜びを取りこぼしていたことにも気づいてしまった。

 

8月某日

 オカダダ氏seiho氏と久しぶりに遭遇。岡田さんには「真面目に考えすぎてるんじゃない」みたいなことを言われた。主にコロナウイルスに対して、言われずともこのころから真面目さの緩和が発生しはじめていたような気もする。一方でseihoさんには軽いノリで「今年はドキサマ(京都の山中でのキャンプ企画)やるしかないんじゃないですか」と言ってみたところ、後日本当に企画が走り始めていた。(無事台風で中止になりました)

 

8月某日

 中村佳穂氏がトマソンスタジオに来訪。氏の作品の馬力に当てられたトマソンメンバー、普段は腰が重いやつらもやってきていつもより賑やか。最近作っているデモなどを持ってきてくれたので、みんなで無責任に感想を言い合う。

 腰を据え、人を巻き込んで良いものを作ってやろうという佳穂さんのスタンスは、よくも悪くも器用になってしまい、時間的カロリーの低い手法(キャンプ動画や撮って出しのトマソンスタジオシリーズ、インスタの演奏動画など)ばかりを取ってしまっている自分への戒めにもなった。作業量や工数が見積もれるようなものは、厳密にいうと創作ではないと言い切ってしまってもまあ嘘ではない。コツでは人の心は動せないことを忘れてはいけない。

 

9月某日

 トマソンスタジオで申請していた文化庁「文化芸術活動の継続支援事業」のA-2の採用通知が届く。やってる内容的にいける確信を持って出したとはいえ、なんとなくちゃんとお墨付きをもらったような気分になり安心。

 

10月某日

 謎に制作仕事が集中し、ヒイコラ言っているうちにTTHWの収録。「俺は天才しか呼ばないから・・・」と豪語するtofubeats、だんだん人類みな天才なのでは?みたいな気持ちにすらなってきた一方で、身近な人間の中でも、セキトバは輪にかけて世の中の評価が全然追いついていないタイプの天才であると思っている。みんな彼のDJを一度見てみてください。そんな天才を苦しめて遊んでいる様子はぜひYoutubeでどうぞ。

 撮影を終え、みなの帰宅を確認し、録画データを整理し終わったタイミングで「もう今日はええやろ」と謎の諦念とともに寝落ち。目がさめると外は明るい。カブを走らせ、淀川を横目に「これが人生なんですよ・・・」と思いながらそのまま朝マック

 

10月某日

 ミツメの川辺くんと作った楽曲、"Swim"が配信開始。音楽を作り始めたときから知ってくれている人のうちの1人である彼に誘ってもらって、曲が作れたのはとてもうれしい。特に大げさではなく、一番好きな歌詞を書く人間のうちの一人です。言葉では説明できない、抽象的なもやを描き出すために言葉に向き合い続ける男。

 仕事として頼まれてやるのではなく、純粋に夏休みの自由工作的なスタンスで人と何か作るのは非常にレア。こんな風にできたのも、自分はなかなかめんどくさい人間なので、言わずもがなでわかってもらえる川辺氏の人徳のなせる技。もやを立ち上がらせるための音楽、作りたいですね。

 先日でていたインタビュー記事の"純増"のくだりはまさにといった内容で、口にするだけなら易しこの"純増"の精神こそが、自分の目指すべき姿勢である。純増とは言い換えると続けることといってしまってもよい。音楽を続けると裏音楽にいける。安直なコツやTipsを頼りに裏へいけることはない。

 

10月某日

 東梅田の喫茶店で友人と駄弁ったのちに帰路、日興ビルの前のバス停が目に入る。普通のバス停みたいな佇まいであるが、近鉄系列の長距離バスのためのものであり、南は熊本から北は山形までいけてしまう。

 このままどこかへ・・・などとありがちなことを考えつつ、別に実行することなく帰宅。自分は、真の意味で突拍子もない行動をした経験がおそらくない。どうせ行かないにしても、普段財布に入っているような金額で、本州上から下までいけてしまうということは時々思い出さないといけない。

 

10月某日

 東京に出て行く友達は増える一方である。トマソンスタジオをはじめとする自分のコミュニティを、いわゆる井の中の蛙ではなく、井戸のまま水位を大海と合わせたいとよく考える。地方での創作活動が、中央に対しての下部リーグとしてではなく、対等に意義のあるものになってほしいと願ってやまない。我々のような人種が、東京以外に暮らす意義を見いだせるようになると良い。とはいってもその意義を見いだすことに囚われ過ぎて、能力を持て余すのもよくないので、やはりすいすいと行き来できる世の中に戻っでほしいものである。

 そんなことを考えながらバツくんの送別会をするためにオオノ屋に集まるも、てるおさんと自分のふざけたオカルトトークに、シンメイが月刊ムーを定期購読しているという事実の判明というドラが乗り、わけのわからない陰謀論トークを本人不在の2階でしているうちに終わってしまった。

 後日、仕切りなおすために再度別の送別会が催されたが、そこでなぜか送り出されるはずのバツくんが参加費3000円を取られていて笑ってしまった。人間に貴賎なし。

 

10月某日

 漠然と引越しをしようと思っていたが、漠然としたまま更新時期を通過してしまった。溜まっている古いレトルト食品を全部食べたり、いらない服を捨てたり、少しずつ家のものをダンボールに詰めたりしているが、更新料を払った悔しさもあり、いまのところ具体的な引越し予定はない。

in my own way e.p. セルフ全曲解説

 自分の作品説明すんのってやっぱダサいよな〜的なことは毎回悩みむが、それでも、自分が参照したのはなにで、どこまでが先人の功績なのかは、自分が把握している範囲で書いておきたいと思ってしまうワケ

【背景】

 前作「Recollect The Feeling」で大真面目にアルバムを作ったので、一貫した雰囲気などは考えず、気晴らしに作った曲の佳作集としてEPにすることを目指す。作成開始当初の目標は5曲。オーバーランして結局6曲入りに。

 

【テーマ】

・やりたいことがわかってきたのでがんばるぞ

・おれはおれのやり方でがんばるぞ

 ”やりたいこと”とか” おれのやり方”ってなんやねんっていう話になってくる、口で説明できたら苦労しないが「なんとなく掴めてきたで感」の表明を目指す。言葉でうまく言えない感じを表現するのが音楽ということで・・・。とにかく活動スタンスと曲で察してくれ的な。

 

【リリース形態】

 配信+レコードにするつもりが、意外とCDヘの需要の声があったのでCDも。

 トマソンスタジオで”いったん一通り自分でやってみる重要さ”を改めて実感したので、「マジで全部一人でやる」という方針に決定しアートワークもミックス/マスタリングも外注なし。自分の実力がむき出しのまま発射されるのはやはり気持ちがいい。

 迷ったがCDの全国流通はせず。全国流通しないと、世間のシステムに作品のナンバリングが(物理的な商品として)登録されないわけである。商圏に登場していない、ということは基本的には商売上の相手にされない(タワレコに売っていない物がタワレコのメディアで紹介されることはない的な話)のであるが、その感じはin my own way感に通ずるという結論での選択。

 私を取り上げているメディアなどは利害関係抜きの取り扱いになるので、頭が上がりませんね。

 

<金の話>

 自分の規模を数字で説明すると”1000枚プレスのアーティスト”であるわけである。リリースによって200万円弱のパイが発生し、それをディストリビュータ、小売、レーベルなど関わった人で分配していくことになる。(ちなみにいうと、国内市場で考えた時に、外的な駆動力でこれ以上の規模に引き上げることは自分の曲では無理だと思っている)

 今やってることを簡単に言うと「ステークホルダーをほぼ自分一人にする」と言った感じ。流通パワーの下駄を取っ払うと、CD売上的な意味でのパイはさらに縮小し、世間から見た規模感はますます小さくなる。泡沫ミュージシャン感は増す一方であるが、道楽ミュージシャンが世間の目を気にしている場合ではない。

 一方で、サブスクは自分にとってほぼ天国のような仕組みで、泡沫ミュージシャンなのにSpotifyだけで年間100万再生は回る。自分の楽曲は増えることはあっても減ることはなく、流行り物でもないので曲を出した分だけベーシックインカム的に収益は増える。

 ということで、私の基本方針はCD(+レコード)は思い出づくり、金はサブスク頼み。やるべきことは、たくさん聴いてもらえるような強度のある曲を作れるようにがんばるのみ。大衆音楽でもない自分の音楽で、そんなやり方が通用するようになったのはテクノロジーの恩恵そのもので あり、技術による民主化に他ならない。

  

<制作期間>

2019年の11月頃〜。大体半年くらい。

 入れようと皮算用していた時津町の曲が入らず、急に思い出してAfternoon reverieを代打でねじ込んだのでその曲だけ古い。

 今回謎に制作の様子をYoutube liveで配信していたおかげで、”マジで曲が発生する瞬間”が記録に残っているのがかなり興味深い。自分で見返しても笑える。

 

1.Back Then

 Piano in blueというピアノ音源の音を痛く気に入っており、ポロンポロン弾いていたらYouth lagoonのことを思い出しできた曲。

正月休み最終日、仕事行きたくなさすぎて深夜まで制作する様子が見れてワロてまう

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 トラック自体は思いついたピアノのコードリフ1発勝負の内容。山下達郎-高気圧ガールの「nnnなめらかな〜」とかフジファブリック-若者の全ての「ssssss最後の〜」とかの頭の子音を勝手に"溜めの子音"と呼んでいて、ボーカルエディットでこの"溜めの子音"をできるようになりたいなという技術テーマもあり。

 

 話は変わって、Youth lagoonのThe Year of Hibernationというアルバムは自分のマスターピースのうちの一つ。情景描写+鬼内省の権化のような作品である。歌詞の書き方も好きで、情景描写+比喩で気持ちを描くみたいなスタイルの曲が多い。

 

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 作中の"17"という曲の中に、

When I was seventeen
My mother said to me
"Don't stop imagining. The day that you do is the day that you die."

なる恐ろしいラインがあって、このオカンがリアルオカンなのかメタファーなのかは置いておき、Trevor Powersの作品にはそう言った強迫観念めいた感覚みたいな物が実に濃く出ているように感じており、そこが魅力であると同時に、自分はそう言ったシビアさとは無縁であると常々感じます。

 そういった意味で、自分の目指す的を”Youth lagoonからヒリついた成分を抜いて、もうちょい軽薄かつ無意味にしたもの”と表現するのは、割といい線いっている気がしている。

 

2.Breakthrough (for me)

 おれがStar slingerから学んだサンプリングの方法論に、もうちょっとベースミュージックの手法を入れられないかなと思って作った曲。

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 S-Type - Billboard (Lido Remix)の1:00〜のブレイクから二拍目裏でサブベースが入ってくる展開をそのままパクってます。(1:03らへん)

 マルチネがリキッドルームでやった”東京”なるイベントでオカダダ氏がこの曲かけた時のことは昨日のように思い出します(ここからジャングルに繋いでいって強い感銘を受けた)。

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 多分EPの曲の中で一番ライブセットでかけていて、年明けくらいから現場でこねくり回して3月くらいに今の構成に落ち着いた記憶。クラブでなる808ベースは替えが効かんすね〜

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ありがたいことにTracklibのオウンドメディアでも取り上げていただきましたが、Flashlightの“Every Little Beat of my Heart” が元ネタです。

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 サンプルのライセンス仲介サイトtracklibに関して、我々個人のサンプリングを愛するミュージシャンからすると神のような仕組みに思えますが、実情は思った以上に厄介です。

 著作の収益分配をする上で、結局アメリカの法の元契約を交わすことになり、W-8BEN(米国源泉徴収における受益者の海外在住証明)出してPRO (Performance Rights Organisation)に作家登録までしなければならず、正直自分が全ての手続きを完璧にできているのか怪しいところがあり、なかなか人に勧められません。興味がある方がもしいたら、自己責任であれば相談乗りますが、相当めんどくさいことは覚悟しておいてください。


3.in my own way

 最初の展開はマジで一瞬で出来たのに風呂敷がたためず苦戦した曲。後半以降の展開はリリース直前で無理やりひねり出したので、今作りかけのデータを渡されたら違う内容になると思います。

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 前半をBPM135の4/4グリッドベースで打ち込んでしまったため、1:02からの6/8の最後の1-2拍が消えたり現れたり(と自分は解釈している)する展開を思いついてプロジェクト上で整合が取れなくなったりなど、テクニカル面では苦戦。最後大団円っぽい感じにしてしまうのは私のクセなので仕方がありません。

 

4.Afternoon Reverie

Image with no description

 2017年に"45秒ずつトラックを掛け合いバトルする"珍奇なトーナメントに出場したことがあり、そのとき用の弾として作った曲。

 のちにボーカルエディット講座の実演セクションのオケに使ったりなど、謎に稼働させられるなどするも3年放置されていたかわいそうな曲。

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 高校生の時の自分にとって洗礼と言えるほどの作品であった蓮沼執太さん"POP OOGA"らへんの作品のオーディオ編集の方法論的な上物+自分の手癖的な内容。蓮沼さんのどこまでいってもキャッチーな感じには多大な影響を受けていますが、"POP OOGA"、”OK Bamboo”の二枚は自分の中では殿堂入りの2枚です。

  オーディオをカットアップした際の切れ端のプチプチノイズをどれくらい入れるか、というのは割とずっと試行錯誤していて、プロジェクトファイル中のオーディオの切れ端を丸めたり丸めなかったりというのは、かなり重要なように思います。一括処理で適当にやると急にグルーヴがなくなったりするのが不思議。やはり神は細部に・・・

 

5.Footloose

 安室奈美恵のサブスクが解禁し、海外出張帰りの飛行機で聴いていたところ、大名曲Baby Don't Cryに数年越しに心を打たれてしまったわけである。この曲の根幹をなすリズムパターンで曲を作ろうというアイディアが浮かぶもしばらく放置。

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 ある日突然Batsuくんが平日の夜に家にやってきた時、「なんか曲作ろや」と言われたのでメインのボーカルパターンとコード進行作ったまま再び放置、EP制作に当たりリードトラックにする気満々で続きを作りました。

 びっくりするほど歪ませてヨレさせているボーカルと、散々使ってるMassiveサイン波そのままのコードをパチパチクリップさせてるところが音作りのキモでしたが、パソコン音楽クラブ西山くん曰く「書き出しミスってデジタルクリップしてんのかと思った」との。

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 PVはうにゃだゆういちさんに踊ってもらうことは自分の中でだいぶ前から決まっていていたのだが、いざ頼もうと思ったら緊急事態宣言が出てしまったりなど。なんだかんだ今木くんの協力のもと無事撮れてよかったです。

 
 
 
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絵みたいな空⛅ この空のしたで踊れることに幸せを感じる。 #UNYADA

うにゃだゆういち UNYADA(@unyadance_typhoon)がシェアした投稿 -

  うにゃだゆういちさんはインスタにあげてるように、仕事終わりなどにときおり淀川で踊っているそうで、おれはそういう感じの”仕事終わりに淀川で踊る”的な自分のための創作活動がとても大切なものだと思っています。自分ににとっての音楽とかもそう、別に手段問わずこの感じ・・・。そういう気持ちを共有したいな〜みたいなことを考えていたので、それが無事できてよかったなあと勝手に思っています。

 大衆を揺り動かすようなものでなくても、個人のための表現活動があるんや、だからおれらはやらざるを得ないんや、みたいな気持ちは、本作品で言いたいin my own way感のだいぶ急所でもあります。

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6.Longing

 一作品に一曲はインディーロック的な曲を入れたいよねという曲。見事に曲発生の瞬間が3時間にわたり記録されており貴重。

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 バンアパの2017年作"Memories to Go"を聴きながらなんとなく思春期を思いつつThe Embassyの"Tacking"に見られるようなリズムマシンインディー歌謡を作りたかったのです。

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youtu.be

 過剰にギターをぺらぺらにしたくなってしまうのは一般的な嗜好との解離を感じてしまいますが、歌メロは本作で一番お気に入りです。ギターの弾く楽しさと完全に独立して、やっぱりギターの音色は好きだなと改めて思います。

 

次は適当に細々したリリースでお茶を濁しつつ、明るく楽しい3rdアルバムを作っていこうと思います。

 

なんとなくSpotifyで本作を作る上で影響を受けたっぽい曲たちのプレイリストも作ってます。何卒。

open.spotify.com