無題

 自粛生活はぬるっとはじまった。えもいえぬ手持ち無沙汰感から、デジマートやメルカリ、ヤフオクを巡回しては不要不急の安価なエフェクトペダルを買い漁る。在宅勤務の合間になる配達のチャイム、宅配の人の顔を見るや己の愚かさに気づくのであった。こんなことは極力やめないといけない。一瞬そう思ったが、この行為は果たして単純に社会悪と言い切れるのだろうか?

 かつて週末が来るたびにウーバーイーツで飯を頼んでいた引きこもり志向の強い自分、ふとTwitterで「ウーバーイーツを使うやつは搾取の精神性がある」的なツイート(細かい文言は記憶なし)をみかけた記憶が蘇る。

 「いやそんなことはないやろ…笑」とその時は思っていたが、コロナ禍中でしょうもない通販をする行為と、日常的にウーバーイーツを利用する感覚というのは悪い意味で地続きであるように感じてしまった。そこにはある種の浅ましさがあるように思える。

 だからといって、"社会への迷惑具合"なんてものが自明なものとして測れるとも思わない。週末に江ノ島に遊びにいくやつと、スーパーへ行くのも横着しAmazonで水をケース買いして宅配に運ばせるやつがいたとして、どっちがどのくらい迷惑だみたいな話なんていうのはしようがないのである。そしてその行為によって利益を得る人だっている。自分の行動がマクロに及ぼす影響の良し悪しなんてわかるわけもなく、結局は自己満足、もんやりとしたアティチュードの話にたどり着く。

 我々は役割分担をして社会を運営しているような形になっているわけであるが、この未知の事態、自分が役割を全うできているかを考えてしまう。考えれば考えるほど最近の暮らしは「穀潰し」でしかないような気がしてしまう。穀、というか毎日カレーである。そろそろ違う料理を作らないといけない。

 

3月某日

 セキトバに呼び出され近所の公園へ。ソーシャルディスタンスを保ったお悩み相談。天気が非常によく、外がえらく春めいていて、そんなことにも気がつかないような暮らしをしていたことを少し反省してしまった。

 先日のマゴチとの旅行もそうであるが、「困った時にどうやってヘルプを出すか?」みたいなのとはずっと考えていたことであった。究極、「適切にヘルプさえ出せれば友人たちが最終なんとかしてくれるわ」くらいに思えるようになりたいし、自分の友人にもそう思って欲しいものである。

 

3月某日

 ゆっくり音楽を聴く時間が増えたので、普段聴かないようなところにまで手が伸びる。なんとなくドリルミュージックを時間をかけて聴いていた。

 そもそも自分は、作品から作者の人となりに触れられると信じていて、さらにいうとその人となりに触れられるようになるためにリテラシーを獲得したいと願っているような人間である。「創作物」と「作者の人格」は切り離されるべきか?みたいなよくある問いに関してはもっぱら食傷気味で、切れるわけないやろ、としか思えないが、一方でハスリン具合を積極的に歌っていく類の音楽との向き合い方はいまだにはっきりしない。

 極端な環境に育った人間は自ずと自己を鑑みる機会が増えるわけで、おのずと創作物に強度がでる傾向はあると思うが、ぬるっとサラリーマン家庭で育った自分がいかにそういった強度を獲得できるか?というのは自分のテーマでもある。

 

3月某日

 ビンゴさんから京都メトロでの配信ライブ出演依頼。とはいえ世は週末の自粛要請が前日金曜の20時にでるような狂った状態でもあり、自宅のある大阪から京都までの電車移動も憚られるので、「行政側からの自粛要請が出ておらず、かつギリギリ(前日〜3日前)まで告知をしない方針であれば行けると思います」といった旨の返事をする。

 返事をしておきながら、これからクラブからの配信が乱立するであろう時に、リアルイベントの代替、下位互換としてただやることに関していまいち煮えきらない感じを覚えていた。

 秋葉原MOGRA先導で行われていたMU2020にえらく感動してしまったという事実も頭の片隅にあった。配信の乱立、と言う誰もが思いつく課題には”クラブ間でユニオンして一つのイベントにする”と言うアプローチ、ドネーションの方法や利益分配など、やはり感動の裏にはよく気の行き届いた仕組みがある。

 暇さも相まってオンラインで雑談を重ねる果てに、「ライブはワンオペ別録」、「メインは副音声のガヤ」、「”みんなで一緒に見ている感”のあるフォーマット(イロモネアや相席食堂のイメージ)」という骨子が決まった。前身イベントの名前が「スクリューパイルドライバー」であったため、適当に「ブレーンバスター」と名付けた。Googleにそう打ち込むと、サジェストに”死亡”と出てきて笑えた。

 何もしていないのに「これは面白くなるぞ」といったような根拠なき共通認識を得て就寝。久しぶりにポジティブなトーンで話している自分に驚いてしまった。キツいニュースばかりであり、調子は少しずつ悪くなる。少しずつであるため自分の調子の悪さにも気が付きづらい。こんなことになる前の自分の”普段の感じ”なんてものはもうすっかり忘れてしまった。

 

3月某日

 京都メトロでライブ収録。ほぼ誰もいない神宮丸太町の駅、ほぼ誰もいないメトロ、無人空間にむけて放たれる音楽・・・。ゾンビ映画の導入のような気分になり、「この動画を皆さんが見ていると言うことは・・・」といったメタ的な動画をふざけて撮影しておいた。ゾンビ映画ではないので自分は死んではいない。ライブ収録後に打ち上げの類や食事にいく訳でもなく、淡白な進行であったが、不思議と元気になったような気がしていた。

 

4月某日

 7都道府県に緊急事態宣言が出た。先日撮影した「この動画を皆さんが見ていると言うことは・・・」から始まるふざけた告知動画を公開したが、結果として想定よりも世の中はバッドな状態になっていた訳である。

 音楽関係のベニューのクラウドファンディングが次々と立ち上がる様子を見ながら、全員は助からないだろうな、といった暗雲たる気持ちになる。この状態を"来るべき淘汰"であると捉え、勝ち上がるチャンスだ、とする考えもあるようであるが、自分は到底そんな好戦的な気持ちにはなれそうにない。

 

 4月某日

 ブレーンバスター当日、 比較的好意的に受け入れられたのと、目標である収益20万を達成できたので安堵。初回ボーナス感はあり、この調子でずっと続けられるものだとは思っていない。コロナ禍がこの先もずるずる続いたとして、ピンチはチャンス、と言い切れるほど自分はポジティブではないが、怪我の功名みたいなものは確実にある。

 あとピアノ男はいつだっておれたちに勇気をくれるのであった。

 

 

 

 

 家から出ず、生活リズムもグズグズ、思い出されるは音楽制作と言う趣味を獲得する前の大学生活であった。最近もしばらくは音楽を作る気力もいまいちわかず、いたずらに時間を浪費していたが、環境に慣れたのか、徐々に活力を取り戻しつつある。

 コロナが無かった頃の感じがもはやあまり思い出せないのと同様に、この今の感じもまた思い出せなくなるのであろう。

 そんなこともあって、せっかくだしなんか書いておくか、と普段よりこまめにこれを書いているが、改めて自分が日記というフォーマットが好きであることに気づいた。結論を出す必要もなく、意見を提示する必要もない。起こったことと、それに対して感じたことのペアがただ並んでいるだけである。そのペアを並べていくのは、自分が好きなものを並べて眺めている時の気持ちと少し似ているように思う。あとで自分が読む用に書いているが、人が読んでも良いことにしている、そのくらいの感じである。

 新譜の制作もようやく再開した。この際なので、何も考えずに、できたらそのまま無邪気に出すつもりことに決めた。今のこの感じは、意識せずとも勝手に反映されるであろう。

 

無題

 昨年あたりから、自宅になんとか防音室を導入できないかを検討しており、ダラダラと物件を探したりなどしている。

 日本の土地柄上、音楽をすることは本質的に迷惑であるというのが自分の考えである。物件所有の大家からすると、楽器を演奏する人間や、低音にフォーカスした音楽を作る人間に部屋を貸すことは相対的にリスクの高い行為であるし、入居したアパートの隣人がクラブミュージックの愛好家であったり、アンプリファイドすることなく大音量の出る楽器の演奏家であった場合、ネガティブな感情を持つ人が大半であろう。かなり下駄を履かせたとしても、自分は"厄介な隣人"成分を常に持っているのである。

 それでも自分は音楽をやる。音楽は楽しいし、音楽が人々に必要であると信じており、音楽ありきで将来のことを考えている。一方で興味がない人からすると、単純に迷惑であり、なんの意味もないと感じる。これは至極真っ当である。

 そんな自分にできることは、最大限配慮することと、人の迷惑を許容することくらいしかない。防音室は、単純に前者の話である。

 コロナウイルスの流行、および補償なき自粛要請のため、音楽業界は経済的な窮地である。経済対策に当てられる予算そのものの多寡に対する働きかけは難しいが、その中で音楽に充てられる割合を少しでもデカくするというアクションはリーズナブルであり、今求められているものであろう。現場最前線の人たちが#SaveOurSpaceのような運動を立ち上げ、サポートをしている。業界の現状と規模、需要を、正当な手続きできちんと政治のテーブルに乗せるような働きかけは、今の我々が絶対にしなければいけないことの一つであると考えている。

 しかしながら、最終的には、決められたパイの中から、業界間でゼロサムの取り合いをしているような性質のものになるわけであるから、相対的に音楽業界の分が悪いという事実はかわらない。

 社会における音楽の立ち位置と、置かれている状況を適切に政治の場に伝達する。目先の困難は、それが貸付であろうともキャッシュを集めて乗り切る。長期的には、リスクを許容できるようなマージンを持てるよう音楽業界(規模の大小は問わない)のデザインを考え直す。最大限配慮することと、人の迷惑を許容することが基本姿勢。大枠としてはこれが今の自分の意見である。そんな考えのもと、団体や組織を選んでサポートし、in the blue shirtとしての活動をします。

 これはあくまで暫定、友人各位も、zoomでもdiscordでもいいので意見を聞かせてくれると嬉しいです。小さい個人の意見をきちんとテーブルにあげ合い、良いところは取り入れ、考えの甘いところは指摘する、可能であればテキストベースで、苦手であれば口頭での議論で。ボトムアップで、このなんとも言えない雰囲気に建設的なやりとりをもたらすことができればよいと思います。

 防音室は、現物株の含み損がクソほどあるので無期限延期です。アーメン。

 

1月某日

 名古屋にてTouch&Goなるイベントに出演。地方でパーティを繰り返し、お客さんと雰囲気を仕上げていくのは大変なことで、根石兄弟をはじめとする運営メンバーにはリスペクト。気心の知れたメンバーでナイスパーティに乗り込めるのは非常にありがたいこと、新年1発目にして気持ちよくプレイできたと思います。

 気絶したように眠ったのち、ホテルで目が覚めるとチェックアウトの時刻をやや過ぎており、準備をして慌てて部屋を飛び出す。部屋を出るやいなやエレベーターを待つするとパ音の柴田くんが目に入り妙に安心してしまう。フロントに降りると西山くんが待っていた。Twitterを開くと、バツくんはもうすでに岡山入りして、次のイベントのリハをしている様子であった。

 一足先にチェックアウトをしていたimaiさんと偶然名古屋駅で遭遇したので、みなと一緒にひつまぶしを食べる。話題の中心はimaiさんの過去の活動エピソード。キャリアの数だけ面白い出来事がある。やはり自分にはまだ経験が足りていない。

 

1月某日

 ミツメの企画イベントWWMMに出演。ボーカルの川辺くんと昨年末からダラダラ曲を作っており、そのうちの一曲を川辺くん歌唱でやってみるといったレアな試みも。仕事で歌ものを制作した経験自体はは割とあるが、in the blue shirt名義でボーカルをフィーチャリングして曲を作ったことも、ましては生歌でのライブなんてしたことがなかったのに、なんとなくの思いつきでやってしまったわけであるが、何事も経験である。早くリリースできるように頑張ります。

 自分は"好きなモノへの執着の果てに、その向こう側が見えてしまった"、 みたいな音楽作品が好きである。そのような音楽を「裏面に行った」とか「裏音楽」と呼ぶのにハマっており、トーフビーツ氏と、ミツメのライブを見ながら、「これは完全に"裏"行ってますねえ…」などと言い続けていたなど。

 

1月某日

 WWMMが終わり、飯を食うやいなや東京のホテルで気絶するように睡眠。ノー目覚ましノー起床、予約していた福岡行きの飛行機に間に合わないことに気がつく。片道4万円のANAしか座席に空きがなく、それに乗って福岡へ。

 この世からいなくなってしまった大学の同級生に線香をあげ、友人と飯を食って帰宅。音楽とは関係のない友人の中で、曲をリリースするたびに感想をくれる貴重な男であった。正面から返事をするのが恥ずかしく、適当に流しているうちにこれである。こういった取り返しのつかない失敗を、自分はこれからも繰り返していくのであろうか。

 

2月某日

 Potluck lab vol.3を開催。好きなことを続けたり、周りで応援していることが続いていくように、できることをやっていくだけである。

 自分は音楽活動を、なんとなく種まきフェーズと収穫フェーズに分けて考えており、制作が種まきならリリースが収穫、練習が種まきならライブが収穫、といったように、基本的にそれらは対である。一方で、世間の評価は収穫に対してなされる。そのせいかどうかはわからないが、対になっているはずなのに、世の中は収穫偏重であるように思える。種まきと収穫をイーブンにしていくことが、インディペンデントな営みを続ける上では必須であるというのが自分の結論である。

 太郎と「おれたちはサスティナブル原理主義だよな」というような話をしたこともあるが、結果的にサスティンしなかったり、それ自体は単発的なものであったりしたとしても、その行為がサスティナブルであるかを考えることは、不誠実さを取り除くにはよい方向に作用するよな、とは思うようになった。

 

3月某日

 北加賀屋のクラブDaphniaに出演。遠方のアクトのキャンセルもありローカル中心。ここから先はクラブイベント出演に否定的があることも承知、主催のゆうちゃんの姿勢と大阪の比較的新しいベニューをサポートする意向で自分は降りずに出演。万が一の感染発覚後の動向把握のため、来場者全員の連絡先を抑えるなど、妙な緊張感の元スタート。地合いはさておき、Daphniaにも、関西のシーンにも活気というか、好きなことを続けるだけの気持ちはまだある。この活気はいつまで持つのだろうか。

 

3月某日

 夕方まで爆睡したのち梅田のカフェへ。パーゴルメトメさんゆーちゃんと延々会話をしていると、偶然セキトバたちもやってきて、結局終電手前まで会話をし続ける。みなよくしゃべるし、自分もよくしゃべるほうである。近頃考えていたことに対して、多少頭がクリアになる。関西地域に"外出をするのは良くない"みたいな空気はほぼない。

 

3月某日

 横浜で友人の結婚式。だいぶ規模が縮小されてはいるが、"外に出てはいけないムード"の蔓延のちょうど直前といった時期であった。

 こんな時期と当たってしまうのはとんだ不遇であるが、現地に来たかどうかと、祝いの気持ちの大小に関係はないので、忘れられない思い出として、これからもお幸せによろしくお願いします。よい式でした。

 

3月某日

 渋谷asiaでFFFなるイベントに出演。関西から都心への移動、有事の際はいよいよがっつり批判の対象といった身分である。新幹線は実に空いており、3人席を1人で使い、前後も無人である。

 あう人あう人、音楽関係の知人らとは「最近どうですか」といった話で持ちきりである。トラックメイカー勢はみな、現時点でそこまでドラスティックなダメージを負う様な活動形態の人は少なく、みな口をそろえたそうに「いまはひたすら曲を作っている」という感じであった。夏以降は音楽業界全体でリリースが増えそうであり、それはここ最近で唯一の明るい話題である。

 

3月某日

 すっかり都内は自粛ムード、関西は相対的にマイルドではあるが、人の数は減り、いつも通りとは到底言えない雰囲気である。ネットでは緩みのあるムーブに対するかなり厳しい視線を感じてしまう。

 「外タレ日本に呼ぶのが春から3発続く、ここから良くなっていく気がする」みたいな話をしていたNC4K、太郎とマゴチが「コロナで全部なくなっちゃったな」といった旨の会話をしている。自分の目先な出演イベントは全てなくなってしまった。自分はいつものように、可処分時間を可能な限り制作につぎ込むことだけを考えているだけである。みな楽しく暮らせることを願うばかりであるが、そのために自分にできることなんてほとんどないようなものである。友人と音楽を頼りながら、心穏やかに暮らすよう努めるが、いったいいつまでもつのだろうか?

 

 

 

 

 自粛の考えは「個人の利益より全体最適を考えようや」という発想から来ているとは思うが、無意識に全体最適を自己の利益とすり変えて、「自分が家から出ていないのだから、お前らも出んなよ」という考えにならないように気をつけたい。自分の利益を考えると、自分以外の他人が一切の外出をやめ、感染を拡大しないようにするのが理想のように思ってしまいがちであるが、自分がいまだにスーパーで買い物をしたり、コンビニに行ったり、郵便物が届いたり、インフラが維持されているのは外に出て働く人がいるからである。経済活動そのものの活性や利便性と感染の拡大はおおむね相反するものであるから、全体最適のために、行動凍結ぐあいの最適値がどれくらいかを見積もり、どこからが不要不急かの厳密な判定ができるほど、自分は全知全能ではない。

 仕事は民間企業でのR&D、趣味は音楽の自分が家に引きこもることは容易いし、しばらくはそうするつもりである。一方で事情は人によって様々で、置かれた状況、判断基準は人によってバラバラである。外にいる人を悪く言える立場ではない。

 国の方針はもやっとしており、不安は募るばかりである。その"はっきりしなさ"から来るネガティヴな感情の反動で、細木数子の「あんた死ぬわよ」的な、ロジックをすっ飛ばして結論先行で人を駆動させるようなやり方が支持を得て増加しそうな予感がしており、それもまた不安である。

 

(もう少し練ってから書きたかったエントリですが、いまこの雰囲気の真っ只中での考えをアーカイブしておきたい気持ちからの投稿です。クラブイベント出演を3/20まで続けた、一個人の記録の定点観測です。否定的な意見には目を通した上で今後のアクションに反映します。)

POTLUCK Lab. vol.3振り返り

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【そもそもなんのイベント?】

 DTMワークショップイベント。有村の知人・友人が音楽について講釈を垂れる。お客さんは自作の楽曲を事前送付でき、イベント中にみんなで聴くという愉快な一面を持つ。ストーンズ太郎と有村が主催。

【フライヤー】

 10点満点中2点。時間をかけても仕方がないが、ダサすぎるとマイナスなので頑張りたい。初回に比べるとだいぶマシではあるが。強制的にイラレを使う機会を捻出できるのはよいです。

 

【開催会場選び】

 そもそもイベントの目的が”自分らが楽しく音楽を続けるための土壌づくり”であり、その土壌のうちの一つが、”イベントにお客さんが来る”ことである。人間の性質上、行ったことがない場所に行くのはエネルギーが必要であるから、イベントに便乗して、みなさんの”行ったことがあるクラブ”を強制的に増やし、自分らの活動をしやすくしようという魂胆。前回の京都メトロは会場として文句なしであったわけであるが、上述の理由で会場は変えていきたいという思い。

 しかしながら

・キャパ60人以上

・自分や友達がよく出演する

・箱の人と面識があり、便宜を図ってもらえる

という条件でandをとると該当する会場はほぼなく、CIRCUS OSAKAくらいしか思いつかずに店長ミタちゃんに相談させていただきました。クラブイベントとしてはド特殊な本イベント、ご快諾いただき改めてありがとうございます。

 

【環境】

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 基本的に前回京都メトロでのノウハウを踏襲。決定的な違いとしてCIRCUS OSAKAには”椅子がそんなにたくさんない”という問題が(椅子が100脚弱ある小箱は基本的にない)。

 ”ブルーシート敷いて地べたに座らせる”という、ともすれば「物売るってレベルじゃねーぞ」状態になりうる采配をお客さんがどう感じたのかは謎。「もう二度と嫌です」という方がもしいたらご連絡ください。またやってしまう恐れがあります。

 結局会場が変わるとあるレベルは出たとこ勝負、至らない我々ではありましたが、CIRCUS OSAKAのサポートでなんとかオープン(5分押し)できました。毎度ギリギリ。改めて 会場側のサポートに感謝。

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【参加登録】

 前回に引き続きGoogleフォームでの参加。CIRCUS OSAKAが「座り形式のイベントを実施した前例があまりない」とのことであったため、様子を見ながら恐る恐る定員を増やしていきました。結局前回と同じ80人程度。

 送付曲のファイル形式とファイル名の指定もしたため、前回に比べ作業時間は確実に減りました。とはいえ当日に漏れがあったりと課題はちらほら。

 

 

【登壇者】

 これまで「音楽理論や細かい理屈がわからなくても、バイブスがあれば楽しく音楽作れますぜ!」的な切り口での演題が多く、そして基本的に自分もそういうスタンスではあります。が、逆に体系的に先人が構築した理論をないがしろにするのは本意ではなく、誠実でもないので、楽理サイドに明るい人間を召喚したいという気持ちもありmochilon(柿本論理)にお声がけ。

 楽理側からの話を聞くならそこから遠い側の人間も呼ぶと対比が際立っていいなという考えから、西の天才ピアノ男をブッキング。絶大な信頼があったので心配はなかったとはいえいえ、当日までマジでなんの話をするのか不明であった。

 我々の目指す”イベントにお客さんが来る”状態に持って行くうえで、プレイヤー、お客さん、会場のwin-win-winのトライアングルを作りたく、もう残すところ会場側の人間を呼ぶのは必然でありミタちゃんにお話をしてもらうよう依頼。今回の登壇者で唯一女性。

 初回、男子校ノリでバイブス開催した結果、女性のお客さんが想像以上にきてくれたため、なんとかせんといかんなという意識のもと、女性登壇者を可能な限り呼ぼう、という合意を太郎としたものの、いざやってみるとマジで人がいないという情けない事実に向き合うことになりました。

 いままで女性が少なかった、ということは、裏を返せば女性がたくさんいるコミュニティにすればそれだけで今までにない要素が獲得できるわけで、創作上もメリットしかないので頑張りたいです。

 

 【イベント当日】

<集客>
 来場者数は70数人程度。赤字前提の運営を続けるつもりでいたところ、太郎から「トントンにはしたほうがいい」とブレーキを踏んでもらったこともあり、熟考のすえ入場料を値上げ(D込み¥2500)しました。

 教える側と学ぶ側、みたいな構図には絶対に避けたいというのが自分の考えであるが、金を支払えば支払うほどその関係性が強化されてしまう気がしており、値段は安ければ安いほどよいというスタンス。収支はプラマイゼロのキワを攻めたいところ。

 このイベントでの自分の立ち位置を表現するよい言葉を考えていたが、「飲み会の幹事」が一番近いという結論に。

 

<本編>

有村+ストーンズ太郎

「音源聴き比べ」

・太郎もおれもレコードでのリリースがあった

・前回事前送付の音声ファイル形式がかなりめちゃくちゃであった

というのが元々のモチベーション。当日寝坊しないためにおれんちに泊まっていた太郎と二人で事前にブラインドチェックをしたところ、「これは外すかもしれん・・・」という懸念を胸に実施。

・そもそもレコードに馴染みがない人にレコードを聴いてもらう

・音声ファイル形式の基本(mp3/wav)を知ってもらう

・違いを耳で体感してみる

の3つが伝わればOKという感じ。「このシンセはEDM向きです」とか「このコンプは音が太いです」とかよくわからん事前情報が与えられがちなDTM界隈、”ABチェックを自分の耳でやってみる”大切さみたいなのを忘れずにいたいですね。


 

ピアノ男

「ご冗談のような音楽とおふざけテクニック」

 資料の公開をご快諾いただいたので資料を置いておきます(そのうち消えるかも)。

 自身の好きな辺境の音楽たちを体系化して整理し概説した上で、ウェルメイドな音楽だけではなく、辺境の創作物にも目を向ける重要性と音楽を作る上での多様性の大切さに着地する見事な内容。

 天才であることを承知でのオファーであったにも関わらず、正直予想の5倍くらいすごくて打ちのめされてしまいました。好きなものへの真摯さ、ハードディガー精神もそうですが、未開の領域のことを"自分の頭で考える"姿勢はマジで見習いたいです。簡単にできることではないですが。

 

mochilon(柿本論理)

「コードとメロディの話」

 体系化されていない領域に果敢にアタックするピアノに対して、音楽体系のど中心にも目を向けようということで楽理の話を依頼。

 全くの無学から音大での学習経験がある方まで、お客さんの前提知識にあまりにも差があるため、非常にレベル設定が難しく、かなり無理難題を頼んでしまい申し訳ない・・・まったくついてこれなかった方は申し訳ないです。おれの責任!

 本人にもギリギリまでレベル設定を悩ませてしまいましたが、バークリーメソッドのさわりを駆け足で説明するような内容でお話いただきました。氏の真面目さが滲み出る資料、改めて感謝・・・

 コードとメロディに理屈をつけるの面白そうだな〜と思った人も、難しいんやな〜と思った人も、こんなん知っとるわ!という人もいたと思います。多様性・・・

 

ミタちゃん

「ハコの人に聞く」

 無責任にミタちゃんを巻き込み、着地点を設定せずにトークを始めてしまいましたが、プレイヤー、お客さん、会場のwin-win-winトライアングルへの第一歩が踏めたのはよかったな〜という気持ち。

 対話の場が開かれるのが重要、違った立場の人の話を聞くのは楽しいスね・・・。

 曲も、イベントも、会場も、勝手に降ってくるものなど一つもなく、全て人がやっているものなのだなあみないなことを考えながらしゃべってました。

 

Take Potluck「来場者持ち込み音源試聴会」

 だいたい50曲くらいを二部に分けて聴いていきました。

 「よくできた量産品よりも唯一無二のクソ(by パ音 西山)」のスローガンにのっとると、"曲の選定"というのはナンセンスかつ性格的に向いていないので、”持ち込み曲は全部かける”方針はキープで。最終的には時間との戦い、一曲2分でも100分必要であるが、それだけかかってもやる価値がある気がします。

 このコンセプトをキープする、ということはすなわちこれ以上規模を大きくしない(ならない)ことを意味しますが、規模がでかくなりすぎないのもそれはそれで良さであると考えています。

 

 ミタちゃんがある曲をきいて「別れの曲っぽい!」みたいなことを言っていて、そうそう、おれがしたいのはそういう話なんですよ・・・と思ってしまいました。

 リズムパターンがこう、コード進行がこう、低音がどうこう、音色がどうこう・・・というテクニカル面が聴いてわかるようになると面白いよね、というのもありますが、音楽を通してえも言えぬ情報を伝えたり汲み取ったりするのが自分おやりたいことの一つでもあります。

 ”答え合わせ”とまでいうと野暮な感じもしますが、自分の感じた抽象的な感想(「すごいさみしい感じがする」「なんかヌメッとしてる」などなど)を作った本人に投げかけてみて、当の本人は何を考えていたのかを確かめてみる、ということができる、というのはこの会の最大の魅力であると考えています。

 今は有村太郎が感想を言いながらかけていくスタイルですが、可能であるなら一曲ずつ作った人に出てきてもらっていろいろ話してもらいたいんだよな〜という気持ちも。ガチ合評回も要検討かな・・・。

 

 【イベント後交流会】
 馬鹿正直にGoogleフォーム登録の人数で予約して当日に10人ほど人数が足らずアホほど赤字を出した前回の反省を踏まえ、一般的な飯屋の予約を諦め会場付近のイベントスペースを3時間確保。キャパも程よく、人数の増減にも対応できるので、次回からはこれでいこうと思います。

 毎度感動するほど有意義な時間になるので、本編を短くして交流会の時間を伸ばすべきなのか?と悩んだりしますが本編あっての打ち上げだよなあとも思います。文化祭せずしてファミレス行ってもなあ的な。

 友達いない状態で参加してくれた人を上手いこと輪に合流させる手口は模索中です。

 

 【全体所感】

 3回もやっているのに毎回ギリギリ運営ですが、「おれが意思決定を独断でして、太郎が見守りつつ随時バランスとる」という運営はだいぶ調子がよくなってきました。さらにいうと、有名なアーティストがやるとどうしても「教える側と学ぶ側」の構図になってしまうので、自分の規模感はじつにこのイベント向きであるなとつくづく思います。

 ローカルかつインディペンデントで音楽をやっていく、となった時に、広告代理店の方法論のようなものをを低クオリティかつ小規模に焼き直しをしたところで仕方がなく、狭小コミュニティであるがゆえの独自のよさみたいなのがでたらなあとはいつも考えています。

 in the blue shirtをハードコア無所属個人運営へと向かわせている自分、一方であえてレーベル(NC4K)という形をとったストーンズ太郎。形は違えどローカル&サスティナブル志向という意味で志を同じくしている同士である我々。長い目で見た時に自分らが楽しくなるように、という視座での活動の一環がこれ。善意で開催しているわけではなく、全てはおれの私腹を肥やすため・・・

 

 何回もやっていると、毎回来ている人など、だいぶ仲良くなってきたような感じがしていてそれも嬉しいです。一方で、新しい人が来づらくなっても本末転倒なので、変なお作法や暗黙のルールが発生しないようには気をつけたいです。

 参加者がコンピを作っていて間も無くリリース、という楽しげな話も聞いております。私は関わってはいませんが、意地悪しているわけではなく、めいめいの活動には原則口を出さないという勝手なとりきめなのでご容赦ください。おれがクオリティコントロールとかしだすと趣旨に反するので・・・。来てくれた人のリリースは視界に入ったものは引き続き全部聴きます!

 ”音楽は続けたもん勝ち”というのはおれと太郎の共通認識、3回とも来ている人はもう1年弱曲作ってるわけですから、もう安泰みたいな感じもしています。ダサいとかダサくないとかは一切棚上げして、どんな形であれパソコンで曲作る人が増えた方が楽しいよな〜というのが自分の考え、このイベントがみなさんのモチベーションの支えになったら幸いです。引き続きよろしくお願いします。

 

 【写真など】

整理中です、なんかいい写真あったらください

 

 【みなさんの感想】

みなさんの感想・レポートはは宝

 

毎度おなじみtakawo氏

http://takawo.hatenablog.com/entry/2020/02/08/190537

ほーりーA氏

https://ayataction.hatenablog.com/entry/2020/02/10/071650

HYPER THANKS BOMB氏

https://htb712.hatenablog.com/entry/2020/02/09/221757

ほしあさひ氏

https://note.com/hoshiasahi07/n/n5df014e0bf1d

 

 【次回予定】

知らねーーーっ!!!!夏か秋!!!!!

 

 

POTLUCK LAB vol.3 事前連絡

POTLUCK LAB vol.3

運営:有村+ストーンズ太郎

 

お世話になっております有村です気づけば3回目となるPOTLUCK LAB vol.3、ちょいツイッターだけの告知では言葉足らずな感じがあるのでこちらにも・・・

 

【日時/場所】

2019/2/8(土)13:00〜19:00 @CIRCUS OSAKA

〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1丁目8−16 中西ビル

 

参加登録は以下。当日券はいまのところ出す予定はありません。

https://forms.gle/hNqrrXAmQcWN4N4k9

 

【お金】

D込み¥2500

2500円で入場+ドリンク一杯。高くてごめんなさい!!!

 

13:30〜14:00

有村+ストーンズ太郎

「音源聴き比べ」

おれストーンズ太郎もレコードでのリリースがあったこともあり、いっちょメディアに向き合っておくか的な企画。

1.アナログvsデジタル

2.WAV vs mp3

3.16bit vs 24bit

の三つを軸に格付けチェックやっていく予定。事前資料は以下!どこまで掘り下げるかは時間と相談。

 15分休憩

 

14:15〜15:00 ピアノ男

「ご冗談のような音楽とおふざけテクニック」

伊賀の産んだ天才ピアノ男の講義。リョウコ2000名義でのマルチネからのリリースも記憶に新しいですが、ガチ誠実にガバに向き合い続ける男の生き様を聞きましょう。

 

15分休憩

 

15:15〜16:15 

持ち込み音源視聴会1

持ち込まれた曲は全曲再生が信条の本イベント、今回もがっつり2枠とってみんなの曲を聴きます。ガンガン感想を言い合えるようにしていきたいすね。

 

15分休憩

 

16:30〜17:15 

mochilon(柿本論理)

「コードとメロディの話」

前提知識がなくても音楽作れます、音楽理論を知らずとも音楽制作を楽しめます的な導入のワークショップ多めでここまできましたが、それはあくまで音楽の一側面に過ぎないので、一旦楽理サイドを垣間見ましょうという意図でmochilon(柿本論理)氏を召喚。ポカリスウェットをはじめとするお茶の間CMから各種歌ものまで、 音楽理論的な切り口から話してもらおうと思います。お客さんの前提知識のレンジが広い本イベント、無理難題いうてすいません・・・

 

15分休憩

 

17:30〜18:00 

ミタちゃん

「ハコの人に聞く」

POTLUCK LABでめちゃくちゃ聞かれる質問の一つ

「クラブイベントってどうやったら出れるんですか?」

に答えるのが難しいので、もうクラブの人に聞いてしまおうという趣旨。CIRCUS OSAKA店長を召喚。でかい音はでかい音が出せるところでしか出せません、場があってこその我々なので”場”サイドから考えてみようという次第。

めっちゃ真面目な話に突入しそうな気もしますが、なんでも聞いてみよう

 

18:00〜19:00 

持ち込み音源視聴会2

せっかくなんでクラブ側の人にも曲聴いた感想をきいてみましょうね

 

 

連絡事項

f:id:Arimuri:20200204214937p:plain

会場の全貌は上図、メインのプロジェクタに加え気が狂ってまたこのイベントのためにモニタを購入してしまいましたので二画面での視聴です。音はどこにいても聞こえるかと。

一点だけお詫びなのですが、なんと会場に人数分の椅子がないため、フローリングにブルーシート敷いてお花見形式での視聴となります。長丁場でお尻が痛い恐れがありますので座布団的なものがもしあればご持参いただけますと非常に助かります。こっちサイドでも可能な限り善処します。

 

【二次会(交流会)】

 19:30〜21:30まで、キャパ50程度のイベントスペースを借りております。申し訳ありませんが、カンパ制で1人1000円いただくことにします。

 50人以上くるとこちらもかなりキツキツですが、出入り自由で適当にピザ食ったりする予定です(謎にキッチンもあります )。途中参加途中抜けOKですので、事前参加の有無を気にせず気楽にご参加ください。本編中はみんなで交流する時間が取れないのでここでコミュニケーション取りましょう。友達がいない人は私と喋ることになります。

 

3回目なのに至らないことだらけですが、参加される方は何卒よろしくお願いいたします。

 

参加される方で曲がある方は以下へ登録よろしくお願いします。全部かけますぜ

https://forms.gle/VZJeAJi3UWxJua8z6

 

【参考】

<vol1>

有村ブログ

http://arimuri.hatenablog.com/entry/2019/05/30/220625

 

<vol2>

有村ブログ

http://arimuri.hatenablog.com/entry/2019/08/29/030714

 

<mini1(有村自宅会)>

 

Youtubeアップ分

https://youtu.be/xn-vrmEkknw?list=PLNdj0Iz_UsvMamnLpTD64V2Y9Xd9KUnwD





無題

 今年のメイントピックスを考えると、完全に活動を個人ベースにしたこと、なんだかんだでアルバムを出したこと、Potluck Labをはじめたことの3つであるように思う。

 依頼を受けてするクライアントワークとイベント出演だけで、なんとなく活動した気になってしまうが、その中でもなんとか能動的にアクションを起こせたのは個人的によかったことで、なんとか年を越せそうという心持ち。

 一方で、曲を作らないといけない、というよくわからない強迫観念に苦しめられた一年でもあった。平日仕事終わりに、なにもせずにグータラして寝たのちに、「今日はなにも制作ができなかった」とバッドに入ることが増え、何故してもしなくてもいいことで、こんなにストイックにならなければいけないのかという気持ちになるときもあった。

  とはいっても、JETSETでベストディスクをやり、サンレコでのDAWオペレーションの連載を持ち、bibioの新譜のレビュー書いて、自分の好きな音楽をやり、好き勝手配信やバイナルリリースをして、サブスクリプションでは年間100万回以上も再生され、イベントではいろんな街に呼ばれ…と、昔を思うと随分と出来過ぎな一年であった。

  年末はすっかりなにもする気が起きなくなってしまって、適当に過ごしているうちに気づけば大晦日。今日もDTMをしており、結局好きなことを好きなようにやって、なるようになればよいなと思うだけです。今年関わってくれたみなさん、ありがとうございました。

 

10月某日

 ボロフェスタに出演するために京都へ。昼から行って他の人のライブも見るつもりであったが、制作が立て込んでおり結局夜になってしまった。夏まで付き合っていた人に結婚報告をされるという怪奇なイベントを経て、なんとも言えぬ気持ちで京都メトロへ。

 ライブを初めて見るDos Monos、大先輩OUTATBEROのライブののち自分。普段クラブに来ないような層ががなり多かった今夜、日常比で過剰量のドープ成分を摂取しまくったフロアの面々に、いい感じにシャバくてキャッチーな自分の音楽がフィットしたのか妙にウケる。最近は立て付けが軟派であることや、ある意味でのシャバさに負い目を感じることはほぼなくなったように思う。

 深夜未明、朝から稼働していたであろう若いスタッフたちが地べたで爆睡しており、「この人たちは明日も朝からKBSホールへ向かうのか・・・」と素直に感心する。学生ボランティア中心で運営されるこのイベント、同世代でワイワイ、みたいなイメージを持っていたはずなのに、大学一年生はもはや10コ下、気づけば知らない人ばかりであり、改めて自分が京都の外に出たことを実感する。

 東京に拠点を移したホームカミングスの畳野や福富とも久しぶりに喋る。大学を卒業してすぐ位の頃、福富が「これくらいの感じで音楽続けられればいい」みたいな話をしてたのをなんとなく思い出す。その頃イメージしていた”これくらい”がどれくらいだったのかはもはやわからないが、その頃からすると現状は想像以上のものであるように思う。自分は今でも「これくらいの感じで音楽続けられればいい」と思っているが、”これくらい”に対するイメージが特にあるわけではない。

 

10月某日

 ボロフェスタ2日目。帰るつもりであったが、なぜか京都に宿泊することになり、H&Mで適当に服を買ってKBSホールへ向かう。

 odd eyesカベヤシュウトと「みんな京都からいなくなってしまった」みたいな話をする。再三「京都は通り過ぎる街だから・・・」などとの発言、彼も自分自身も京都にはもうおらず、しかしながら、自分はなんとなくモラトリアムの幻影みたいなものを、そのその通り過ぎた京都にみており、なんとなく自分勝手というか、無責任なことをしているような気にもなる。

  イベントのトリはホームカミングス、「ずっと住んでいた京都、ホテルに泊まるのは不思議な感じがして・・・」みたいなくだりから始まった、やたら感傷的な福富のMC。途中でダニエルジョンストンのカバー。彼らでいうところの、”学生時代、部屋で一人ダニエルジョンストンを聴き心を動かされた”的な記憶は、美化しすぎないように気をつけながらも、忘れないようにしないといけない。

 

11月某日

 ネオガイアファンタジー外伝なるイベントに出演。海外からやってきたVaperror、식료품groceries、death’s dynamic shroud、Equip、R23X。

 前日は東京で盛大にやっていたこともあり、疲弊しきっていた彼ら。楽屋で「なんか食べました?」と聞くと「あんまちゃんと食べてない・・・あとヴィーガンなんだよね」という返事。大阪のこの辺で、どこに行けばヴィーガン食を買えるのか皆目見当もつかない。まともなレコメンドができず情けない気持ちになっているうちに、どこからともなく彼らはおからでできたお好み焼きを買ってきて食べていた。

 そんなこんなで彼らのライブをみる。彼らから感じられるのは、ゲームミュージックシンセサイザーなど好きなものに対しての愛とリスペクト、そしてただ趣味や気があうメンバーが仲良くしているというだけ、といった感じであった。いい意味で「みんな同じだな」と思うのみ。そう言う意味ではこと彼らに関しては色々と腹落ちして満足。

 自分は"vaporwave"という言葉尻のなかから、純にサウンドテクスチャの部分を拝借して自分の曲をエディットしつつ、体調不良で来日が叶わなかったSaint Pepsiの曲とマッシュ。普段やらないことをしたなりに、なかなか気に入ったので、iPhone撮って出しでそのままYoutubeにあげてしまった。実際にプレイして初めて、スクリュー(ピッチダウン)のカタルシスがわかったような。

 

11月某日

 バツ君主催のイベント、リコンシダーに出演。日曜14時からの健康イベント。

 せっかくなので自分の曲少なめでDJ。なにも考えずやると、自分が最も音楽をたくさん聴いていた時期であろう2012年前後の曲ばかりになってしまいやるせない気持ちにもなるがまあよし。若き本格派kaiseiくんに、「おれたちは君らのこともググりまくってずっとみてますからね」といった旨のキモい圧をかけつつ平和にイベント完了。

 (あえていうところの)我々界隈は、レギュラーのパーティが少ないため、バツくんがリコンシダーを続けてくれるのはかなりありがたい。一方で、人様の企画に乗っかってばかりの自分はどうなんだとも考えてしまう。瞬間的な神回もいいが、東京以外の土地でやっていくには、平場のパーティに人を集めないと持続性がない。結局アルバム出したのにリリパをしなかったのもそうであるが、自分の遊び場は全部自分で作るくらいの気合があってもいいのかもしれない。

 

11月某日

 struct主催イベント”ゆ・パ交流戦 2019”。もはや恒例行事となった本イベント、今年もBANG! BANG! バンクシーズ!をはじめとする他ではみられないバイブス。西の瘴気に突然放り込まれたゆいにしお氏曰く「自分以外竿持ってないイベント初めてです・・・」相変わらず最高の雰囲気でイベントが終了。もう何年も服を買いまくっているstruct、今後ともよろしくお願い致します。

 典型的なバンドでもDJでもない中途半端な我々からすると、音響の面さえクリアできれば、ライブハウスでもクラブでもない会場でイベントをやるのは調子が良いように思い始めた今日この頃。来年はリリースからのリリパを目指していることもあり、ベニューのことも考え始めたりしているわけであります。

 

12月某日

 パソコン音楽クラブと福山広島と二日連続でライブ。どの街にいっても友達ができるのは、音楽をやっていてよかったことのうちの一つである。1日は自分の曲中心のほぼライブセットみたいなDJ、二日目は普通にライブ。

 突如購入したGopro MAXを駆使して始めた旅vlogシリーズ、モチベーションは3つ、単純に「僕らのイベントはこんな感じなんでぜひきてくださいね」、というのが1つ、自分のプレイの記録が2つ目、最後は僕の周りの人めっちゃおもろいんすよ、という気持ちが3つ目。素材不足で編集に苦戦するもなんとか要領を掴んだので今後も続けていきたいもんです。

 

12月某日

 代官山Unitでパソコン音楽クラブのリミキシーズのリリパ。

 パソコンの不調により実に不甲斐ない感じでライブ納めをすることになってしまったが、これも実力、来年以降は気をつけていきたい・・・

 パソコン音楽クラブは、文化祭の類が嫌いそうな見た目とは裏腹に、自主企画に非常に精力的で、熱海でのライブやSOUND EXPO、各種リリパ含め、なんとなくありもののフォーマットでやらずに、毎回気合をいれてやっているので素直に尊敬。何もしてこなかった自分の至らなさよ・・・。

 なんでもいいから会心の一撃っぽいなんかが身の回りから出て欲しいよな、と思っていたところにポケモンのエンディングでバッチリかましてくるあたりも、満員のUnitでライブをしつつもまだどこか余力を残していそうあたりも、やはり彼らは末恐ろしく思います。

 

12月某日

 tofubeats企画であるTTHWの収録。ピアノ男とSEKITOVAの二人は、自分が音楽を始める前からすげーなと思ってみていたこともあり、年下にもかかわらず、未だにガチリスペクトの気持ちが抜けきらずにいる。話せば話すほど、皆やっとんな・・・という感情に。ローマは一日にして成らず、音楽狂もいうまでもなくそうである。地力は積み上げの上にあるわけであると同時に、つくづく音楽は続け得であるなと感じてしまった。

 

12月某日

 大学の友人たちと昼から忘年会。化学系の大学院を出て関西で働く面々は、自分も含めドメスティック大企業で働いている人が多く、そういった巨大組織で働く上での若者の悩みというのは、皆同じようなものである。

 「一年は球拾いと外周しとけ」カルチャーを経て三年生になった人間が、「そういうやり方は古いので、みんなで効率的に練習しましょう」と言われた時に、果たして受け入れられるのか?と考えると、受け入れられない人がいるのは至極まともであるように思う。割りを食う食わないではなく、今は前より良くなっているか?のみにフォーカスするのは、頭ではわかっていても、なかなかできることではない。

  夜はストーンズ太郎と2人で忘年会。関西で"レーベル"という形を選択しNC4Kを運営している彼と、一方で完全に個人で活動している自分と、アウトプットは違えど考えていることはこちらもまあ同じようなものである。Potluck Labが2人でいい感じに始められたのも、その辺の意思疎通ができていたからであるように思う。

 

 化学をバックグラウンドに会社で働く自分と、音楽をやっている自分を、どちらも正しく把握しているひとはマジのガチで1人もおらず、どちらを切り取ってきても、もう一方の側の人間にちゃんとわかってもらうのは難しい、というのはここ数年の大きな悩みである。評価されるにしても、トータルの合計点ではなく、片方側でしかみられないつらさはありつつ、どちらもやりたいので一方をやめてしまうこともできずズルズルと今に至る。人間的に深みがでてきたっしょ、的な適当な感じで誤魔化すこともあるが、どちらにも話のわかる友達がいるのはありがたく、それで十分な気もしている。

 

 

 

 

 音楽を作って、いいのができたら友達に聞かせる、気に入った友達がいたら「ええやん」といってくれる、自分が続けてきたことは単純にこれだけであるように思う。思えば遠くへきたもんだ、と思うときもあるが、それだけのことが未だに続けられているのは、なんとなくではなく、皆がめいめい頑張っているからであろう。平和で楽しい暮らしは勝手には降ってこず、努力の元にあるわけであるから、タダ乗りしたぶんくらいは返したいという気持ちで、来年も頑張っていきます。

 改めて、今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

MUDAI

 自分がなんで音楽が好きかと考えると、うまくは言えないが、抽象表現であるからなんだろうなと思う。定量的なパラメータや、ロジカルな文章だけでは表現しきれないようなもやもやしたものは、もやのまま、もやで描くほうが、自然なように思える。

 自分は、音楽を作るようになるまでは、創作活動なんていうのは、選ばれたものの高尚な営みであるように捉えていたが、この"もや"遊びは、思ったよりも、万人に開かれた、カジュアルなものであるようで、それに気付いてからというもの、我を忘れて夢中になり今に至るのである。

 夢中になりすぎるのはいいことばかりではなく、立ち止まり我に帰ると、生活のあまりのバランスの悪さに直面し、頭を抱えてしまうのである。会社に何百人といる同期のことはほとんど知らない。最後に音楽に関係のない用事で遊びに行ったのはいつ?

 漠然と考える、"バランスの取れた暮らし"が、実際どんなものなのか、皆目見当もつかない。

 

9月某日

 神戸でOtohatobaの周年イベント。オカダダ氏、シュガーズキャンペーンのseihoさんタクマさんが一堂に会しているところへ居合わせるのは久しぶりで、漠然と”5年前の関西の感じ”が思い出され、懐かしい気持ちになる。potluck labの話もう含め、近況の話などをぼちぼち。

 久しぶりにあったTOYOMUくんが、自分のライブセットをみた感想として、「有村はダンスミュージックの身体性を放棄しつつあるんやね」みたいなことを言っていた。なるほど確かに、セットのうちでビートがなっていない時間は増える一方である。最近は、ある程度のまとまった時間音楽を連続で聴かされたときに、どんな気持ちになるかばかりを考えている。

 

 Otohatoba周辺で遊んでいる、神戸周辺の若い人たちはみな、音楽にも詳しいし、活動も精力的であってうれしい。インディペンデントでやっていくためには、周りに自分がやっていることがわかるようにしておくことと、それを続けることが大事である。コンテンツの有無を気にしても仕方がなく、人がいればよい。人はどの街にでもいる。

 

9月某日

 NUMBER GIRLのライブを観に大阪へ。チケットが当たると思っていなかったため会場にたどり着いてなおいまいち現実味もなく、その現実味のない彼らの演奏が始まった瞬間の、えも言われぬ雰囲気は実に印象的であった。

 演奏が始まってしまうと、それは記憶の中のNUMBER GIRLそのものであった。走りまくるアヒトイナザワ氏のプレイなど、「そう、まさにこれなんですよ…」みたいな気持ちに。

 しかしながら、自分はもちろんかつてのNUMBER GIRLのライブなど見たことあるはずもなく、その記憶などというのは、あくまで、アーカイブされた録音や映像から、自分が勝手に想像したものでしかないので恐ろしい。

 生でしか体験し得ない情報とはなんなのか、いままで自分が摂取してきた画面越しの情報は、なにが欠損した状態で自分の元に届いていたのか…この「在宅オタの天井はどこなのか?」問題に繋がる部分もあるこの話題について改めて考えさせられる。

 「現場に来ないやつに本当のことはわからない」というのは間違ってはいないとは思うが、家でひたすらしこしこ聴いているだけの人にも、急所の情報が伝わると考えているからこそ、自分は音楽をやっているのではないかとも思う。急所をどこに設定するか、という話なのかも知れない。

 

 岡山に移動せねばならず、アンコールの最中、会場を後にする。なにごとも、一番エモいのは帰り道である。今までとは違う、リワインドできないナンバガ。時間の矢は戻らない、頭に浮かぶは熱力学第二法則であった。

 

 不思議な気持ちを抱え新幹線に飛び乗り岡山へ。リアルで見たことがなかったはずなのにイメージが鮮明なバンド、一方かつて住んでいたこともある岡山であるが、物心がついておらず当時の記憶はない。  

 予定より少し早くエビスヤに到着すると、「ナンバガ最後まで観てくれば良かったのに」と言われてしまった。

あいも変わらず不思議な魅力のあるエビスヤの面々と、グッドバイブスのお客さん達、久しぶりに50分も時間をもらったが、自分の曲は彼らの目には自分はどう写っていたのであろうか。

 ホテルで気絶するように寝て、天候が不穏だったこともあり特に観光もせずにまっすぐ帰宅。帰宅してまた気絶。目が覚めると夕方、新幹線は運休になっていたようであり、間一髪であった。

 

9月某日

 仕事の出張で一週間オーストラリアへ。なんだかんだ毎年海外に行っているが、行くたびに何かしらの形であてられてしまう節があり、つくづく自分は単純であると思う。

 黒人少ないな…と思った晩にはホテルで豪州のアパルトヘイト政策の背景をググり、現地の研究者に大学教育の現状の話を聞いた晩には豪州の教育についてググり…毎夜膝を打つような体験を繰り返す。

 海外で得られる体験は、まさに”生でしか体験し得ない情報”そのものである。検索で出てこないような知見をどんだけ持ってるか、みたいなものが人間としてのおもしろさのバロメーターになりうるよな、と思うと同時に、欲しい情報がすぐに手に入るこの時代への感謝は尽きない。

 帰りの機内で、カシミアキャットの新譜を聴く。木こりのように日々ボーカルを切り続けたおかげか、彼の考えていることが少しわかるようになった気がしてしまった。人を見るときは自分の解像度でしか見ることができない。

 帰ってきた大阪は肌寒く、上着を取り出すためにカバンを開ける。出国時は半袖であった。知らぬ間に夏が終わってしまった。

 

10月某日

 渋谷asiaにてFFFなるイベント。2回目の開催であるが、自分にしては珍しく、他の出演者の方の格やキャリアを一切棚上げして、この「イベントのメインはおれだ」くらいの気持ちでの出演であった。そんな気持ちになれるようになったは成長であるかもしれない。

 楽屋にて、久しぶりのSTUTS氏やその他お馴染みの面々と機材の話をしたりしているうちにあっという間に自分たちの出演時間を迎える。

 自分のライブセットは、いいか悪いかは置いておいて、ようやく的が見えてきたような気がしてきたような・・・言ってしまえば自分の作った曲を順番に並べて再生しているだけであるのだが、そんなことをもう何年もひたすら続けているし、まだまだ工夫の余地があるのだから恐ろしい。「連続して音楽を再生する」行為は、誰でもできる簡単であるにもかかわらず、深遠なものである。自分がいうまでもなく、DJの歴史がそれを証明しているわけであるが。

 

 

10月某日

 あいちトリエンナーレに行こうと思っていたのに、台風19号のせいで行きそびれてしまう。予定の都合上ここしかない、というタイミングであったため非常に残念であった。

 ネットをみていると、”芸術に対しての、公金支出の妥当性”みたいな話題が散見されており、芸術に公金なんてとんでもない、みたいなのはともかく、「その芸術が公益に資するかどうか、しっかりと精査すべき」という意見の人がかなり多数を占めているようであった。その”精査”は一体どうするつもりなのであろうか?それができるのは誰?

  ”風が吹けば桶屋が儲かる”という言葉があるが、これは風が吹く→かくかくしかじか→桶屋が儲かるというフローの、「かくかくしかじか」部分は、予想できるような性質ではないという話だと思っていて、公金というのは、風を吹かせる部分に使ってくれ、というのが自分の考えである。

 基礎研究にしろ、芸術にしろ、「それらの営みは、”桶屋が儲かる”ところまでのストーリーを描けますか?」という質問は実にナンセンスで、まるでその”かくかくしかじか”部分が予想できるような口ぶりでロジックをこねくり回したところで、桶屋が儲かる近辺でうろうろしているだけである。例えば、ノーベル化学賞を受賞したGoodenough氏など、結果的にリチウムイオン電池という応用に着地したわけであるが、もともと固体物理、磁性の理論の人である。超交換相互作用を研究していた人間がのちのリチウムイオン電池の父になることなんて誰が予想できたであろうか?

 桶屋が儲けへの眼差しを軽視してはいけないが、基本的には、「それらの営みは、風が吹くようなものですか?」と問わなければいけないはずである。その態度は、対象に対する、深い専門性と、誠実な態度が必要である。

 

 自分が志向しているのは、桶屋の儲けなのか?風を吹かせることなのか?自分ができることなんていうのは、会社で技術開発を真面目にやり、音楽を作るだけである。少しでも後者に貢献できると良いが。

無題

 本や音楽などを選ぶ際、知人や友人のレコメンドに依存してしまっているな、とふと考える。

 知人の好きなもの、勧めているもの、というのは、その人のバックグラウンドも判断材料に加わるため、こちらとしてもあたりがつけやすく、参考にもなる。一方でどこの誰ともわからないやつのオススメなんてものは基本的に信用できないものである。

 SNSなどは、その仕組み上「フォローしている人が興味のあるようなことしか流れてこない」わけで、それは心地よくもあるが、決められた柵の中をぐるぐる回っているような気分にもなる。それでいいのだろうか?と最近はよく考えてしまう。

 spotifyなどに、ランダムボタンみたいなものがあって、それを押すと、本当にランダムに、何かの曲がかかってほしいとつくづく思う。大体は特になんの引っ掛かりもないであろうが、ごく稀に、本来は自分までの導線が伸びていないような曲にたどり着き、それによって深く感動させられることがあるであろう。

 アルゴリズムでも、知り合いのレコメンドでもなんでもよいが、興味がなさそうなことに、なるべく出会わないようにする仕組みは、そういった機会を遠ざけてしまう。そしてそんな機会は、無駄にまみれた中に埋もれた、効率の対極にしかない。なんとなくそっち側の要素を拾いながら生活をしたいが、思えばそのやり方すらわからない。

 チェーン店で飯を食い、自宅と会社を往復する日々であるが、人生におけるランダムボタンはどこに転がっているのであろうか。

 

 

7月某日

 加賀フェス出演のため加賀へ。珍しくヤックルから「一緒に行きましょうよ」と連絡が来たので快諾したものの、脳の構造に問題があるため約束の電車ギリギリの時間に駅に着き、考える暇もないのでとりあえず一駅分の切符を買ってサンダーバードに飛び乗るクソ行為をしてしまう。

 ヤックルはおれのために鯖寿司と飲み物を買って待っており、このよくできたほぼ10コ下と世間話をしながら加賀温泉駅へ向かう。雑にくくると同じような音楽をしていることになる我々であるが、かたや会社でデスクワークをしており、かたや海外でイベント打ったりアイドルのチェキ撮影まで請け負っているわけで、あまりにも生活が違いすぎて頭がクラクラしてしまう。車掌さんを引き止め、「乗車券も特急券も持ってないんで購入させてください…」などと言わなければならない自分は論外である。

 加賀温泉駅に到着し、演者の送迎バスで待機しているとセキトバがセレッソ大阪の派手なユニフォームを着て登場。関西のバイブス十分な状態で会場へ。

 イベントはアフターまで実にいい雰囲気で、演奏時間のさなか、「こんな遠方で、自分の音楽がこんな風に受け入れられるなんてありがたいことだな」というベタなことを考えてしまった。

 出番が終わった後、時刻はおよそ午前3時、深夜の温泉地をブラブラと歩く。人気のない温泉街、一方で、流行を押さえにいったであろう、ポツポツと怪しく光るナイトプールが散見され、酔いも相まって、その独特な非日常感によって不思議な気待ちになる。

 会場付近唯一のコンビニで、酔い覚ましにレッドブルを飲んでいると、パソコン音楽クラブの柴田くんがフラフラと歩いていたので声をかけて引き止める。

 ちょうど新譜を聴かせてもらったばかりであったので、かねてからしたかった「パソコンの曲は体験が身近で、気持ちが遠くに飛んでいるよね」という話をする。描写している世界の現実度合いと、感情をどこまで遠くに飛ばすかの2軸マトリクスで作家をマッピングすると、パソコンは思いのほか稀有なんですよ、みたいなとこをを話していると、柴田くんから「有村さんの曲ってフリスビーっぽいですよね」と言われてしまった。わかるような、わからないような。次のEPのタイトルにでもしようかな…。

 横を見るとアイドルグループの集団がみんなでアイスを食べていて、「修学旅行っぽくていいな…」と眺めていたが、よくよく考えると、修学旅行で深夜にコンビニアイスをするタイミングなど基本的にはないことに気がついてしまった。

 最終的にこの先こんな部屋に泊まることなんてあるのか、というくらいの身分不相応な部屋で就寝。例えばDiploなどは、いまでも豪華な部屋に泊まってテンションが上がったりするのであろうか。幸せの程度が、その絶対値ではなく、一次微分の正負によって左右されてしまうのだとするならば、それは喜ばしいことなのであろうか。

 

7月某日

 大阪コンパスでVampillia主催のイベントに出演。平日イベントに出るのは久しぶり。そしてその日は誕生日であった。

 「休日仕事でなかなかイベントに行けないんですよ」といった人がちらほら来ていて、そんな視点はズッポリ抜け落ちていたから、なるほど立場の違う人のことを考えるのは難しいなと改めて思う。だからといって平日に稼動できるわけではないが…

 中国から旅行で来たが、 偶然in the blue shirtが見れそうだったので来た、という女性もいて、しばし世間話などをする。どんな場所にも、少ないながらに、ある一定の割合で自分と同じような音楽が好きな奴がいる、というのはほぼ確信していることである。そんな人たちに積極的にリーチする手段はないにしても、通りすがりに興味を引く程度には看板を掲げていたいと改めて思う。

 「中国ではあなたのCDは買えないから」と言われ、そらそうだよなと思う。悪い癖であるが、また無料でグッズなどをあげてしまった。またどこかで会えるとよいが。

 

8月某日

 祖母の法事などで度々千葉県は松戸へ。しかしながら、もはや会う対象となる人が死んでいなくなったわけであるから、もう自分は基本的に、この松戸という街に来る用事はなくなってしまったわけである。

 人一人いるだけでその土地に行く用事ができたり、なくなったりするわけである。転勤族の家庭で育ち、どこの土地にも対して帰属意識のない自分にとっては、土地というよりは、属人的な要素こそが大事であると思わないとやっていけない。「そこに行けばそいつがいる」、みたいな感じで、程度はともかく、気にかけてくれる人がいてくれると嬉しいなとは思います。

 

8月某日

 ミツメの川辺くんに呼ばれ浅草の焼肉屋へ。本来の用事もそこそこに、とりとめもない話をする。

 ふと"「自分の描いたエロい絵でシコる」性"の話になる。やはり自分が音楽でやりたいことを他で例えるなら、「自分の描いたエロい絵でシコる」ような行為なのであろう。アルバムを出して3ヶ月経ったが、自ら作ったそれを自分はまだよく聴いている。

 音楽を通じて普通では知り合わない様々な人と出会ったが、結局仲良くなるのはバックグラウンドが近しい人になりがち、的な旨の話にもなり、飛び出すは「それじゃあ我々が仲良くしてるのも同じ庶民の出だからですか?」といった質問。労働階級の野良犬が音楽シーンでやっていくための心構えとは。浅草成分を摂取するために飲んだ電気ブラン、「おれたちは心のコンプトンから抜け出さないといけねーんだわ」とクダを巻きながら解散。

 

8月某日

 全裸監督を一気見。ふと思い出すはテレクラキャノンボールであった。自分はかつてテレクラキャノンボールを面白がって見ていたわけであるが、今見るとどんな気持ちになるのであろうか。面白がっていたかつての自分を切り出して、「あいつはミソジニーだ」とレッテルを貼られるのは勘弁願いたいが、だからといって、そこから何がどうなったら清い人間の仲間入りできるのかはいまだによくわからない。

 連鎖的に、渋谷慶一郎氏のステッカーで大盛り上がりしていた頃のことも思い出してしまう。自分の部屋のどこかにも氏の顔が印刷されたステッカーが転がっているであろう。それを持ち出されて、お前は権利意識の低い人間だ、と糾弾されたとしたならば、平身低頭して詫びるほか無さそうである。

 「勤勉で、できるかぎり善良で、気遣いのある人たちは踊ってくれ」というcosa氏のリリックがあるが、果たして自分には踊る権利があるのであろうか?

 

8月某日

 作りたいものは頭の中に死ぬほどあり、手を動かして実現する時間が足りないだけ、という意識をもうずっと持っているが、手を動かすことを怠けているうちに、お盆の連休が終わってしまった。

 自らの非ストイックさに情けなくなるばかりであると同時に、「どうせなにも残らんし」とあまり遊びにいったりしないことも問題の一端を担っているのではとも思う。丸一週間以上も休みがあって、迷わずにずっと家にいること自体が、大きな屈折である気がしてならない。何かを残すような遊び方を身につけずにここまで来たのだとすると悲しい話である。

 とはいっても、結局自分のやりたいことは「自分の描いたエロい絵でシコる」的な営みであることだけは、間違いなさそうではある。心乱すもののない、潤沢な自由時間なんてものは一生手に入ることはないため、手持ちの可処分時間で目一杯やるしかない。

 

8月某日

 現在唯一の主催イベントであるpotluck lab第2回を開催。焼畑農業ではない、土壌を耕すような活動、ということでやっている。2回目にして、「もう少しでなにかが起こりそう感」を感じてきて、もうひと頑張りである。

 エゴサーチなどをしていると、もうすでにpotluck labに対してすら内輪感を指摘する言及さえあるが、クラブというのは客と演者の境目が明確なショーではなく、インタラクティブな場であるから、よほど大規模な催しではない限り、名もなきワン・オブ・ゼムの客として存在するのは難しく、本質的に内輪であるというのが自分の考えである。

 特にプレイヤー同士の出会いは起こればいいと思っていて、keita sano氏周辺の岡山の感じや、崎山 蒼志くん周りの静岡シンガーソングライターの感じなど、よき相互作用が起きることを願ってやまない。自分で言うとsoleil soleilに出会って曲を作り始めたみたいなきっかけは、場さえあれば出てくる気がしているので、場を設けることが大切である。

 なんとなくの数勘定として、演者が3人いて、それを好きな客が50人いれば、それはシーンと呼んで差し支え無いと考えているので、そんなシーンが、新しく出てくればいいなという気持ちで続けていけるといいなと思います。

 

 

 

 9時5時の雇われ労働、年明けまで埋まるイベント出演、終わりなき制作依頼の締め切り、望んでやっているにも関わらず、時々なにが面白くてこんな暮らしをしているんだと思ってしまうこともある。

 だからといって、それらを全て無くしたとしても、自分の人生の楽しみなんて、家で音楽を作るか、深夜のファミレスで本を読むかくらいしかなく、それなら、今の暮らしは幸せそのものなのではないかとも思う。やらされているものもは1つもないので、不平を言うのは野暮である。