MUDAI

 自分がなんで音楽が好きかと考えると、うまくは言えないが、抽象表現であるからなんだろうなと思う。定量的なパラメータや、ロジカルな文章だけでは表現しきれないようなもやもやしたものは、もやのまま、もやで描くほうが、自然なように思える。

 自分は、音楽を作るようになるまでは、創作活動なんていうのは、選ばれたものの高尚な営みであるように捉えていたが、この"もや"遊びは、思ったよりも、万人に開かれた、カジュアルなものであるようで、それに気付いてからというもの、我を忘れて夢中になり今に至るのである。

 夢中になりすぎるのはいいことばかりではなく、立ち止まり我に帰ると、生活のあまりのバランスの悪さに直面し、頭を抱えてしまうのである。会社に何百人といる同期のことはほとんど知らない。最後に音楽に関係のない用事で遊びに行ったのはいつ?

 漠然と考える、"バランスの取れた暮らし"が、実際どんなものなのか、皆目見当もつかない。

 

9月某日

 神戸でOtohatobaの周年イベント。オカダダ氏、シュガーズキャンペーンのseihoさんタクマさんが一堂に会しているところへ居合わせるのは久しぶりで、漠然と”5年前の関西の感じ”が思い出され、懐かしい気持ちになる。potluck labの話もう含め、近況の話などをぼちぼち。

 久しぶりにあったTOYOMUくんが、自分のライブセットをみた感想として、「有村はダンスミュージックの身体性を放棄しつつあるんやね」みたいなことを言っていた。なるほど確かに、セットのうちでビートがなっていない時間は増える一方である。最近は、ある程度のまとまった時間音楽を連続で聴かされたときに、どんな気持ちになるかばかりを考えている。

 

 Otohatoba周辺で遊んでいる、神戸周辺の若い人たちはみな、音楽にも詳しいし、活動も精力的であってうれしい。インディペンデントでやっていくためには、周りに自分がやっていることがわかるようにしておくことと、それを続けることが大事である。コンテンツの有無を気にしても仕方がなく、人がいればよい。人はどの街にでもいる。

 

9月某日

 NUMBER GIRLのライブを観に大阪へ。チケットが当たると思っていなかったため会場にたどり着いてなおいまいち現実味もなく、その現実味のない彼らの演奏が始まった瞬間の、えも言われぬ雰囲気は実に印象的であった。

 演奏が始まってしまうと、それは記憶の中のNUMBER GIRLそのものであった。走りまくるアヒトイナザワ氏のプレイなど、「そう、まさにこれなんですよ…」みたいな気持ちに。

 しかしながら、自分はもちろんかつてのNUMBER GIRLのライブなど見たことあるはずもなく、その記憶などというのは、あくまで、アーカイブされた録音や映像から、自分が勝手に想像したものでしかないので恐ろしい。

 生でしか体験し得ない情報とはなんなのか、いままで自分が摂取してきた画面越しの情報は、なにが欠損した状態で自分の元に届いていたのか…この「在宅オタの天井はどこなのか?」問題に繋がる部分もあるこの話題について改めて考えさせられる。

 「現場に来ないやつに本当のことはわからない」というのは間違ってはいないとは思うが、家でひたすらしこしこ聴いているだけの人にも、急所の情報が伝わると考えているからこそ、自分は音楽をやっているのではないかとも思う。急所をどこに設定するか、という話なのかも知れない。

 

 岡山に移動せねばならず、アンコールの最中、会場を後にする。なにごとも、一番エモいのは帰り道である。今までとは違う、リワインドできないナンバガ。時間の矢は戻らない、頭に浮かぶは熱力学第二法則であった。

 

 不思議な気持ちを抱え新幹線に飛び乗り岡山へ。リアルで見たことがなかったはずなのにイメージが鮮明なバンド、一方かつて住んでいたこともある岡山であるが、物心がついておらず当時の記憶はない。  

 予定より少し早くエビスヤに到着すると、「ナンバガ最後まで観てくれば良かったのに」と言われてしまった。

あいも変わらず不思議な魅力のあるエビスヤの面々と、グッドバイブスのお客さん達、久しぶりに50分も時間をもらったが、自分の曲は彼らの目には自分はどう写っていたのであろうか。

 ホテルで気絶するように寝て、天候が不穏だったこともあり特に観光もせずにまっすぐ帰宅。帰宅してまた気絶。目が覚めると夕方、新幹線は運休になっていたようであり、間一髪であった。

 

9月某日

 仕事の出張で一週間オーストラリアへ。なんだかんだ毎年海外に行っているが、行くたびに何かしらの形であてられてしまう節があり、つくづく自分は単純であると思う。

 黒人少ないな…と思った晩にはホテルで豪州のアパルトヘイト政策の背景をググり、現地の研究者に大学教育の現状の話を聞いた晩には豪州の教育についてググり…毎夜膝を打つような体験を繰り返す。

 海外で得られる体験は、まさに”生でしか体験し得ない情報”そのものである。検索で出てこないような知見をどんだけ持ってるか、みたいなものが人間としてのおもしろさのバロメーターになりうるよな、と思うと同時に、欲しい情報がすぐに手に入るこの時代への感謝は尽きない。

 帰りの機内で、カシミアキャットの新譜を聴く。木こりのように日々ボーカルを切り続けたおかげか、彼の考えていることが少しわかるようになった気がしてしまった。人を見るときは自分の解像度でしか見ることができない。

 帰ってきた大阪は肌寒く、上着を取り出すためにカバンを開ける。出国時は半袖であった。知らぬ間に夏が終わってしまった。

 

10月某日

 渋谷asiaにてFFFなるイベント。2回目の開催であるが、自分にしては珍しく、他の出演者の方の格やキャリアを一切棚上げして、この「イベントのメインはおれだ」くらいの気持ちでの出演であった。そんな気持ちになれるようになったは成長であるかもしれない。

 楽屋にて、久しぶりのSTUTS氏やその他お馴染みの面々と機材の話をしたりしているうちにあっという間に自分たちの出演時間を迎える。

 自分のライブセットは、いいか悪いかは置いておいて、ようやく的が見えてきたような気がしてきたような・・・言ってしまえば自分の作った曲を順番に並べて再生しているだけであるのだが、そんなことをもう何年もひたすら続けているし、まだまだ工夫の余地があるのだから恐ろしい。「連続して音楽を再生する」行為は、誰でもできる簡単であるにもかかわらず、深遠なものである。自分がいうまでもなく、DJの歴史がそれを証明しているわけであるが。

 

 

10月某日

 あいちトリエンナーレに行こうと思っていたのに、台風19号のせいで行きそびれてしまう。予定の都合上ここしかない、というタイミングであったため非常に残念であった。

 ネットをみていると、”芸術に対しての、公金支出の妥当性”みたいな話題が散見されており、芸術に公金なんてとんでもない、みたいなのはともかく、「その芸術が公益に資するかどうか、しっかりと精査すべき」という意見の人がかなり多数を占めているようであった。その”精査”は一体どうするつもりなのであろうか?それができるのは誰?

  ”風が吹けば桶屋が儲かる”という言葉があるが、これは風が吹く→かくかくしかじか→桶屋が儲かるというフローの、「かくかくしかじか」部分は、予想できるような性質ではないという話だと思っていて、公金というのは、風を吹かせる部分に使ってくれ、というのが自分の考えである。

 基礎研究にしろ、芸術にしろ、「それらの営みは、”桶屋が儲かる”ところまでのストーリーを描けますか?」という質問は実にナンセンスで、まるでその”かくかくしかじか”部分が予想できるような口ぶりでロジックをこねくり回したところで、桶屋が儲かる近辺でうろうろしているだけである。例えば、ノーベル化学賞を受賞したGoodenough氏など、結果的にリチウムイオン電池という応用に着地したわけであるが、もともと固体物理、磁性の理論の人である。超交換相互作用を研究していた人間がのちのリチウムイオン電池の父になることなんて誰が予想できたであろうか?

 桶屋が儲けへの眼差しを軽視してはいけないが、基本的には、「それらの営みは、風が吹くようなものですか?」と問わなければいけないはずである。その態度は、対象に対する、深い専門性と、誠実な態度が必要である。

 

 自分が志向しているのは、桶屋の儲けなのか?風を吹かせることなのか?自分ができることなんていうのは、会社で技術開発を真面目にやり、音楽を作るだけである。少しでも後者に貢献できると良いが。