無題

 本や音楽などを選ぶ際、知人や友人のレコメンドに依存してしまっているな、とふと考える。

 知人の好きなもの、勧めているもの、というのは、その人のバックグラウンドも判断材料に加わるため、こちらとしてもあたりがつけやすく、参考にもなる。一方でどこの誰ともわからないやつのオススメなんてものは基本的に信用できないものである。

 SNSなどは、その仕組み上「フォローしている人が興味のあるようなことしか流れてこない」わけで、それは心地よくもあるが、決められた柵の中をぐるぐる回っているような気分にもなる。それでいいのだろうか?と最近はよく考えてしまう。

 spotifyなどに、ランダムボタンみたいなものがあって、それを押すと、本当にランダムに、何かの曲がかかってほしいとつくづく思う。大体は特になんの引っ掛かりもないであろうが、ごく稀に、本来は自分までの導線が伸びていないような曲にたどり着き、それによって深く感動させられることがあるであろう。

 アルゴリズムでも、知り合いのレコメンドでもなんでもよいが、興味がなさそうなことに、なるべく出会わないようにする仕組みは、そういった機会を遠ざけてしまう。そしてそんな機会は、無駄にまみれた中に埋もれた、効率の対極にしかない。なんとなくそっち側の要素を拾いながら生活をしたいが、思えばそのやり方すらわからない。

 チェーン店で飯を食い、自宅と会社を往復する日々であるが、人生におけるランダムボタンはどこに転がっているのであろうか。

 

 

7月某日

 加賀フェス出演のため加賀へ。珍しくヤックルから「一緒に行きましょうよ」と連絡が来たので快諾したものの、脳の構造に問題があるため約束の電車ギリギリの時間に駅に着き、考える暇もないのでとりあえず一駅分の切符を買ってサンダーバードに飛び乗るクソ行為をしてしまう。

 ヤックルはおれのために鯖寿司と飲み物を買って待っており、このよくできたほぼ10コ下と世間話をしながら加賀温泉駅へ向かう。雑にくくると同じような音楽をしていることになる我々であるが、かたや会社でデスクワークをしており、かたや海外でイベント打ったりアイドルのチェキ撮影まで請け負っているわけで、あまりにも生活が違いすぎて頭がクラクラしてしまう。車掌さんを引き止め、「乗車券も特急券も持ってないんで購入させてください…」などと言わなければならない自分は論外である。

 加賀温泉駅に到着し、演者の送迎バスで待機しているとセキトバがセレッソ大阪の派手なユニフォームを着て登場。関西のバイブス十分な状態で会場へ。

 イベントはアフターまで実にいい雰囲気で、演奏時間のさなか、「こんな遠方で、自分の音楽がこんな風に受け入れられるなんてありがたいことだな」というベタなことを考えてしまった。

 出番が終わった後、時刻はおよそ午前3時、深夜の温泉地をブラブラと歩く。人気のない温泉街、一方で、流行を押さえにいったであろう、ポツポツと怪しく光るナイトプールが散見され、酔いも相まって、その独特な非日常感によって不思議な気待ちになる。

 会場付近唯一のコンビニで、酔い覚ましにレッドブルを飲んでいると、パソコン音楽クラブの柴田くんがフラフラと歩いていたので声をかけて引き止める。

 ちょうど新譜を聴かせてもらったばかりであったので、かねてからしたかった「パソコンの曲は体験が身近で、気持ちが遠くに飛んでいるよね」という話をする。描写している世界の現実度合いと、感情をどこまで遠くに飛ばすかの2軸マトリクスで作家をマッピングすると、パソコンは思いのほか稀有なんですよ、みたいなとこをを話していると、柴田くんから「有村さんの曲ってフリスビーっぽいですよね」と言われてしまった。わかるような、わからないような。次のEPのタイトルにでもしようかな…。

 横を見るとアイドルグループの集団がみんなでアイスを食べていて、「修学旅行っぽくていいな…」と眺めていたが、よくよく考えると、修学旅行で深夜にコンビニアイスをするタイミングなど基本的にはないことに気がついてしまった。

 最終的にこの先こんな部屋に泊まることなんてあるのか、というくらいの身分不相応な部屋で就寝。例えばDiploなどは、いまでも豪華な部屋に泊まってテンションが上がったりするのであろうか。幸せの程度が、その絶対値ではなく、一次微分の正負によって左右されてしまうのだとするならば、それは喜ばしいことなのであろうか。

 

7月某日

 大阪コンパスでVampillia主催のイベントに出演。平日イベントに出るのは久しぶり。そしてその日は誕生日であった。

 「休日仕事でなかなかイベントに行けないんですよ」といった人がちらほら来ていて、そんな視点はズッポリ抜け落ちていたから、なるほど立場の違う人のことを考えるのは難しいなと改めて思う。だからといって平日に稼動できるわけではないが…

 中国から旅行で来たが、 偶然in the blue shirtが見れそうだったので来た、という女性もいて、しばし世間話などをする。どんな場所にも、少ないながらに、ある一定の割合で自分と同じような音楽が好きな奴がいる、というのはほぼ確信していることである。そんな人たちに積極的にリーチする手段はないにしても、通りすがりに興味を引く程度には看板を掲げていたいと改めて思う。

 「中国ではあなたのCDは買えないから」と言われ、そらそうだよなと思う。悪い癖であるが、また無料でグッズなどをあげてしまった。またどこかで会えるとよいが。

 

8月某日

 祖母の法事などで度々千葉県は松戸へ。しかしながら、もはや会う対象となる人が死んでいなくなったわけであるから、もう自分は基本的に、この松戸という街に来る用事はなくなってしまったわけである。

 人一人いるだけでその土地に行く用事ができたり、なくなったりするわけである。転勤族の家庭で育ち、どこの土地にも対して帰属意識のない自分にとっては、土地というよりは、属人的な要素こそが大事であると思わないとやっていけない。「そこに行けばそいつがいる」、みたいな感じで、程度はともかく、気にかけてくれる人がいてくれると嬉しいなとは思います。

 

8月某日

 ミツメの川辺くんに呼ばれ浅草の焼肉屋へ。本来の用事もそこそこに、とりとめもない話をする。

 ふと"「自分の描いたエロい絵でシコる」性"の話になる。やはり自分が音楽でやりたいことを他で例えるなら、「自分の描いたエロい絵でシコる」ような行為なのであろう。アルバムを出して3ヶ月経ったが、自ら作ったそれを自分はまだよく聴いている。

 音楽を通じて普通では知り合わない様々な人と出会ったが、結局仲良くなるのはバックグラウンドが近しい人になりがち、的な旨の話にもなり、飛び出すは「それじゃあ我々が仲良くしてるのも同じ庶民の出だからですか?」といった質問。労働階級の野良犬が音楽シーンでやっていくための心構えとは。浅草成分を摂取するために飲んだ電気ブラン、「おれたちは心のコンプトンから抜け出さないといけねーんだわ」とクダを巻きながら解散。

 

8月某日

 全裸監督を一気見。ふと思い出すはテレクラキャノンボールであった。自分はかつてテレクラキャノンボールを面白がって見ていたわけであるが、今見るとどんな気持ちになるのであろうか。面白がっていたかつての自分を切り出して、「あいつはミソジニーだ」とレッテルを貼られるのは勘弁願いたいが、だからといって、そこから何がどうなったら清い人間の仲間入りできるのかはいまだによくわからない。

 連鎖的に、渋谷慶一郎氏のステッカーで大盛り上がりしていた頃のことも思い出してしまう。自分の部屋のどこかにも氏の顔が印刷されたステッカーが転がっているであろう。それを持ち出されて、お前は権利意識の低い人間だ、と糾弾されたとしたならば、平身低頭して詫びるほか無さそうである。

 「勤勉で、できるかぎり善良で、気遣いのある人たちは踊ってくれ」というcosa氏のリリックがあるが、果たして自分には踊る権利があるのであろうか?

 

8月某日

 作りたいものは頭の中に死ぬほどあり、手を動かして実現する時間が足りないだけ、という意識をもうずっと持っているが、手を動かすことを怠けているうちに、お盆の連休が終わってしまった。

 自らの非ストイックさに情けなくなるばかりであると同時に、「どうせなにも残らんし」とあまり遊びにいったりしないことも問題の一端を担っているのではとも思う。丸一週間以上も休みがあって、迷わずにずっと家にいること自体が、大きな屈折である気がしてならない。何かを残すような遊び方を身につけずにここまで来たのだとすると悲しい話である。

 とはいっても、結局自分のやりたいことは「自分の描いたエロい絵でシコる」的な営みであることだけは、間違いなさそうではある。心乱すもののない、潤沢な自由時間なんてものは一生手に入ることはないため、手持ちの可処分時間で目一杯やるしかない。

 

8月某日

 現在唯一の主催イベントであるpotluck lab第2回を開催。焼畑農業ではない、土壌を耕すような活動、ということでやっている。2回目にして、「もう少しでなにかが起こりそう感」を感じてきて、もうひと頑張りである。

 エゴサーチなどをしていると、もうすでにpotluck labに対してすら内輪感を指摘する言及さえあるが、クラブというのは客と演者の境目が明確なショーではなく、インタラクティブな場であるから、よほど大規模な催しではない限り、名もなきワン・オブ・ゼムの客として存在するのは難しく、本質的に内輪であるというのが自分の考えである。

 特にプレイヤー同士の出会いは起こればいいと思っていて、keita sano氏周辺の岡山の感じや、崎山 蒼志くん周りの静岡シンガーソングライターの感じなど、よき相互作用が起きることを願ってやまない。自分で言うとsoleil soleilに出会って曲を作り始めたみたいなきっかけは、場さえあれば出てくる気がしているので、場を設けることが大切である。

 なんとなくの数勘定として、演者が3人いて、それを好きな客が50人いれば、それはシーンと呼んで差し支え無いと考えているので、そんなシーンが、新しく出てくればいいなという気持ちで続けていけるといいなと思います。

 

 

 

 9時5時の雇われ労働、年明けまで埋まるイベント出演、終わりなき制作依頼の締め切り、望んでやっているにも関わらず、時々なにが面白くてこんな暮らしをしているんだと思ってしまうこともある。

 だからといって、それらを全て無くしたとしても、自分の人生の楽しみなんて、家で音楽を作るか、深夜のファミレスで本を読むかくらいしかなく、それなら、今の暮らしは幸せそのものなのではないかとも思う。やらされているものもは1つもないので、不平を言うのは野暮である。