無題

 変分原理への理解を進めることこそが必要とされているのに、「光はまっすぐ進むんです!!!!」のほうがウケがいいので、意図的にレイヤーを下げてそれでわかった気にさせる、みたいなムーブを軽蔑していきたいものだが、怠惰さから低きに流れてしまい、気づけばそうなっている自分に悲しくなることが多い。

 入門者向けの導入や、噛み砕いた解説などはいつだってありがたいが、誰が作ったかもわからない簡易なフローチャートで支持政党を決めるような楽ばかりをしていると、人生の本当にエキサイティングな部分を落としてしまうような気がしてしまう。そんなことを思いながらも、怠けた身体はなかなか動かないものであり、歩いて5分のマクドナルドさえ、UBER EATSで注文してしまう日々である。

 

4月某日

 聴くと直したい箇所が出てくる気がして、完パケ以降ほぼ音源を聴き直すことなくアルバム発売日を迎える。

 どれだけでかい口を叩こうが、逆にへりくだろうが、作った作品は正直であり、聴いてもらったときに感じてもらったことが全てである。「これはアルバムを聴いてくれたどこぞの誰かと、おれとの一対一の対話なのだよ…」みたいな大層なことを考える。なんかアマチュア無線っぽさがある気もする。傍受した人とのコミュニケーション。

 

4月某日

 新幹線に乗り東京へ。秋葉原に着くなり、快活クラブに吸い込まれ、何周読んだかもわからない銀牙伝説WEEDを読む。「この任侠さながらの犬模様、現代人の忘れてしまった気持ちやね…」などと考える。価値観のアップデートは三歩進んで二歩下がるよう、仲間の為に命を捨てることを美徳とする犬畜生と、定時で帰り趣味に打ち込む現代の若者の自分、なにを得てなにを失ったのか。

 かつやに入店し、ロースカツ定食を注文したタイミングで原くんから中華食う?と連絡が来る。おれは仲間の為にロースカツ定食を捨てることすらできない。

 

 リリース後初のイベント出演は秋葉原MOGRAにて。MOGRAに来るたびに、居心地もよく、音も良く、スタッフも親切で感心してしまう。クラブとしては不利と思われる立地、ホスピタリティを持って乗り越えられるのであるから素晴らしい。

 イベント後の早朝にCoCo壱へ。CoCo壱が24時間営業、みたいなところにたまらなく東京を感じる。ホテルのチェックインが夕方である無計画さを、has氏の家にて仮眠を取らせていただくというホスピタリティによって突破。

 翌日、バツくんとともにM3へ。初めて行ったが、こんなにもたくさんの人が音楽制作をしているのか…素晴らしい世の中やな…と感銘を受けてしまった。

 

5月某日

 asia出演まで微妙に間があったこともあり、池尻大橋のホテルに5泊。わざわざ楽器屋で37鍵のmidiキーボードを買い、ほぼ外に出ず音楽を作る。ホテルの清掃の時間のみ申し訳ないので外に出て、タワレコにて自分のCDの展開の様子を眺めたりなど。

 夜になると音楽を聴きながらぷらぷら歩いて友達の出ているイベントへ赴き、酒を飲んではタクシーで帰る。cluster Aのリミックスをしてくれたフランスのfusqにも初めてあったが、話を聞いて見ると見るとおれの比ではないくらいのロングステイであった。

 

 気が狂うくらいホテルでDTMをしていたため、頭がおかしくなってasiaのメインでも異常な落ち着きを発揮することに成功。ホテルで制作された謎のブートトラックが鳴り響く最中、スーさんがお祝いにシャンパンを開けてくれたが、ハイになった代償から異常に喉が渇いていた自分の脳裏に浮かぶは”水分補給”の四文字。運動部のポカリガブ飲みさながらの勢いで飲んでしまい、我に帰った頃に著しい酔いに襲われてしまった。

 

5月某日

 あと15分早く家を出ればいいだけなのに、結局ギリギリになってしまいタクシーで梅田駅へ向かう。蛍池から伊丹までもタクシーを用いるダブルタクシー発動は回避するも、モノレールからは小走りであった。

 飛行機にさえ乗ってしまえば、札幌までの空路はいつだってあっという間である。あっという間であるから遠くに来た気がしないな…などと思っていたのもつかの間、想像以上に気温が低く、そこが遠くであることに気がつくのであった。

 デイ開催、tofubeats氏のツアー北海道編を見届け、夜はvava氏のリリパ。summitの方々と共演するのは初めてであったが、vava氏、in-d氏をはじめとする面々は自分の顔を見るや一人ずつ丁寧に挨拶していただいて、オタクであるから、隠キャやから・・・みたいな予防線を張り挨拶や礼儀などの認識が甘いままである自分が情けなくなる。 

 ラッパーのライブを見るたびに、声というのは気合いというかバイブスが乗りやすいのか、その即時性というか、ライブ性というか、そういうものが羨ましくなったりもする。とはいえ、そんなものを羨む前に、自分には直すべき至らなさが多すぎるのであった。

 みな話すと音楽に対する真摯さみたいなものが伝わって来て、礼節の不足した自分もそこくらいは保っていかないといけないという気持ちに。オタクが好きなものへの愚直なアプローチを忘れてしまったらおしまいである。

 自分のアルバムの曲がEYESCREAMspotifyプレイリストに入っていて、どういう因果なんや・・・と思っていたが、話しているうちにセレクトしてくれたのはその日のバックDJをしていshakke氏であることが判明したり、増田氏がblock.fmのsummitimesで自分のremixをかけてくれたりなど、いろいろと頭が上がらない。人の目をみて音楽をするわけではないが、そういった人が聴いた時に、しょうもないと思われないくらいの強度のあるものを作りたいものである。

 翌日はパーゴルの絶望的なペース配分の食い倒れツアーの後、中川さん、太郎くんも合流して飲む。皆久しぶりな気が全然しないな…と思うが、実際問題そこまでひさしぶりではない。

 

 引き続き北海道、太郎くんの車にピックされ芸術の森へ。”森で合宿”と冠された作曲合宿。道中ハードオフに寄ったところ、でかいスピーカーの品揃えがやたらと豊富で、土地柄を感じてしまうなど。

 SNSでの粗雑な呼びかけから有志が大集合、てっきりみな知り合いなのかと思いきや全然そんなことはなく、初対面だらけで自然豊かなアトリエに集合し、PCを開いて黙々と曲を作る様子は実にシュールであった。一方で、なかなかにエキサイティングな会でもあった。曲を作ってみたいという気持ちで単騎突入して来た高校生などもいたが、興味の赴くまま、ろくに知っている人もいない状態で、森の中の小屋に来れる精神性さえあれば、もうそれだけで人生なんとかなる気がしてしまった。

 名残惜しい気持ちで途中抜けし帰宅。気持ち厚着で大阪へ。自宅に着く頃には少し汗をかいていた。

 

5月某日

 Potluck Lab.なるイベントを主催。詳細はこちらの通り。音楽をする上で特に苦労らしい苦労をした記憶もなく、先人の切り開いた領土にただフリーライドして楽しくやっていただけで、一方的に得しまくっているだけで、なにも還元できていない状態に長らく負い目を感じていたわけであるが、ようやく自分なりの方法で、開拓というか、次に繋がるようなアクションができそうな気持ちになれたのがよかった。

 きっかけ一つ、ほんの些細な出来事で人生がドライブしていくのはよくあることで、そういうきっかけになる可能性があることはやり得である。

 自分は、知っている人の作った作品を通して、そのひとのことが少しわかったような感覚になるのが好きである。そこで技術の高低はさして問題にならない。…といいながらも、ただ友達が増えて楽しい、くらいの話なのかもしれないが。

 次回は8/24です、何卒。

 

6月某日

 命からがら江ノ島へ。最近はもはや音楽の合間に会社に行っている気分である。

 一年前に、なぜか出音が微妙に変になった反省を生かし、入念にリハ。今年は気合いが入ってますからね・・・やりますよおれは・・・という気持ちを胸に抱く。

 リハを終え、開演までの時間に飯屋を探すが、江ノ島っぽいところはどこも混んでおり、目につく限りで江ノ島感のもっとも乏しい韓国料理屋へ。その店が思いの外美味い。期せずしてほぼベストチョイスであった。「世の中見ただけではわからないんですよ・・・」という気持ちで会場へ。

 自分の出番、序盤で手を上に突き上げた際にミラーボールに思いっきりぶつけてしまい、ミラーボールを落としてしまう。普通に粗相であるが、一方で会場的には変にウケて謎の盛り上がり。あとで店の人に謝らないとな・・・などと考えていたが、ふと自分の手からものすごい勢いで血が流れていることに気がつく。「DOMMUNEの時の小室哲哉みたいでワロタ・・・」と初めは気にしていなかったが、あまりにも血が止まらないので、文字通り血の気が引いていく。手から流れ続ける血、流れ続ける音楽…

 休日の江ノ島に開いている病院などなく、15分ほど歩いて最寄りのドラッグストアへ。のどかな店のアルバイト店員に手から血を流しながら「すんません、血を止めれそうなやつ適当にください」などと頼んでしまったことを本当に申し訳なく思う。

 自分が海岸で止血に勤しんでいる間もイベントはいい感じであったようで、最後の踊footで復帰して気持ちよく〆。

 

 翌日は江ノ島をゆっくり観光するつもりであったが、傷口をなんとかせねばならないため帰宅。江ノ島成分を摂取することなく帰宅するのが悔しかったため、深夜に海を眺めに海岸へ。海はいい、見ていると辛いことを忘れるから・・・

 関西に帰り梅田の皮膚科でアホみたいに並んで治療、こんなアホなことで一生消えないデカイ傷が手に残ってしまうのであるから人生はわからない。未だに右手の甲を見るたびにテンションが下がる。

 

6月某日

 祖母の訃報。

 GW時点にひっそり会いに行った時も、そこらへんの若者よりもよく喋るくらいの感じであった。ハードが朽ちるまでソフトがほぼ完璧に健在、という状態は、それはそれでかなりきついものであったのであろう。

 急に「仕事やめるか・・・」みたいな気持ちに襲われたが、それとこれとはあまりにも無関係、ただの論理の飛躍である。

 

6月某日

 TBSラジオ、アフター6ジャンクションに出演。「喋りは無理であるからせめて音楽はしっかりきめよう」と思っていたが、頼みの音楽セクションでずっこけてそれ以降は頭が真っ白、苦い全国電波デビューとなった。

 名実ともに”素人さん”をぶちかました自分、一方でラジオの現場というのは基本リアルタイムであるという性質もあり、常に一定の緊張感が保たれていて、そこでパーソナリティをやったりスタッフをしたりしている人たちは、まぎれもない”プロ”であるとしみじみ感じてしまった。プロの技術は一朝一夕では身につかないし、向き不向きもある。

 千里の道も一歩から、次回実力が問われるような機会がくるその日まで、日々精進である。

 

6月某日

 めまぐるしい生活の裏で、彼女が他の男とセックスしていた事実を知らされる。

おれは離婚でなにを学んだのか・・・今回もなんやかんやでそのうち元気になるのであろうが、こういうことを繰り返していくうちに、なんかの拍子にそのうち本当に落ちこんだまま元に戻らなくなったり、明るい部分を無くして暗ーい人間になってしまったりするのではないかと思ったりもする。とはいえ、なってもいないことを心配しても仕方がないのである。

 気を紛らわすためにコーナンで大量の木材を購入し黙々と家具作りに精を出す。ふと気づいたが、そもそも今住んでいる家の家具は、離婚した時に手にした金で買ったものばかりである。

 完成した大層な家具やらをみて、「これは気軽に引っ越せなくなりましたな・・・」などと考える。こうなったらここでもう少し仕事を続けつつ、もう1枚くらいアルバムが出せればいいなという気持ちになる。

 

 アルバムを出して二ヶ月、作っていた時になにを考えていたかもそれなりに忘れてしまっていて、聴くにはちょうどいい時期だなと思って最近よく通しで聴いている。

 もう少しもの哀しいイメージであったがそんなことはなく、いつも通りの自分であるなと思うだけである。