ムダイ

5月某日

 会社と家との往復の日々は、油断するとそれだけになってしまうため、なんとなく反抗の意思を見せるべく、ちょうどセールをしていたAdobe CCを契約。1つのDAWの使い方を覚えるのにも苦労したのに、全く明るくない分野のソフトが山盛り手に入って途方にも暮れそうにもなるが、これだけでも残りの人生楽しく過ごせそう。

 まだ手を出していない分野にすごい適性があるかもしれない、という気持ちは常々あるが、まだ見ぬ選択肢に気を揉みすぎるのもよくない。プロ野球の贔屓のチームを決めるように、第一の趣味、みたいなものを決めてしまうほうが健康な気分で過ごせそうと考えていて、自分にとってのそれは音楽だということにしている。それでも新しいことをやりたくなってしまう性分なので、とりあえずやってみて、飽きたらやめればいいし、そうでなければ続ければ良い。

 

7月某日

 arp odyssey moduleを購入。眺めてよし、触ってよし、鳴らしてよしの逸品。それの何がそうさせるのかはよくわからないが、シンセサイザーのつまみはおれたちを駆り立てる…知らんけど…

 はたからみると謎の物体、自分の部屋すらない実家でそんなものを延々と愛でていると、母が興味を持ってきたりなどする。オタクのテンションで減算シンセの仕組みを長々と説明するも、もちろん途中からは上の空。

 

7月某日

 謎のノリで日帰り福岡旅行。九州国立博物館での民族楽器の展示でテンション一億倍。ガムランのワークショップは要予約であったため断念。

 

7/26

 ついに26歳になってしまう。今日が自分の誕生日であることを知らない人たちと全く別の用事で飲んでいたので、特にだれにも祝われることなく1日が終わってしまった。一方で、インターネットでは顔も知らない人にまで誕生日を祝われているのである。それでも、ネットと現実が分断されたものだと感じることはない。

  近頃、SNSを通じてその日が誰かの誕生日であることを知ることは多い。たいして関わりがない人でもそれなりにめでたい気持ちになる。そういうのを、インスタントで薄っぺらであるとする考えもある。それでもきっかけは多ければ多い方がいいと自分は思う。

 

8月某日

 the band apart "memories to go"がリリースされた。中学のときからのべ10年以上聴き続けたバンド、自分への影響は計り知れず、音楽は言わずもがな、この日記の形式すらも彼らのオマージュである。新譜を聴きながら、その到達点に、一ファンとして、強く感動してしまった。かつて2chのパンアパコピースレに常駐し、まとめwikiに音源をアップロードしていたが、そんな日々は宅録、及びDTMの原体験であった。in the blue shirtとして活動していくための基礎体力として、それはしっかりと自分に根ざしているはず。知らんけど。気づけばアラサーになってしまった自分は、ひとしきりアルバムを聴き狂ったのち、またギターを手に取り、コピーに励むのである。シュっとしたものをありがたがる最近の流れはつゆ知らず、漢臭いフレーズが多くて最高。かつての思い出は今も己の活力に、memories to go…

 

8月某日

 拙作、stevenson screenのPVを公開。MVも気づけば5作目、作れば作るほど、映像表現に自分のエゴを介在させたくなる。音楽とは違いどうしても人の助けを借りなければならず、手伝ってくれる人たちには毎回申し訳ない気持ち半分、ただひたすらに感謝。

  人とは違うような境遇、経験にさらされた人は、おもしろい人が多い。家庭環境だったり、ジェンダーだったり、一回の強烈な出来事であったりと場合は様々であるが、そういう人は自ずと自分の人生と向き合あい、考えざるを得ない。その結果人生がグルーヴしていくのであろう。

 自分は、華やかな生活とは無縁であるし、生まれも育ちもパンチの効いたものではない。ぼやぼやとしていても、それなりに人生は進んでいく。自分の人生と向き合わざるを得ないような用事は特にない。それでもおれは自分の人生をグルーヴさせたいと思う、自分の頭で自分の人生をよく考えよう。そんなお気持ちが出ればと思っています。

 普通が一番とか、平凡のなかにも素敵なことがあるとかそういう話ではなくて、向き合うことそれ自体がいいなみたいなのが今の気分。メッセージ性のあるカットなんてなくても、強い怨念を込めていけば、なんとなくおしゃれな映像、で止まってしまわない、馬力のあるものができると思ってやっていきます。

 

8月某日

 acidkazz氏、OZの二人とSFM奥田くんと飲む。19歳の夜、京都の飲み屋でacidkazz氏と会ったのが昨日のことのようである。なんとなくそういう出会いを経てゆるゆると変わっていった人生、気づけばその頃の彼らくらいの年齢に自分もなってしまった。関わった人の人生が、ゆるゆると良い方向へかわっていくような、そんな人間になりたいものですね。知らんけど。