無題

2016年

12月某日

学会で一週間福岡に滞在。学生として高分子学会に出るのはこれで最後であった。研究室のいろいろと、バンドの準備で疲れ果てていたので慰安旅行といった気持ち。他人の金で行く旅行ほど楽しいものはなく、発表もそこそこに、飯、飯、飯…結局1週間ほどの滞在に。ちょうどYesterday once moreのイベントがやっており、タガが外れ飲みすぎて酩酊。意識朦朧ネカフェに転がりこもうとするも、どこも空いておらず、働かない頭とともに天神から博多までヨボヨボと歩いていったのである。

那珂川を渡り博多へ向かう道すがら、日が昇り朝を迎える。クラブの思い出というのはいつだって早朝の景色とともにある。福岡は素敵な街だと思う。

どこにいっても友達がいるのは、音楽とインターネットのおかげである。もう当たり前すぎてしみじみと思う機会もほとんどない。

 

2017年

1月某日

年末年始と、身内の不幸によりバタバタとすぎていく。もういい加減修士論文も書かねば、という思い、人からのありがたい誘いを次々と断るうちに気が滅入っていく。

ほんの合間、気分転換に京都での蓮沼執太氏のライブを観に浄土寺へ。蓮沼氏曰く、「有村くんは思ったよりもまともなんですね」。左京区白川エリア、久しぶりに帰ってきたぞという胸の内であったが、立ち並ぶ知らない店の数々に立ち込めるむなしさ。十代京都に住んでないと京都人と言えぬ、十代京都”という言葉もある。たかだか4年すんだ程度で知ったわような顔をするほうが間違っているのである。はっきりとした地元がないというコンプレックスを引きずっている自分のダサさと向き合いながら家路につくのである。

 

2月某日

振り返るとどう考えてもナメくさった研究生活であったが、それでも終わりはやってくる。修論発表、付け焼き刃の人間と積み上げてきた者の差はわかっていても改めて認識するとくらってしまう。それでも中條先生に褒めていただいたときは、心洗われた気持ちになってしまった。本分である学業の時間を削って自分はこの学生生活で何を積むことができたのか。これからの人生、ここまでで積み上げたものでやっていくしかないし、これからも積み続けるしかない。

 

2月某日

大学の友人の結婚式二次会に出席する。六本木ヒルズ上層、結婚というのは手放しによいものである。何かめでたい事をきっかけにして、人が集まるのはよい。有朋自遠方来、不亦楽乎・・・(再三)。式出席前後は学部時代の研究室の同期と京急沿線ローカルを満喫。蒲田のとんかつあおきは人生最高打点説。翌日は修了祝いに新宿でうなぎを奢っていただいた。気づけばプライベートで酒をまったく飲まなくなった。

 

3月某日

引っ越し準備に追われる最中、ハードオフビーツ大阪編の撮影。日中喋り続けた後に、嬉々としてパソコン音楽クラブを船に乗せに行くトーフビーツ、トーフビーツ宅に残され、酒も入り饒舌になってしまったおれ、テムズ、フーミン氏。音楽と友人の重要性。

 

3月某日

破れかぶれに実家への引越しをおわらせる。相変わらずお金はないし、そもそも出不精であるがどこも行かないのも寂しいので、卒業旅行ということにして箱根に。かつて日本棋院の箱根寮であった、という登山鉄道のスイッチバック沿いのすぱらしいロケーションの宿に泊まり、優雅に夜を越えて行く。宿のスタッフのサービスも行き届いており、非常に満足する一方、宿の一角に立ち並ぶ自己啓発本の数々と、充実したマルチ商法ブランドのアメニティ。アンバランスさこそ人生の醍醐味…

 

4月某日

ありがたくも音楽を作る用事をたくさんいただいていたので、入社式に向かう朝直前まで音楽を作り続けることに。

自己紹介をしつづけるのは新入社員の定め、「音楽が好きです」という人の多さに素直に驚く。他の様々な趣味とは比べ物にならないほど音楽が好きであると語る人がいる。かたや音楽業界の衰退が語られており、不思議な気持ちになってしまう。

「ララランドみたけど最高だった、有村はみた?」、内容なんてなんでもよいコミュニケーション、雑談レベルの世間話であるが、創作物について感想を言い合う上で、どうしても拗らせたオタクとしての自意識が邪魔して口数が減ってしまう。考えていることを人に全て話してしまう、あるいはまったく話すことができないという極端さは隠キャあるあるだと思うが、社会に出るとそんなことも言っていられない。

 

4月9日

新宿MARZにてALPS、もう慣れたものだと思っていたが、久しぶりなので緊張してしまった。大盛りしたい人のための、大盛り上がりするための装置、滑走路としての機能を目指して組んだセット。人はたくさん入っているが、いまいち盛り上がりきっていないフロアのタガが外れていく様子を見るのは気持ちいい。それが誠実なのかはわからないが。

悲しい曲がかかると悲しい気分になるし、楽しい曲がかかると楽しい、実際はそこまで単純な話では無いが、音楽は少なからず場の雰囲気を変える。カッコつけたい気持ちはあるが、どうしても照れてしまう自分でも、再生ボタンを押し、流れていく自分の曲は、本人の照れとは関係なく場の雰囲気を変えていく(良くも悪くも)。出番が終わり、与えられた40分の持ち時間いっぱい、自分の作った曲を浴びせられ続けたフロアの人たちの顔をみる。そして、オタク特有の醜悪な笑みを浮かべ、次はどんな曲を作ろうかと考える。自分は音楽で人をどんな気持ちにできるのか。そんな興味深いこと、他にはなかなかない。