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ムダイ

8月某日

改めて実感したことの一つに”東京のうまい飯屋はインターネットでは探せない”というのがある。そもそも店が多すぎるし、レビューの絶対数も多く、おまけにクソみたいなまとめ記事であふれかえっていて、情報を取捨選択するのが面倒に感じる。間抜けなことに、日本で最もネットが発達した場所の飯屋を探すのに、友人に聞くというアナログな方法を選択することになりがちである。暇すぎてシンゴジラを観た後、なんとなく感想エントリを検索していたが、しっくりくるものが見当たらなかった。ぼんやり思い浮かぶは友人の顔、あいつらに会ったら感想を話そう、などと考える。飯でも映画でも、その感想に至ったそいつのバックグラウンドまでわかりたいと思ってしまうようになった。結果的に仲のいい友人に頼るしかなくなる。一周してネットから離れたみたいにも感じるが、そのバックグラウンドの理解はSNSの力が大きかったりして、それはまたインターネットである。誰かも知らない人が「シンゴジラ○回みた!」なんてことを言っているのを眺めながら、仮に好きな映画がいつでも好きなだけ映画館で観れるなら、自分はそのフェイバリット・ムービーを、いったいどれくらいの頻度で観るのだろう、ということを考えてしまった。お気に入りのbibioのレコードたちは壁に飾られ、近頃はさっぱり聴いていない。

 

8月16日

研究室の友人と日帰り旅行。男三人で琴引浜海水浴場へ。いまさら海なんか行ってもと思っていたけど、行ったら行ったで楽しい。海はヤバい。なぜならデカいから。帰りは城崎温泉を経由。なぜか熱すぎる湯船の温度が日焼けの体に堪える。移動の車中、後輩がふざけておれの曲をかけていた。自分の作った曲をカーステで聴いたのは初めてであったが、悪くないものである。買っている自分の姿はなかなか想像できないが、それでもやっぱり車は魅力的なアイテムである。

 

8月某日

久しぶりに実家に帰る。家族一人一人の誕生日のたびにちゃんとおめでとうと連絡するような、してもしなくても問題にならないようなことでも、せっかくなのでちゃんとしようとふと考える。人と比べても、自分は経済的、精神的に自立するまでにずいぶん時間がかかってしまっている。しっかりしないといけない。

 

8月某日

最近、いろんな人に「自分に子供ができたら私立と公立どちらに進学させるか」を聞くのにハマっている。これでそいつの人生の考え方がいろいろわかるのでおもしろい。三宮でtofubeatsと優雅にお茶したときにその質問をしてみたが、ほかの人からはなかなか聞けない意見を得ることができた。人とは違う人生を送るということは、いつだって自分の頭で考えなければいけないわけで、彼の話はいつだって面白い。一方で、思考停止して周りに流されることで楽して空いたリソースを、ほかの何かに割くような生き方もまた一つの選択肢なのであろう。実家での怠惰な生活を終え京都に帰る道すがら、自分の学生時代は常に阪急電車とともにあることに気付く。梅田に行くと中学時代を、三宮に行くと高校時代を思い出す。おそらく今後は京都に行くたびに大学時代を思い出すようになるのだろう。

 

8月某日

わざわざ池田屋一乗寺のラーメン屋)に行くために桂駅前までマゴチがマイカーで迎えに来る。”セミ無職からつとめびとに”などの発言を聞くたびに笑ってしまうが、”つとめびと”にさえなれば車を買うことさえ造作もないことである。未来は僕らの手の中。あとドンキホーテは楽しいが絶妙に買うものがない。

 

9月1日

拙作、初の全国流通作品である"sensation of blueness"の情報が公開される。適当に大学で撮った動画に音楽を合わせたティーザー動画、スペルミス丸出しで公開してしまうあたりいつになってもその詰めの甘さはかわらず。作品についてはいずれまた聞かれる機会があるかもしれないので書かずにとっておきます。他人に影響を与えることができるのが人生の醍醐味、自分の音楽作品によって、見ず知らずのどこかのだれかの人生に、ささやかながらであったとしても、よい影響があればと思う。

 

9月2日

二週間ぶりに東京へ。ミツシゲの家に行き、爆睡したのちミツシゲ主宰のナイトコックスに出演。”朋あり遠方より来る、また楽しからずや”を地で行くパーティ、ナイスイべでした。裏でもvisionでtrackmakerがやっていたので退屈しませんでした。ただ楽しく音楽を続けるだけのことは意外と難しく、しっかりと考えてやっていかないとなあと気が引き締まる。あとCBSバンドをみていると、本当にバンドがしたくなります。残りの週末も東京で過ごす。とくになにもしていないが、それでもよい相手がいるのはありがたい。