無題

 最近、音楽がらみの人の集まりに顔を出すたびに、「アルバムを作ってるんですよ」とか「アルバム出しますよ…平成のうちに…」などという話ばかりしている。 

 なんだかんだでだいたい毎日楽器を弾いたり曲を作ったりしているが、クライアントワークだったり、適当な暇つぶしだったりするので、ちゃんと気合を入れないとアルバム作業は一向に進まない。 

  そもそも、自分のような立場の人間は、まとまった音楽作品をリリースしなければならない道理などハナからないのである。そういう意味では、"平成のうちに"というのは口実として実にちょうどいい。アルバムは歩いてこない、だから歩いていくんだね……一日一歩、三日で三歩……。

 だいぶ内省って感じなので、周りは気にせず、のんびり春くらいに出せればと思います。

 

 

8月某日

 パソコン音楽クラブのアルバムのリリパ。行きの新幹線で、「音楽に対するハードルを下げたいというか、程度が低いものにしたい」と言う話を聞きながら東京へ。言いたいことは本当によくわかる。 

  「私は"わかってる"側の人間です」というスタンスを取り、ハリボテ、虚像の城を築いて人を集めることが最近のインターネットビジネスのトレンドっぽい感じもするが、にわか行為は見る人が見れば一瞬でバレてしまう。とはいえ、硬派にゴーイングマイ・ウェイするのみでも人が付いてこれないわけで、筋を通し、誠実さを保ちつつ、かつハードルを下げるというのは実に難しい。けったいなことを目指してるんやな…かわいそうに… 

  ついでに、「〇〇枚売れたらいいなと思う」という具体的な数字を聞く。その枚数が想像より多かったので、「おれらもついにそこまで来たか…」としみじみ。一方で、そもそも我々はクルーを組んでるわけでも、同じ事務所に属しているでもなく、"おれら"というのは変ではある。それでも"おれら"であるという感覚はどうしてもある。最近は、そのおれらのパイのデカさそのものが、少しずつ大きくなっている、そんな気がする。それはひとえにみんなの努力と実力である。パイの大きさそのまま、取り分をこねくり回しても仕方がないのである。パイはでかいほうがいいよな!知らんけど! 

  知らぬ間にブロガー、youtuberなどもある意味最適化が進んで、「作り込みより毎日更新」的な方向性がもはや常識になっている。とはいえ、まるで一つの正解があるような言い方をするようなやつは基本的にペテンである。最適化に乗り遅れた卑屈なおれたちは、めいめいのペースで作品を作っている。正解はいろいろあるはずだし、それでもやれることは周りの人達が身をもって証明してくれている。 

  オカダダさん、imaiさんというありそうでない組み合わせの2人にベラベラと言いたい話をしまくっている裏で、ステージには西山くんと柴田くんが上がっている。抑えきれない隠キャ成分とは裏腹に、やっている音楽への自信、矜恃はしっかりと感じられる。それを見るお客さん達は、心なしかいい顔をしているように見えた。 

  素晴らしい雰囲気のリリースパーティは柴田くんの間抜けな一本締めで幕を閉じる。ファミレスで雑に打ち上げをし、ラフに解散。改めてリリースおめでとうございます。

 

8月某日

 自分はメンタルが強い方だと思っていたが、完全に調子を崩してしまう。きっかけ一つ、人類総メンヘラ予備軍。明日は我が身。首の皮一枚、なんとかお盆休みまで漕ぎ着ける。

 長い盆をほとんど外に出ず、ひたすら曲を作って過ごす。休みさえあれば人間なんとかなるもので、だいぶ状況はマシに。困った時に本当に役に立つのは金と休日。悲しきかな、音楽は燃焼における酸素のようなもので、それ自体が燃料になることはない。 

  海へ行くなどというベタなこともした。意味がわからないくらい荒れていて笑ってしまったが、いい思い出である。

 

8月某日

 ナノボロフェスタに出演のため京都へ。興味あるバンドをバンドを何組か見ようと早めに会場へ。一発目にみたベランダのライブが想像より体温高めでテンションが上がってしまう。 

  京都にはいつだってホーム感を感じていたいが、なんせこの街は若者の入れ替わりが激しい。見渡す限り知らない人ばかりだし、もはや自分より10歳くらい下の人も多々いるわけである。はたから見た自分は「パソコンで音楽作ってるよくわからない人」だし気楽に行くか…と考えながら御池通を歩く。向こうから背の高い人が歩いてくるな、と思ったらチームDTMの先輩ことimaiさんであった。 

  楽屋でぼーっとしていると、自分の前の出番だった浪漫革命のメンバーに、「昔有村さんのバンドセットみましたよ」と言われる。「おお…あの志半ばの…お恥ずかしい限り…」と言う心持ち。折角なのでいいところを見せてやろうと意気込むも、悲しきかなおれがすることは、再生ボタンを押し、適当につまみをひねるだけである。にもかかわらず、不思議なことに、そんな行為にもその日の良し悪しというものが存在する。この日はおそらく良い方であった。 

  音楽をしていると、平均よりは不特定多数の人と喋る機会が多くなる。自分はだいぶ人当たりが良くなったな…としみじみ考えながら京都を後にする。 

 一方で、主催のモグラさんをはじめとする付き合いの長い人は、卑屈な若者でしかなかったかつての自分を知っているわけである。今も昔も変わらず良くしていただけるのはありがたい。

 

9月某日

 馴染みの服屋ことストラクト主催のイベントに出演。

 店長の原田さんとの出会いは数年前。年末のイベント出演を終え、心斎橋のコンビニの前でうんこ座りをして一人ポカリを飲んでいるときに急に話しかけられたのである。「なんかオシャレなアパレルの人が来たな…」と卑屈全開でいたく身構えてしまった記憶があり申し訳ない。今となってはストラクトで服を買い、ストラクトの靴を履き、定期的に一緒にサウナに行く。

  そんな彼主催のイベントは、周りの人たちの人柄そのままに実によい雰囲気であった。クラブ以外でやる音楽イベントも、クラブでやる音楽イベントもどちらも比べられない良さがあるので、是非みなさんお好きな方へ遊びに来てください。来年もまたやりましょう。

 

9月某日

 久しぶりの札幌。移動の時間潰しに小説でも買うかと思うも、空港の保安検査を経た後の空間にはベストセラーの類の本しか存在せず、なかなか読みたいものが見つからない。なんとか未読の名作を選び空へ。離陸するや否や眠ってしまい、目が覚めるとそこは新千歳であった。 

  割と震災の直後であったため、浮かれていてもいいのかという気持ちも片隅にありながら、ここのところの鬱々とした日々の反動で、新千歳から札幌へ向かう車内のなかの自分は、結果として完全に浮かれポンチであった。ここで、伊丹で購入した小説を読むことなく機内に置き去りにしてしまったことに気づく。南無三。 

  いったんすすきのに到着し、お茶でも買うかとコンビニに入る。見渡す限りまるで商品がない。そりゃそうだよな…

 地震から10日しか経っていないのに、コンビニの看板を見ると、当たり前に商品が並んでいるような気がしてしまう。自分の想像力とはその程度である。インターネットでなんでも俯瞰できているような気にさせられることが増えたが、現実の自分はこんなことですらも思いが至らない。

  思いが至らない人間の飯屋選びとは破滅そのもの、「サイゼか、マクドナルドか、ミスドか…」「ミスドで…」、気づけばもう札幌に住んでいないパーゴルと、札幌とは思えない三択からミスタードーナツを選択。募る話を消化。くだらない話をしていたようで、割と真面目な話でもあった気も。 

  札幌には年に一回くらいのペースで来ているため、moleの中川さんや、地元のDJのみなさん、そこに遊びにくるお客さんなど、もう顔なじみといった感じ。

 中川さんにいつか言われた「こういうのは久しぶりだから楽しいんですよ…」という言葉は何度でも思い出す。それは前向きな意味でもあり、同時にネガティブな意味もなきにしもあらずである。まあ結局、友達に会うのはいいよねという話でもある。働き出した今となっては、年に一回定期的に会う人なんていうのは、もはやよく会う側の人間であり、久しぶりなのかも怪しい。

 

9月某日

 残業を終え、会社から自転車で帰宅。7kmほどある道中で、突然大雨に降られてしまう。ボケがよと思いながらコンビニでもないかと周りを見渡すと、ちょうどイオンモールがあったので逃げ込むように中へ。 

  家にまっすぐ帰りたくない気持ちも相まって、雨宿りがてら映画を一本見る。郊外のレイトショーは本当に人が少ない。マーベル作品であるにもかかわらず、客はおれの他におっさん1人とカップル1組のみであった。 

  映画が終わり、外に出るも、当たり前のように雨が降りつづいている。イオンモールは映画館以外の施設は全て閉まっていて、傘を買うこともできない。まさに"なにかあるようでなにもない"やな…などと思いつつ、結局雨に打たれビショビショの帰路。 

 ふと「これは自分の人生みたいだな……」と考える。イオンモールに逃げ込んだところで、雨はやまない。問題を先送りにし、少し状況が悪くなる。そして、まあ映画面白かったしいいか、などと特に問題にもしていない。 

  よくわからないが、少し泣いてしまった。帰宅した家には誰もいない。

 

無題

 未だに"就職"したことについて聞かれることは多い。「現役大学生トラックメイカー」みたいな枕はいとも簡単にぶら下げられる。自分もそんな感じの扱いを受けた時期もあったが、そんなことより、興味があるのはその後の暮らしである。

 

 音楽としてる人としていない人、才能がある人ない人、アーティストと一般人、演者と客…….憧れの人は見上げてしまいがちで、あちら側、こちら側みたいな区分、越えられない段差があるようにも感じてしまいがちである。でも実際は、その間はなだらかな坂、グラデーションであるように感じる。そして、インターネットはその間のグラデーションに光をあてる。"一億総クリエイター時代"とも言われるが、インターネットはこちら側の人間を、あちら側へ連れていってくれる魔法ではない。ただ、インターネットやDTM(テクノロジーによる創作の民主化諸々)の力によって、グラデーションの途中にいることがわかっただけでも、自分はどうしても自由になったように感じる。そこにいてもいいし、少しずつ上に登ることを目指してもいい。

 

 そういう考えになったので、音楽辞める/辞めない、就職する/しない、散々聞かれたが、そもそもそういう質問は、しっくりこないのである。それぞれの事情を汲んだ上で、"こんな感じでやっていけばいいのでは"みたいな具体的な話をしてくれる人はそうそういない。人が教えてくれないことは、結局自分で考えるしかない。とにかく、健やかに生きるためには、自分の選択を肯定できるようにするしかない。

 

 予想外だったのは、自分が意外と仕事が好きなことである。勤務時間、いわゆる9時-17時を苦痛な時間として耐え忍び、それ以降のアフター5に人生をかけるんやと思っていた頃には思いもしなかった悩みが立ち上がる。「どちらにどれくらい時間と気力を割くか、能動的に選ばなければならない」のである。

  「会社で武功を挙げるために気力を振り絞り、家に帰って倒れるように寝る生活」と「窓際よろしく必要最低限の仕事のみをし、余力を残して趣味に没頭する生活」、両極端な設定の間の、ちょうどいいところにつまみを合わせる作業を、自分でしなければいけないのである。これは本当に難しい。自分はまだ正直うまくやれないので、うやむや、だましだましである。

 

6月某日

岡山、江ノ島というイレギュラーな土地でのダブルヘッダー。パソコン音楽クラブ西山と早めに岡山に到着するも、あてもないため適当に岡山城へ向かう。「おれたちの創作のトリガーは、知らない街をただ歩く、その時の感覚なんや」という話をしばしばしてくるパソコン音楽クラブのことを考えながら、岡山の街をちんたら歩く。「岡山、いい感じやな」「岡山、いい感じや」具体性ゼロ。

 道中、tofubeats氏の車にピックされ、ハードオフミスド、スタバというコースを辿ることに。見知らぬ街の、よく知るチェーン店で募る話を消化し、気づけばイベントのリハーサル時間を迎えていた。

 単独行動の柴田くんは一人で定食屋に行っていたよう。岡山くんだり、1人で飯食っただけで満足そうな柴田くんを眺めながら「そういえば、岡山城も後楽園も行ってないな…」などと考えていた自分がいたく小物に思えてしまった。

  岡山の人で出会った人たちはみな抜群におもしろく、そしてなんとなく自分の知らないバイブスを持っていて、ますます自分が小物に思えてくる。が、細かいことを考えている暇などなく、イベントが終わるや否や、江ノ島に移動である。

 

 目がさめるとそこは新横浜、この上ないスムーズさで導線上のスパへ行き束の間の回復。江ノ島に着いてからは浮かれすぎてあっという間。出演者それぞれ抜群によいアクト。立ち上がりの悪かった自分の小物さ加減に消沈。

  終演後にimaiさんらと中華を食う。ソロ活動に至るまでの話など聞きながら、おれもがんばろう…と決意を新たにするも、2日間横にならずに動いていた体はもうがんばれないようで、文字通り死体のように就寝。

  岡山、江ノ島とどちらも非常に良くしてもらってありがたい限り。怒涛のダブルヘッダー、死ぬほど楽しかったと同時に、色々自分に足りないものが浮き彫りになったようなきがして、考え込みながら帰路に着く。

 観光地であるため、平日朝の江ノ島はさっぱり人がおらず、「この感じは有給をとった今日しか味わえんやつやな……」と調子に乗ってしまう。しかし、江ノ電に乗り込むと、視界に入るは制服の高校生、勤め先へ向かうのであろう人々、談笑する老人たち。そちらは一転して、その土地の人の、日常の暮らしが広がっていた。おれはいわばノイズみたいなもんだな、と考えているうちに、藤沢駅に着いていた。腹が減っていたのか、外で売られていた鳩サブレが妙にうまそうに見えたので、我慢できずに買ってしまった。

 

6月某日

 そもそも立て込んでいた所にいろいろなことが重なり、月曜にしてクタクタな状態で会社へ。ちょうど会社に着いたところで、漫画の擬音みたいな音と共に、ものすごい揺れに襲われる。その瞬間に、なんというかいろんな集中の糸がすっかり切れてしまって、衝撃冷めやらぬまま、「ああ、おれはしばらくはがんばれないな」と感じてしまった。半日会社の復旧作業をしたのちに、おめおめ自宅へ。外で自転車を漕いでる分には驚くほど日常であるが、ひとたびスーパーなどに入るとその雰囲気は異様、非日常そのものであった。

 震源北摂、と聞いてなんとなく人ごとっぽい気分もあったが、帰ってテレビをつけると、次々と流れていくは自宅の周辺であった。テレビ越しに、ぐちゃぐちゃになった近所のツタヤの様子を眺める。

 夜、家にいてもなんとなく落ち着かないので、そのツタヤに併設されたスタバにでも行くか、とぶらっと外に出るが、当たり前のように閉店していて、情けない気持ちになる。さっきテレビでみたじゃないか、みんな大変なんやぞ……大たわけである自分は、音楽機材だけを床に下ろし、他はろくに片付けもせずにさっさと寝てしまった。

 

7月某日

 仕事で四国へ。帰ろうとしたところ、大雨で土讃線が運休になり、よくわからないまま振替輸送のバスやタクシーに揺られる。徳島は阿波池田、香川は坂出とたらい回しにされたが、結局その日のうちに土讃線は復旧せず、岡山に着くのが早くても23時であることを告げられる。

 どうせ帰れないなら、なかなか会えない人にでも会っておくかと小鉄くんを呼びつける。もやもやとした話をもやもやしたまま話せる友人は少ないので助かる。やるせない気持ちと、カプセルホテルの相性はよく、サウナに入ったり、コンビニにいったりしているうちに、結局眠れぬまま朝になってしまった。

 

7月某日

 友人の結婚式に出席。大学時代毎日のように一緒にいたが、今となっては会う機会も少ない。久しぶりに友人が集合する理由が、良い理由なのは気分がいい。友達にいいことがあると、やはりうれしい。

 

 新幹線の終電で京都駅に着き、近鉄電車に乗ろうとすると、「郡山での人身事故により遅延」といった掲示が目に入り、気が滅入ってしまう。クソがよ、もう帰れないのはこりごりや、と思いながら電車に乗り込みなんとか自宅へ。

  翌日、インターネットで"女子高生が自殺配信"みたいな文字列が。そのニュース記事、「近鉄線の郡山で…」といった文章が目に入った瞬間、えもいわれぬ衝撃に襲われる。あの人身事故はこれだったのか…、インターネットの話題、人身事故での遅延、2つのふわふわした情報が、急に現実とリンクして、めちゃくちゃに食らってしまった。人が死んでいるのに、こちらは電車が遅れた程度でクソがよと思ってしまっている。日々、現実感が薄まった状態で情報を摂取しすぎていることに急に自覚して、なんともビビってしまった。どう折り合いをつけていけばいいのか、いまだによくわからない。

 程度に差はあれ、誰にでも希死念慮みたいなものを感じることなんていくらでもある。自分も含め、周りの誰かが、悪い意味で、一歩踏み出してしまわないために、なにができるのか。油断していると、明日は我が身である。

 

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 仕事をしていると、音楽を聴く時間が圧倒的に減る。仕事中はもちろん、通勤は自転車であるし、なんといっても、自分で音楽を作っている間は、人の曲を聴くことができない。

  そんな状態で、ますますありがたみが増してくるのはサブスクリプションサービスで、iPhoneを開けば数秒で聴いたことない曲にアクセスできるわけで、それのおかげで、かろうじて、自分は新しい/知らない音楽を聴いている。

 

 せっかくなので、spotify上で、月ごとに、聴いている曲をプレイリストに突っ込んでいき、ある程度溜まったらその中から10曲選んで公開する、ということをはじめてみた。これが本当に楽しい。幸いにもspotifyはおれをアーティストとして認めてくれており、公式プレイリストとして、アーティストページから聴けるのもよい。リスナー然としながら、のんびりとアルバムを作っているが、リファレンスというか、自分の好きな空気感みたいなものを、人の力も借りながら、セルフセラピー的に理解していけたらよい。

無題

四月某日

 出張時、適当に入った定食屋に幽遊白書が置いてあり、暇つぶしにこれまた適当に数巻取って読む。幽遊白書を初めて読んだのは小学生のときで、それから大人になってからも何度か読み直しているが、いつ読んでも面白い。手に取ったのは終盤の、魔界統一トーナメントの話のところであった。

  「雷禅の死をきっかけに、穏やかに暮らしていた旧友たちが集まってきて、みんなめちゃくちゃ強い」という設定が自分はとても好きである。魔界統一を企てるヤバそうなやつらと同じくらい強いが、黙ってぼやぼやそこらへんで隠居してる、というやつらには妙に憧れてしまう。そいつらが出てきた理由が、「なんとなく幽助に共感したから」程度のものなのもよい。

 毎月のように東京に行き、音楽イベントに出まくっていた頃から比べると、今の自分の生活は相対的に隠居然としている。ひっそりと腕を磨き、友達に呼ばれてはひょっこり登場する。気質とは根深いもので、気づけばかつて憧れた設定を目指しているように思う。

 

4月某日

 漫画村のアクセス遮断云々のニュース。この手の話題に対してはセンシティブというか、うやむやにしたり、棚に上げたりしてはいけないなという気持ちがあるので、自分なりに都度かなりじっくりと考えるようにしている。

  オーバーラップするは去年アメリカに行ったときの記憶、"free the science"というスローガンの名の下に、論文のオープンアクセス化を目指す運動に結構食らってしまったことを思い出す。購読型の学術出版への問題提起というか、既得権益を全力で叩きに行く際のアメリカ感というか…ほぼエルゼビアへの悪口で笑ってしまった部分もあるが、論文投稿へかかるコストを下げ、それを誰でも読める環境で公開することと、厳正な査読により論文の質を担保することを両立する仕組みを作ることは難しいのである。頭脳で飯を食っている学者達でもゴールすら定まっておらず、ちゃんと声を上げ、気合いを入れて、まだ見ぬサスティナブルなシステムを試行錯誤しながら探して行くのである。いわんや音楽や漫画をや…

 エルゼビアが既得権益にしがみついて自然科学の発展の妨げになっているのはそうかもしれないが、一方でsci-hubは科学の発展に貢献しているからセーフになるとは言えない。ちょうどいい落とし所を探す道は険しい。

 Fleet Foxesのメンバーが「違法ダウンロードがおれを育てた」みたいなことを言っていた記憶もあるし、金がない野良の人間が割った論文で得た知識で、自然科学が前進する可能性だってある。そういうものへの接し方は? 自分はインターネットへ接し始めたタイミングでp2pの洗礼を受けた世代でもある。

 とにかく開き直ったり、うやむやにしたりするのが一番良くない。自分の棚上げ具合は日々反省していて、荒れに荒れたcluster Aのコメント欄を自戒も込めて何回も読み直しながら、次のアルバムではちゃんと自分の態度を示そうと、気合いを入れ直す日々である。

 

4月某日

 吉田凜音ちゃんのアルバム「SEVENTEEN」がリリースされる。凜音ちゃんは音楽的基礎体力が高いのか、ラップをやらせても、歌を歌わせても、高い打点でこなしてしまう。そんな方に曲が提供できる機会をいただいた。こちとら器用とは対極である。

  ラストを4小節と同メロだが半音衝突しまくる不吉なイントロ、ライブで歌が丸出しになったほうがおもろいやろとフィルターを思いっきりしめるセクション、ラップをするならブレイクスやろ!と唐突に大ネタをねじ込むなど、謎の意思を持った曲を投げてみる。するとmix担当だったのはillicit tsuboi氏、それを整えるどころか、オーバーラン気味にオタクの瘴気を増幅するような味付けを施して返してくれたのである。

 この体験、湧いて来るのは心からのリスペクト。プロの技術と精神性。中央に寄せるも、意思を持って外すのも技術があってこそ、ああ、こんな人がこの世界にはいるのかと自分の小ささみたいなものを感じてしまった。

 

4月某日

 神戸のエスニックなカレー屋に入店。店中に中村玉緒の写真が飾ってあり、そのうち一枚、中央のそれはまあまあなサイズであったため、ただならぬ雰囲気を感じてしまう。

  一般のメニューとは別に、目玉商品や限定メニューがわけられて準備されていることはよくあるが、その店は一般メニューとは別に、神戸ウォーカーかなにかの雑誌で特集された記事を、見開きそっくりそのままコピー、ラミネートしてメニューに使っていたのである。

  こんな横着あるのかと笑ってしまったが、冷静に考えると、プロがブツ撮りした立派な写真、美味しさを伝える魅力な文章、料理の名前、料金はちゃんと記されており、なにも問題はないどころか、むしろ最適なようにも思えてくる。

まんまとその商品を注文し、その雑誌の写真そっくりのプレートを食う。マレーシア現地感のある独特な味やな…と顔をあげると、うまそうに食っているは嫁の姿。気に入ったようである。

 横を見ると、羽生結弦選手が金メダルを取ったときの記事がでかでか貼ってある。当のオリンピックでの彼の演技をテレビで見た際、スケートの採点の仕組みなどさっぱり知らないが、結果を見るまでもなく、「彼はとんでもなく素晴らしい演技をしたのだな」ということを感じたことを思い出してしまった。この店の店主も、同じような気持ちになったのだろうか、それとも元々熱心なファンだったのだろうか。

 あとで調べると、神戸でペナン・マレーシアスナックをやっていたママが震災で店を失ってしまい、こちらに移転したとのこと。

 そのバイタリティと、圧倒的な演技をしてみなに感動を与えた羽生選手の記事を店に張り出す精神性が、妙にリンクしたような気持ちになってしまった。

 

5月某日

 大阪で結婚式。日頃の行いの良さが効いたのか、快晴でなにより。

  嫁が着たドレスは、嫁の母が結婚式できたウエディングドレスをリメイクしたもの。神戸、北野のアパートの一室で営まれているドレスの仕立て屋さんでお直しをしていただいたのである。

 数十年の休眠期間を経て日の目を見たドレス、自分が見ても「きれいに保存されている、素敵なドレスだな」くらいの解像度でしか接することができないが、リメイクした店主にはどうやら非常に興味深いものだったようで、生地がどうだ、仕立てが、縫い目がどうだ…と言った話を楽しそうにしていたのが印象的であった。あらゆるドレスに針を通し続けた人間の解像度を通じて、そんなテンションになるのならさぞ良いものなのだろう、とこちらもいい気持ちに。ウエディングドレスといういわばニッチなものを、一人ハンドメイドで作り続けているその人間が、オタク性というか、強いこだわりを持って好きなものに向き合い続けている側の人間であることが、服飾のことなどさっぱりわからない自分にも伝わってくる。自分も好きなものにはそうありたいと改めて強く思う。

  式が終わり帰宅した後に、そのドレスを持ってクリーニング屋へ。パーカーにジーパンの若者がいきなりウエディングドレスを持ってきたことに少々面食らった様子を見せながらも、一目見るやそれがリメイクものであることを察し、一目見るや、「また珍しいものを持ってきましたねえ」とでもいいそうなリアクション。こちらが事情を説明すると、保存状態がどうや、素材がどうやと言った話を嬉々としてしはじめた。服一つ、見る人が見るとその足取りが暴かれてしまう。こいつも"わかる側"の人間なのか…。

  とはいえ、特殊な洗濯物を急に持ち込んだこともあり、「後付けしたパーツ細かい素材の素性がわからないのでどうしたもんか」といった雰囲気に。やはりこの手の洗濯は一筋縄ではいかないのか、と思っていると、我々はドレスにお上品な洗濯タグが付いていることを発見したのである。

  それを着けたのはもちろん北野のドレス屋、リメイク時に追加したレースなどの素材の情報はご丁寧に全てそこに書いてあったのである。それを見たクリーニング屋、あとは任せてくださいといいそうな顔。「これなら大丈夫です、1ヶ月くらいかかりますけど」というので、この店なら大丈夫そうだと安心してクリーニングをお願いして帰路へ。

  ドレス屋が洗濯表記を追加しただけの話であるが、そこには「自分が手を加えた服を末永くきて欲しい」というはっきりとした意思がある。意思のある行為はわかる人には伝わるもので、それを手にしたクリーニング屋も、また「自分が手を加えた服を末永くきて欲しい」という気持ちのもと自分の仕事をするわけである。そんな意思の連鎖に強く感動してしまった。そこにあるのは好きなものへの愛と、技術である。愛と技術で社会貢献、なんて素晴らしい。自分も、愛と技術でなんらかの社会貢献ができればと思う。

  というか、自分は好きなものに対して饒舌になるやつには、勝手に親近感を持ってしまうだけなのかもしれないが。

無題

 ふと急に"電車男"のことを思い出した。めちゃくちゃ雑に言うと、あれは"どこの誰かも知らないやつを打算なくサポートし、喜び/悲しみを分かち合う"話と言える。あの話がフィクションかどうかはさておき、今日、「童貞のオタクが、酔っ払いに絡まれている伊東美咲似の美女を助けたことをキッカケに恋に落ち結ばれた」話をTwitterに書いたところで、嘘松呼ばわりされて即終了であろう。

  自分は音楽の作り方をGoogleに教えてもらったと言っても過言ではない。検索で得られた数多の知見の大半は、まさに"どこの誰かも知らないやつの打算なきサポート"である。その恩恵を授かった身として、そういったものを肯定していけたらなと思う。

  いいね、PV数やフォロワー数、はたまたVALUか、タイムバンクか、とにかく評価の尺度を定量化せんとする流れの一方で、"打算なきサポート"の価値は可視化されず、それをしたとしても結果のフィードバックも曖昧である。再生数数百回、大声でシンセサイザーの説明をする外国人は、極東の島国で音楽を作る日本人の役に立とうだなんて思ってもいないはずである。それでも、見返りを求めない人々のコンテンツを駆動力に、ゆるゆるした相互作用による、クラスタはぼんやりと立ち上がってくる。まさにソーシャル・ネットワーク、自分がSNSを好きなのもそういうところにあるのかもしれない。

 そんなことばかり考えてしまうのは、周りに対してのギブアンドテイクの偏り、受けた恩恵に対しての還元の小ささに決まりの悪さを感じていて、それから逃れたいが故のエゴなのかもしれない。綺麗事を言い、自分がいいねの魔力にほだされた承認欲求の豚であることを忘れてはいけない。

  とにかく、自分の音楽活動が、焼畑農業ではなく、土壌を耕すようなものになったらよい。

 

9月某日

 楽器演奏は生涯の楽しみ、管楽器の習得は定年後の楽しみとして、あえて挑戦せず残しておくつもりだったが、ヤマハからVENOVAなる謎の笛が発売されてしまい、早速手に入れてしまう。

 ソプラノサックスのリードが装着されたそれは、安価ながらも仕組みはリード楽器そのもの、本格派である。頑張って吹いてみるも、はじめは音が鳴らず、試行錯誤するうちに間抜けなブオオ…という音。逆上がりができた小学生くらいのテンション、いたく嬉しくなってしまうなど。

 ショートケーキのイチゴはいつ食うか問題、結局いつ食ったってうまい。

 

10月某日

 突然仕事で単身アメリカに一週間行くことになる。なにせ突然だったので、町内会のくじ引きで特賞を引き当てたような、慰安旅行然とした心持ち。

 目的は学会聴講であるが。就職してからというもの、大学院も含め7年、おれはなにをしていたんだ、もっと勉強しておけばよかったと後悔し続ける日々である。こうやって人は口うるさく「勉強はしておいたほうがいい」というおっさんになっていくのであろう。

 語学力不足からくる疎外感なのか、メリーランド州の郊外で、ふと「この街でおれを知ってるやつマジのガチで0人や…」と謎の虚無に襲われた以外は楽しかったです。

 

10月某日

 imaiさん主催のplaysetに出演。大学入学したての、前のめりで音楽を聴いていた頃にgroup_inouの『 _ 』が発売されたことはことはよく覚えていて、そのアルバムを作った人間のイベントに自分は呼ばれたりなどしているのは、やはり不思議な気持ちになる。ちなみに『 _ 』のライナーノーツに寄稿したのはアジカンゴッチ氏、DEDEさん、星野源。今振り返るとすごいメンツ。

 imaiさん自身は、ただシンプルに音楽が気に入ったからイベントに呼んだ、という特に打算などない感じを醸しており、それに対して音楽で応戦できるのは、非常にありがたいことである。会場がメトロだったこともあり、京都を離れたとは言えども片思い的なホーム感により割と生き生きとした1日で、久しぶりにあう友人もちらほら。

 会場に遊びに来てくれたかずおが、「有村くん、これ、結婚祝いなんで」と言いながら渡して来た500円玉はそのままバーカンでビールに替わってしまった。

 

12月某日

 minchanbaby氏と作った"イチゴの歌"が公開された。日本語ラップ界黎明期からの重要人物であるその男、自分とは年齢も雰囲気もかけ離れているのに、突然「曲を作りましょう」と連絡が来たときは流石に驚いてしまった。トラックを送って返ってきたそのライミングに再び驚かされることになる。

 別に酒を飲み交わしたわけでも、熱く語り合ったわけでもなく、簡単なやりとりのみで作った曲を聴きながら、音楽で共通のなにかが共有された感覚を覚え、「この人は信用できる、気があう人だな」と一方的に決めつけてしまった。

 メールボックスを開くとminchanbaby 氏より「またやりましょう」というメッセージが。2人で休日どこかに遊びに行くとか、そういったことは今後も起こりそうもない。起こらないけど気があうとは思っている。そういう関係性は乙である。しらんけど。

 

12月某日

 嫁と二人で神戸のカフェにいたところ、のし付きの結婚祝いをもって小走りで突撃してきた男ことtofubeats監修のもと、関西のものどもで電影少女の劇伴製作。突撃時に「お祝いの行為が本当に好きなんですよ」みたいなことを言っていた。もうすぐドラマも最終回、みんなでお祝いがてら打ち上げにでも行きましょう。

 お茶の間の代名詞ことテレビの影響力はやはり大きく、いろんな人から「見たよ!」と連絡が。ありがたい。

 ドラマを見ながら母が「あんたの作った曲がどれかは聴いたらわかるよ、親だからね」みたいなことを言っていた。それらの楽曲は全て実家のリビング脇の和室で作ったもの、あなたはずっと制作過程から聴き続けてるんだからそりゃわかるでしょうよという気持ち。とは言っても、もしかすると、本当にわかるのかもしれない。何事も人を見くびるのは本当に良くない。

  学生の頃、基本的に友達と音楽の話などする機会はあまりなく、だからといって音楽を作っていることを隠しているわけでもないので、「音楽作ってるの?聴かせてよ」とか「どんなのが好きなん?」とたまに聞かれるわけである。そういった時、適当にお茶を濁して済ませることが多かったが、それは心のどこかに「どうせ話たってあんたには分からんよ」みたいな気持ちがあったのだと思う。それはひどく傲慢というか、不誠実だったなといまになって思う。なにせ好きなものについての話、ちゃんと話せば、なんとなく伝わるのものはあるはず。あくまでこちらの姿勢の話、もしさっぱり届かなかったとしても、それは大して問題ではない。

 

12月某日

 Half Mile Beach Clubの山崎さんから連絡。EPを出す、"blue moon"という曲があるからリミックスしてくれ、とのこと。「おっ、青つながりですか、乙ですねえ…」と思いながら、彼らの作品のインディ・マナーに敬意を払いつつ制作開始。しばらくすると今度はEMCの江本さんから連絡。7インチ出す、"ライトブルー"という曲のリミックスをしてくれ、とのこと。「おっ、またまた青つながり、乙の連鎖ですねえ…」と思いながら制作。両人とも、イベントで一度共演したっきり会っていないが、またなにかしたいと思っていただけるのは嬉しいことで、それには精一杯答えようという気持ち。どちらも春に出ますのでよければきいてみてください。

 

1月某日

 ホテルシーという弁天町のホテルでマルチネのイベント。トマドくんと会うのも久しぶりだしな、と楽しみにな気持ちで会場へ。蓋を開けてみると、近ごろ考えていた嫌なことが一気に畳み掛けて来る、実に気分の悪い1日であった。

  床に広がるガラスの破片、血をボタボタ流しながら運び出される人、"旅の恥はかき捨て"なのだろうか?ミラーボールの代わりに回るは救急車のサイレン、事情聴取にきた警察官…不穏な空気で終わったイベント、締めのタイミングに運営側の人間から説明などは一切ないまま帰路に。

  次の日にツイッターを開くと、ホテル側の人間は、まるでイベントが大成功に終わったかのように、インターネットに楽しげな情報ばかり共有している。あくまで箱貸し、関係ありませんというスタンスでも、責任持ってプロデュースしますと言い切る訳でもない姿勢に悲しい気持ちに。まさにオルタナティブファクト、ポスト・トゥルースの時代…

 ブランディングもあるのだろう、トラブルを切り捨てて進むのはいいが、そのネガティヴキャンペーンを抱えてやっていかなければならないのは、出演した関西の演者らである。特になんのアナウンスも出す必要がないと思われる程度には、関西のトラックメイカーは取るに足らないものなのだろうか?

  関西でマルチネ関連のイベントなど行われる機会は非常に少ない。知り合いもいないその会場に、勇気を出して遊びに来た人がいたかもしれない。そんな人は次の機会があったら来てくれるのか?そしてその"次の機会"は誰が提供してくれるのか?

  先人が切り拓いた土壌、十二分なフックアップを受けながらも、自分の世代は関西に人が集まるシーンを作れていない。原因は、自分にかなりあるはずである。その結果がこの現状なのだとしたら…

  そんなことまで面倒みる道理はないと開き直るのは簡単であるが、その態度は最終的に自分に返ってくる。というか、こういう形でもう返ってきはじめているのかもしれない。悩みは晴れぬままである。

 

2月某日

 maxoとfoxkyが来日。maxoからサンクラにメッセージをもらったのは四年前、ずいぶんかかってしまったが、いわばpenpalみたいな関係性だった人間と会うのはいつだって嬉しい。フタツキくんに「アリムラはmaxoと友達になりたいんでしょ」と言われたときに、maxoは「We are already friends!」と言っていた。オタクの感覚は国境を越えるのか。ステッカーあげれなくてごめんね、またそのうち会うでしょう!

 

3月某日

 楽曲もアティテュードも大好きな、スロバキアのZ tapesというカセットレーベルのオーナーからDMが届く。少々のやり取りの後、過去のレーベルリリースを全部全部送りつけてきた。この男、こいつも打算なき側の人間・・・カセットでのリリースを、一過性のファッションではなく、インディペンデントにずっと続けているという事実から、そんなことはわかりきっているが。

 せっかくなので一番思い出深いコンピを探して再生。5年前の作品なことに驚愕。マスタリングの概念なき、音量もバイブスのとっちらかったこの作品を聴きながら、今年はこんなアルバムを作れたらいいなという気持ちに。

 作った音楽はどこかの誰かが聴く。スピードはゆっくりであるが、忘れた頃に何かがめぐりめぐって帰ってくる。それは幸せなことである。

 

 

Cluster A騒動によせて

なににも影響を受けずになにかを作ることはできません。
私には嗜好のみが人となりを語りうるという信念があります。
そして私自身、 in the blue shirtという名義で、参照、引用の手法を盛んに用いた制作を続けてきました。

私の音楽活動は、そっくりそのまま、"参照、引用という行為に向き合うことである"といっても良いかもしれません。

Neru氏、寺田てら氏にお伺いをしたのは
・リファレンスとして私の作品を用いた事実はあるか
・その回答を公表することは可能か
という二点です。

これに関して、
・私の作品を見たことがない
・それを公表することはしない(する必要がない)
という返事をいただきました。
本件の結論は、「こちらの勘違い、言いがかりであった」ということになります。

「cluster A」という作品は、ディックブルーナをはじめとする、好きな作品たちを明確にリファレンスとして設定し、それを踏まえ、自分たちはなにができるか?を考えて制作したものです。「巨人の肩の上」と言われるように、われわれは先人たちの築いた手法の元、どんな景色が見えるかを知りたいのです。われわれは未熟です。それでも「自分の表現」をしたいと願ってやみません。

「そんならおまえらもミッフィーのパクリやん」
「これがパクリならなにも作れない」
という意見もかなりありました。各人の意見は自由で尊重されるべきものです。

私は”リファレンスにいかに自覚的になれるか”をかなり意識して制作に向き合っています。”パクりの是非”はそもそも問題ではありません。

今回の件は、めいめいの志向の違いであるともいえます。オリジネーターであることの主張がしたいわけではないのです。

メールでNeru氏、寺田てら氏から作品の意図をお聞かせいただきました。彼らの作品自体は尊重されるべきものです。一方で作品への感想を述べるのも自由です。私は彼らの「い〜やい〜やい〜や」のミュージックビデオ、その制作への姿勢ははっきりと"ダサい"と感じています。それは彼らを否定するものではなく、作品に対しての私個人の意見です。

模倣の事実がないのにパクリと断定され彼らが憤ることはもっともです。しかしながらニコニコ動画への「cluster Aに似ている」といった作品への感想は、類似の作品や、参照点の大海へ向かう起点になり得ます。彼らが誹謗中傷ではないそれらのコメントを削除するようなことがあるならば、私はまたはっきりと、その姿勢に対してダサいと言わざるを得ません。

こちらの活動規模は向こうのファンベースの規模からすると、吹けば飛ぶようなものです。それでも、彼らの正義と私の正義は対等で、それに基づいて発言することは間違っていないと考えています。

今回の件で、自分が想像以上に感情的になったことは反省しています。何かに強く憤ることが普段ほぼないため、自分の気持ちにうまく折り合いをつけることができませんでした。不快に感じた方もいるかと思います。申し訳ありませんでした。

先人の肩の上に立ち、遠くの景色を望まんとし、作品を作る権利は誰にでもあります。そのような信念で、私は今後も制作に励む所存です。

in the blue shirt 有村

ムダイ

5月某日

 会社と家との往復の日々は、油断するとそれだけになってしまうため、なんとなく反抗の意思を見せるべく、ちょうどセールをしていたAdobe CCを契約。1つのDAWの使い方を覚えるのにも苦労したのに、全く明るくない分野のソフトが山盛り手に入って途方にも暮れそうにもなるが、これだけでも残りの人生楽しく過ごせそう。

 まだ手を出していない分野にすごい適性があるかもしれない、という気持ちは常々あるが、まだ見ぬ選択肢に気を揉みすぎるのもよくない。プロ野球の贔屓のチームを決めるように、第一の趣味、みたいなものを決めてしまうほうが健康な気分で過ごせそうと考えていて、自分にとってのそれは音楽だということにしている。それでも新しいことをやりたくなってしまう性分なので、とりあえずやってみて、飽きたらやめればいいし、そうでなければ続ければ良い。

 

7月某日

 arp odyssey moduleを購入。眺めてよし、触ってよし、鳴らしてよしの逸品。それの何がそうさせるのかはよくわからないが、シンセサイザーのつまみはおれたちを駆り立てる…知らんけど…

 はたからみると謎の物体、自分の部屋すらない実家でそんなものを延々と愛でていると、母が興味を持ってきたりなどする。オタクのテンションで減算シンセの仕組みを長々と説明するも、もちろん途中からは上の空。

 

7月某日

 謎のノリで日帰り福岡旅行。九州国立博物館での民族楽器の展示でテンション一億倍。ガムランのワークショップは要予約であったため断念。

 

7/26

 ついに26歳になってしまう。今日が自分の誕生日であることを知らない人たちと全く別の用事で飲んでいたので、特にだれにも祝われることなく1日が終わってしまった。一方で、インターネットでは顔も知らない人にまで誕生日を祝われているのである。それでも、ネットと現実が分断されたものだと感じることはない。

  近頃、SNSを通じてその日が誰かの誕生日であることを知ることは多い。たいして関わりがない人でもそれなりにめでたい気持ちになる。そういうのを、インスタントで薄っぺらであるとする考えもある。それでもきっかけは多ければ多い方がいいと自分は思う。

 

8月某日

 the band apart "memories to go"がリリースされた。中学のときからのべ10年以上聴き続けたバンド、自分への影響は計り知れず、音楽は言わずもがな、この日記の形式すらも彼らのオマージュである。新譜を聴きながら、その到達点に、一ファンとして、強く感動してしまった。かつて2chのパンアパコピースレに常駐し、まとめwikiに音源をアップロードしていたが、そんな日々は宅録、及びDTMの原体験であった。in the blue shirtとして活動していくための基礎体力として、それはしっかりと自分に根ざしているはず。知らんけど。気づけばアラサーになってしまった自分は、ひとしきりアルバムを聴き狂ったのち、またギターを手に取り、コピーに励むのである。シュっとしたものをありがたがる最近の流れはつゆ知らず、漢臭いフレーズが多くて最高。かつての思い出は今も己の活力に、memories to go…

 

8月某日

 拙作、stevenson screenのPVを公開。MVも気づけば5作目、作れば作るほど、映像表現に自分のエゴを介在させたくなる。音楽とは違いどうしても人の助けを借りなければならず、手伝ってくれる人たちには毎回申し訳ない気持ち半分、ただひたすらに感謝。

  人とは違うような境遇、経験にさらされた人は、おもしろい人が多い。家庭環境だったり、ジェンダーだったり、一回の強烈な出来事であったりと場合は様々であるが、そういう人は自ずと自分の人生と向き合あい、考えざるを得ない。その結果人生がグルーヴしていくのであろう。

 自分は、華やかな生活とは無縁であるし、生まれも育ちもパンチの効いたものではない。ぼやぼやとしていても、それなりに人生は進んでいく。自分の人生と向き合わざるを得ないような用事は特にない。それでもおれは自分の人生をグルーヴさせたいと思う、自分の頭で自分の人生をよく考えよう。そんなお気持ちが出ればと思っています。

 普通が一番とか、平凡のなかにも素敵なことがあるとかそういう話ではなくて、向き合うことそれ自体がいいなみたいなのが今の気分。メッセージ性のあるカットなんてなくても、強い怨念を込めていけば、なんとなくおしゃれな映像、で止まってしまわない、馬力のあるものができると思ってやっていきます。

 

8月某日

 acidkazz氏、OZの二人とSFM奥田くんと飲む。19歳の夜、京都の飲み屋でacidkazz氏と会ったのが昨日のことのようである。なんとなくそういう出会いを経てゆるゆると変わっていった人生、気づけばその頃の彼らくらいの年齢に自分もなってしまった。関わった人の人生が、ゆるゆると良い方向へかわっていくような、そんな人間になりたいものですね。知らんけど。

無題

2016年

12月某日

学会で一週間福岡に滞在。学生として高分子学会に出るのはこれで最後であった。研究室のいろいろと、バンドの準備で疲れ果てていたので慰安旅行といった気持ち。他人の金で行く旅行ほど楽しいものはなく、発表もそこそこに、飯、飯、飯…結局1週間ほどの滞在に。ちょうどYesterday once moreのイベントがやっており、タガが外れ飲みすぎて酩酊。意識朦朧ネカフェに転がりこもうとするも、どこも空いておらず、働かない頭とともに天神から博多までヨボヨボと歩いていったのである。

那珂川を渡り博多へ向かう道すがら、日が昇り朝を迎える。クラブの思い出というのはいつだって早朝の景色とともにある。福岡は素敵な街だと思う。

どこにいっても友達がいるのは、音楽とインターネットのおかげである。もう当たり前すぎてしみじみと思う機会もほとんどない。

 

2017年

1月某日

年末年始と、身内の不幸によりバタバタとすぎていく。もういい加減修士論文も書かねば、という思い、人からのありがたい誘いを次々と断るうちに気が滅入っていく。

ほんの合間、気分転換に京都での蓮沼執太氏のライブを観に浄土寺へ。蓮沼氏曰く、「有村くんは思ったよりもまともなんですね」。左京区白川エリア、久しぶりに帰ってきたぞという胸の内であったが、立ち並ぶ知らない店の数々に立ち込めるむなしさ。十代京都に住んでないと京都人と言えぬ、十代京都”という言葉もある。たかだか4年すんだ程度で知ったわような顔をするほうが間違っているのである。はっきりとした地元がないというコンプレックスを引きずっている自分のダサさと向き合いながら家路につくのである。

 

2月某日

振り返るとどう考えてもナメくさった研究生活であったが、それでも終わりはやってくる。修論発表、付け焼き刃の人間と積み上げてきた者の差はわかっていても改めて認識するとくらってしまう。それでも中條先生に褒めていただいたときは、心洗われた気持ちになってしまった。本分である学業の時間を削って自分はこの学生生活で何を積むことができたのか。これからの人生、ここまでで積み上げたものでやっていくしかないし、これからも積み続けるしかない。

 

2月某日

大学の友人の結婚式二次会に出席する。六本木ヒルズ上層、結婚というのは手放しによいものである。何かめでたい事をきっかけにして、人が集まるのはよい。有朋自遠方来、不亦楽乎・・・(再三)。式出席前後は学部時代の研究室の同期と京急沿線ローカルを満喫。蒲田のとんかつあおきは人生最高打点説。翌日は修了祝いに新宿でうなぎを奢っていただいた。気づけばプライベートで酒をまったく飲まなくなった。

 

3月某日

引っ越し準備に追われる最中、ハードオフビーツ大阪編の撮影。日中喋り続けた後に、嬉々としてパソコン音楽クラブを船に乗せに行くトーフビーツ、トーフビーツ宅に残され、酒も入り饒舌になってしまったおれ、テムズ、フーミン氏。音楽と友人の重要性。

 

3月某日

破れかぶれに実家への引越しをおわらせる。相変わらずお金はないし、そもそも出不精であるがどこも行かないのも寂しいので、卒業旅行ということにして箱根に。かつて日本棋院の箱根寮であった、という登山鉄道のスイッチバック沿いのすぱらしいロケーションの宿に泊まり、優雅に夜を越えて行く。宿のスタッフのサービスも行き届いており、非常に満足する一方、宿の一角に立ち並ぶ自己啓発本の数々と、充実したマルチ商法ブランドのアメニティ。アンバランスさこそ人生の醍醐味…

 

4月某日

ありがたくも音楽を作る用事をたくさんいただいていたので、入社式に向かう朝直前まで音楽を作り続けることに。

自己紹介をしつづけるのは新入社員の定め、「音楽が好きです」という人の多さに素直に驚く。他の様々な趣味とは比べ物にならないほど音楽が好きであると語る人がいる。かたや音楽業界の衰退が語られており、不思議な気持ちになってしまう。

「ララランドみたけど最高だった、有村はみた?」、内容なんてなんでもよいコミュニケーション、雑談レベルの世間話であるが、創作物について感想を言い合う上で、どうしても拗らせたオタクとしての自意識が邪魔して口数が減ってしまう。考えていることを人に全て話してしまう、あるいはまったく話すことができないという極端さは隠キャあるあるだと思うが、社会に出るとそんなことも言っていられない。

 

4月9日

新宿MARZにてALPS、もう慣れたものだと思っていたが、久しぶりなので緊張してしまった。大盛りしたい人のための、大盛り上がりするための装置、滑走路としての機能を目指して組んだセット。人はたくさん入っているが、いまいち盛り上がりきっていないフロアのタガが外れていく様子を見るのは気持ちいい。それが誠実なのかはわからないが。

悲しい曲がかかると悲しい気分になるし、楽しい曲がかかると楽しい、実際はそこまで単純な話では無いが、音楽は少なからず場の雰囲気を変える。カッコつけたい気持ちはあるが、どうしても照れてしまう自分でも、再生ボタンを押し、流れていく自分の曲は、本人の照れとは関係なく場の雰囲気を変えていく(良くも悪くも)。出番が終わり、与えられた40分の持ち時間いっぱい、自分の作った曲を浴びせられ続けたフロアの人たちの顔をみる。そして、オタク特有の醜悪な笑みを浮かべ、次はどんな曲を作ろうかと考える。自分は音楽で人をどんな気持ちにできるのか。そんな興味深いこと、他にはなかなかない。