"Sensation Of Blueness"セルフ全曲解説

リリースしてからもう結構経ったのであらためて改めて・・・もともとかやるつもりでいたけどもうそろそろ書かないと作ったころの気持ちを忘れてしまいそうなので。 自分用メモっぽく書くので、興味があるとこは会ったときにでも直接聞いてください。 1.Dressing Up

2015年4月のHARUSAKI(参考http://www.mtv81.com/features/live-reports/harusaki-brings-netlabel-stars-to-tokyo/)くらいの時期にガンガンクラブでかけてた記憶。たぶんこのアルバムで一番古い曲。star slingerと連絡取り始めた時期に、彼に聴いてもらうために作ったので気持ちが入ってる感じがします。最後の音楽理論もクソもないフィルター開けながらのバイブス転調とラストのバイブス拍子チェンジ。バイブスがすべて。ハイハットワークにのみかろうじてインテリジェンスを感じていただけると。

2.Melting

デザイン・アートワークをやってる猛に「Daedelus - Curtains Don't Talkみたいな曲作ってや」と言われて作った曲。いま改めて聞くと劣化コピーみたいな感じも結構ありますが…2012年作のこの元ネタでは流石のサンプルワーク。フェード書いてるのかトレモロ的ななにかをかけてるのかは知らんけど、妙に印象に残る音使い。チョップ、カットアップの醍醐味の一つは”サンプルの頭かケツで音をバチっと切ることができる”ところだけど、それはシンセでいうところのADSRの制御にあたります。なので逆にそのA、あるいはRを丸めてやるっていうこともできるわけであり、それがこの曲のミソであると考えています。2mixの音の束に対してそれを行う、そしてその束の長さと束ねっぷりを試行錯誤するのは奥が深いです。自分の中ではキックとかのワンショットのコンプのアタックとリリースの設定を詰める行為の、もっと構成単位がマクロになったバージョンというイメージ。最後のシンセリードにTALのRolandのSH-101クローンのプラグインを使っていますが、これはdjnewtownへの弔いの気持ちから。

3.Wind Bell

同じボーカル素材のピッチをオクターブ差になるように上げたものと下げたものの2つを準備し、二人で歌ってる感じにするという発想。この手の掛け合い、なんとなくアラジンを思い出してしまいます。無理くり"looking for shooting stars"というラインをつぎはぎで作ってるけど、クリエイティブの方向性は新聞を切り貼りして犯罪予告メッセージを作る人と同じ。一発目のギターソロは自分が10代のころに録った謎の宅録ファイルからフレーズを拝借してます。ありがとうティーンエイジャーのおれ。初手9thの音から行く感じにthe band apartの川崎氏の影。いかにして自分の青春を制作に昇華するか。パクってるだけか・・・

4.Send Around

珍しく2016年制作のトラック。さきほどとアプローチは似ていて、こちらは声色の違う複数のボーカル素材ををエディットして、仮想の複数人マイクリレーをやろうというアイディア。トラック自体はヒップホップ的なアプローチ。曲作ってる途中になんとなくyoutubeでBattle Train Tokyoの動画を鑑賞し、テンションが爆上がりしてしまい、やったこともこともないのに808で8小節だけ安直にjuke・footwork風のセクションをぶちこみ。いい感じだったのでそのまま採用。フック→バースA→フック→バースB→フック→バースC→フックと展開、それぞれのパートで登場した仮想の人物が最後のフックで大集合するという構成。半日くらいで完成したこともあり、いい感じの浅はかさがあるので、アルバムの前半と後半を分ける箸休め的な意味で入れました。実は制作時期で曲順を決めていて、前三曲が「研究室配属以前」、後ろの三曲が「研究室配属以後」に作った曲となっています。将来自分でこのアルバムを聴き返す機会があるならば、前半は吉田山での記憶が、後半は桂での暮らしが自動的に想起されるしくみです。便利ですね。もし京都に来る機会があったならば、ぜひ左京区では前半を、西京区では後半を聴いてください。知らんけど。

5.Mellow Out

ということでここから「研究室配属以後」。1年前くらいに作ったまま放置してたけど、未完成の曲の中の1軍として長いこと鎮座してた曲。”ジャングリー”という言葉で形容されるようなギターポップネオアコバイブスをいかにトラックメイクに注入するかというテーマ。もっと具体的に言うとポストカード周り、しいて言うならJosef K意識。ハイフレットにカポを装着して単純なローコードをジャカジャカ弾くという行為はそういう音楽を通過しないと意外とみかけないのではという気づき。エンディングにどうしても"パラッパラッパーのサントラっぽい雰囲気のあるストリングス"をいれたいと考え、わざわざ初心者向けやさしい対位法みたいな本を買ってきたものの、結局対位法のことは全然わからぬまま、バイブスのみでストリングスのアレンジをしました。この曲とこの次の曲のメロディラインはお気に入りです。

6.Way Ahead

 

アリムラさん(@armri)が投稿した動画 -

悲しきかなイントロの部分だけ作って一年以上HDDの駄曲フォルダに塩漬けにしていたプロジェクトファイルを、”インスタグラムにパッド叩いてる動画を上げたいが、新規に曲を作るのはめんどくさい”というシャバい動機のもと発掘した結果いい感じになったという曲。アルバムのなかで一番のお気に入りを上げろと言われたらこれかも。SNSのいいね!の魔力にほだされた安直なクリエイティブでもいい曲ができるのであれば、それはそれでよし。なんとなくモテたいみたいな低次元な承認欲求も捨てたもんではないのかも。

7.Beagle

アルバムを出すことを決めてから作り始めた唯一の曲。せっかくリリースするのに、既存の曲をかき集めた感が自分の中で出てしまうのが嫌だったので、「完成しただるまに目を描き入れる」に相当する行為をしたいと考えて作りました。タイトルに深い意味はなく、一番飼ってみたい犬種の名前を与えてみました。

 

 

なんだかんだでこのアルバムは自分の中で”京都での大学生活”の思い出とがっつりリンクしています。7年も学生したことになりますが、来年以降、自分はどの街でどんな音楽を作っているのでしょう。

 

無題

10月8日

大都会と砂丘が終わり、日付も変わった頃、サイゼリヤで見知らぬならず者たちがした蛮行の数々、そして生み出されるは"クラブに行くっきゃナイ"という名言。東京の繁華街のファミレスで治安を維持する難しさ、ならず者たちがまき散らかしたタバスコの香りとともに今年のマルチネイベは終幕。こんなときくらいタクシーに乗ればいいのに、機材と物販を抱え物思いに耽りながら3kmほどのんびりと歩く。気づけばairbnbでとった宿に到着。ベッドに横になった途端に服も着替えず寝てしまった。

 

10月9日

目がさめるやいなやスピンコースターミュージックバーへ。でっかいスピーカーで自分の曲や好きな曲を聴きながらホサカさんと喋る。意外と自分のインディっぽい出自と、今の活動どちらにも理解のある人は少ないので、普段はしないような話ができておもしろかった。その後は適当に都内をプラプラ。阿佐ヶ谷で適当に入ったジェラート屋が最高だった。機会があればまた行きたいと思う。いろんな人にCDの感想をもらったが、「音楽の細かいことはよく分からないけど、"照れ隠し"っぽいね。」と言われたときはハッとしてしまった。

 

10月某日

母親から突然タワレコ梅田でCDを買ったという旨のLINEが。ここまで音楽活動のことを隠していたつもりはないが、特に話をする機会があったわけでもない。よくよく考えると親にちゃんと説明したことがなかったことに気づく。親も親で、いかにも偶然見つけて連絡してきました感を出してはいるが、実際はそうではないのではと勘ぐってしまう。前々から聞こうとは思っていたがタイミングがなく、いい機会だったのでやっと連絡できたのではないかと思ってしまうのは考えすぎか。

"トラックメイカーて何  DJ KOOしか思い浮かばない"

は完全にパンチライン。とはいっても、自分自身トラックメイカーという単語が何を指しているのかよくわかっていないし、自分がそれに当てはまるかどうかも謎である。プロデューサーとかでもないし。兎にも角にも、CD出したらミュージシャン。知らんけど。

 

 10月15日

リリースパーティーの仕込みを存分にしたかったのに、研究室でのTAなど諸所いろいろ重なってしまいいまいちやりきれぬまま前日を迎えてしまう。せっせと素材を書き出しているうちに寝てしまい、バタバタしながら京都駅へ。ネイティブラッパー氏と駅で合流し、ベラベラ喋りながら東京へ。リリパにくる人は、純粋に自分の音楽が好きだったり、音楽のことは分からないけど、有村がなんかやるらしいし行こうぜ、程度の人だったりする。そのグラデーションがおもしろい。自分のプレイの最中、後方に長らく会っていない姉が来ているのがみえてあらゆる感情が吹き飛んでしまった。プライベートで連絡を取ったのは、大学院入学時、奨学金の保証人になるよう頼んだとき以来である…

 

10月16日

airbnbでハズレを引いてしまい、ホストのおっさんがスパスパ煙草を吸っている横での就寝により、いまいち疲れが取りきれず。新幹線で爆睡していると京都に着いており、魂が抜けたまま自宅で天井を眺めていたらリハの時間が迫っていた。大阪リリパ、昔からの友達、大学の同期や後輩、音楽を作り始めた10代の学生、ピアノの先生、さらには内定先の社員まで、バラエティ豊かな人材の来訪。終始ピースフルな雰囲気。前日の姉のこともあり、まさか母親もくるのではとビビるも結局こず。心のどこかでみてもらったほうがよかったんじゃないかという気持ちも。終演後じねんで寿司を注文するもなかなか来ず、注文した寿司を食わないという損切りできずにいるうちにトリエナ嬢とともに阪急電車の終電を逃す。JRとタクシーを駆使してなんとか帰宅。泥のように睡眠。リリパに来てくれたみなさん、本当にありがとうございます。

 

自分がやってる音楽のシーンの盛り上がりはあくまで"東京ローカル"であると言われることがある。自分自信、東京のイベントに出るたびにその規模や盛り上がり具合が大きくなっていって、それが身の程にあっているのかよく分からなくなるときもあったりする。そういった背景もあって、リリースパーティーと銘打って東京、大阪と2日連続でイベントをやるにあたって、東京は人がそれなりにくるだろうと思ったけど、大阪はどうだろう…などという不安を抱いてしまったりなどするわけである。蓋を開けてみると、大阪公演は東京を超える集客があり、その日の雰囲気は音楽をやってきてよかったと思えるようなものであった。自分はもうずっと関西に住んでいるし、気づけば自分の音楽を気にかけてくれている人が身近なところにたくさんいて、ありがたくも、CDを出したことを喜んでくれたりする。この機会に再確認できたよかったと思う。

 

結局、曲を作れば作るほど音楽が上手になるし、音楽をしていると友達が増える、ただそれだけのことだと思う。これまで音楽を続けてきて、それを通してできた友達や、知らぬ間に身についた技術は、インスタントなものではなく、時間をかけないとできないもので、胸を張れるようなものなんだと、ここにきてようやく思えるようになった。友達は増えることはあっても減ることはないと思うし、音楽のことは少しずつわかっていく。音楽を作ることで自分の人生は確実によくなっている。それはこれからも音楽を続けるのに十分な理由であろう。徐々に付き合いかたは変わっていくだろうけど。

無題

9月某日

ヒデキックからのお声掛けでTOKYO数寄フェスのティザー映像の音楽を制作。制作当初、ひねり出したアイディアがことごとく的を得ず。ヒデキックのまだいけんだろ感に背中を押されなんとか完成させたトラック、個人的に結構気に入ってます。親しき中にも厳しさあり、今年は要所要所で彼に鍛えられているような。映像担当の響太朗くんにも感謝。今回は他者の介入で曲が確実によくなったケース。自分には目的のために他者をうまく使う能力がなさすぎるように感じる。こと音楽に関して、「自分は好きな曲を好きなように作っていればそれでいい」という姿勢は間違っているとは思わないが、それだけでは浅はかなのかもしれない。

 

9月某日

南港三角公園の音楽イベントへ。野外の感じも相まっていい塩梅。Metomeさんの運転により愉快に移動し、愉快に飯を食う。そのままパーゴルが家に泊まりに来たので朝方まで喋っていた。

 

10月某日

内定式に出席。最近新形式になったといわれるTOEICを受験させられるも、それが新形式なのかすらもわからない体たらく。社会に出る実感というよりは、中学、高校、大学とコミュニティが新しくなっていく感じがもう一度きただけのように思えてしまった。いろいろ考えた上での就職なので当面は頑張ろうと思う。

 

10月5日

拙作、"sensation of blueness"の発売日。前日のフラゲ日から引き続き、感想をもらったり、おめでとうと言ってもらえたりしているのに、自分は研究室でひたすら計算をしているなど。普段曲を置いているインターネット、無限に開けていることに間違いはないが、実際は友達、ないしはその友達くらいまでの範囲でやっているように感じることもある。CDなんていう時代遅れともいわれるメディアを、いろんな人の協力によって全国のCDショップにおいてもらうなんていう、ローテクで、物理的な制約のあるやりかたが、いつもよりも自分の作品を遠くめがけて投げる、精いっぱいの遠投っぽくなるのは不思議である。友達の友達なんて範囲をこえた誰かが、もしこのアルバムを聴いたなら、その感想はぜひインターネットに戻してみてほしい。

 

10月8日

マルチネイベ「大都会と砂丘」。そのコンセプトも相まって、みなめいめいのあり方を考えてきている雰囲気が。自分はというと、出番自体はいつも通りやって、残りの時間は、ずっとデザイン周りやってる猛と、なんか暇そうだったノザワの3人でほぼずっと物販。来るのはみなれた友達だったり、初対面の人だったりする。喋る内容も、たわいもない話だったり、音楽の話だったりさまざま。たくさんの人に気にかけてもらえるのは単純にうれしいです。もう数えきれないほど何回もクラブに出演しているが、ずいぶん昔のアクトの内容までしっかりと覚えている人が結構いて驚く。繰り返しになるけど、素直にうれしいです。

MUDAI

9月11日

アメリカ村SUNHALLにて『CHOICE 3』。Seiho、tofubeats、okadadaの三人はいつだって「自分はこう思ったからこうしている」という話をおもしろおかしくしているような気がする。振りかえると、いろいろとこの人たちに引っ張られているところが多い。会場はたくさんの人で埋め尽くされている。PUNPEE氏とは初めて喋ったが、サンプリングについて聞きたかったことを聞くことができてよかった。

 

9月某日

アルバムリリースにまつわる事務作業みたいなものが一つづつ終わっていき、なんとなくあとは出るのを待つだけという心持ち。おそらく京都にいるのもあと半年、いまから「京都の音楽シーンに一矢報いる」みたいなの(そもそもそんな気も能力もないが)はもう無理なので、残りは適当に友達と楽しく楽器でも弾きながら過ごすかという気持ちになってくる。時折都合のよさを見せるのが人生、いい感じにライブハウスからブッキングのメールが来たりするのである。メンバー集めないとな、と思いとりあえずイサゲンに「バンドやろ」とLINEを送る。自分の曲のバンドアレンジでもするかとDAWを起動しギターを録りはじめると、いきなり弦が切れてしまった。これが人生・・・と言いたくもなる。とはいってもたかだか25年、人生のなにがわかるのか。

 

9月某日

かねてから行きたかった”ダイアログインザダーク”に参加する。完全に光を遮断した真っ暗闇にグループで入っていく体験型のアトラクション?なんだけど、噂通りハッとさせられることが多々あり、いろいろと考えてしまった。顔とかが一切見えない状態で、知らない人とコミュニケーションとっている自分が思いのほか饒舌だったのは、意外なのかそうではないのか。

 

9月某日

ヒデキックから弊PVがbehanceでFeaturedされているという情報が。真面目に作ったこのPV、公開直後、海外のさまざまな動画・クリエイティブ系メディアにメール送りまくったのに、ことごとく相手にしてもらえずへこんでいたりしましたが、公開4か月後にこうやってちゃんと評価されて一安心。最近で一番くらいうれしかった出来事です。届いているのに伝わっていないのか、そもそもみられていないのかは大きな違い。日本という国で個人レベルでやっている創作活動、どこに向かって投げるかは難しい。自己の満足のためにやっているというのが前提としてあるけど、自分たちでつくったモノになにかを感じてくれる人がいる場所があるのなら、せっかくなのでそこに看板でも立てて、興味がある人が触れられるようにしたいものである。

 

マルチネとか、いわゆる”インターネットっぽい”とかいわれる音楽シーンもそうだけど、「内輪っぽい」という旨のdisをしばしば見かける。好きなものが似た人が集まって好きなことをしているのなんて本質的に内輪なわけで、どうしようもないと言ってしまえばそれまでである。といっても、開き直るのもまたダサい。なので、そういった批判のいうところの”内輪”の外に自分の創作物をもっていったときに、それでもなおかっこいいと思われるような、強度のあるものを作ることを目標にしています。真摯に作ったものは、文脈を超えて伝わるものがあると思うし。がんばります。

ムダイ

8月某日

改めて実感したことの一つに”東京のうまい飯屋はインターネットでは探せない”というのがある。そもそも店が多すぎるし、レビューの絶対数も多く、おまけにクソみたいなまとめ記事であふれかえっていて、情報を取捨選択するのが面倒に感じる。間抜けなことに、日本で最もネットが発達した場所の飯屋を探すのに、友人に聞くというアナログな方法を選択することになりがちである。暇すぎてシンゴジラを観た後、なんとなく感想エントリを検索していたが、しっくりくるものが見当たらなかった。ぼんやり思い浮かぶは友人の顔、あいつらに会ったら感想を話そう、などと考える。飯でも映画でも、その感想に至ったそいつのバックグラウンドまでわかりたいと思ってしまうようになった。結果的に仲のいい友人に頼るしかなくなる。一周してネットから離れたみたいにも感じるが、そのバックグラウンドの理解はSNSの力が大きかったりして、それはまたインターネットである。誰かも知らない人が「シンゴジラ○回みた!」なんてことを言っているのを眺めながら、仮に好きな映画がいつでも好きなだけ映画館で観れるなら、自分はそのフェイバリット・ムービーを、いったいどれくらいの頻度で観るのだろう、ということを考えてしまった。お気に入りのbibioのレコードたちは壁に飾られ、近頃はさっぱり聴いていない。

 

8月16日

研究室の友人と日帰り旅行。男三人で琴引浜海水浴場へ。いまさら海なんか行ってもと思っていたけど、行ったら行ったで楽しい。海はヤバい。なぜならデカいから。帰りは城崎温泉を経由。なぜか熱すぎる湯船の温度が日焼けの体に堪える。移動の車中、後輩がふざけておれの曲をかけていた。自分の作った曲をカーステで聴いたのは初めてであったが、悪くないものである。買っている自分の姿はなかなか想像できないが、それでもやっぱり車は魅力的なアイテムである。

 

8月某日

久しぶりに実家に帰る。家族一人一人の誕生日のたびにちゃんとおめでとうと連絡するような、してもしなくても問題にならないようなことでも、せっかくなのでちゃんとしようとふと考える。人と比べても、自分は経済的、精神的に自立するまでにずいぶん時間がかかってしまっている。しっかりしないといけない。

 

8月某日

最近、いろんな人に「自分に子供ができたら私立と公立どちらに進学させるか」を聞くのにハマっている。これでそいつの人生の考え方がいろいろわかるのでおもしろい。三宮でtofubeatsと優雅にお茶したときにその質問をしてみたが、ほかの人からはなかなか聞けない意見を得ることができた。人とは違う人生を送るということは、いつだって自分の頭で考えなければいけないわけで、彼の話はいつだって面白い。一方で、思考停止して周りに流されることで楽して空いたリソースを、ほかの何かに割くような生き方もまた一つの選択肢なのであろう。実家での怠惰な生活を終え京都に帰る道すがら、自分の学生時代は常に阪急電車とともにあることに気付く。梅田に行くと中学時代を、三宮に行くと高校時代を思い出す。おそらく今後は京都に行くたびに大学時代を思い出すようになるのだろう。

 

8月某日

わざわざ池田屋一乗寺のラーメン屋)に行くために桂駅前までマゴチがマイカーで迎えに来る。”セミ無職からつとめびとに”などの発言を聞くたびに笑ってしまうが、”つとめびと”にさえなれば車を買うことさえ造作もないことである。未来は僕らの手の中。あとドンキホーテは楽しいが絶妙に買うものがない。

 

9月1日

拙作、初の全国流通作品である"sensation of blueness"の情報が公開される。適当に大学で撮った動画に音楽を合わせたティーザー動画、スペルミス丸出しで公開してしまうあたりいつになってもその詰めの甘さはかわらず。作品についてはいずれまた聞かれる機会があるかもしれないので書かずにとっておきます。他人に影響を与えることができるのが人生の醍醐味、自分の音楽作品によって、見ず知らずのどこかのだれかの人生に、ささやかながらであったとしても、よい影響があればと思う。

 

9月2日

二週間ぶりに東京へ。ミツシゲの家に行き、爆睡したのちミツシゲ主宰のナイトコックスに出演。”朋あり遠方より来る、また楽しからずや”を地で行くパーティ、ナイスイべでした。裏でもvisionでtrackmakerがやっていたので退屈しませんでした。ただ楽しく音楽を続けるだけのことは意外と難しく、しっかりと考えてやっていかないとなあと気が引き締まる。あとCBSバンドをみていると、本当にバンドがしたくなります。残りの週末も東京で過ごす。とくになにもしていないが、それでもよい相手がいるのはありがたい。

無題

8月某日

この世の創作物を眺めてみると、技術とかとは別に気合や覚悟みたいものが十二分にのった作品存在していて、鬼気迫るようななにかが感じられたりするのである。そういったものはやはり馬力というか戦闘力?みたいなものが大きいので、実際に体験すると、強く感動してしまったり、怖くなったりなど、どちらの方向であれ、気持ちが大きく振れるような気がするし、そういうのがいいなと思っていたわけ。そんな中、自分の完成したCDリリース用の曲を並べて聴いてみるも、そういったものは一切感じられず。徐々に、自分にとっての音楽が、それを習慣にしているおじいちゃんにとってのラジオ体操みたいなものになっているように思える。強制されて作らされたり、特別に気合をいれて作った曲などは一曲もなく、ここ3年くらいでなんとなく作られたものが並んでいるのを見ていると、日記を振り返って読んでいるかのような不思議な感覚になってしまう。ラジオ体操よろしく、心の健康を維持するために健やかに曲を作るのも悪くないのかな、などと考えていると、体の健康のためにも筋トレやランニングでもはじめたほうがいいのかなという気分に。

 

8月6,7日

珍しく京都観光にいそしむ。京都にもう6年も住んでいるのに、いまだに京都のおすすめスポットも、街中のうまい飯屋もよく知らないのは情けない気持ちになってしまう。観光弱者なのでわりとどこへ行っても楽しいんだけど、なかでも下鴨の茶寮宝泉は本当に最高でした。静かな部屋で庭を眺めながら甘いもん食ったりお茶飲んだりするのが一番ですよねみたいなのが、日本の心であるならば、我々はそれに従うべきであろう…みたいな。最近はどうもナショナリズムについて考えさせられるようなニュースが多い気がするし、なんとなく国民性みたいなことについて考えてしまうけど、そういったものは置いておいて、単純に昔の人が飽きずに続けてきたことは往々にしてよいですね。あと、家族、恋人、友人などと楽しくすごすのが幸せってことは論語孔子が言ってるくらい、昔から大事なことなんだよと改めて。

 

8月10日

ライブセットを組むためにひたすら素材を書き出しまくった後、気分転換に口ロロの”恋はリズムに乗って feat.大木美佐子”を早回ししてへらへらしながら聴いていたらパソコンに足を思いっきりぶつけてしまい、画面はフリーズ、そしてその後一切起動すらしなくなってしまう。「時間よ、戻れ!」みたいな小学生レベルのことしか思い浮かばなくなるくらい落ち込む。無意味に蘇るは泣きながら10万のローンを組んだ時の記憶。深い悲しみに包まれ飯を食うとこも忘れたまま東京へ。親切なことに安東が駅前まで迎えに来てくれたので迷うことなくblock.fmのスタジオへ。誕生日の泰明を祝いながらへらへらラジオの配信に参加。酒のせいもありm-floのタク・タカハシ氏に驚くほどへらへらした状態で挨拶をしてしまうという粗相も。距離感が遠すぎると一転してなれなれしくなってしまう現象のことを安東がよく「タモリとの距離感」に例えていたことを思い出す。中居くんとか言ったところで「あの超有名グループSMAPのメンバーをくん付けなんて無礼だ!」なんていわれることはないのと同じ。その後トラックメイカーとしてのお勤めのため新宿MARZへ。おなじみのメンバーに加え、初めて喋ったLUVRAWさんやDEDEMOUSE氏、めちゃくちゃ久しぶりのtaquwamiさんなど。前述の”覚悟の乗った作品”のことを考えるきっかけになったものの一つに氏の「Moyas EP」があるんだけど、その話はビビッてできませんでした。自分が多大なる影響うけたDE DE MOUSE氏、昔なら鼻息を荒くしながら「めっちゃファンなんですう」と言っておしまいだったんだろうけど、今は自分は音楽が作れるし、なんとなく聴いてもらえばそのリスペクトが伝わるような気がしていたので、そういう話はあまりせず。自分の出番が終わったあとにニコニコ話しかけてくれたのは彼の人柄の良さなのか、自分の気持ちが届いたからなのかはわかりませんが。ともあれタイムテーブルで並べてくれた杉澤さんに感謝。新宿MARZでのパーティALPSに出演するのは3回目だけど、「酒を飲んでバカになるといいよね」みたいな空気が共有されてるのが最高。おれはあんま飲まんけど。

 

8月11日

朝からセイメイと新宿のサウナでマジレス祭りを開催した後、横浜のDMM VR THEATERへ。VRDG+H #3なるイベントを鑑賞、噂の3DCGホログラフィック映像は想像以上で、なかなかのインパクトがありました。なんとなく感想を整理しながら歩いていると、都合よく出演を終えたTomgggさん大橋さん風邪ちゃんのチームぐぐぐとコーラスプラッシュがいたのでべらべらと喋りすぎてしまいました。大橋さんもわりとよく喋るほうだし、なんとなく自分の話を分かってくれると勝手に思っていたのでそれに甘えてしまったかたちにはなるけど、さすが自分が求めていたような興味深い話をたくさんして頂きました。やさしい人は最高。夕方に飯屋を探していると突然tomadさんに呼びつけられたので、喋り足りなかった自分はまた最近考えていることをべらべらと。そうしているうちに妙にスッとしたところに着地するのが怖いところで、「兼業農家」という謎のキーワードによって腑に落ちた感じになり、マルチネ社長、やはりダダ者ではない…と思いながら会計へ。そこで彼が財布代わりにしているジップロックを取り出すのを見て、単純にバグってんなこいつと思って終了。彼は風のように去っていく。何のために呼ばれたのかもよくわからず。最後に7インチにリミックスを提供した縁で渋谷7th floorでのboyishのアルバムリリースパーティへ。インディっぽいイベントに顔出すのは久しぶりだったけど、懐かしい面々にあえて安心。新幹線の時間もあってほとんどライブもみることなく帰宅。帰りの新幹線で大橋さんがしていた「人が創作をやめるとき」の話を思い返す。自分も周りも、知らず知らずの間に音楽ありきで生活を見すぎているようにも思える。それはいいことなのか、悪いことなのか。どちらであっても、今更やめられるものでもないが。

 

8月13日

トレッキートラックスのツアーファイナルを大阪で。よき夜でした。numarkのorbitとかいうふざけたコントローラーがいかにいい機材かがわかってきました。体の動きと音が一致するだけでなぜ気持ちよく感じてしまうんだろうと思うけど、やっぱ本来はそうあるべきだからなんだろうなとも思います。鐘は強く叩くと強く鳴るみたいな。それは自然なことであり…イベント後、意気揚々とスパワールドへ向かうも、お盆料金という名目で心外な料金を提示されたのでとぼとぼと帰宅するのも人生って感じがしてよいですね。知らんけど。

無題

4月某日

去年のおわりから近所の個人経営のピアノ教室に通いはじめたが、なにをはじめるにも遅すぎることはなく、これがとても楽しい。ふと先生が「DTMを教えてほしい」と言い出し、無料のソフトの存在などを伝えたが、ある日突然有料のDAWと88鍵のmidiキーボードを買ってきたので私はあっけにとられてしまったけど。よくわからない世界に引き込んでしまったわけであるし、いい機会なので使っていないオーディオインターフェイスなどを全部あげてしまって、ピアノ教室にいる時間の半分をお菓子を食べながらおれがDTMを教え、残り半分でピアノを教えてもらうという奇妙な生活がはじまりました。自分が音楽を作っている期間の何倍もの時間をピアノに注ぎ込んできた人間が努力の末に獲得した技術から比べると、ひたすらGoogleのお世話になり続けただけのおれの技術なんてゴミくずみたいなものではあるけど、ある種win-win(であると信じたい)のこの知識の交換を通して、音楽という巨大なものに向き合うにあたって、全く違う関わり方をしてきた人の考えていることが少しずつながらもわかっていくのは、視界が開けていくような体験のように思える。

 

5月某日

ゴールデンウイーク、アパレルブランドGapの1969recordsキャンペーン用に曲を作る。学生最後のGWにも関わらず、ほぼ家から出ることなくDTMしているのもどうかと思うが、ここ数年を振り返ってもだいたい似たような過ごし方をいるような気がする。過去は自分を映す鏡。おれは家から出ない。instagramの投稿上限が15秒であった頃、枠に収まるよう制作動画を上げるという謎の遊びにハマっていたおかげなのか、短い曲をたくさん作るのはなかなかに楽しいものであった。今回も含め、音楽の仕事をくれるのは意外にも音楽以外で知り合った人経由なパターンが多い気がする。関係のなさそうなことが様々なところに生きていくのは人生という感じがしてよい。知らんけど。

 

6月某日

謎のうぬぼれを持ってはじめた就職活動、真剣に就職に向き合っている人からにじみ出るバイブスとの差は歴然、ことごとく面接で落ちまくる。あげくの果てに一番行きたかった楽器メーカーには書類で落とされ失意の底に。社会をなめていただけの当然の帰結ではあるがなかなかにへこんでしまう。ちゃんと現実に向き合った頃には17卒就職戦線も佳境を迎えており、減りゆく選択肢に怯えながらかろうじて就職先を決める。”縁がなかった”などとよく言われるし、その通りだとは思うんだけど、それを受け入れるのに時間がかかってしまったのは、大学生活を通して自分本位の内省的な生活をしすぎた反動か。後悔しているわけではないが、なにもかもを自分の思い通りにコントロールできるわけではないという当たり前のことに向き合うことになった次第。そして就職活動がすべて順調にいってたら起こりえなかったことなども発生したりしなかったりするわけである。こういうの人生という感じがしてよい。知らんけど。

 

7月1日

しばらく帰国しているTREKKIE TRAXのセイメイが大阪にやってくる。某人曰く「特殊なコミュニケーションの取り方をする」と言わしめるこの男、頻繁に会うわけではないが、会うとどうしても真面目な話をしがちである。こんなにもお互い日々ふざけているのに。気づけば優作(soleil soleil)がブッキングをやっている地下一階で、久しぶりにクラブイベントなる娯楽にいそしんだわけである。就職活動でずいぶん音楽から離れていたので楽しくなってしまい、ついお酒を飲みすぎてしまった。会うや否やヒロキヤマムラ先生が「jukeしようやあ・・・」と言ってきたわけだが、彼がBig Dope Pのトラックから繋いだ自作のトラックがかっこよくいたく感動してしまった。最近その辺の音楽を聴いているうちに自分はシカゴ感が好きなことが分かってきたような気がする。シカゴ/・ゲットーハウスからjukeへ、行ったこともない街の漠然とした”ぽさ”、音楽ではよくあることであるが、言語化するのは難しいが確かに存在するそれをなんとなくわかったような気にさせられてしまうのは不思議なものである。UKっぽい、USっぽい、日本っぽいみたいなのからはじまって、インターネットのおかげでそのくくりを内から外から徐々に小さくみていけるみたいなのはおもしろい。単語がグループ分けされていてそれの法則を当てるクイズみたいな。知らんけど。

 

7月15,16,17,18日

イベント2本出るために東京へ。恐ろしいことに音楽で東京に行くのは2月ぶりであるが、就職活動も含めるとなんだかんだで毎月行っているわけで。これが東京。知らんけど。わりと好き好んで夜行バスにのる私ですが、気晴らしにじゃぶじゃぶ金を使いたかったので、移動は優雅に新幹線、友人のお世話になることなくちゃんと金払って宿もとって散財モードに切り替えたはずが、道玄坂リンガーハットに無意識に吸い込まれて行ってしまうあたり自分の器の小ささがにじみ出てしまう。渋谷でのほどよい贅沢のしかたがいまだにわからないままである。trackmaker、トレッキー周年どちらも楽しかったです。みんな特に久しぶりな気もしなかったし。知らんけど。空いてる時間はパーシー&高橋と楽器屋めぐったり順当に就職していったかつての大学の友人たちと飯食ったり上野動物園に行ったりしました。余すことなく全部楽しかったのは結構すごくて、時間を無駄にすることで心身のバランスをとっている自分からすると革命的な4日間だったような気も。脳裏にリフレインするは”初恋とはなんぞや”というフレーズ。知らんけど。